「百姓一揆」と「打ちこわし」、どちらも江戸時代の庶民の抵抗運動ですが、実はまったく違うものです。
学校のテストでもよく出題されるこの2つの違い、しっかりと理解できていますか?「百姓一揆は農民、打ちこわしは町人」など単純に覚えていませんか?
実は、百姓一揆にもいろいろな種類があり、打ちこわしにも独自のルールがあったのです。今回は、塾長である私が百姓一揆と打ちこわしの違いを分かりやすく解説します!
違いをしっかり覚えて、歴史のテストで高得点を狙いましょう!
百姓一揆と打ちこわしの違いとは?分かりやすく比較

江戸時代には、庶民が不満を爆発させるような出来事がたくさんありました。その代表例が「百姓一揆」と「打ちこわし」です。ど
ちらも暴動のようなイメージがありますが、目的も方法も異なります。まずは違いを明確にしていきましょう。
百姓一揆と打ちこわしの違いを一目で比較
百姓一揆と打ちこわしの違いをまとめると、以下のようになります。
百姓一揆 | 打ちこわし | |
---|---|---|
誰が? | 農民(百姓) | 町人や都市の貧しい人々 |
どこで? | 農村 | 都市(江戸・大阪など) |
目的は? | 年貢の減免や悪政の是正 | 米の買い占めへの抗議、米価の引き下げ |
何をした? | 領主へ直訴・村役人の交代要求・武力行使 | 米屋や商人の家を破壊する(ただし放火・略奪は禁止) |
主な時期 | 江戸時代を通じて発生 | 18世紀後半~19世紀前半に多発 |
こうして比べると、「百姓一揆は農民の生活を守るため、打ちこわしは町の人々の食糧問題を解決するため」の運動だったことが分かりますね。
百姓一揆とは?目的と特徴をわかりやすく解説
百姓一揆とは、農民たちが領主に年貢の軽減を求めた運動です。
江戸時代、農民はお米を作っていましたが、その大部分を年貢として領主に納めなければなりません。しかし、凶作の年でも容赦なく年貢を取られ、農民たちは苦しんでいました。
百姓一揆には3つの形があります。
- 「代表越訴(だいひょうおっそ)」…代表者が領主に直訴する方法。比較的穏やか。
- 「強訴(ごうそ)」…集団で役所を取り囲み、年貢の減免を求める。
- 「武装蜂起(ぶそうほうき)」…武器を持って領主や役人に対抗する過激な一揆。
一揆の参加者は、首謀者が捕まると処刑されることがありました。そこで「からかさ連判状」と呼ばれる署名方法を使い、誰がリーダーなのか分からないように工夫しました。
打ちこわしとは?目的や背景を詳しく解説
打ちこわしとは、都市の住民が米価の高騰に怒り、米屋や質屋を襲撃する運動です。
江戸時代には大飢饉がたびたび発生しました。食料が不足すると、商人たちは米を買い占めて値段を釣り上げます。これに怒った町人たちが、米屋や質屋の家を壊すのが「打ちこわし」でした。
しかし、打ちこわしにはルールがありました。
✔ ルール1:火をつけない(放火禁止)
✔ ルール2:盗まない(略奪禁止)
✔ ルール3:壊すだけ(社会的制裁が目的)
つまり、単なる暴動ではなく、町の人々が「悪い商人を懲らしめる」ための行動だったのです。
百姓一揆と打ちこわしが起こった時期と背景【年表付き】
百姓一揆と打ちこわしは、江戸時代を通じて何度も発生しました。特に以下の時期に多発しました。
百姓一揆の主な例
- 1637年「島原の乱」…百姓だけでなくキリシタンの反乱も含む。
- 1738年「三河国の百姓一揆」…大規模な武装蜂起。
- 1866年「世直し一揆」…幕末、庶民が不正を働く商人や役人を攻撃。
打ちこわしの主な例
- 1733年「享保の打ちこわし」…江戸で初めての打ちこわし。
- 1787年「天明の打ちこわし」…天明の大飢饉後、大坂や江戸で多発。
- 1837年「大塩平八郎の乱」…打ちこわしと反乱が同時に発生。
このように、飢饉や経済の混乱が原因で庶民の怒りが爆発していたことが分かります。
百姓一揆と打ちこわしの違いを覚える語呂合わせ
歴史の用語は、語呂合わせで覚えると楽しいですよね!
ここでは、百姓一揆と打ちこわしの違いを覚えやすくする語呂合わせを紹介します。
百姓一揆 →「年貢減らせ運動」
(例)「ひゃっきょう(百姓) ねんぐ(年貢) げん(減らせ)」
打ちこわし →「米よこせ運動」
(例)「うち(打ち) よ(米) こ(来い) わ(和)し」
これで、どちらが何のための運動だったのか、一発で覚えられますね!
