こんにちは、塾長です!
今回は、日本史の中でも重要な「大化の改新」について解説します。
「大化の改新って何時代の出来事?」「何が変わったの?」という疑問を抱えている人も多いのではないでしょうか。実は、大化の改新は日本の歴史に大きな転換をもたらした出来事で、国家の形を変えるきっかけとなりました。
この記事では、大化の改新の背景やその結果生まれた新しい仕組みを、塾長が分かりやすく説明します!
大化の改新は何時代?歴史的背景と概要を簡単に解説

大化の改新は、飛鳥時代に起こった日本史の重要な出来事です。この改革は、日本を中央集権国家へと近づけるための第一歩でした。
飛鳥時代の日本は、豪族たちが土地や人民を支配し、国家全体の統一が難しい状況でした。この問題を解決するため、大化の改新という大胆な改革が行われたのです。
では、その詳細を見ていきましょう。
大化の改新は飛鳥時代に起こった重要な出来事
大化の改新が行われたのは、西暦645年の飛鳥時代です。
当時の日本は、豪族たちがそれぞれの地域を治めていました。特に力を持っていたのが「蘇我氏」という一族です。この蘇我氏は天皇以上の権力を握っており、周囲からの反感を買っていました。
そんな中、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が立ち上がり、クーデターを起こします。この事件を「乙巳の変(いっしのへん)」と呼びます。このクーデターをきっかけに、天皇を中心とした政治体制を目指す「大化の改新」が始まりました。
乙巳の変と大化の改新の関係
大化の改新のスタートとなったのが「乙巳の変」です。
この事件では、中大兄皇子と中臣鎌足が協力して蘇我氏を倒しました。具体的には、645年6月に蘇我入鹿(そがのいるか)が暗殺され、その翌日に父親の蘇我蝦夷(そがのえみし)が自害します。
この一連の出来事で蘇我氏の支配が終わり、天皇家の権威が復活しました。乙巳の変は、大化の改新の基盤を作るための重要な出来事と言えます。
改新の詔に表れた新しい政治の方針
大化の改新では、「改新の詔(かいしんのみことのり)」という政治方針が示されました。この詔には、天皇中心の中央集権国家を目指すための基本的な改革が記されています。主な内容には「公地公民制」「国郡里制」「班田収授法」などがあります。これらの改革によって、豪族の私有地や私有民が廃止され、全国が天皇の支配下に置かれる仕組みが始まりました。これが後の律令国家の基礎となります。
大化の改新に関わる主要人物を知る
大化の改新には、主に3人の重要人物が関わっています。
まず、中大兄皇子。彼は後に「天智天皇」として即位し、大化の改新を実行しました。次に、中臣鎌足。彼は後に「藤原鎌足」となり、藤原氏の始祖として知られています。
そして蘇我入鹿。この人物は蘇我氏の代表的な豪族で、大化の改新によって滅ぼされました。
この3人の物語を理解すると、大化の改新の背景がより分かりやすくなります。
語呂合わせで覚える大化の改新の年号
歴史の年号を覚えるのに便利な語呂合わせも紹介します!
- 「無事故に終わる大化の改新」(645年)
- 「虫殺しの大化の改新」(645年)
- 「むしろ大変な改新の詔」(646年)
どれも覚えやすいフレーズですので、テスト対策にもぴったりです!
大化の改新が何時代?何が変わったのか?

大化の改新は、日本がそれまでの豪族中心の政治体制から、天皇を中心とした中央集権国家へと生まれ変わるための重要な改革でした。
具体的にどのような制度が導入され、何が変わったのかを詳しく見ていきましょう。
土地と人の管理を変えた「公地公民制」
大化の改新の中核となる改革が「公地公民制」です。これは「土地と人民を天皇が直接管理する」という制度です。
それまでの日本では、豪族たちが自分の領地(田荘)や人民(部曲)を私有していました。しかし、公地公民制の導入によって、それらはすべて国のものとされ、豪族の権力が弱められました。
この改革により、天皇を頂点とする支配構造が整えられ、中央集権化が進むこととなったのです。
全国を再編成した「国郡里制」と地方統治の整備
「国郡里制」は、日本を効率よく治めるための地方行政組織を再編成する改革です。
全国の土地を国(くに)、郡(こおり)、里(さと)に分け、それぞれに管理者を置きました。国司は朝廷から派遣され、郡司や里長には地元の有力者が任命される仕組みです。
この制度により、地方行政が中央政府の意向に沿って運営されるようになり、地方の統治が飛躍的に向上しました。
戸籍と土地配分を決めた「班田収授法」
「班田収授法」は、土地を公平に分配し、効率よく農業を行うための仕組みです。
6歳以上のすべての公民に「口分田(くぶんでん)」と呼ばれる田んぼを配り、農業に従事させました。この制度では、戸籍と計帳を基に土地を割り当て、個人の収穫を記録しました。
また、土地は世襲ではなく、持ち主が亡くなれば国に返還されるルールでした。このシステムによって、税収の安定化が図られました。
統一税制「租調庸」で始まった全国的な課税制度
大化の改新では、統一的な税制である「租調庸(そちょうよう)」が導入されました。
これは、全国の公民が国に納める税金のルールを定めたものです。
- 租:収穫した米の一部を納める税
- 調:布や特産物を納める税
- 庸:労働力や代わりに米や布を納める税
これらの税制は、唐(当時の中国)の制度を参考にして日本風にアレンジしたもので、中央政府の財源を強化しました。
大化の改新が日本に与えた影響とその後の歴史
大化の改新は、日本の歴史にどのような影響を与えたのでしょうか?
最大の成果は、天皇を中心とした政治体制の基盤が作られたことです。
この改革がきっかけとなり、後の律令国家へとつながります。一方で、改革に反発する勢力も多く、完全な中央集権化には時間がかかりました。
それでも、この時期の変革がなければ、日本の統一国家は実現しなかったと言えるでしょう。
総括:大化の改新は何時代?何が変わったのか?のまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
大化の改新の時代と背景
- 大化の改新は飛鳥時代の645年に起こった。
- 蘇我氏の専横に反発した中大兄皇子と中臣鎌足が乙巳の変で蘇我氏を倒し、改革が始まる。
改新の主要な改革内容
- 公地公民制
- 豪族の土地・人民の私有を廃止し、全てを国有化。
- 国郡里制
- 全国を国・郡・里に分け、地方行政を整備。
- 班田収授法
- 戸籍を基に土地を公平に分配し、税収の基盤を整える。
- 租調庸
- 米、布、労働などを納める全国統一の税制を導入。
大化の改新の影響
- 天皇を中心とした中央集権国家への第一歩となった。
- 後の律令国家成立の基盤を作り、国家の統一に寄与した。
覚え方とテスト対策
- 語呂合わせ:「無事故に終わる大化の改新(645年)」などが便利。
- 年号や主要人物(中大兄皇子、中臣鎌足)を重点的に覚えると良い。
