みなさんは「クリストファー・コロンブス」って知っていますか?
そう、大航海時代にアメリカ大陸を“発見”したと言われている有名な探検家だね。でも、コロンブスがどんな最期を迎えたのか知っている人は少ないかもしれません。
「コロンブスはどんな病気で亡くなったの?」
「最後はどこでどう過ごしていたの?」
そんな疑問に答えるために、今日は塾長が 「コロンブスの死因」 について、わかりやすく解説していきます!また、彼の死後に何が起こったのか、遺骨の行方や彼の評価についても掘り下げます。
歴史の授業でもなかなか教えてくれないコロンブスの最後の物語を、しっかり学んでいきましょう!
コロンブスの死因とは?医学的な観点からの分析結果

コロンブスが亡くなったのは 1506年5月20日。場所はスペインのバリャドリッドという都市でした。
一時は「新大陸の発見者」として称えられた彼ですが、晩年は体調を崩し、病気に苦しみながらの生活を送っていたと言われています。では、コロンブスは一体何の病気にかかっていたのでしょうか?
実は、歴史家や医学者の間でも意見が分かれています。いくつかの有力な説を見ていきましょう。
コロンブスの死因は「痛風の悪化」が有力説
コロンブスの死因として最も有力なのが「痛風」です。痛風とは、血液中の尿酸という成分が増えすぎて、関節に結晶となってたまり、激しい痛みを引き起こす病気です。
コロンブスの手紙や記録には、彼が関節の痛み苦しんでいたことが書かれています。特に膝や足の指が腫れて動けなくなっていたそうです。これが、痛風の典型的な症状ですね。
さらに、痛風が悪化すると腎臓にもダメージを与え、最終的には腎不全を引き起こします。コロンブスの死因は、この腎臓の病気による衰弱死だったと考えられています。
なぜ痛風になったの?
当時の航海士たちは肉や魚を大量に食べ、水分をあまり取らなかったため、尿酸値が上がりやすい環境にいました。また、長期間の船旅では新鮮な野菜や果物が手に入らず、栄養バランスが崩れていたことも影響したと考えられます。
壊血病の可能性も?大航海時代の船乗りを蝕んだ病
もう一つの有力な説が壊血病(かいけつびょう)です。
壊血病とはビタミンCが不足することで発症する病気で、大航海時代の船乗りたちの死因のトップでした。
壊血病になると、
- 歯ぐきが腫れて血が出る
- 皮膚に黒ずみができる
- 古傷が開いてしまう
- 体がボロボロになって死に至る
などの恐ろしい症状が出ます。
コロンブスの航海は何か月も続くことがあり、船にはフレッシュな野菜や果物がなかったため、壊血病になる条件はそろっていました。コロンブス自身も、ビタミン不足による体調不良を訴えていた記録があり、壊血病が彼の命を奪った可能性もあるのです。
梅毒に感染していた?コロンブスと性感染症の関連
実は「コロンブスは梅毒(ばいどく)に感染していたのでは?」という説もあります。梅毒とは性感染症の一つで、皮膚のただれや、最終的には脳にダメージを与えて死亡する恐ろしい病気です。
なぜこの説が出たのかというと、「梅毒はアメリカ大陸からヨーロッパへ持ち込まれた病気」という説があるからです。
コロンブスの航海団がアメリカ大陸を発見し、先住民と交流したことで、梅毒に感染したのではないかと言われています。実際、コロンブスが亡くなる前に幻覚や精神錯乱の症状があったとされており、これは梅毒の末期症状とも一致します。
ただし、コロンブスの死因が梅毒だったという決定的な証拠はありません。あくまで一つの可能性として考えられています。
コロンブスの精神状態と神経疾患の関係
コロンブスの晩年の記録を読むと、彼の精神状態が不安定だったことがわかります。
例えば、「神の声を聞いた」と言い出したり、「自分は選ばれし者だ」と語ったというエピソードがあります。これは、神経疾患の可能性があると指摘されています。
また、痛風や壊血病などの慢性的な病気は脳の働きにも影響を及ぼします。
- 痛風が悪化すると、尿酸が脳にも影響を与える
- 壊血病が進行すると、意識混濁や幻覚が出る
コロンブスの「精神錯乱」や「幻覚症状」は、こうした病気のせいだったのかもしれません。
死の直前まで裁判闘争:ストレスが死因を早めた?
コロンブスは晩年、スペイン王室と揉めていたことも、彼の健康を悪化させた原因の一つです。
彼は最初に王室と「発見した土地の10%を自分のものにできる」という契約を結んでいました。しかし、スペイン王室はこれを無視し、コロンブスにほとんど何も与えませんでした。
コロンブスは何度も王室に請願書を出し、裁判を起こしましたが、結局お金も名誉もほぼ失ってしまったのです。こうした精神的なストレスも、コロンブスの寿命を縮めた要因だったと考えられています。
コロンブスの死因:最期の様子と死後の運命

コロンブスの晩年は名誉も富も失い、孤独なものだったと言われています。最期の数年間は病に苦しみながら、スペインのバリャドリッドで静かに暮らしていました。
しかし、彼の死後も遺骨の行方をめぐって様々な事件が起こりました。
ここからはコロンブスの最期の様子と、死後の運命について詳しく解説します。
コロンブスの死の瞬間と最後の言葉
コロンブスは1506年5月20日、家族や数人の友人に見守られながら静かに息を引き取ったと言われています。死の直前、彼は「父よ、汝の御手に魂をゆだねます」という言葉を残したと記録されています。
この言葉はキリスト教の祈りの一つで、彼が神にすべてを委ねて亡くなったことを示しています。コロンブスはカトリック教徒であり、彼の航海もキリスト教を広める目的があったとされています。
そのため、最期も信仰を持ちながら迎えたと考えられています。
死後に冷遇されたコロンブス…国王からの無視
コロンブスはかつてスペイン王室に称えられた英雄でした。しかし、彼が亡くなったとき、スペイン王室はまったく関心を示しませんでした。
- 国王や政府の使者は弔問に訪れず
- 公式な死亡記事も出されなかった
- 街の記録にも名前すら残されなかった
なぜコロンブスはこんなにも冷遇されたのでしょうか?
