歴史の授業でもよく出てくる「日米修好通商条約」について、わかりやすく解説します。

「なんで日本はアメリカとこんな不平等な条約を結んじゃったの?」と疑問に思っている人も多いですよね。実は、この条約が結ばれた背景には、日本を守るための”苦渋の決断”があったのです。

この条約をきっかけに、日本は大きく変わりました。良いことも悪いこともありましたが、そのすべてが後の明治維新につながる大切な出来事だったんです。

今日は、どうして日本がこの条約を結んだのか、そのメリットとデメリットまで、しっかり解説していきますよ!

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日米修好通商条約をなぜ結んだ?理由をわかりやすく

日米修好通商条約は、当時の日本にとって非常に重要な決断でした。なぜこの条約を結ばなければならなかったのか、その背景には日本を取り巻く厳しい国際情勢がありました。

ここでは、なぜ日本がこの条約を結ばざるを得なかったのか、歴史的背景とともに詳しく解説します。

アメリカが求めた日本の開国!ハリスの圧力とは?

日米修好通商条約が結ばれた大きな理由は、アメリカの強い圧力でした。当時のアメリカは、自国の貿易を広げるために、日本を開国させたいと考えていました。

そのためにやってきたのが、アメリカの外交官「タウンゼント・ハリス」です。彼は、日本の幕府に「条約を結ばないとイギリスやフランスが攻めてくるよ!」と強く迫りました。実際に、中国では「アヘン戦争」で清(中国)がイギリスに敗れ、植民地のような扱いを受けていたのです。

幕府の人たちも「アメリカと条約を結ばなければ、日本も清のようになってしまうかもしれない」と焦りました。こうして、日本はアメリカとの交渉を進めることになったのです。

日本の軍事力では戦えない!欧米列強との圧倒的な格差

「戦えばいいじゃないか!」と思う人もいるかもしれませんが、当時の日本の軍事力では、欧米と戦うのはとても無理でした。

日本の軍艦はほとんどが木造船でしたが、アメリカやイギリスの軍艦は鉄でできた蒸気船でした。さらに、日本の大砲や鉄砲は古いもので、最新の武器を持つ欧米の軍隊には太刀打ちできませんでした。

アメリカと戦争になれば、負けるのは目に見えています。戦争にならずに国を守るためには、なんとか穏便に条約を結ぶしかなかったのです。井伊直弼(いいなおすけ)をはじめとする幕府の人たちは、苦しい決断を迫られていました。

天皇の許可が得られなかった!幕府が独断で決めた背景

「でも、日本は天皇がいるじゃないか。天皇が許可しなければ条約を結べないのでは?」と思いますよね。実は、幕府は天皇の許可を得るために頑張ったのですが、うまくいきませんでした。

孝明天皇(こうめいてんのう)は「外国との条約なんてとんでもない!」と考えていたので、幕府が何度お願いしても許可を出しませんでした。幕府も天皇の意見を無視したくはなかったのですが、時間がなく、ついに井伊直弼が「独断」で条約に調印してしまったのです。

これは「違勅調印(ちょくちょくちょういん)」と呼ばれ、後に井伊直弼が暗殺される「桜田門外の変」につながる大きな事件となりました。

幕府は不平等条約と分かっていた?それでも結んだ理由

実は、幕府の人たちも「この条約は日本にとって不利だ」と気づいていました。でも、それでも結ばざるを得なかったのです。

なぜなら、条約を結ばなければ、欧米列強が日本に攻め込んでくる可能性があったからです。当時の幕府は「とにかく戦争を避けたい」と考えており、たとえ不平等な条約でも、戦争になるよりはマシだと思ったのです。

