みなさん、「ええじゃないか」という言葉を聞いたことがありますか?
遊園地のアトラクションの名前にもなっていますが、もともとは江戸時代の終わりごろに日本各地で起こった不思議な騒動のことです。1867年、町の人たちが「ええじゃないか!」と叫びながら、突然踊り始めました。
まるでお祭りのように楽しそうですが、なぜこんなことが起こったのでしょうか?

本記事では、「ええじゃないか」の原因や背景、そして踊る意味について、塾長がわかりやすく解説します!
※AmazonのKindle Unlimitedは月額980円ですが、3ヶ月無料期間があります。その間、読み放題対象の電子書籍は全部無料。途中で解約ももちろん自由。そのため、電子書籍が実質0円で読めます。以下に、歴史の語呂合わせに関連する無料書籍を載せておきます。
↓実質無料で読めるおすすめ歴史の読み物↓


「ええじゃないか」はなぜ起こった?原因と背景を簡単に
1867年(慶応3年)、江戸幕府が終わりを迎えようとしていた頃、日本各地で「ええじゃないか」と踊る民衆運動が発生しました。一見すると単なるお祭りのようですが、実は当時の政治や社会の状況が深く関係しています。
ここでは、「ええじゃないか」がなぜ起こったのか、その背景を解説します。
「ええじゃないか」はなぜ起こった?民衆が踊った理由とは
「ええじゃないか」が起こった一番の理由は、人々の生活がとても苦しかったからです。当時、日本は開国して外国と貿易を始めたばかりで、物価がどんどん上がり、特にお米が高くなりました。さらに、前の年には大飢饉があり、食べ物に困る人が増えていたのです。
また、江戸幕府は力を失い、倒幕派の勢いが増していました。日本の未来がどうなるのかわからず、人々は不安に思っていました。そんなとき、「神様のお札が空から降ってきた!」という噂が広まりました。これを吉兆(よいことが起こる前ぶれ)だと考えた人々は、「世の中が良くなる!」と信じて踊り始めたのです。
さらに、仮装をして踊ることで、普段の厳しい身分制度から解放される気持ちもあったと考えられます。男性が女性の格好をし、女性が男性の格好をすることで、自由を感じることができたのかもしれませんね。
ええじゃないかの発端「神符降下」は誰の仕業だったのか?
「ええじゃないか」のきっかけとなったのは、伊勢神宮などの神社のお札(神符)が空から降ってきたという出来事です。しかし、本当に空から降ったのでしょうか?実は、誰かがこっそりお札をばらまいていた可能性が高いのです。
実際に、倒幕派の志士である大江卓(おおえたく)は、「自分が札を作ってばらまいた」と証言しています。彼らの目的は、民衆の注目を集めて幕府の目をそらし、倒幕運動をしやすくすることだったと考えられます。つまり、「ええじゃないか」は偶然の騒動ではなく、政治的な作戦だった可能性があるのです。
ただし、この説には異論もあり、すべてが計画されたものではなく、人々の間で自然と広がったともいわれています。真相は、今もはっきりとはわかっていません。
ええじゃないかはどこで起こった?全国への拡がり
最初に「ええじゃないか」が発生したのは、現在の愛知県や静岡県のあたりです。その後、関西地方、四国、九州と広がり、最終的には全国で起こる大きな現象となりました。
特に京都や大阪では、大規模な騒動が発生し、町全体が踊りに包まれました。名古屋では7日間も祭りのような状態が続いたといいます。一方、江戸(現在の東京)や東北地方ではほとんど見られませんでした。これは、倒幕運動が主に西日本で活発だったためと考えられています。
また、この広がり方は、以前に流行した「おかげ参り」とよく似ています。おかげ参りとは、江戸時代に伊勢神宮を目指して大勢の人が旅をする現象のことです。ええじゃないかも、人々が集まり、町から町へと移動しながら広がっていったのです。
「ええじゃないか」と幕末の政治情勢の関係
「ええじゃないか」が発生した1867年は、江戸幕府が大政奉還を行い、日本の政治が大きく変わった年です。この年、徳川幕府は政権を天皇に返し、新しい政府が作られる準備が始まりました。
しかし、この時点ではまだ幕府の影響力は強く、倒幕派と幕府の間で激しい争いが続いていました。そのため、政治の混乱に乗じて「ええじゃないか」の騒動が拡大したと考えられます。
また、民衆が踊り狂うことで、幕府の警察や役人の力が弱まり、倒幕派にとって有利な状況が作られたともいわれています。つまり、「ええじゃないか」は庶民の楽しみだけではなく、政治的な意味も持っていたのです。
「ええじゃないか」は一揆や打ちこわしとどう違うのか?
