「世界三大美女」と聞いて、誰を思い浮かべますか?
日本では「クレオパトラ」「楊貴妃」、そして「小野小町」の3人が定番ですが……実はこれ、世界では通用しないって知っていましたか?
今回の記事では、「小野小町が世界三大美女じゃない」と言われる理由と、その背景にある歴史や文化、さらには海外での意外な反応まで、塾長が分かりやすく解説していきます。さあ、一緒に学んでいきましょう!
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世界三大美女は小野小町じゃないって本当?その理由
世界三大美女といえば、小野小町が入るのが当たり前だと思っていたあなた。実はそれ、日本だけの常識かもしれません。
ここでは、小野小町が「世界三大美女」から外れる理由や背景を、歴史や文化をもとに解き明かしていきます。
小野小町が世界三大美女に入るのは日本だけ
結論から言うと、小野小町は世界的には「誰それ?」状態です。英語圏を中心に、海外のメディアや歴史文献で彼女の名前が登場することはほとんどありません。
そもそも、平安時代の日本の文化や人物は、外国ではあまり知られていないのです。クレオパトラや楊貴妃は映画や文学に登場するため、世界中に名前が広まっていますが、小野小町はそういった紹介がありません。
つまり「世界三大美女」といっても、日本の中だけで成立している言葉だということです。
世界三大美女の由来は明治時代
実は「世界三大美女」という言葉が使われた最初の記録は、1888年(明治21年)の読売新聞の社説です。
この社説では、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町の3人の名前が並べられましたが、あくまで「美しさの価値観は国によって違う」という文脈で紹介されたにすぎませんでした。
しかし、ナショナリズムが高まっていた明治時代、日本にも“世界に誇れる美女”が必要だという空気が生まれ、小野小町がその代表として選ばれるようになったのです。つまり、これは「日本のプライド」が生み出した言葉だったんですね。
小野小町の美人伝説は後世の創作?
小野小町が本当に絶世の美女だったのかというと、それは分かっていません。
当時は貴族の女性が顔を人前に見せることがほとんどなかったため、はっきりとした記録も絵も残っていないのです。また、平安時代の美人の条件は「髪の長さ」や「着物の着こなし」、「しとやかさ」など、今とはまったく違うものでした。
小野小町の美人伝説は、後の時代に作られた物語や逸話、さらには他の登場人物との混同によって広まったと考えられています。つまり、伝説が独り歩きした可能性が高いのです。
なぜ日本人は小野小町を三大美女にしたがるのか?
明治から大正にかけて、日本では「世界の中での日本」を意識する動きが強まりました。西洋に対抗する形で、「日本にもすごい人がいる!」とアピールしたかったのです。
その一環として、小野小町が「世界三大美女」に押し上げられました。また、当時の西洋では“黒髪の東洋美人”への幻想(オリエンタリズム)もあり、日本人の理想的な女性像を小野小町に重ねたのです。
つまり、「小野小町=日本代表」という位置づけが、国のプライドと結びついて定着していったのです。
本当の世界三大美女は誰?小野小町の代わりに名前が挙がるのはこの人
実は「世界三大美女」に小野小町ではなく、ギリシャ神話の「ヘレネー」が入ることが世界的には一般的です。彼女は『トロイア戦争』の原因となったほどの美女とされ、ヨーロッパでは非常に有名な存在です。
つまり、世界的な視点で言えば「クレオパトラ」「楊貴妃」「ヘレネー」の3人がよりふさわしいとされています。いずれも、その国の神話や歴史において大きな影響力を持った人物であり、メディアや学術的文献にもたびたび登場します。
日本人が思っている「三大美女」は、実は世界では少数派の認識だったのです。
世界三大美女は小野小町じゃない!海外の反応は?