幕府は「今は我慢して開国し、力をつけてから条約を改正すればいい」と考えていました。しかし、この判断は後に日本国内で大きな混乱を引き起こすことになります。

条約締結後の日本!経済混乱と幕府への批判が激化

条約が結ばれたことで、日本は大きく変わりました。一番の影響は「経済の混乱」です。

外国の安い製品が大量に入ってきた

日本の職人たちは困りました。安くて質の良い外国製品が入ってきたため、日本の商売が成り立たなくなったのです。

金が海外に流出してしまった

当時、日本の金と外国の金の価値は大きく違っていました。外国人は日本の金を安く買い、その金を海外に持ち出して大儲けしていました。結果、日本国内の金が減り、物価が急激に上がる「インフレ」が起こりました。

幕府への批判が激しくなった

「幕府は外国の言いなりになった!」「天皇の許可も取らずに条約を結ぶなんてひどい!」と、多くの武士や庶民が怒りました。これが「尊王攘夷運動(そんのうじょうい)」につながり、幕府はどんどん弱体化していきました。

日米修好通商条約をなぜ結んだか簡単に:メリット・デメリット

日米修好通商条約が結ばれたことで、確かに日本は多くの不利益を被ることとなりました。しかし、その一方で開国という決断が後の日本の近代化にどう影響を与えたのかも知っておく必要があります。

ここでは、日米修好通商条約のメリットとデメリットを分かりやすく整理して解説します。

日米修好通商条約のデメリット!日本にとって不利なポイントとは?

日米修好通商条約が「不平等条約」と呼ばれるのは、日本にとって不利な内容が多かったからです。主なデメリットを見ていきましょう。

領事裁判権(治外法権)を認めた

日本でアメリカ人が罪を犯しても、日本の法律で裁くことができませんでした。代わりにアメリカの法律で裁かれたため、日本の司法権が守られませんでした。

関税自主権を失った

通常、国は輸入品に税金(関税)をかけて、国内の産業を守ります。しかし、この条約では日本は自由に関税を決められず、外国の安い商品が大量に入ってきてしまいました。これにより、日本の伝統産業は大打撃を受けました。

金や銀が大量に流出した

当時、日本の金と外国の銀の交換比率は世界基準と違っていました。そのため、外国商人は日本の金を安く買い、海外で売って大儲けしました。その結果、日本の金がどんどん海外に流れ、日本国内で金の価値が上がって物価が急騰しました。

日本経済が大混乱

物価の急上昇により、庶民の生活が苦しくなり、不満が爆発しました。幕府への批判が高まり、尊王攘夷運動(そんのうじょうい)が激しくなっていきました。

メリットもあった?開国が日本にもたらした恩恵

「不平等な条約」とはいえ、すべてが悪かったわけではありません。実は、開国によって日本が得たメリットもあったのです。

海外との貿易で経済が発展

日本の「生糸」や「茶」などの輸出が盛んになり、貿易で大きな利益を得る人も出てきました。特に、生糸はヨーロッパで人気があり、高値で取引されました。

西洋の技術や文化を学ぶきっかけになった

開国したことで、西洋の技術や文化が日本に入ってきました。鉄道、蒸気船、電信などの技術が導入され、日本の近代化が進むことになったのです。

留学生が海外で学ぶ機会ができた

幕末から明治にかけて、多くの若者が欧米へ留学しました。福沢諭吉(ふくざわゆきち)などの知識人が西洋の文化や技術を学び、日本の発展に大きく貢献しました。

明治維新への道を開いた

開国をきっかけに、日本は大きく変わりました。幕府は力を失い、新しい政府が必要になりました。こうして、明治維新が起こり、日本は近代国家へと成長していったのです。

なぜ「不平等条約」を結ばざるを得なかったのか

「どうしてこんな不平等な条約を結んだの?」と思うかもしれませんが、当時の日本には選択肢がほとんどありませんでした。

戦争を避けるためだった

もし条約を結ばなければ、アメリカやイギリス、フランスが日本を武力で攻めてきたかもしれません。当時、日本は欧米と戦える軍事力を持っていなかったため、条約を結ぶことで戦争を回避したのです。