江戸時代には「百姓一揆」や「打ちこわし」といった民衆運動がよく起こりました。百姓一揆は、農民が年貢の減免を求めて団結する運動で、打ちこわしは、商人の店を襲って物資を奪う暴動のことです。
しかし、「ええじゃないか」はこれらとは大きく異なります。ええじゃないかには暴力がほとんどなく、人々はただ踊って騒ぐだけでした。また、特定の相手(幕府や商人)に要求を突きつけることもありませんでした。
そのため、ええじゃないかは「一種の平和的な革命運動」ともいわれています。人々は踊ることで不満を発散し、同時に社会を変えようとしていたのです。
「ええじゃないか」はなぜ起こったか簡単に!なぜ踊る?
「ええじゃないか」の特徴的な点は、ただ暴動を起こすのではなく、民衆が自発的に踊りながら騒ぐことでした。まるでお祭りのようですが、そこにはどのような意味があったのでしょうか?
ここでは、「ええじゃないか」の踊り方や目的、さらに現代への影響について解説します。
「ええじゃないか」の踊り方や掛け声の意味
「ええじゃないか」は、単なる踊りではなく、民衆が集団で行う特別な儀式のようなものでした。
特徴的なのは、以下のポイントです。
- 仮装:男性は女性の着物を着て、女性は男性の格好をすることが多かった
- 掛け声:「ええじゃないか、ええじゃないか!」と繰り返し叫ぶ
- 即興の歌詞:地域によって異なり、「今年は世直りええじゃないか」や「長州さんの御登り、ええじゃないか」など、政治的な意味を込めたものもあった
- 町中を練り歩く:参加者は神符が降ったとされる場所を起点に、町を巡りながら踊り続けた
このように、ええじゃないかは「お祭りのようでありながら、政治的なメッセージを持つ独特の踊り」だったのです。
「ええじゃないか」の目的は何だったのか?
「ええじゃないか」の目的は、一見するとただの騒ぎのように見えますが、実は以下のような要素がありました。
- 庶民の不満発散
当時の人々は、物価高騰や政治の混乱で大きな不安を抱えていました。そのストレスを解消するために、踊りながら騒ぐことで気持ちを晴らしていたのです。 - 社会的な団結の強化
人々が集まり、同じリズムで踊ることで、「みんなで一緒に頑張ろう!」という連帯感が生まれました。これは、のちの倒幕運動にもつながったと言われています。 - 無銭飲食の口実
ええじゃないかの最中、裕福な家が食事やお酒を振る舞うことが多かったため、一部の人々は「タダで飲み食いできる」という目的で参加していたとも言われています。 - 幕府に対する陽動作戦
前述のとおり、一部の倒幕派は「ええじゃないか」を利用して幕府の監視を緩め、自分たちの活動をしやすくしようとしたとも考えられています。
こうして見ると、「ええじゃないか」は単なる踊りではなく、さまざまな目的が絡み合った複雑な現象だったことが分かりますね。
「ええじゃないか」の語呂合わせとサジェスト解説
「ええじゃないか」という言葉自体が、当時の人々にとって魅力的なフレーズだったことも、この現象が広まった理由の一つです。
- 「ええじゃないか」の意味:「良いではないか」「気にするな」「どうにでもなれ」という投げやりな意味も含まれる
- 地域ごとの掛け声:「ヨイジャナイカ」「エイジャナイカ」「エエジャナイカ」など微妙に異なる
- 語呂合わせの活用:「政治はどうでもええじゃないか」「未来もええじゃないか」など、政治的メッセージを込めることもあった
このように、「ええじゃないか」というフレーズは民衆の気持ちを代弁するような言葉であり、それが一気に広まる要因になったのです。
「ええじゃないか」とコスプレ文化の関係とは?
