今日は「勘解由使(かげゆし)」という役職について、わかりやすく解説していきます。歴史の授業で聞いたことはあるけど、どんな役職なのかピンとこない人も多いのではないでしょうか?
「勘解由使って何をする人?」
「なんで作られたの?」
「どんな仕事をしていたの?」
こういった疑問をスッキリ解決できるように、小学生でもわかる言葉で説明していきます!勘解由使が活躍したのは平安時代。そのころ、地方では国司(こくし)と呼ばれる役人たちがやりたい放題していたのです。
そこで、「不正を許すな!」と、桓武天皇(かんむてんのう)が勘解由使を作りました。果たして、どんな役職だったのでしょうか?さあ、いっしょに学んでいきましょう!
勘解由使とは何かわかりやすく!役割や設置の背景

勘解由使は、平安時代の日本で「国司の交代を監視する」ために作られた役職です。国司は、地方のリーダーとして税を集めたり、治安を守ったりする重要な役割を担っていました。
しかし、その権力を利用して不正をする人が増えたため、勘解由使が誕生したのです。では、どんな仕事をしていたのでしょうか?
勘解由使とは?簡単に説明するとどんな役職?
勘解由使とは、簡単に言うと「国司の交代をしっかり監査する仕事」です。
平安時代の日本では、国司は4年ごとに交代する決まりでした。しかし、前の国司が「自分の利権を渡したくない!」とゴネたり、新しい国司が「前任者がちゃんと仕事をしていたか不安…」と揉めたりすることがありました。
そこで、新しい国司が前の国司に「ちゃんと仕事をしていましたよね?」と確認するために「解由状(げゆじょう)」という証明書を発行しました。この解由状を審査して、「問題なし!」と判断するのが勘解由使の仕事でした。
つまり、勘解由使は今でいう「会計監査」や「役所のチェック機関」のようなものですね。
勘解由使が作られた理由:なぜ必要だったのか?
勘解由使が作られた理由は「国司の不正が多すぎたから」です。
奈良時代の後半から、地方の国司たちは「税金をちょろまかす」「農民から不当にお金を取る」「国のお金を勝手に使う」など、やりたい放題でした。
特に問題だったのが「公廨稲(くげとう)」という仕組みです。これは、税金として集めた稲を貸し出して、その利息を国司の給料にする仕組みでした。しかし、国司たちはこれを悪用して「利息を高くする」「税を多く取る」など、不正行為を繰り返していたのです。
このままでは、地方政治がメチャクチャになってしまう!と考えた桓武天皇が「国司の不正を監視する役職」を作ろうとして生まれたのが、勘解由使です。
勘解由使の設置時期:いつ誰が作ったのか?
勘解由使は、桓武天皇が797年(延暦16年)に設置しました。
この時代、桓武天皇は「律令制度を立て直す!」という意気込みで、さまざまな改革を行っていました。その一環として、勘解由使を作ったのです。
しかし、勘解由使は806年に一度廃止されました。その理由は、次の天皇(平城天皇)が「もう必要ないのでは?」と考えたからです。ところが、国司の不正がまた増えてしまい、824年(天長元年)に再び設置されました。
つまり、勘解由使は2回作られたということですね。
勘解由使の仕事内容|解由状とは?不与解由状との違い
勘解由使の仕事は、大きく分けて2つあります。
- 解由状の審査
- 不与解由状(ふよげゆじょう)の作成
「解由状」とは、新任国司が前任国司に渡す「ちゃんと仕事をしましたよね?」という証明書です。勘解由使は、この証明書をしっかり審査して、不正がないかを確認していました。
一方、「不与解由状」とは、「この国司は仕事をサボっていた!問題があった!」という報告書です。もし前の国司がちゃんと仕事をしていなかった場合、勘解由使はこの「不与解由状」を作成して、天皇や太政官(政府のトップ)に報告しました。
つまり、勘解由使は「国司交代のルールをしっかり守らせる」ための役職だったのです。
勘解由使が果たした役割|地方行政の改善と影響
勘解由使が設置されたことで、地方の不正が減り、政治が安定しました。
それまでは、国司たちが好き勝手に税金を取ったり、交代時に揉めたりしていましたが、勘解由使がチェックするようになったことで、「ズルをするとバレる!」という意識が生まれたのです。
また、勘解由使の監視のおかげで、「交替式(こうたいしき)」という国司交代のルールが整備されました。この交替式は、後の時代の「公務員交代ルール」にも影響を与えたと言われています。
しかし、平安時代の後半になると、国司の中でも特に力を持つ「受領(ずりょう)」が出てきて、勘解由使の影響力は徐々に低下していきました。
勘解由使とは何かわかりやすく:なぜ廃止されたのか

勘解由使は、国司の不正を防ぎ、地方政治を安定させるために作られました。しかし、時代が進むにつれて影響力を失い、最終的には廃止されました。
では、勘解由使はどのような運命をたどったのでしょうか?その背景と歴史的な意義について見ていきましょう。
勘解由使の衰退:なぜ次第に意味を失ったのか?
