今日は江戸時代の「石高」と「藩ランキング」についてお話しします。

江戸時代には、日本全国の土地の生産量が「石高(こくだか)」という単位で決められていました。そして、この石高の多さが、大名の力や藩の豊かさを決める重要なポイントだったのです。

「加賀百万石」という言葉を聞いたことはありませんか?これは、加賀藩(現在の石川県を中心とした地域)が、なんと100万石もの石高を持っていたことを意味します。

では、日本全国で一番石高が高かった藩はどこでしょうか?また、石高が多ければ必ずしも裕福だったのでしょうか?

今回はそんな疑問を解決するために、「江戸時代の石高ランキング」と、「大名の序列や格付け」について詳しく解説していきます!

江戸時代の石高ランキング!トップ25の藩を徹底解説

江戸時代の藩の力を示す指標として、「石高」はとても重要でした。大名たちは、持っている石高の多さで権力を持つことができました。しかし、石高が多くても財政難に陥った藩もありますし、逆に工夫をこらして豊かな藩になったところもあります。

それでは、江戸時代の石高ランキングを見ていきましょう!

江戸時代の石高ランキング一覧表【トップ25】

それでは、江戸時代の石高が多かった藩をランキング形式で紹介します!

順位藩名石高(万石)大名家
1位徳川幕府(将軍家)約400徳川家
2位加賀藩(加賀百万石)102前田家
3位薩摩藩77島津家
4位仙台藩62伊達家
5位熊本藩54細川家
6位長州藩37毛利家
7位尾張藩(御三家)61徳川家(尾張)
8位紀州藩(御三家)55徳川家(紀州)
9位水戸藩(御三家)35徳川家(水戸)
10位岡山藩31池田家
11位彦根藩30井伊家
12位秋田藩28佐竹家
13位佐賀藩25鍋島家
14位高松藩21松平家
15位福岡藩20黒田家
16位会津藩23松平家
17位高知藩24山内家
18位広島藩42浅野家
19位松山藩15松平家
20位米沢藩30上杉家
21位鳥取藩32池田家
22位宇和島藩12伊達家
23位徳島藩25蜂須賀家
24位佐倉藩11堀田家
25位小倉藩15小笠原家

このように、全国の藩には石高の差がありました。特に加賀藩や薩摩藩、仙台藩などはかなりの石高を持っていたことが分かります。

江戸時代の石高とは?石高制度の基本をわかりやすく解説

「石高(こくだか)」とは、江戸時代の日本で使われていた土地の生産量を示す単位です。一石(いっこく)とは、約150kgの米の量を指し、大名や藩の経済力を測る目安とされていました。

例えば、「10万石の大名」と言われると、その藩が毎年10万石分の米を生産できるほどの土地を持っていたことを意味します。これが多ければ多いほど、強い大名だったのです。

しかし、石高が高くても藩の財政が豊かとは限りませんでした。 なぜなら、年貢の取れ具合や経済政策によっては、借金まみれになった藩もあったからです。

なぜ加賀藩は「加賀百万石」と呼ばれたのか?石高の秘密

加賀藩は、江戸時代を通じて「加賀百万石」として知られていました。では、なぜこの藩はそんなに大きな石高を持つことができたのでしょうか?

  1. 領地が広かった
    → 加賀藩の領地は、現在の石川県・富山県・一部の福井県を含む広大なエリアでした。
  2. 年貢の取り立てが上手だった
    → 前田家は農民からの年貢をしっかり徴収し、安定した財政基盤を築きました。
  3. 幕府に警戒されていたため、石高を多めに申告していた可能性も?
    → 加賀藩は外様大名でありながら、幕府に対して忠誠を誓っていました。しかし、幕府の警戒を和らげるために、実際よりも多くの石高を申告していたという説もあります。

加賀藩は、石高の高さだけでなく、その豊かな財政力からも「日本一裕福な藩」として知られていたのです。

江戸時代の石高で見た藩ランキングの後に:大名の序列

江戸時代の大名は、単に石高が多いだけではなく、さまざまな基準で格付けされていました。特に、徳川幕府との関係や政治的な役割によって、親藩・譜代・外様という分類がされ、それぞれの大名の運命が大きく分かれました。

ここでは、「江戸時代の藩の格付け」や「大名の序列」について詳しく解説していきます!

