今回は「芥川龍之介の性格はどんな人だったの?」という疑問に、分かりやすくお答えしていきます。
教科書にもよく出てくる芥川龍之介は、「羅生門」や「蜘蛛の糸」で有名な作家です。でも、作品は読んだことがあっても、本人がどんな性格だったのかは知らない人が多いのではないでしょうか。
この記事では、芥川龍之介の性格や人物像について、エピソードや作品とあわせて、子どもでも理解しやすいように解説していきます!
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芥川龍之介の性格とは?どんな人だったか分かりやすく
芥川龍之介は、日本文学の中でも特に有名な作家の一人です。彼の作品には人間の心の闇や複雑な心理が描かれており、その魅力は今でも多くの人々に影響を与えています。
ここでは、芥川龍之介の性格に焦点を当て、どんな人物だったのかを分かりやすく解説していきます。
芥川龍之介の性格は「繊細で孤独を抱えた努力家」
芥川龍之介は、とても繊細な心を持っていた人です。なぜかというと、赤ちゃんのころにお母さんが病気になってしまい、育ての親であるおばさんの家で育てられたからです。親の愛情をあまり知らずに育ったため、「また見捨てられるかもしれない…」という不安をずっと抱えていました。
だからこそ、芥川は「いい子でいないといけない」と一生けんめい勉強し、成績はいつもトップクラス。東京帝国大学(今の東大)にも進みました。努力を惜しまないその姿は、まさに「努力家」といえるでしょう。
繊細で不安を抱えながらも、常に自分を高めようとした芥川。その心の動きは、のちに彼の作品にも表れています。
惚れっぽくて情熱的な一面も持っていた
意外かもしれませんが、芥川龍之介は「恋多き人」でもありました。小さいころには、家にいた女中さん(今でいうお手伝いさん)に恋をしてラブレターを渡したという話もあるほどです。
また、大学時代には幼なじみの吉田弥生さんに恋をして、結婚したいと考えていました。しかし、家庭の事情でその願いはかないませんでした。この失恋は芥川に大きな影響を与えたといわれています。
このように、芥川は情熱的で、好きな人にはまっすぐな気持ちを持っていた性格でもあります。そんな人間らしい一面を持っていたことは、彼の作品にもあらわれていますね。
完璧主義で芸術にストイック
芥川龍之介は、芸術や文学に対してとても厳しい姿勢を持っていた人です。自分の作品に一切の妥協を許さず、「もっとよくできないか」と細かいところまでこだわる完璧主義でした。
とくに彼は短編小説が得意で、「無駄なものは書かない」「短くても深いものを書く」ということを大切にしていました。だからこそ『羅生門』や『鼻』のような、短くても深く考えさせられる名作を多く生み出すことができたのです。
自分の美学を貫く芥川の姿は、「芸術に命をかけた人」といえるでしょう。
精神的に不安定で神経質な一面もあった
芥川龍之介は、精神的にとても不安定な時期がありました。とくに晩年になると、神経が過敏になり、幻覚を見たり、眠れなかったりすることが増えていきました。実際に「幻が見える」「頭がうまく働かない」といったことを、自分で手紙に書いています。
彼の代表作『歯車』には、こうした心の状態がリアルに描かれています。そして、彼が自殺する少し前に書いた『或旧友へ送る手記』では、「将来に対するぼんやりした不安」という言葉がのこされています。
この「不安」こそが、芥川の心の奥にずっとあったものなのでしょう。人の心に敏感で、だからこそ苦しむ。それが芥川の神経質な一面でもありました。
芥川龍之介の性格は作品にどう表れているのか?
芥川の性格は、そのまま作品の中の登場人物に投影されています。
たとえば『羅生門』では、仕事を失った男が自分の正義と現実のあいだで葛藤し、盗人になることを選びます。これは「人間の心は不安定で、何かのきっかけで変わってしまう」という芥川自身の考え方を反映しているといえます。
また『鼻』では、自分の見た目を気にする僧侶が登場し、人の視線に悩む様子が描かれています。これは芥川が他人の目や評価に敏感だったことと通じるところがあります。
『河童』では、社会の矛盾を河童の世界で風刺しています。現実に希望が持てなかった芥川が、自分の思いを「別の世界」に託して描いたとも考えられます。
作品を通して見ると、芥川龍之介の心の中がより深く分かるようになります。
芥川龍之介はどんな性格?生涯とエピソード
ここからは、芥川龍之介がどんな人だったのかを、人生の流れやエピソードを通して分かりやすく解説していきます。生まれた場所や家族との関係、学校の成績、作家になったきっかけ、そして最後の時まで、彼の人となりがよく分かるようになりますよ!
