今日は「琵琶法師(びわほうし)」について、分かりやすく解説します。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」
この有名な一節を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか?
これは『平家物語』の冒頭の一文で、昔の日本では「琵琶法師」と呼ばれる人たちが琵琶を弾きながら語っていました。でも、そもそも琵琶法師って何をする人だったのでしょうか?
この記事では、琵琶法師の正体や歴史、なぜ平家物語を語ったのか、さらには有名な琵琶法師についても解説します。
琵琶法師とはどんな人?歴史や役割を簡単に解説

琵琶法師とは、琵琶を演奏しながら物語を語る人たちのことです。特に、鎌倉時代から江戸時代にかけて活躍し、『平家物語』を語ることで知られています。
彼らは単なる音楽家ではなく、歴史や仏教の教えを伝える「語り部」としての役割も担っていました。それでは、琵琶法師の正体や歴史について詳しく見ていきましょう。
琵琶法師とは何か?その正体と特徴
琵琶法師とは、琵琶という弦楽器を弾きながら、物語や仏教のお経を語る芸能者のことです。一般的に「法師」というと僧侶を指しますが、琵琶法師は必ずしも正式な僧侶ではなく、放浪しながら語りを生業としていた人たちも多くいました。
特に、目が見えない盲目の僧侶が多かったため、「盲僧琵琶(もうそうびわ)」とも呼ばれました。彼らは琵琶の音色に乗せて『平家物語』や仏教の教えを語り、戦いの悲しみや人生の無常を伝えていました。
また、琵琶法師は単に歴史を語るだけではなく、人々に娯楽を提供する役割も持っていました。今でいう「ラジオドラマ」や「朗読劇」に近い存在だったと言えるでしょう。
琵琶法師の歴史|いつから存在し、どのように発展したのか?
琵琶法師の起源は、平安時代の中期にさかのぼります。当時、中国から伝わった琵琶という楽器を使い、お経を唱える「盲僧琵琶」という音楽スタイルが始まりました。これは仏教の教えを広めるための手段として活用されていたのです。
鎌倉時代になると、琵琶法師は『平家物語』を語るようになりました。これは、源氏に滅ぼされた平家の霊を鎮めるためでもありました。また、戦国時代には、戦場での出来事を語ることで、人々の記憶に戦の悲惨さを伝える役割も果たしていました。
江戸時代に入ると、三味線などの新しい楽器が登場し、琵琶法師の人気は次第に衰えていきました。明治時代には、政府による「当道座(とうどうざ)」の廃止により、琵琶法師はほとんど姿を消してしまったのです。
琵琶法師と平家物語の関係|なぜ語り部として重要だったのか?
『平家物語』は、平家の栄光と滅亡を描いた歴史物語です。もともとは口伝(くでん)で伝えられていたものを、琵琶法師たちが演奏を交えて語ることで、全国各地に広まりました。
なぜ琵琶法師が『平家物語』を語るようになったのでしょうか?
それは、平家一門の魂を鎮めるためだと言われています。源平合戦で敗れた平家の人々の霊を弔い、その悲劇を忘れないようにするために、琵琶法師が語り継いだのです。
また、『平家物語』は「祇園精舎の鐘の声…」という有名な一節から始まり、無常観(何もかもが移り変わるという考え)を説く内容が多く含まれています。これは仏教の教えとも深く関係しており、琵琶法師が語るのにふさわしい物語だったのです。
琵琶法師と耳なし芳一|怪談として語り継がれた理由
「耳なし芳一」は、日本で最も有名な怪談のひとつです。この物語の主人公、芳一(ほういち)は、盲目の琵琶法師でした。彼は平家の亡霊に招かれ、夜な夜な『平家物語』を弾き語りすることになります。
しかし、芳一が連れて行かれていたのは実は平家の霊が眠る墓地であり、彼の命は危険にさらされていました。和尚が助けるために体にお経を書いたものの、耳だけ書き忘れてしまったため、平家の霊に耳を持ち去られてしまうのです。
この話は、琵琶法師の不思議な力と、語り部としての特別な存在を象徴しています。平家の霊を鎮めるために語る琵琶法師の役割と、盲目の芸能者が持つ神秘的な力が、人々の心を引きつけたのです。
琵琶法師が弾いた琵琶の種類と特徴
琵琶法師が使っていた琵琶には、いくつかの種類がありました。
- 平家琵琶(へいけびわ):『平家物語』を語るための琵琶。語りに適した音が出るように作られた。
- 盲僧琵琶(もうそうびわ):お経を唱えるために使われた琵琶。宗教的な儀式で用いられた。
- 薩摩琵琶(さつまびわ):武士の士気を高めるための琵琶。勇ましい音を出せるようになっていた。
- 筑前琵琶(ちくぜんびわ):近代に発展した琵琶。語りと歌を融合させた演奏が特徴的。
琵琶法師は、自分の語る物語や目的に合わせて、さまざまな琵琶を使い分けていたのですね!
