江戸時代の武士にはどんな身分の違いがあったか知っていますか?

「武士」と一口に言っても、実はその中には将軍や大名から、下級の足軽までさまざまな階級があったのです。そして、身分によって給料(禄高)や仕事、生活の様子も大きく異なりました。

この記事では、江戸時代の武士の身分制度を分かりやすく解説していきます。特に「武士の身分一覧」を表にして紹介するので、受験勉強や歴史の学習にも役立つはずです!それでは、早速見ていきましょう!

江戸時代の武士階級一覧!身分の違いを分かりやすく

江戸時代の武士は、厳格な身分制度の中で生きていました。将軍を頂点とするピラミッド型の組織があり、それぞれの階級には明確なルールや役割が決められていました。

ここでは、具体的にどんな階級があったのか、一覧表を使って説明していきます。

江戸時代の武士階級一覧表!身分ごとの特徴を簡単に比較

まずは、武士の身分を一覧表にして紹介します。

階級説明
将軍江戸幕府の最高権力者
大名1万石以上の領地を持つ武士
旗本将軍に直接仕える武士
御家人旗本より下位の将軍直属の家臣
足軽最下級の武士、戦闘員や雑用も担当

江戸時代の武士は、このように大きく5つの階級に分けられます。

それぞれの身分によって給料や生活の様子が異なり、特に「将軍と足軽」では天と地ほどの差がありました。

将軍とは?江戸幕府の頂点に立つ武士の最高位

将軍は江戸幕府のトップに君臨する存在で、日本全国の武士を統率する役割を持っていました。徳川家康が1603年に征夷大将軍となってから、江戸幕府が開かれ、約260年にわたって徳川家の将軍が国を治めました。

将軍の仕事は、大名を統制し、幕府の法律を定め、国の安全を守ることでした。歴代の将軍の中には、徳川家光のように幕府の基盤を固めた人物もいれば、徳川慶喜のように大政奉還をして幕府を終わらせた人物もいます。

将軍の権力は絶大で、江戸時代の政治の中心でした。

大名とは?江戸幕府の下で藩を統治した武士のエリート

大名とは、将軍に仕える武士の中でも特に大きな領地を持つ人々のことを指します。彼らは1万石以上の土地を所有し、それぞれの藩を治めていました。

大名には3つの種類がありました。

  1. 親藩(将軍の親戚が治める藩)
  2. 譜代大名(徳川家康が関ヶ原の戦い以前から信頼していた家臣)
  3. 外様大名(関ヶ原の戦い以降に徳川家に従った大名)

大名は独自の法律を作り、藩の経済や軍事を管理しましたが、幕府からの監視も厳しく、自由に動くことは難しかったのです。

旗本・御家人とは?将軍直属の武士の特徴

旗本と御家人は、どちらも将軍に仕える武士でしたが、身分には大きな違いがありました。

  • 旗本:将軍に直接会うことができる武士(御目見以上)
  • 御家人:将軍に直接会うことが許されない武士(御目見以下)

旗本は、江戸城の警護や幕府の役職に就くことが多く、比較的裕福な暮らしをしていました。一方で、御家人は低い俸禄(給料)しかもらえず、生活は厳しいものでした。

足軽とは?最下級の武士の身分とその生活

足軽は武士の中でも最も身分が低い存在で、戦闘員として働くことが多かったです。江戸時代には戦争がほとんどなかったため、足軽たちは城の警備や役所の雑務などを担当していました。

給料は少なく、生活は質素なものでした。しかし、優れた才能を発揮すれば、旗本や御家人に出世することも可能でした。

江戸時代の後半になると、足軽の多くは役人として働くようになり、武士というよりも公務員のような存在になっていきました。

江戸時代の武士階級一覧の後に:仕事と給料!出世の仕組み

江戸時代の武士は、戦国時代のように戦うことが少なくなり、行政や警備などの仕事をすることが主になりました。また、給料(禄高)は身分によって大きく違い、特に下級武士は生活が苦しいことが多かったです。

ここでは、武士の仕事や給料の仕組み、そして武士が出世する方法について詳しく解説していきます。

武士の仕事一覧!戦うだけじゃない江戸時代の武士の役割とは?

