「五・一五事件って何だっけ?」
「1932年って覚えにくい!」

こんなふうに悩んでいませんか?日本史の年号はたくさんありますが、語呂合わせを使えば、スッと頭に入ります。

今回紹介するのは「五・一五事件」の語呂合わせ。

テストでも役立つ記憶術なので、しっかり覚えていきましょう!

さらに、事件の背景や影響もわかりやすく解説していきます。「なぜ五・一五事件が起こったのか?」「その後の日本はどうなったのか?」など、テストに出るポイントもおさえていくので、最後まで読んでくださいね!

五・一五事件の語呂合わせ!1932年の覚え方

五・一五事件は、1932年(昭和7年)に起こったクーデター事件です。犬養毅首相が暗殺され、政党政治が終わりを迎えるきっかけとなりました。この年号「1932年」は、しっかり覚えておきたいですね。

そこで、いろんな語呂合わせを紹介します!それぞれの語呂合わせが、どういう意味なのか、どうしてこの言葉で覚えられるのかも解説します。

語呂合わせ①:戦に(1932)GO!(5)行こう!!(15)

この語呂合わせでは、クーデターの激しさをイメージできます。

「戦に(1932)GO!(5)行こう!(15)」

五・一五事件は、軍の青年将校たちが起こしたクーデターでした。「戦に行く」= 軍人の行動と考えれば、五・一五事件のイメージがつかみやすいですね。

この事件は、日本の政党政治が終わるきっかけとなりました。それまで日本では、総理大臣を政党が決める「政党政治」が続いていました。しかし、この事件をきっかけに、軍の力が強まり、戦争へと向かう流れが加速していきます。

この語呂合わせを覚えれば、1932年の五・一五事件が「軍のクーデターだった」ということも思い出しやすくなりますよ!

語呂合わせ②:引き金を引く(19)惨事に(32)なった五・一五事件

「引き金を引く(19)惨事に(32)」

五・一五事件では、首相官邸に侵入した青年将校が、当時の総理大臣・犬養毅を射殺しました。

この語呂合わせは、「引き金を引く」という表現で暗殺のイメージを持たせ、「惨事(32)」で事件の大きな影響を示しています。実際、この事件は、日本の政治を大きく変えました。

犬養毅首相は「話せば分かる」と青年将校を説得しようとしましたが、「問答無用」と言われ、銃撃されてしまいました。政党政治の終わりを象徴する出来事ですね。

この語呂合わせを使えば、「1932年」「犬養毅暗殺」「軍の影響拡大」の3つのポイントを一緒に覚えられます!

語呂合わせ③:ひどく(19)醜い(32)五・一五事件

「ひどく(19)醜い(32)」

この語呂合わせは、事件の評価に焦点を当てたものです。五・一五事件は、軍部の暴力的な行動が目立つ事件でした。

当時の日本では、経済が不安定で、国民も不満を持っていました。そのため、一部の人たちは軍を支持し、「正義の行動」と見ていました。しかし、首相を殺害するという行為は、世界的には「民主主義の崩壊」と見なされました。

この語呂合わせを覚えれば、「1932年の五・一五事件は、日本の政党政治を終わらせるきっかけとなった」と理解できます!

語呂合わせ④:戦さに犬の御一行

「戦さに(1932)犬の(犬養)御一行(五・一五)」

この語呂合わせは、「犬養毅」と「五・一五事件」を直接結びつけています。犬養毅が暗殺された事件だと、すぐに思い出せますね。

また、犬養毅は「政党政治を守ろうとした総理大臣」でした。彼の死によって、日本は軍部の影響を受けやすくなり、最終的には戦争へと向かいました。

「五・一五事件=軍の暴走」「犬養毅=最後の政党政治の首相」という2つのポイントを、この語呂合わせでしっかり押さえましょう!

語呂合わせ⑤:戦(いくさ)に向かい 五・一五

「戦(いくさ)に向かい 五・一五」

五・一五事件の後、日本は軍事的な方向へ進んでいきます。この語呂合わせは、その流れをしっかり表現しています。

1931年には満州事変があり、日本は中国への侵略を強めていました。1932年の五・一五事件は、軍部の発言力を強めるきっかけとなり、その後の日本はさらに戦争へ向かっていきます。

この語呂合わせを覚えれば、「五・一五事件は、日本が戦争へ進むターニングポイントになった」と理解できます!

五・一五事件の語呂合わせの後に:テストに出るポイント

五・一五事件は単なる暗殺事件ではありません。この事件がどのような影響を与え、日本の歴史にどんな意味を持つのかを理解することが重要です。

ここでは、五・一五事件の概要、原因、結果、そしてテストに役立つポイントを詳しく解説していきます。

五・一五事件の概要 – 何が起きたのか?