琵琶法師とはどんな人?有名な人物と現在の影響

琵琶法師は昔の日本でとても重要な役割を果たしていましたが、実際にどんな人がいたのでしょうか?また、現代において琵琶法師の文化はどのように残っているのでしょうか?
ここでは、歴史上の有名な琵琶法師や、現在でも受け継がれている琵琶の文化について詳しく解説していきます。
歴史に名を残した有名な琵琶法師たち
琵琶法師は長い歴史の中で多くの人が活躍しましたが、中でも特に有名な人物を紹介します。
① 信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)
信濃前司行長は、鎌倉時代に活躍したとされる琵琶法師で、『平家物語』の語りを大成した人物と言われています。後鳥羽院の時代に活躍し、彼の語りがもとになって後世に伝わる『平家物語』のスタイルが確立されました。
② 生仏(しょうぶつ)
生仏は、目の見えない琵琶法師で、『平家物語』の語り手として特に有名です。彼の語りは非常に感動的だったと言われており、後に多くの琵琶法師が彼のスタイルを真似るようになりました。
③ 芳一(ほういち)(伝説上の人物)
「耳なし芳一」の物語の主人公として知られる芳一も、琵琶法師の象徴的な存在です。実在の人物ではありませんが、この話によって琵琶法師の神秘的なイメージが広まりました。
琵琶法師はただの語り手ではなく、歴史を後世に伝える重要な役割を持っていたことが分かりますね。
琵琶法師の衰退|なぜ姿を消してしまったのか?
かつては全国に数多くいた琵琶法師ですが、なぜ姿を消してしまったのでしょうか?その理由を3つ紹介します。
① 三味線の普及
江戸時代に入ると、三味線という新しい楽器が広まり、音楽のスタイルが変わりました。三味線はより軽快で華やかな音を出せるため、庶民の間で人気を集め、琵琶の存在感が薄れていきました。
② 明治時代の当道座(とうどうざ)廃止
琵琶法師は「当道座(とうどうざ)」と呼ばれる盲人の自治組織に守られていましたが、明治時代の近代化政策により、この組織が廃止されました。その結果、琵琶法師として生計を立てることが難しくなり、多くの人が別の職業に移っていったのです。
③ 現代の娯楽の多様化
現代では、テレビやラジオ、インターネットなど、さまざまな娯楽があります。そのため、昔のように琵琶を使って物語を語る文化が衰退し、琵琶法師の存在が少なくなってしまいました。
現代に残る琵琶法師の文化
現在では、琵琶法師のように語りを中心に活動する人はほとんどいませんが、その文化自体は受け継がれています。
① 「平曲」としての継承
琵琶法師が語った『平家物語』の音楽スタイルは、「平曲(へいきょく)」として現代でも伝承されています。特に、日本の伝統音楽を学ぶ人たちによって、今も演奏されることがあります。
② 伝統芸能としての琵琶演奏
琵琶法師が使っていた琵琶は、現在でも演奏されています。特に「薩摩琵琶」や「筑前琵琶」は、伝統芸能としての地位を確立し、多くの演奏家によって受け継がれています。
③ 物語の語り部としての影響
琵琶法師の語りのスタイルは、能や歌舞伎、落語、浄瑠璃など、日本の伝統的な話芸にも影響を与えています。現代の語り芸能のルーツは、琵琶法師にあると言っても過言ではありません。
琵琶法師にまつわる語呂合わせや豆知識
琵琶法師に関する知識を、覚えやすい語呂合わせや豆知識で紹介します!
