戦国時代とはどんな時代か知っていますか?

日本各地の戦国大名たちが領土を巡って争い、天下統一を目指した激動の時代です。しかし、「戦国時代の流れが分かりにくい…」「どの戦いがいつ起こったの?」と思っている人も多いはず。

そこで今回は、戦国時代の年表をわかりやすく整理し、有名な戦いについても詳しく解説します!歴史の授業やテストにも役立つ内容なので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。

戦国時代の年表一覧|主要な出来事を一目で把握

戦国時代は、1467年の「応仁の乱」から始まり、1615年の「大坂夏の陣」で終わるとされています。この約150年間、日本は戦争が絶えない時代でした。

ここでは、戦国時代の流れを年表形式で整理し、どのような出来事が起こったのかを見ていきましょう。

戦国時代の総合年表【1467年~1615年】

以下に、戦国時代の主要な出来事を時系列でまとめました。

出来事
1467年応仁の乱が勃発(戦国時代の始まり)
1477年応仁の乱が終結するが、将軍の権威が低下し、戦国時代が本格化
1485年山城国一揆が起こり、自治的な統治が行われる
1488年加賀一向一揆が発生し、一向宗門徒が加賀国を支配
1493年明応の政変、細川政元が将軍足利義稙を追放
1510年三浦の乱(対馬の宗氏と朝鮮との戦争)
1517年毛利元就が台頭(有田中井手の戦い)
1521年細川高国が足利義晴を擁立し、将軍に就任させる
1534年織田信長が誕生
1543年鉄砲伝来(ポルトガル人が種子島に漂着)
1549年フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝える
1555年厳島の戦い(毛利元就が陶晴賢を破る)
1560年桶狭間の戦い(織田信長が今川義元を討ち取る)
1570年姉川の戦い(織田・徳川連合軍 vs. 浅井・朝倉連合軍)
1571年織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ち
1573年室町幕府が滅亡(織田信長が足利義昭を追放)
1575年長篠の戦い(織田・徳川軍が武田軍に勝利)
1582年本能寺の変(織田信長が明智光秀に討たれる)
1583年賤ヶ岳の戦い(羽柴秀吉が柴田勝家を破る)
1584年小牧・長久手の戦い(羽柴秀吉 vs. 織田信雄・徳川家康)
1590年小田原征伐(豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし、日本を統一)
1600年関ヶ原の戦い(徳川家康が勝利し、天下を掌握)
1614年大坂冬の陣(豊臣氏と徳川家の決戦が始まる)
1615年大坂夏の陣(豊臣氏が滅亡し、戦国時代が終焉)

前期(応仁の乱~戦国大名の台頭)1467年~1550年

この時期は、戦国時代の幕開けとなる「応仁の乱」が起こり、その後各地で戦国大名が登場する時代です。

出来事
1467年応仁の乱が勃発(足利将軍家の内紛)
1477年応仁の乱が終結(室町幕府の権威が低下)
1485年山城国一揆(民衆が自治を実現)
1488年加賀一向一揆(本願寺門徒が加賀国を制圧)
1510年三浦の乱(対馬の宗氏と朝鮮の衝突)
1523年寧波の乱(大内氏と細川氏の貿易争い)
1536年天文法華の乱(京都での宗教対立)
1543年鉄砲伝来(種子島)
1549年キリスト教伝来(フランシスコ・ザビエル来日)
1550年武田信玄が甲府に躑躅ヶ崎館を築く

中期(戦国大名の争覇)1550年~1582年

戦国大名が勢力を拡大し、天下統一をめぐる戦いが激化した時代です。

出来事
1560年桶狭間の戦い(織田信長が今川義元を討つ)
1568年織田信長が上洛(足利義昭を擁立)
1570年姉川の戦い(織田・徳川軍が浅井・朝倉軍を破る)
1571年比叡山焼き討ち
1573年足利義昭が追放され、室町幕府滅亡
1575年長篠の戦い(織田・徳川連合軍が武田軍を破る)
1582年本能寺の変(織田信長が明智光秀に討たれる)

後期(豊臣秀吉の統一事業)1583年~1600年

豊臣秀吉が戦国時代の覇者となり、日本統一を成し遂げた時代です。朝鮮出兵も行われました。

出来事
1583年賤ヶ岳の戦い(羽柴秀吉が柴田勝家を破る)
1584年小牧・長久手の戦い(羽柴秀吉 vs. 織田信雄・徳川家康)
1585年羽柴秀吉が関白に任命される
1586年豊臣姓を賜り、豊臣秀吉となる
1587年九州征伐(豊臣秀吉が島津氏を降伏させる)
1588年刀狩令発布(農民の武装を禁止)
1590年小田原征伐(北条氏が降伏し、豊臣秀吉が天下統一)
1591年千利休の切腹(豊臣秀吉との対立)
1592年文禄の役(朝鮮出兵開始)
1597年慶長の役(二度目の朝鮮出兵)
1598年豊臣秀吉が死去し、戦国時代の終焉が近づく

最終期(徳川家康の台頭と戦国時代の終焉)1600年~1615年

徳川家康が豊臣政権を引き継ぎ、最終的に戦国時代を終わらせた時代です。

出来事
1600年関ヶ原の戦い(徳川家康が石田三成らを破る)
1603年江戸幕府が開かれ、徳川家康が征夷大将軍となる
1614年大坂冬の陣(豊臣氏と徳川家の戦いが始まる)
1615年大坂夏の陣(豊臣氏が滅亡し、戦国時代が終焉)

戦国時代の年表一覧の後に:有名な戦いを分かりやすく

戦国時代には数多くの合戦がありました。その中でも特に歴史の転換点となった戦いを詳しく解説します。

桶狭間の戦い(1560年)|織田信長が今川義元を破る!