勘解由使が次第に意味を失った理由は、大きく分けて3つあります。
1. 受領(ずりょう)の台頭
平安時代の後半になると、「受領」と呼ばれる強力な国司が登場しました。受領は、単なる役人ではなく、地方を支配しながら独自の経済活動を行う存在でした。彼らは天皇や朝廷の命令よりも、自分たちの権力を優先するようになり、勘解由使の監視を無視するようになったのです。
2. 律令制度の崩壊
平安時代は、「律令制度」と呼ばれる法律のルールに従って政治が行われていました。しかし、この制度が次第に崩れていき、「決まりごとよりも実力が大事!」という風潮になっていきました。こうなると、勘解由使がどれだけ監視しても、地方の国司が力を持ちすぎて意味がなくなってしまいました。
3. 地方での実力主義の進行
地方では、「国司よりも豪族(地方の有力者)」が力を持つようになりました。
豪族たちは、自分たちの力で政治を動かし、税を集めるようになり、勘解由使のチェックを受けなくても問題ない状況になってしまったのです。
これらの理由から、勘解由使は次第に有名無実化し、歴史の表舞台から姿を消していきました。
勘解由使の廃止:いつ完全になくなったのか
勘解由使は、平安末期にはほとんど機能しなくなっていましたが、正式に廃止された時期についてははっきりした記録が残っていません。
しかし、以下のような流れをたどっています。
- 平安末期(11世紀後半):「受領」の力が強まり、勘解由使の監視が無視されるようになる
- 鎌倉時代(12世紀末~13世紀):「武士の時代」が始まり、政治の主役が武士へと移行する
- 鎌倉時代以降:「律令制度」が完全に崩壊し、勘解由使のような監査機関が不要になる
鎌倉幕府が成立した頃には、勘解由使はすでに形だけの存在となり、歴史の中に消えていきました。
勘解由使が果たした歴史的な役割
勘解由使は、たとえ消えてしまったとしても、日本の歴史の中で重要な役割を果たしました。
1. 国司の監査制度を作った
それまで地方政治は「やったもの勝ち」だったのが、勘解由使の登場によって「監査する仕組み」ができました。これにより、不正を減らし、より公正な政治を実現しようとする動きが生まれました。
2. 公務員交代のルールを整備した
勘解由使は、「交替式(こうたいしき)」という国司交代のルールを作りました。これは、公務員の異動や引継ぎの仕組みとして、後の時代にも影響を与えています。
3. 後の日本の「監査制度」の基礎になった
現在の日本でも、税務監査や企業の監査がしっかり行われています。これらの「監査制度」の起源をたどると、勘解由使の役割にたどり着くのです。
勘解由使と現代の行政監査|どんな共通点がある?
勘解由使と現代の行政には、意外と共通点があります。
1. 現代の「会計検査院」と似ている
→ 会計検査院は、国の予算が正しく使われているかをチェックする機関です。これは、勘解由使が「国司の税金の扱いを監査する」役割と似ています。
2. 「公務員の引継ぎ制度」と共通している
→ 現代の役所でも、「引継ぎ資料」や「監査書類」が必ず作られます。これは、解由状とよく似た役割を果たしているのです。
3. 「地方行政の監査」の考え方が続いている
→ 現在、日本には地方自治体をチェックする「監査委員会」があります。これは、勘解由使の役割とそっくりです。
このように、勘解由使は「昔の制度」として消えてしまいましたが、その考え方や仕組みは、今でもしっかりと生き続けているのです。
テストで狙われやすい!勘解由使の重要ポイントまとめ
最後に、勘解由使についてテストで問われやすいポイントをまとめます。
- 勘解由使とは? → 国司の交代を監視する令外官。解由状を審査する役割があった。
- 誰が作った? → 桓武天皇(かんむてんのう)。797年に設置。
- なぜ作られた? → 国司の不正が多かったため、交代をスムーズに行う必要があった。
- どんな仕事をしていた? → 解由状を審査し、不正があれば「不与解由状」を作成して報告した。
- なぜ消えた? → 平安末期に受領が力を持ち、監査が意味をなさなくなったため。
このあたりは、歴史のテストや入試でもよく出るので、しっかり覚えておきましょう!
総括:勘解由使とは何かわかりやすく解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 勘解由使とは?
→ 国司の交代を監視する役職(令外官)で、解由状を審査する役割を持つ。 - なぜ作られた?
→ 国司の不正が多く、交代時のトラブルを防ぐために設置された。 - 誰が作った?
→ 桓武天皇が797年(延暦16年)に設置。 - 仕事内容
- 解由状の審査(新任国司が前任国司に交付する引継ぎ証明書)
- 不与解由状の作成(前任国司に問題があった場合に報告書を作る)
- なぜ勘解由使は衰退した?
- 受領の台頭(強力な国司が現れ、監査が無視されるようになった)
- 律令制度の崩壊(決まりごとよりも実力が重視される時代になった)
- 地方の実力主義化(豪族の支配が強まり、勘解由使の影響力が低下)
- いつ廃止された?
→ 平安末期には形骸化し、鎌倉時代以降に消滅。 - 勘解由使の歴史的な役割
- 国司の監査制度を確立(不正の抑止)
- 公務員交代のルールを整備(「交替式」の作成)
- 現代の監査制度に影響を与える(会計検査院や公務員の引継ぎ制度と類似)
- 勘解由使と現代の行政監査の共通点
- 会計検査院と似た役割(税の監査)
- 公務員の引継ぎ制度と共通(解由状と現代の監査書類)
- 地方行政の監査の考え方が続く(監査委員会の存在)