江戸時代の藩の格付けとは?親藩・譜代・外様の違い

江戸時代の大名は、幕府にとっての信頼度によって以下の3つに分類されていました。

  1. 親藩(しんぱん)
    • 徳川家の一族にあたる大名。御三家(尾張・紀州・水戸)を含む。
    • 将軍が跡継ぎを必要とした場合、御三家から選ばれることがあった。
    • 石高が高い藩が多く、政治的にも重要な立場にいた。
  2. 譜代大名(ふだいだいみょう)
    • 関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えていた大名。
    • 幕府の役職(老中、大老など)に就くことができ、政治の中心を担った。
    • 石高は必ずしも高くなくても、幕府にとって重要な存在だった。
  3. 外様大名(とざまだいみょう)
    • 関ヶ原の戦い以降に徳川家に仕えた大名。
    • 主に戦国時代に大きな力を持っていた家系が多い(伊達家・毛利家・島津家など)。
    • 幕府の要職には就けず、警戒されていたため、大藩でも遠方に配置された。

このように、親藩・譜代・外様の分類は、単なる石高以上に藩の運命を左右する重要なものでした。

幕府に信頼された譜代大名の代表例

譜代大名は、幕府の中枢で活躍し、重要な役職に就くことが許されました。その中でも特に有名なのが井伊直弼(いいなおすけ)が治めた彦根藩(30万石)です。

  • 井伊家は徳川家康の家臣として戦国時代から忠誠を尽くし、江戸時代には譜代大名の筆頭として幕府政治の中心にいました。
  • 幕末の大老・井伊直弼は「安政の大獄」で反対派を弾圧したことで有名。
  • 幕府の要職に就きやすい譜代大名は、石高が低くても強い影響力を持っていました。

このように、譜代大名は幕府の政治を支える「エリート大名」として重要視されていたのです。

外様大名は冷遇された?島津・毛利・伊達家の運命

一方、外様大名は徳川幕府にとって警戒すべき存在でした。特に、戦国時代に大きな勢力を持っていた大名たちは、関ヶ原の戦いで徳川家に従ったとしても、冷遇されることが多かったのです。

代表的な外様大名の例として、以下の3家が挙げられます。

  1. 島津家(薩摩藩・77万石)
    • 江戸幕府に従ったものの、もともと九州の大勢力だったため、幕府は警戒。
    • しかし、藩内の経済改革や密貿易で力をつけ、幕末には明治維新の主役に!
  2. 毛利家(長州藩・37万石)
    • かつては中国地方150万石を誇る大名だったが、関ヶ原で敗北し大幅減封。
    • しかし、幕末には薩摩藩とともに倒幕を進め、最終的に幕府を倒した。
  3. 伊達家(仙台藩・62万石)
    • 戦国時代は東北の覇者だったが、幕府の警戒により増封はほとんどなし。
    • 経済政策を工夫し、独自の文化を発展させることで生き残った。

このように、外様大名は基本的に幕府の要職につけず、政治的に不利な立場に置かれました。しかし、藩内の経済改革を進めたり、幕末に活躍することで、歴史の表舞台に立つこともあったのです。

石高が多いのに財政難?藩の経済事情と実態

「石高が多い=裕福」とは限りません。なぜなら、年貢の取れ具合や支出の多さによって、財政が苦しくなる藩もあったからです。

特に財政難に陥った代表例として、加賀藩・水戸藩・会津藩が挙げられます。

  • 加賀藩(102万石) → 豪華な文化を築いたものの、江戸後期には借金だらけ。
  • 水戸藩(35万石) → 徳川御三家だったが、藩内の争いや軍事費の増加で財政破綻。
  • 会津藩(23万石) → 戦費負担が重く、幕末には大赤字。戊辰戦争で大打撃を受けた。

石高が高くても、収入と支出のバランスを取れなければ、藩の経済は成り立たなかったのです。

江戸時代の藩の序列と明治維新後の運命

最後に、江戸時代の藩が明治維新後にどうなったのかを見てみましょう。

  • 薩摩藩・長州藩 → 倒幕の中心となり、新政府で重要な役割を果たす。
  • 会津藩・桑名藩 → 幕府側について敗北し、大幅な領地削減や移封。
  • 加賀藩・仙台藩 → 戦争には参加せず、静かに明治政府へ組み込まれる。

明治維新後、藩制度は廃止され、すべての藩は「県」に変わりました。江戸時代に強かった藩も、明治時代の政策によって運命が大きく変わったのです。

総括:江戸時代の石高で見た藩ランキング25まとめ

最後に、もう一度江戸時代の石高で見た藩ランキングを残しておきます。

順位藩名石高(万石)大名家
1位徳川幕府(将軍家)約400徳川家
2位加賀藩(加賀百万石)102前田家
3位薩摩藩77島津家
4位仙台藩62伊達家
5位熊本藩54細川家
6位長州藩37毛利家
7位尾張藩(御三家)61徳川家(尾張)
8位紀州藩(御三家)55徳川家(紀州)
9位水戸藩(御三家)35徳川家(水戸)
10位岡山藩31池田家
11位彦根藩30井伊家
12位秋田藩28佐竹家
13位佐賀藩25鍋島家
14位高松藩21松平家
15位福岡藩20黒田家
16位会津藩23松平家
17位高知藩24山内家
18位広島藩42浅野家
19位松山藩15松平家
20位米沢藩30上杉家
21位鳥取藩32池田家
22位宇和島藩12伊達家
23位徳島藩25蜂須賀家
24位佐倉藩11堀田家
25位小倉藩15小笠原家