「ええじゃないか」の特徴のひとつに、「仮装」があります。男性が女性の着物を着たり、女性が男装したりすることが一般的でした。
この風習には、次のような背景があります。
- 身分や性別の枠を超えた自由を楽しむ
当時の日本は厳しい身分制度があり、農民や商人は武士に逆らうことができませんでした。しかし、ええじゃないかの騒動では身分も性別も関係なく、誰もが自由に踊ることができました。 - コスプレ文化の起源?
現代のコスプレ文化は、アニメやマンガの影響で発展したものですが、日本人が「仮装を楽しむ」文化は江戸時代から存在していました。ええじゃないかの騒動が、日本人のコスプレ好きな気質のルーツになったのかもしれませんね。 - 祭りの仮装文化へと受け継がれた
現在でも、日本各地の祭りでは仮装や変装をする風習があります。例えば、京都の祇園祭では、町の人々が派手な衣装を着て行列を作ります。ええじゃないかの影響が、こうした現代の祭りにも残っているのかもしれません。
「ええじゃないか」は現代にどう影響を与えたか?
「ええじゃないか」は、単なる歴史上の出来事ではなく、現代にもさまざまな形で影響を与えています。
- 「世直し」を求める社会運動の原点
庶民が集まり、大きな声を上げることで社会を変えようとする動きは、現代のデモや抗議活動にも通じるものがあります。ええじゃないかは、その先駆けとも言えるでしょう。 - エンタメ文化への影響
ええじゃないかの「仮装を楽しむ文化」は、現代のコスプレイベントや仮装パーティーの元になったとも言われています。日本人が変身を楽しむ文化のルーツがここにあるのかもしれません。 - 学校の歴史授業でも頻繁に登場
ええじゃないかは、幕末の重要な歴史イベントとして、学校の授業でもよく取り上げられます。テストにも出やすいので、しっかり覚えておきましょう!
総括:「ええじゃないか」はなぜ起こったか解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 「ええじゃないか」とは?
- 1867年(慶応3年)に発生した民衆の大規模な騒動。
- 「ええじゃないか!」と叫びながら踊る不思議な現象。
- 「ええじゃないか」はなぜ起こった?
- 政治的背景:江戸幕府の終焉が近づき、日本は不安定な時代だった。
- 経済的要因:物価高騰や飢饉で庶民の生活が厳しくなった。
- 神符降下:伊勢神宮などの神札が空から降ったという噂が広まった。
- 倒幕派の関与:倒幕派が騒動を利用し、幕府の統治を揺るがせた可能性がある。
- 「ええじゃないか」はどこで起こった?
- 東海道(愛知・静岡)を中心に発生し、関西、四国、九州へ広がる。
- 江戸や東北ではほとんど見られなかった。
- 7日間続いた名古屋の騒動や、京都での大規模な乱舞が有名。
- 「ええじゃないか」と一揆・打ちこわしの違い
- 百姓一揆・打ちこわしは、地主や商人への攻撃が目的だった。
- ええじゃないかは、踊りを通じて不満を発散し、社会を変えようとした。
- 暴力はほぼ見られず、「平和的な革命運動」とも言われる。
- 「ええじゃないか」の踊り方と掛け声
- 仮装:男性が女性の服を、女性が男性の服を着ることが多かった。
- 掛け声:「ええじゃないか、ええじゃないか!」と繰り返し叫ぶ。
- 即興の歌詞:「世直し」「幕府崩壊」など政治的なメッセージが含まれることも。
- 「ええじゃないか」の目的
- 庶民の不満発散:生活の苦しさや将来への不安を踊りで発散。
- 社会的な団結:みんなで踊ることで一体感が生まれた。
- 無銭飲食の口実:裕福な家が食事を振る舞い、一部の人が便乗した。
- 幕府の目をそらす:倒幕派が利用し、政治的な混乱を生み出した可能性。
- 「ええじゃないか」と現代の関係
- コスプレ文化の起源:仮装して踊る風習が、現代のコスプレ文化につながる?
- 社会運動の原点:民衆が集まり、世直しを求める運動として現代のデモと共通点。
- 歴史教育の重要なテーマ:幕末の重要な出来事として、歴史の授業でよく扱われる。