世界の流れに逆らえなかった

この時代、アジアの国々は次々と欧米列強に支配されていました。清(中国)はアヘン戦争でイギリスに負け、植民地化されていきました。日本も孤立を避けるために、開国するしかなかったのです。

条約を結んで、力をつけてから改正する作戦だった

幕府の一部の人たちは「今は我慢して開国し、いずれ強くなってから条約を改正すればいい」と考えていました。実際に、明治時代には日本は条約を改正し、不平等な部分を少しずつなくしていきました。

条約締結後:日本はどう対応したのか

日米修好通商条約の締結後、日本は不平等な状況を変えるために努力しました。

幕末の混乱から明治維新へ

幕府は条約締結後、どんどん力を失いました。そして、1868年に明治政府が誕生し、日本は新しい時代へと進んでいきました。

条約改正のための交渉

明治政府は「このままではダメだ!」と考え、条約の改正を目指しました。特に「領事裁判権の撤廃」と「関税自主権の回復」が大きな課題でした。

日英通商航海条約で領事裁判権を撤廃

1894年、日本はイギリスと「日英通商航海条約」を結び、ついに領事裁判権を撤廃しました。これは、日本が欧米諸国と対等な関係を築く第一歩となりました。

関税自主権を回復し、日本は真の独立国家へ

1911年、ついに日本は関税自主権を回復しました。これで日本は外国の干渉を受けず、貿易を自由に管理できるようになったのです。

日米修好通商条約は日本の近代化の第一歩だった?

日米修好通商条約は、たしかに日本にとって不利なものでした。しかし、長い目で見れば、日本の近代化の第一歩となったとも言えます。

開国がなければ、日本は発展しなかった!
もし日本が開国せずに鎖国を続けていたら、西洋の技術を学ぶこともなく、近代化が大きく遅れていたでしょう。

欧米列強との交渉術を学んだ!
条約締結や改正の過程で、日本は外交の技術を学びました。これは、後の日本の発展にとって大きな財産となりました。

最終的に日本は世界と対等な国になった!
不平等条約を改正し、近代化を進めたことで、日本は世界と対等に渡り合える国へと成長しました。

総括:日米修好通商条約をなぜ結んだか簡単に解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  1. 日本を取り巻く国際情勢
    • 日本は欧米列強に囲まれており、開国を迫られた。
    • アメリカの外交官ハリスは、条約を結ばなければ外国の侵略を受けると脅迫。
  2. 日本の軍事力の不十分さ
    • 日本の軍艦は木造船で、欧米の鉄製蒸気船には太刀打ちできなかった。
    • 戦争を避けるために、条約締結が必要と判断された。
  3. 天皇の許可が得られなかった
    • 孝明天皇は条約締結に反対したため、幕府は独断で条約を締結。
    • これが後の「桜田門外の変」につながった。
  4. 不平等条約を結ばざるを得なかった理由
    • 戦争を避け、欧米列強の圧力に屈する形で開国した。
    • 「今は我慢し、強くなってから改正する」という戦略を採用。
  5. 日米修好通商条約のデメリット
    • 領事裁判権:日本でアメリカ人を裁けなかった。
    • 関税自主権喪失:日本は自由に関税を決められなかった。
    • 金の流出:日本の金が外国に流出し、インフレが発生。
  6. 日米修好通商条約のメリット
    • 海外との貿易で経済発展。
    • 西洋の技術や文化を学び、近代化が進展。
    • 留学生の派遣で知識が海外から取り入れられた。
  7. 日本の近代化の第一歩
    • 開国しなければ、日本は近代化できなかった。
    • 欧米との交渉術を学び、後の発展に生かされた。
    • 最終的に日本は世界と対等な国に成長した。
  8. 条約締結後の日本の対応
    • 明治時代に入り、条約改正交渉が進行。
    • 1894年、日英通商航海条約で領事裁判権を撤廃。
    • 1911年、関税自主権を回復し、真の独立を達成。