百姓一揆と打ちこわしの違い:原因や影響

百姓一揆と打ちこわしが起こった理由は単純ではありません。ただの食糧不足だけではなく、幕府の政策や社会の仕組みが大きく影響していました。
ここでは、それぞれの背景を詳しく見ていきましょう。
なぜ百姓一揆が起こったのか?年貢制度の仕組みと農民の生活
百姓一揆の最大の原因は、重い年貢負担と不公平な支配体制です。
江戸時代の農民は、収穫した米の多くを年貢として領主に納めなければなりませんでした。この年貢は、基本的に「五公五民(ごこうごみん)」、つまり「収穫の半分を領主に納める」仕組みでした。しかし、実際にはもっと多く取られることもありました。
また、農民たちの生活を苦しめたのが「検地(けんち)」という制度です。これは「この土地では何石(こく)のお米が取れる」と決める測量ですが、古いままの基準で計算されることが多く、農民の負担がどんどん重くなっていきました。
さらに、天候不順や飢饉のときでも年貢の量は変わらなかったため、農民たちは自分たちの食べる分がなくなり、やむを得ず一揆を起こすことになったのです。
なぜ打ちこわしが起こったのか?商人の買い占めと米価の高騰
打ちこわしの最大の原因は、商人による米の買い占めです。
江戸時代は「米本位経済(こめほんいけいざい)」と呼ばれ、米が貨幣のような役割を果たしていました。つまり、米の価格が上がると、庶民の生活は大打撃を受けるのです。
特に飢饉の後には、お米が不足して米価が高騰しました。そこで商人たちは、さらに値段をつり上げるために米を買い占めました。町人や貧しい人々は米を買えなくなり、「米をよこせ!」と怒り、打ちこわしが起こるようになったのです。
商人たちは町の有力者だったため、幕府も厳しく取り締まることができませんでした。そのため、庶民の不満が爆発し、町ぐるみで商人の家を襲う事件が多発したのです。
百姓一揆と打ちこわしが幕府に与えた影響とは?
百姓一揆と打ちこわしは、幕府の政治に大きな影響を与えました。
百姓一揆が与えた影響
- 頻発する一揆により、幕府は一時的に年貢を減免することがあった。
- 一揆を未然に防ぐために「訴願制度(そがんせいど)」が整備された(農民が正式に領主に直訴できる制度)。
- 江戸時代後期になると、「世直し一揆」のように政治改革を求める大規模な一揆が発生し、幕府の支配が揺らいだ。
打ちこわしが与えた影響
- 幕府は米価の安定を重視するようになり、「米価統制(べいかとうせい)」を強化した。
- 商人の力が強くなりすぎないよう、金融や物流を幕府が管理する動きが生まれた。
- 大規模な打ちこわしが起こるたびに、幕府の威信が低下し、幕末には「尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)」につながった。
このように、庶民の運動が幕府の政策を変えたり、最終的には江戸幕府の崩壊にも影響を与えたのです。
百姓一揆・打ちこわし・米騒動の違いを理解しよう
「百姓一揆」と「打ちこわし」は江戸時代の運動ですが、大正時代に起こった「米騒動(こめそうどう)」とも混同しやすいです。違いを整理しておきましょう。
百姓一揆 | 打ちこわし | 米騒動 | |
---|---|---|---|
発生時期 | 江戸時代 | 江戸時代 | 1918年(大正時代) |
主な原因 | 年貢の負担 | 米価の高騰 | 米の買い占め |
参加者 | 農民 | 都市の貧民 | 主婦 |
対象 | 領主や役人 | 商人や米屋 | 米問屋や政府 |
行動 | 直訴・襲撃 | 店の破壊 | デモ・暴動 |
百姓一揆は「農民の税金問題」、打ちこわしは「米価問題」、米騒動は「第一次世界大戦の影響」が原因で発生しました。
テストでよく出る!百姓一揆と打ちこわしのまとめ&ポイント
最後に、テストでよく出るポイントをまとめておきます!
✔ 百姓一揆のポイント
- 農民が年貢の減免を求めて起こした運動
- 「からかさ連判状」を使い、リーダーを隠す工夫をした
- 江戸時代を通して全国で何千件も発生した
- 三大改革(享保・寛政・天保)後に特に多発
- 幕末には「世直し一揆」として政治改革を求める動きも
✔ 打ちこわしのポイント
- 都市の町人が米価の高騰に怒って起こした運動
- 米屋や質屋を破壊するが、放火や略奪は禁止されていた
- 特に「天明の大飢饉」や「天保の大飢饉」の後に多発
- 江戸や大阪などの大都市で起こった
- 幕末には倒幕運動とも関係していく
総括:百姓一揆と打ちこわしの違いまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
百姓一揆 | 打ちこわし | |
---|---|---|
誰が? | 農民(百姓) | 町人や都市の貧しい人々 |
どこで? | 農村 | 都市(江戸・大阪など) |
目的は? | 年貢の減免や悪政の是正 | 米の買い占めへの抗議、米価の引き下げ |
何をした? | 領主へ直訴・村役人の交代要求・武力行使 | 米屋や商人の家を破壊する(ただし放火・略奪は禁止) |
主な時期 | 江戸時代を通じて発生 | 18世紀後半~19世紀前半に多発 |