どんな人?学歴・経歴・作家デビューの流れ
芥川龍之介は、1892年に東京市(今の東京都中央区)で生まれました。お父さんは牛乳の販売業をしていましたが、お母さんは芥川が生まれてすぐに病気になってしまいました。
芥川は母の実家に引き取られ、やがてその家の養子になります。成績はとても優秀で、中学・高校・大学と、どれも日本でトップクラスの学校に進みました。東京帝国大学(今の東京大学)では英文学を学びます。
大学時代には、友人たちと一緒に同人誌を作って文学活動を始め、『羅生門』や『鼻』などで一躍有名に。特に『鼻』は夏目漱石に絶賛され、文壇での地位を確立しました。
努力家で才能を早くから発揮していた人
芥川龍之介は、頭の良さだけでなく、努力を惜しまない性格でした。中学校では「多年成績優等者」に選ばれ、第一高等学校(東大の前の学校)には無試験で入学します。
大学に入ってからも、次々と名作を執筆し、学生でありながらもプロの作家として活躍しました。英語力も高く、英語教師として海軍機関学校で教えたこともあります。
まさに「天才」と「努力家」の両方を兼ね備えていた人だったのです。
家庭や人間関係に悩みを抱えていた人
芥川は一見、順風満帆に見える人生を歩んでいるようですが、実は心の中ではたくさんの悩みを抱えていました。幼少期にはお母さんの病気と死、そして父親の不倫という家庭のゴタゴタがありました。
大人になってからも、結婚生活や仕事、人間関係で心が疲れてしまうことが多かったようです。親族の自殺や借金問題も抱えており、精神的な重荷はかなり大きかったと考えられます。
こうした体験が、彼の作品の「暗さ」や「人間の闇」の描写につながっているのでしょう。
社会や人間の本質を見抜く鋭さを持っていた人
芥川龍之介のすごいところは、「人間って本当はこういうところがあるよね」と、心の奥にある本音や闇を見抜く力があったことです。
たとえば『河童』では、社会の矛盾や人間の滑稽さを、河童の世界を通して表現しています。『蜘蛛の糸』では、善いことをしたつもりの人が最後には落ちてしまうという、善悪の複雑さを描いています。
このように、芥川は「人間ってそんなに単純じゃないよね」という視点で作品を作っていたのです。だからこそ、今読んでも私たちに深く突き刺さる内容になっているのですね。
最後まで作家として生き抜いた誇り高い人
芥川龍之介は、35歳という若さで自ら命を絶ってしまいました。でも、その最後の瞬間まで作家であり続けたことは、多くの人に感動を与えています。
最期の年には『歯車』『河童』『或旧友へ送る手記』などの作品を残し、どれも心の葛藤や生きづらさをリアルに描いています。とくに「ぼんやりした不安」という言葉は、現代にも通じる悩みとしてよく知られています。
芥川は、「どうしても未来に希望が持てない」と思ってしまったのかもしれません。しかし、そんな中でも文学を書き続けた姿には、強い信念と誇りを感じます。
総括:芥川龍之介の性格&どんな人かまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 芥川龍之介は繊細で孤独を感じやすい努力家
- 幼少期に母が病気で育ての親に育てられ、「見捨てられる不安」から努力する性格が形成された。
- 惚れっぽく情熱的な一面もあった
- 幼い頃の初恋や、大学時代の失恋が心に大きな影響を与えた。
- 完璧主義で芸術に対して非常にストイック
- 短編小説にこだわり、無駄を削ぎ落とした作品づくりを徹底していた。
- 精神的に不安定で神経質な面もあった
- 晩年は幻覚や不眠に悩み、『歯車』『或旧友へ送る手記』に苦悩を描いた。
- 性格は作品にも強く反映されている
- 『羅生門』『鼻』『河童』などに、内面の不安や人間の闇が表現されている。
- 東京帝国大学卒のエリートで、若くして作家デビュー
- 学業も優秀で、在学中に名作『羅生門』や『鼻』を執筆。
- 天才でありながらも努力家だった
- 無試験合格や英語教官などの実績から、並外れた努力と才能がうかがえる。
- 家族や人間関係で多くの悩みを抱えていた
- 母の死、父の不倫、親族の自殺などが精神に大きな影響を与えた。
- 社会や人間の本質を鋭く見抜く力を持っていた
- 『蜘蛛の糸』『河童』では、道徳や社会の矛盾を風刺的に描いている。
- 最期まで作家として生き抜いた誇り高い人物
- 35歳で自殺するまで創作を続け、人生の苦悩を作品に昇華した姿勢が評価されている。