五・一五事件は1932年(昭和7年)5月15日に発生したクーデター事件です。海軍の青年将校を中心とするグループが首相官邸を襲撃し、当時の首相であった犬養毅を暗殺しました。

この事件の主な舞台は以下の4カ所でした。

  1. 首相官邸 → 犬養毅暗殺
  2. 警視庁 → 治安機関への攻撃
  3. 日本銀行 → 経済的な混乱を狙う
  4. 政友会本部 → 政党政治への敵意

事件を起こした青年将校たちは、「昭和維新」を掲げていました。彼らは政党政治を腐敗したものと考え、「軍による新しい国家を作る」ことを目指していたのです。

しかし、事件後、青年将校たちは比較的軽い処罰を受け、彼らの主張が一部国民に支持されたことで、軍の発言力が一気に強まりました。

五・一五事件の原因 – なぜ起こったのか?

五・一五事件の背景には、大きく3つの要因がありました。

① 政党政治への不満

1924年から続いていた「政党内閣」は、汚職や経済不況の影響で国民からの信頼を失っていました。軍部や右翼勢力は、これを「腐敗した政治」と見なし、武力による改革を求めていました。

② 満州事変と軍部の影響力拡大

1931年に満州事変が発生し、日本は満州国を建国しました。しかし、国際的にはこの行動は問題視され、日本政府も慎重な姿勢を取っていました。この対応に不満を持った軍部は、強硬策を求めるようになり、政党政治と対立しました。

③ 経済不況と社会不安

1929年の世界恐慌の影響で、日本経済も大打撃を受けました。農村では貧困が広がり、人々は政治に絶望していました。この不満が、軍部の行動を支持する土壌を作り出したのです。

五・一五事件の結果 – その後の日本はどうなったのか?

五・一五事件の最大の影響は、日本の政党政治の終焉です。

① 政党内閣の崩壊

事件の後、犬養毅に代わって**斎藤実(まこと)**が首相に就任しました。しかし、彼の内閣は政党を基盤とせず、軍・官僚・貴族院などから閣僚が選ばれた「挙国一致内閣」となりました。これによって、政党政治は実質的に終わりを迎えました。

② 軍部の台頭

事件を起こした青年将校たちは、比較的軽い処分を受けました。これは、彼らの主張に同情する声が多かったためです。この出来事によって、軍の力が増し、4年後の**二・二六事件(1936年)**へとつながっていきます。

③ 戦争への道

五・一五事件の後、日本は軍国主義へと突き進んでいきました。政治の中心は軍部となり、やがて日中戦争(1937年)、太平洋戦争(1941年)へとつながります。

五・一五事件はどんなテストに出る?重要ポイントまとめ

テストで狙われやすいポイントを整理しておきます。

✔ 五・一五事件が起こったのは何年? → 1932年
✔ 事件の主なターゲットは? → 犬養毅首相
✔ 事件を起こしたのは誰? → 海軍の青年将校
✔ 事件の結果どうなった? → 政党政治が終わった
✔ 事件後の首相は? → 斎藤実(挙国一致内閣)

これらのポイントをしっかり押さえておけば、テストでも確実に得点できます!

五・一五事件と二・二六事件の違いとは?

五・一五事件(1932年)と二・二六事件(1936年)は、どちらも軍部のクーデター事件ですが、大きな違いがあります。

事件実行者結果
五・一五事件1932年海軍の青年将校政党政治が終わる
二・二六事件1936年陸軍の青年将校軍部の独裁化が進む

五・一五事件は「海軍」が中心で、政党政治の崩壊がポイント。二・二六事件は「陸軍」が中心で、軍部の支配が強まることがポイントです。

この違いをしっかり理解しておきましょう!

総括:五・一五事件の語呂合わせまとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

1. 五・一五事件とは?

  • 1932年(昭和7年)5月15日に発生したクーデター事件。
  • 犬養毅首相が海軍の青年将校により暗殺され、政党政治が終焉。
  • 軍部の発言力が強まり、日本は戦争へと向かう流れが加速した。

2. 1932年を覚える語呂合わせ

  • 戦に(1932)GO!(5)行こう!!(15) → クーデターの激しさを表現。
  • 引き金を引く(19)惨事に(32)なった五・一五事件 → 犬養毅暗殺を暗示。
  • ひどく(19)醜い(32)五・一五事件 → 軍の暴力的行動と民主主義の崩壊。
  • 戦さに犬の御一行 → 犬養毅と五・一五事件を結びつける。
  • 戦(いくさ)に向かい 五・一五 → 事件後の日本の軍国化を表す。

3. 五・一五事件の原因

  • 政党政治への不満 → 汚職や経済不況で国民の支持を失う。
  • 満州事変と軍部の影響拡大 → 軍部の対立が強まり、強硬策を求める動きが増す。
  • 経済不況と社会不安 → 1929年の世界恐慌により国民の不満が高まり、軍を支持する声が増加。

4. 五・一五事件の結果

  • 政党内閣の崩壊 → 斎藤実が首相となり「挙国一致内閣」が発足。
  • 軍部の台頭 → 軍が政治を主導するようになり、4年後の二・二六事件へ。
  • 戦争への道 → 軍国主義が進み、日中戦争(1937年)、太平洋戦争(1941年)へと発展。