江戸時代の武士の仕事は、大きく分けると以下のようになります。

  1. 政治・行政(幕府や藩の役人として働く)
  2. 警備・軍事(江戸城や藩の城の守備をする)
  3. 学問・教育(藩校で勉強し、将来のリーダーを育てる)
  4. 町の治安維持(奉行所で町の秩序を守る)

例えば、大名は藩の統治を担当し、旗本や御家人は幕府の行政機関で働くことが多かったです。一方、足軽は城の門番や見張り、または火消し(今でいう消防士)のような仕事をしていました。

このように、武士は単に「刀を持って戦う」だけではなく、江戸時代の社会を支える重要な役割を担っていたのです。

武士の給料(禄高)とは?大名と足軽の収入の違い

武士の給料は「禄高(ろくだか)」と呼ばれ、基本的には米で支給されました。この米を売ってお金に変えることで生活費を得ていました。

身分禄高(給料)
将軍約400万石(全国の土地の25%)
大名1万石以上
旗本数百石〜1万石未満
御家人10石〜数百石
足軽10石未満

※1石=米約150kg(約1人が1年で食べる量)

将軍や大名は大量の禄高を持ち、家臣や領民を養うことができましたが、下級武士の生活は厳しく、特に御家人や足軽は副業をしないと生きていけないこともありました。

武士の出世の仕組み!どのように身分が上がるのか?

江戸時代の武士は、基本的に「家柄」で身分が決まっていましたが、例外的に出世する方法もありました。主な出世ルートは以下の3つです。

  1. 能力を認められる(学問や武芸で功績を上げる)
  2. 大名や将軍の側近として信頼を得る
  3. 戦争や事件で特別な功績を残す(例:西郷隆盛のように幕末で活躍する)

特に、旗本や御家人の中には、優れた行政能力を発揮して老中や若年寄といった幕府の高官に出世する人もいました。ただし、足軽から旗本になることは非常に難しく、ほとんどの武士は一生同じ身分のままで終わることが多かったのです。

武士の生活は楽じゃない?下級武士の苦しい暮らしとは

江戸時代の武士の生活は、身分が高い人にとっては裕福でしたが、下級武士にとってはとても厳しいものでした。特に、御家人や足軽の給料は少なく、副業をしないと生活ができないこともありました。

下級武士の主な副業は以下のようなものがありました。

  • 寺子屋の先生(子供たちに読み書きを教える)
  • 薬の販売(漢方薬などを売る)
  • 傘や竹細工の制作(手作業で物を作る)
  • 文筆業(本を書いて収入を得る)

また、貧しい武士の中には、お金持ちの商人の家に養子に入ることで生活を安定させるケースもありました。江戸時代は「士農工商」の身分制度があったものの、実際には商人の方が裕福なことも多かったのです。

幕末の武士の変化!侍の時代はどう終わったのか?

江戸時代の後半になると、武士の地位は次第に下がっていきました。その原因の一つが「財政難」です。幕府や藩は財政が厳しくなり、武士の給料(禄高)を十分に支払うことができなくなりました。

そのため、多くの武士は副業を始めるようになり、次第に商人や農民と変わらない生活を送るようになりました。そして、幕末になると西洋の文化が流入し、武士の存在意義が薄れていきます。

最終的に、明治維新(1868年)によって江戸幕府は崩壊し、武士の身分制度も廃止されました。そして、明治政府の「廃刀令(1876年)」によって、武士は刀を持つことさえ禁じられ、完全に消滅したのです。

総括:江戸時代の武士階級一覧まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 武士には階級があり、将軍から足軽まで明確に分かれていた。
  • 階級ごとに給料(禄高)や仕事、生活の質が大きく異なっていた。
  • 将軍は幕府のトップで、日本全国の武士を統率する存在だった。
  • 大名は1万石以上の領地を持ち、藩を統治する役割を担っていた。
    • 親藩(将軍の親族)
    • 譜代大名(関ヶ原の戦い前からの家臣)
    • 外様大名(関ヶ原の戦い後に従った大名)
  • 旗本と御家人は将軍に仕える直属の武士だった。
    • 旗本:将軍に直接会うことができ、幕府の役職に就くことが多い。
    • 御家人:旗本より下の身分で、生活は苦しいことが多かった。
  • 足軽は武士の最下層で、戦闘員や雑用を担当していた。
  • 武士の仕事は、行政・警備・教育・治安維持など多岐にわたった。
  • 給料(禄高)は基本的に米で支給され、身分によって大きな格差があった。
    • 将軍:約400万石
    • 大名:1万石以上
    • 旗本:数百石~1万石未満
    • 御家人:10石~数百石
    • 足軽:10石未満
  • 武士の出世は家柄で決まることが多かったが、能力や功績で昇進することも可能だった。
  • 下級武士の生活は厳しく、副業をする者も多かった(寺子屋の先生、薬売り、竹細工、文筆業など)。
  • 幕末になると、財政難により武士の地位は低下し、多くの武士が商人や農民のような生活を送るようになった。
  • 最終的に明治維新(1868年)で幕府が崩壊し、1876年の廃刀令により武士の身分制度は完全に消滅した。