その理由は、コロンブスがスペイン王室と大きなトラブルを抱えていたからです。彼は最初の契約で 「新たに発見した土地の10%を自分のものにできる」 という約束をスペイン王室と交わしていました。
しかし、スペインが南米で莫大な富を得るようになると、王室はコロンブスを邪魔者扱いするようになりました。
「コロンブスは新大陸を発見しただけで、統治ができない」
「彼の契約を守れば、スペインは大損をする」
こうした理由から、スペイン王室はコロンブスの功績を次第に軽視し、最期には完全に無視するようになったのです。
コロンブスの遺骨が世界を旅した?驚きの移動履歴
コロンブスの死後、彼の遺骨は何度も移動しています。これは歴史上でも非常に珍しいことです。
① 最初の埋葬地:スペイン・セビリア
コロンブスは最初、スペインのセビリアの修道院に埋葬されました。
② 新大陸に移送:ドミニカ共和国のサントドミンゴ
しかし、コロンブスの遺族が「彼の遺骨は新大陸にあるべきだ」と主張したため、1537年にドミニカ共和国のサントドミンゴへ移されました。
③ キューバへ移動:スペインがドミニカを失う
その後、1795年にドミニカがフランスの支配下になると、スペインは「コロンブスの遺骨を奪われてはならない!」と考え、遺骨をキューバ・ハバナに移動させました。
④ 再びスペインへ:アメリカとの戦争でキューバを失う
しかし、1898年にスペインは米西戦争でキューバを失い、遺骨を再びスペイン・セビリアに持ち帰りました。
⑤ しかし…サントドミンゴにも遺骨が!?
ところが、1877年にサントドミンゴ大聖堂から「コロンブスの遺骨」とされる骨 が発見されたのです!つまり、スペインが持ち帰ったのは本当にコロンブスの遺骨だったのか?という謎が生まれました。
現在、スペインとドミニカ共和国の両方の国が「コロンブスの遺骨はここにある!」と主張しています。DNA鑑定が行われたものの、いまだに真相はハッキリしていません。
コロンブスの評価は時代とともに変わった?
コロンブスは長い間「偉大な探検家」として称えられてきました。しかし、最近では彼に対する評価が大きく変わってきています。
- プラスの評価:「世界をつなげた探検家」「大航海時代を開いた英雄」
- マイナスの評価:「先住民を虐殺した侵略者」「ヨーロッパの植民地支配を招いた張本人」
アメリカでは、コロンブスを祝う「コロンブスデー」がありますが、近年は「先住民虐殺を祝うべきではない!」という声が強まり、コロンブス像が撤去されるなど、評価が見直されています。
歴史上の人物の評価は時代とともに変わるもの。コロンブスの功績と問題点を バランスよく理解することが大切ですね。
総括:コロンブスの死因まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
コロンブスの死因と最期に関する要約
- コロンブスの死因 は医学的に明確ではないが、有力な説として 「痛風の悪化」、「壊血病」、「梅毒」 が挙げられている。
- 痛風説:彼の手紙や記録には 関節の痛みに苦しんでいた記録 があり、最終的に腎不全を引き起こした可能性が高い。
- 壊血病説:ビタミンC不足が原因で大航海時代の船乗りに多発していた病で、コロンブスもその影響を受けた可能性がある。
- 梅毒説:新大陸からヨーロッパに持ち込まれた病気とされ、彼の晩年の精神錯乱や幻覚症状と一致するため、感染の可能性がある。
- 晩年のコロンブスは 「神の声を聞いた」 など精神的な異常行動を示しており、神経疾患の影響も疑われている。
- スペイン王室との裁判闘争 による精神的ストレスも、健康を悪化させた要因の一つと考えられている。
コロンブスの最期と死後の運命
- 1506年5月20日、スペインの バリャドリッド で家族や友人に見守られながら 静かに死去。
- 最後の言葉は 「父よ、汝の御手に魂をゆだねます」 というキリスト教の祈りの一節だった。
- スペイン王室はコロンブスの死を冷遇 し、弔問や公式な死亡記事すら出さなかった。
- 死後、遺骨が何度も移動 し、現在も スペインとドミニカ共和国の両方が「コロンブスの遺骨はここにある」と主張 している。
コロンブスの評価の変化
- かつては 「大航海時代を切り開いた英雄」 として称えられていた。
- 近年では、「先住民を虐殺した侵略者」 という負の側面が強調されるようになった。
- アメリカでは 「コロンブスデー」の見直し が進み、一部の都市ではコロンブス像が撤去されている。
- 歴史上の人物の評価は時代とともに変化する ため、功績と問題点をバランスよく理解することが重要である。
