今日は「大正天皇のエピソード」というテーマで、ちょっと不思議で、お茶目な天皇陛下のお話をしていきます。
教科書だけでは分からない、親しみやすくて人間味あふれるエピソードを集めてみましたよ。
「天皇ってすごく偉くて近づきがたい存在でしょ?」と思っているキミも、きっと「え? そんなことあるの!?」と驚くことまちがいなしです!
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大正天皇の有名エピソードを紹介!親しみやすい性格がわかる実話集
大正天皇と聞くと「影が薄い」「暗愚な天皇」といったイメージを持つ人もいるかもしれません。しかし実際は、庶民的で自由奔放な性格の持ち主でした。
ここでは思わず笑ってしまうような、大正天皇のユニークなエピソードをご紹介します。
自転車で御用邸を脱走した自由すぎる皇太子時代
大正天皇は、若いころからちょっと自由すぎる行動で周りを驚かせていました。その中でも有名なのが、沼津御用邸からの“自転車脱走”事件です。
体が弱かった大正天皇は、静養のために沼津にある御用邸で過ごしていました。ある日、広い敷地内だけでは物足りなくなったのか、自転車にまたがって侍従たちの目を盗み、裏門からひょっこり外へ出かけてしまったのです。
途中で地元の旧家に立ち寄り、お茶をいただいたり、梅林を見て詩を詠んだりと、のんびり満喫していたのだとか。お付きの人たちは当然大パニック!「東宮さま(皇太子)がいない!」とあちこち探し回ったそうです。でも、大正天皇はそんなこと気にもせず、地元の人とふつうにおしゃべりを楽しんでいたんですよ。
そば屋で代金を払い忘れた?お忍び行動の数々
皇太子時代の大正天皇は、とにかく気ままにお忍び外出をするのが好きでした。その中でも面白いのが「そば屋でお代を払い忘れた」事件です。
ある日、大正天皇はふらっと庶民が利用するそば屋に入りました。普通のお客さんとして注文し、そばを食べたのですが、食べ終わってそのまま立ち上がり、お店を出ようとしました。すると、店員さんが袖をつかんで「お客さん、お代がまだですよ!」と声をかけたのです。
もちろん天皇は“お金を払わない”つもりではありません。お付きの者が支払う予定だったのですが、彼らも慌てていて少し遅れてしまったようです。このやりとりを見ていた店員さんは、まさか相手が皇太子だとは知らず、のちにそれを知ってビックリしたというお話です。
写真を欲しがる趣味と「遠眼鏡事件」の真相
大正天皇は人の写真を集めるのが趣味で、女官だけでなく、外国の外交官や公使にまで「写真をください」と頼んでいたそうです。とくにお気に入りの人には「写真、以後、くれね(=またちょうだいね)」とお願いするなど、かなりフレンドリーな方だったのです。
また、よく話題になる「遠眼鏡事件」も有名です。これは帝国議会での出来事で、大正天皇が勅語(ちょくご:天皇の言葉)を読み終えたあと、巻物をくるくると丸めて望遠鏡のようにのぞいた、という話です。
「それってちょっとおバカっぽくない?」という噂も流れましたが、実はそれには理由がありました。前回、巻物が上下逆に渡されてしまい、大正天皇は恥ずかしい思いをしたことがあったのです。次は間違えないように、のぞいて確認してから読もうとした行動だったのです。
つまり、おちゃめなようで、実はしっかり者だったのかもしれませんね。
大型犬と遊んで脱走させた!?愛犬家エピソード
大正天皇は動物、とくに犬が大好きでした。しかも小型犬ではなく、ポインターやセッター、グレートハウンドといった大型犬を何頭も飼っていたのです。
ある日、「運動不足だろうから放してやろう」と命じ、犬をリードから解放しました。犬は大喜びで走り回り、なんと御用地の柵をぴょーんと飛び越えて外へ脱走してしまいました。
お付きの人たちは必死で犬を探し回りましたが、見つからず。ところが後になって、御用地の入口で「おかえり〜」とばかりに尻尾を振って待っていたそうです。そんな大正天皇の表情は、怒るでもなく「ふふふ、やっぱり戻ってきたか」といった、ほほえましいものだったそうですよ。
フランス語・朝鮮語も!言語のセンスがすごかった
大正天皇は体が弱かったぶん、本を読んだり勉強するのが好きでした。中でも語学のセンスはなかなかのもので、フランス語や朝鮮語まで学んでいたんです。
フランス語は当時の国際社会で使われる大事な言葉。大正天皇は来日したスペイン公使と長時間会話を楽しんだこともあるとか。さらに、フランス語のジョークも使って女官をからかったというエピソードもあります。
たとえば、「これを言ってきてごらん。『私はバカではありません』って意味だよ」と言われて話した女官。実はその言葉、「私はバカです」という意味だったのです。フランス語がわかる人たちは大笑い。ちょっとイジワルだけど、天皇のユーモアが光るエピソードですね。
大正天皇エピソードの後に:どんな人だったか簡単に
ここからは、大正天皇の人柄や趣味、そして大正時代の背景について解説していきます。なぜこれほどユニークで親しみやすい性格だったのか、どんな時代に生きたのかを知ると、大正天皇のエピソードがもっと身近に感じられるはずですよ!