戦国時代を代表する戦いのひとつ「桶狭間の戦い」。織田信長が今川義元の大軍を奇襲し、大勝利を収めたことで有名です。

戦いの背景
尾張の小大名だった織田信長に対し、東海地方の有力大名である今川義元が大軍を率いて上洛を目指しました。しかし、織田信長はわずか3,000の兵で奇襲を仕掛け、今川義元を討ち取ることに成功しました。

戦いの結果と影響
この戦いを機に、織田信長の名は全国に知れ渡り、後の天下統一への道が開かれました。

長篠の戦い(1575年)|織田・徳川連合軍が武田軍を撃破!

長篠の戦いでは、鉄砲を有効活用した戦術が勝敗を分けました。

戦いの背景
甲斐の武田勝頼が織田・徳川の支配する長篠城を攻めましたが、織田信長はこれに対抗。最新兵器である鉄砲を3,000丁用意し、武田軍の突撃を防ぎました。

戦いの結果と影響
武田軍は壊滅し、武田家の衰退が始まりました。これにより、鉄砲が戦争の主役となる時代へと変わっていきました。

本能寺の変(1582年)|明智光秀の裏切り!

戦国時代最大のクーデター「本能寺の変」。織田信長が家臣の明智光秀に討たれた事件です。

戦いの背景
天下統一目前だった織田信長。しかし、家臣の明智光秀が謀反を起こし、京都の本能寺にいた信長を襲撃しました。信長は自害し、織田家の天下統一の夢は絶たれました。

戦いの結果と影響
織田家は混乱し、豊臣秀吉が「山崎の戦い」で明智光秀を討ち、政権を引き継ぐことになりました。

関ヶ原の戦い(1600年)|徳川家康が天下を取る!

天下分け目の決戦と呼ばれる「関ヶ原の戦い」。徳川家康と石田三成の大戦です。

戦いの背景
豊臣秀吉の死後、家康が力を強め、これに反発する石田三成が西軍を結成。東軍の家康と西軍の三成が関ヶ原で激突しました。

戦いの結果と影響
家康が勝利し、豊臣政権は衰退。後に江戸幕府が開かれ、戦国時代が終焉を迎えました。

大坂の陣(1614~1615年)|豊臣家の最期

戦国時代の最後の戦い「大坂の陣」。徳川家康と豊臣秀頼が激突しました。

戦いの背景
徳川家康は豊臣家を滅ぼすため、大坂城を包囲。最初の戦い(冬の陣)では和睦が成立しましたが、翌年(夏の陣)に再び開戦しました。

戦いの結果と影響
豊臣家は滅亡し、徳川の天下が確立。これにより戦国時代は完全に終わり、江戸時代へと移行しました。

総括:戦国時代の年表一覧まとめ

最後に、戦国時代の年表一覧をもう一度残しておきます。

出来事
1467年応仁の乱が勃発(戦国時代の始まり)
1477年応仁の乱が終結するが、将軍の権威が低下し、戦国時代が本格化
1485年山城国一揆が起こり、自治的な統治が行われる
1488年加賀一向一揆が発生し、一向宗門徒が加賀国を支配
1493年明応の政変、細川政元が将軍足利義稙を追放
1510年三浦の乱(対馬の宗氏と朝鮮との戦争)
1517年毛利元就が台頭(有田中井手の戦い)
1521年細川高国が足利義晴を擁立し、将軍に就任させる
1534年織田信長が誕生
1543年鉄砲伝来(ポルトガル人が種子島に漂着)
1549年フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝える
1555年厳島の戦い(毛利元就が陶晴賢を破る)
1560年桶狭間の戦い(織田信長が今川義元を討ち取る)
1570年姉川の戦い(織田・徳川連合軍 vs. 浅井・朝倉連合軍)
1571年織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ち
1573年室町幕府が滅亡(織田信長が足利義昭を追放)
1575年長篠の戦い(織田・徳川軍が武田軍に勝利)
1582年本能寺の変(織田信長が明智光秀に討たれる)
1583年賤ヶ岳の戦い(羽柴秀吉が柴田勝家を破る)
1584年小牧・長久手の戦い(羽柴秀吉 vs. 織田信雄・徳川家康)
1590年小田原征伐(豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし、日本を統一)
1600年関ヶ原の戦い(徳川家康が勝利し、天下を掌握)
1614年大坂冬の陣(豊臣氏と徳川家の決戦が始まる)
1615年大坂夏の陣(豊臣氏が滅亡し、戦国時代が終焉)