① 「琵琶法師の語呂合わせ」
- 「ひ(1)び(2)わ(8)」 → 128(平家が滅んだ年)」
琵琶法師が語った『平家物語』の平家の滅亡(壇ノ浦の戦い)は、**1185年(128の語呂)**に起こりました! - 「へい(平家)き(9)ょく(6)」 → 96(平曲が広まった時代)」
平曲(へいきょく)が広まったのは鎌倉時代(約1200年頃)なので、96(鎌倉時代の「く」)と覚えるといいですね!
② 「琵琶法師の豆知識」
- 琵琶の演奏には「撥(ばち)」を使うけど、盲僧琵琶では「指」でも弾くことがあった!
- 琵琶法師が語る『平家物語』は、地域によって少しずつ異なるバージョンがあった!
- 「耳なし芳一」の物語は、実際に山口県下関市にある「阿弥陀寺(あみだじ)」が舞台になっている!
琵琶法師の物語を知ることで歴史をもっと楽しもう!
琵琶法師は、ただの音楽家ではなく、日本の歴史や文化を語り継ぐ重要な役割を持っていました。彼らがいなければ、『平家物語』のような名作が現代に残ることはなかったかもしれません。
また、琵琶法師の文化は消えてしまったわけではなく、現代の伝統芸能や語りの文化に影響を与え続けています。
もし興味があれば、『平家物語』を読んでみたり、実際に琵琶の演奏を聞いてみたりするのも面白いですよ!ぜひ、日本の歴史や伝統文化に触れてみてくださいね!
総括:琵琶法師とはどんな人かまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 琵琶法師とは?
- 琵琶を弾きながら物語や仏教の教えを語る芸能者。
- 鎌倉時代から江戸時代にかけて活躍。
- 特に『平家物語』を語ることで知られる。
- 盲目の僧侶が多く、「盲僧琵琶」とも呼ばれた。
- 琵琶法師の歴史
- 平安時代に中国から伝わった琵琶を用いて仏教の経文を唱える音楽が始まり。
- 鎌倉時代には『平家物語』の語り部として活躍。
- 江戸時代に三味線の普及により人気が衰退。
- 明治時代には「当道座(盲人の自治組織)」が廃止され、琵琶法師も消滅。
- 琵琶法師と『平家物語』の関係
- 『平家物語』は平家の栄光と滅亡を描いた歴史物語。
- 琵琶法師が演奏を交えて語ることで全国に広まった。
- 平家の霊を鎮めるために語られることもあった。
- 琵琶法師と怪談「耳なし芳一」
- 芳一は盲目の琵琶法師で、平家の亡霊に『平家物語』を語る話。
- 体にお経を書いたが、耳だけ書き忘れ、亡霊に持ち去られる。
- 琵琶法師の神秘的な存在を象徴する怪談として広まった。
- 琵琶法師が弾いた琵琶の種類
- 平家琵琶:『平家物語』を語るための琵琶。
- 盲僧琵琶:仏教のお経を唱える際に使われた。
- 薩摩琵琶:武士の士気を高めるために使用。
- 筑前琵琶:近代に発展し、語りと歌を融合させた琵琶。
- 有名な琵琶法師
- 信濃前司行長:鎌倉時代の琵琶法師、『平家物語』を大成。
- 生仏(しょうぶつ):盲目の語り手で、感動的な語りで知られる。
- 芳一(耳なし芳一):伝説上の琵琶法師。
- 琵琶法師の衰退の理由
- 三味線の普及:新しい楽器が流行し、琵琶が廃れる。
- 当道座の廃止:明治時代に盲人自治組織がなくなり、琵琶法師の活動が困難に。
- 娯楽の多様化:テレビやラジオの普及で、語り芸が衰退。
- 現代に残る琵琶法師の文化
- 「平曲」としての継承:『平家物語』の音楽スタイルが伝承されている。
- 伝統芸能としての琵琶演奏:薩摩琵琶・筑前琵琶は今も演奏される。
- 語り文化への影響:能・歌舞伎・落語などのルーツとなった。
- 琵琶法師に関する語呂合わせ・豆知識
- 「ひ(1)び(2)わ(8)」 → 128(平家が滅んだ年)
- 「へい(平家)き(9)ょく(6)」 → 96(平曲が広まった時代)
- 「耳なし芳一」の舞台は山口県下関市の阿弥陀寺。