大正天皇はどんな人?病弱でも人間味あふれる性格
大正天皇は、子どものころからとても体が弱く、病気がちでした。百日咳や髄膜炎、腸チフスなどにもかかり、学校にもあまり通えなかったそうです。そのため、宮中で個別に家庭教師から学ぶことが多く、他の子どもと遊ぶ機会も少なかったようです。
でも、その分、家族や身近な人たちとの関わりを大事にして、親しみやすい性格に育ったとも言われています。自分が弱い立場にあったからこそ、人の痛みがわかるやさしい天皇だったのかもしれません。
昭和天皇や明治天皇が「厳格で威厳のある」イメージだったのに対して、大正天皇は「人間らしい」天皇として知られています。昭和天皇の「人間宣言」よりも前から、すでに“人間味あふれる”存在だったのですね。
第一次世界大戦と関東大震災に揺れた大正時代
大正天皇が即位したのは1912年。そして在位中の14年間には、いくつかの大きな出来事が起こりました。
まず、1914年には「第一次世界大戦」が始まりました。日本はイギリスと同盟を結んでいたため、連合国側として参戦します。戦場は主にヨーロッパでしたが、日本も中国の青島を攻めるなどの動きがありました。
そして1923年には「関東大震災」が発生。東京を中心とした大地震と大火災で10万人近くが亡くなったといわれています。これにより、日本の社会も大きく変わり、防災の意識が高まるきっかけとなりました。
さらに1925年には「普通選挙法」が成立し、25歳以上の男子全員に選挙権が与えられるようになります。まさに大正時代は、日本が「近代国家」へと一歩を踏み出した大きな転換点だったのです。
歴代最多の1367首を詠んだ文人皇帝
大正天皇は、実はとても文学的な人でもありました。特に漢詩をつくることが大好きで、なんと生涯で1367首もの漢詩を詠んだといわれています。これは歴代天皇の中でもダントツの数なんですよ。
しかも、その詩は内容もレベルも高く、専門家たちからも「手直しを考慮してもかなりのセンス」と高く評価されています。
一方で、和歌はそれほど詠まれておらず、生涯で465首ほど。これは父の明治天皇(約9万首)や昭和天皇(約1万首)に比べて圧倒的に少ないですが、その分、大正天皇は「漢詩の天皇」としての個性を発揮したと言えますね。
初の一夫一婦制を築いた仲睦まじい夫婦愛
大正天皇とその奥さま・貞明皇后(九条節子)の関係は、今でも語り継がれるほど仲が良かったことで知られています。
当時の天皇家では側室(天皇の妾)を持つことが当たり前とされていましたが、大正天皇は節子さんとだけの一夫一婦制を貫きました。体の弱かった大正天皇を、活発で健康な節子さんが支えた形ですね。
結婚後、大正天皇の体調も少しずつ良くなり、行啓などにも出かけるようになりました。2人の間には4人の男子が生まれ、みんな成人まで成長するという「子宝に恵まれた」夫婦でもありました。
大正天皇が亡くなったあとも、貞明皇后は毎日朝晩、天皇の遺影にお参りしていたそうです。そんな夫婦愛のエピソードからも、大正天皇がどれだけ信頼され、愛されていたかが伝わってきますね。
摂政設置と47歳での崩御に見る晩年の苦悩
大正天皇の晩年は、とてもつらいものでした。体調はどんどん悪くなり、1918年ごろからは公務もほとんどできなくなってしまいます。そして1921年には、長男の裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政として代わりに務めるようになります。
1926年12月25日、葉山の御用邸で47歳という若さで崩御(亡くなられること)されました。死因は心臓麻痺とされていますが、長年の病による衰弱も大きかったようです。
最期のときは、貞明皇后や実母の柳原愛子、皇太子夫妻らが見守る中、静かに息を引き取ったと伝えられています。
このように、大正天皇の晩年には病と向き合う日々が続きましたが、そんな中でも家族や周囲の人々との絆を大切にしていたことがわかります。
総括:大正天皇の有名エピソードまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
✅ 大正天皇のエピソード
- 自転車で御用邸を抜け出す自由な皇太子時代
→ 沼津御用邸からお忍びで外出し、民家でお茶をするなど庶民的な一面。 - そば屋で代金を払い忘れるハプニング
→ お忍びでそば屋に行き、お代を忘れるほど自然体な性格。 - 写真好き&遠眼鏡事件の真相
→ 写真収集が趣味で、議会で巻物を覗いた行動が誤解を生む。 - 大型犬を放して暴走させる愛犬家ぶり
→ 御用地で犬を散歩させ、逃げられるも笑って許す懐の深さ。 - フランス語・朝鮮語を学んだ語学センス
→ 女官をからかうユーモアもあり、国際的な交流にも積極的。
✅ 大正天皇の人物像・時代背景
- 病弱ながらも人間味あふれる天皇
→ 明治・昭和天皇とは違い、気さくで親しみやすい性格。 - 大正時代は第一次世界大戦・関東大震災など激動の時代
→ 短い在位ながらも、日本は大きな歴史の節目を迎える。 - 趣味は漢詩創作で歴代最多の1367首を詠む
→ 文人肌の一面をもち、文化的活動にも熱心だった。 - 貞明皇后との夫婦愛が深く、一夫一婦制の先駆けに
→ 結婚後に体調が改善し、家庭的で安定した夫婦関係を築いた。 - 47歳で崩御、摂政設置など晩年は苦難も多かった
→ 晩年は体調悪化で政務が困難となり、昭和天皇が摂政に就任。