ここからは、世界三大美女という言葉に対する海外のリアルな反応を見ていきましょう。実は、日本では当たり前のように知られている「小野小町=三大美女」説ですが、海外ではまったく違う認識があるのです。
グローバルな視点から見ると、日本独自の常識に驚かされることも少なくありません。
海外では「小野小町って誰?」が普通
英語圏のネット検索や歴史文献を調べても、「小野小町」という名前が出てくることはほとんどありません。彼女が活躍した平安時代の日本文学は、海外ではまだまだマイナーなジャンルだからです。
一方、クレオパトラや楊貴妃は歴史や映画の題材として世界中で知られており、特にクレオパトラはハリウッド映画によって有名になりました。
つまり、英語圏では「小野小町って誰?」が当然の反応であり、日本の常識が世界では非常識になっている例なのです。
日本発の「世界三大○○」は通じない?
「世界三大夜景」「世界三大珍味」「世界三大料理」など、日本では「世界三大○○」という表現がよく使われますが、実はその多くが日本独自のものです。
小野小町が三大美女に入っているのも、そうした日本人の“まとめたがり文化”から来ていると言えるでしょう。世界的なランキングではないため、海外で話題にしてもピンとこない人がほとんどです。
日本人が信じている“世界の定番”が、実は国内限定の風説にすぎないというケースは他にもたくさんあります。
海外の三大美女ランキングはどうなっている?
では、海外ではどんな人物が“世界の美女”として名前を挙げられるのでしょうか?
たとえば、ギリシャ神話のヘレネーの他にも、イギリスの王妃ダイアナ、フランスのマリー・アントワネット、ハリウッドのマリリン・モンローなど、歴史的・文化的に影響力のある女性が候補に挙げられます。
また、現代では女優のアンジェリーナ・ジョリーやモデルのナタリア・ヴォディアノヴァなども名前が出ることがあります。つまり、「世界三大美女」は国や時代によって変わる“流動的な概念”とも言えるのです。
「小野小町=世界三大美女」を海外メディアはどう見ているか
海外の学者やメディアは、日本独特の「小野小町推し」を興味深く観察しています。たとえば、東京大学の永井久美子氏の論文では、「ナショナリズムとオリエンタリズムが結びついた結果」と分析されています。
つまり、日本人が「西洋に負けたくない!」という思いから、自国の偉人を世界基準に押し上げようとしたというわけです。
海外からは「面白い現象」として取り上げられることもあり、日本文化の“かわいらしい愛国心”として紹介されることもあります。
小野小町の評価は「美人」より「才女」
塾長としては、世界に誇るべき小野小町の魅力は「美貌」ではなく「才能」だと思います。彼女は百人一首に選ばれた和歌の名人であり、「六歌仙」「三十六歌仙」にも名を連ねる偉大な歌人です。
たとえば「花の色は うつりにけりな いたづらに~」という有名な歌は、今でも多くの人の心を打っています。海外ではまだあまり知られていないかもしれませんが、日本文学を紹介する上で、小野小町の作品は大きな魅力になります。
世界に向けて紹介するなら、“美女”より“詩人”としての側面に注目すべきかもしれませんね。
総括:世界三大美女は小野小町じゃないって本当?まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 「世界三大美女」に小野小町が入るのは日本独自の考え方で、海外では知られていない
- この説は明治時代、読売新聞の社説などをきっかけに広まった
- 小野小町が実際に美人だったという証拠はなく、伝説や和歌によって「美人」のイメージが作られた
- ナショナリズム(国を誇る気持ち)やオリエンタリズム(東洋への憧れ)が背景にある
- 世界的にはクレオパトラ・楊貴妃・ヘレネーが三大美女とされることが多い
- 英語圏では小野小町の知名度はほぼゼロで、三大美女の話も通じない
- 「世界三大○○」の多くが日本独自の文化で、海外では通用しないことが多い
- 小野小町は「美人」よりも「和歌の才女」としての価値が高い
- 世界に伝えるべきは小野小町の文学的才能である
- 「三大美女」というくくりは国や文化によって大きく異なるため、絶対的な基準ではない