今回は「日ソ共同宣言(にっそきょうどうせんげん)」について、できるだけやさしく、分かりやすく解説していきます。

この記事では、

「日ソ共同宣言って何?」
「なぜ結んだの?」「どんな内容?」


といった疑問に答えながら、受験にも役立つ知識までカバーします。特に北方領土問題との関係はとっても大事なポイントなので、最後までしっかり読んでくださいね!

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日ソ共同宣言を簡単に解説!内容・目的・背景

日ソ共同宣言は、戦後の日本とソ連が国交を回復する大きな一歩となった出来事です。ここでは、その内容や目的、背景などを「そもそも何?」というところから分かりやすく解説していきます。

日ソ共同宣言とは:日本とソ連の国交回復を決めた宣言

日ソ共同宣言とは、1956年(昭和31年)に日本とソビエト連邦(現在のロシア)との間で交わされた約束ごとで、戦後の戦争状態を終わらせ、国交(=外交の関係)をふたたび始めましょうという内容でした。

第二次世界大戦の終わりに、ソ連は日本に宣戦布告して北方領土などを占領しました。それ以来、日本とソ連は「戦争中」の状態が続いていたのです。けれど、いつまでもこのままでは困るので、お互いに「もう戦争は終わりだよ」と確認して、平和的な関係をつくろうとしたのがこの宣言でした。

この日ソ共同宣言には、戦争状態の終結や国交回復、そして「平和条約を結んだあとに歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す」という内容も盛り込まれていました。つまり、北方領土の問題にも関わっている大事な宣言なのです。

なぜ結んだ?国連加盟と抑留者帰還が目的

日ソ共同宣言を結んだ大きな理由は、2つあります。1つ目は、日本が国際連合(国連)に加盟するため。2つ目は、戦争の後にソ連に連れていかれた日本兵(シベリア抑留者)を帰国させるためです。

当時のソ連は国連の「常任理事国」という特別な立場にありました。日本が国連に入るには、そのソ連の許可が必要だったんです。でも、ソ連と戦争状態のままでは入れません。だから、日本政府は国交を回復してソ連の賛成をもらおうと考えました。

また、戦後すぐに何十万人もの日本兵がソ連に連れて行かれて、過酷な労働をさせられていました。彼らを日本に帰すことも大きな課題でした。日ソ共同宣言によって「日本人抑留者の帰国」がようやく進むようになったのです。

さらに、ソ連もアメリカとの冷戦の中で、日本との関係を改善することで、自分たちにとってのメリットを得ようとしていました。お互いに「そろそろ手を組んだ方が得だよね」と考えて、宣言を結んだわけです。

日ソ共同宣言の内容!全9項目のポイント

日ソ共同宣言には、全部で9つの項目が書かれています。難しそうに見えますが、ポイントだけ押さえれば大丈夫です。以下にわかりやすく整理します。

  1. 戦争状態の終結:これで日本とソ連は正式に「戦争状態ではない」と確認。
  2. 外交関係の回復:お互いに大使館を持ち、正式に話し合える関係になりました。
  3. 自衛権と相互不干渉:お互いの国に干渉しない、平和を尊重するという約束。
  4. 国連加盟の支持:ソ連が日本の国連加盟を応援することを約束。
  5. 抑留日本人の釈放と送還:シベリアにいた日本人を返すことに同意。
  6. 賠償請求の放棄:ソ連は日本に「賠償金を払え」と言わないと約束。
  7. 相互請求権の放棄:戦争によるお互いの損害賠償もなしにしよう、という合意。
  8. 通商交渉の開始:貿易を始めるための話し合いをしましょう、という取り決め。
  9. 漁業協力:お互いの漁業について協力することを決めました。

特に注目したいのが、宣言の「補足部分」に書かれている「平和条約が結ばれたら、ソ連は歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す」という約束です。これは後の北方領土問題にも大きく関わってくる大事なポイントです。

メリット:国際社会への復帰

この宣言を結んだことで、日本が得た一番のメリットは「国際社会に本格的に戻れたこと」です。

まず、日本は1956年12月に国連に加盟しました。これは、戦争を終えた国がもう一度世界の仲間入りをする、というとても大きなステップでした。国連に入れたことで、日本は世界中とつながる道を開き、外交も経済も大きく前進したのです。

さらに、戦後ソ連に連れて行かれていた日本人抑留者の帰国が進み、国内でも多くの家族が再会できるようになりました。また、ソ連との貿易や文化交流も再開され、シベリアの木材輸入など、経済的なメリットもありました。

つまり、日ソ共同宣言は「日本が戦後のけじめをつけて、新しいスタートを切る」ための大事なきっかけになったのです。

デメリット:領土問題の棚上げが長期化

一方で、日ソ共同宣言には大きな「弱点」もありました。それは「北方領土問題をハッキリ解決しなかったこと」です。

この宣言では、歯舞群島と色丹島の引き渡しだけが約束されており、残りの国後島・択捉島については何も触れられていませんでした。つまり、4島のうち2島だけが話に出たのです。

さらに、この2島の引き渡しも「平和条約を結んだあと」とされていたため、その後に日米安保条約が改定された際、ソ連はこの約束を反故にし、2島返還すらストップしてしまいました。

結果として、北方領土問題は今もなお解決せず、平和条約も締結できていません。日ソ共同宣言は日本にとって大きな前進でもありましたが、同時に「中途半端な解決」が後の長い問題を生んでしまったのです。

日ソ共同宣言を簡単に:その後と現在の北方領土問題

さて、日ソ共同宣言によって日本とソ連の関係は一歩前進しましたが、その後の動きや現在の北方領土問題はどうなっているのでしょうか?

ここでは、「宣言のその後の経緯」と「現在も続く領土問題」について、子どもにも分かるようにやさしく解説していきます。

日ソ共同宣言のその後:破棄・停滞・冷却化の流れ

日ソ共同宣言のあと、日本とソ連は平和条約の締結に向けた話し合いを続けようとしました。ところが、1959年にアメリカとの間で「日米安全保障条約(安保条約)」が結ばれ、これが大きな問題を引き起こしました。

ソ連は「アメリカと軍事同盟を結ぶ日本に島を返すわけにはいかない!」と反発したのです。その結果、平和条約の交渉は中断され、歯舞・色丹の返還すら進まなくなってしまいました。

さらに、冷戦の影響もあり、日ソ関係は一時的に冷え込む時期が続きました。つまり、日ソ共同宣言で「国交は回復したけれど、信頼までは回復できなかった」と言えるのです。

その後も何度か平和条約の話し合いが行われましたが、大きな進展はなく、現在も平和条約は締結されていません。

北方領土問題:日ソ共同宣言が残した未解決の課題

北方領土問題とは、北海道の北東にある4つの島(歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島)を、日本が「自分の領土だ」と主張しているのに対し、ロシア(旧ソ連)が「いや、今はうちの領土だ」と言っている争いのことです。

これらの島は、もともと日本の領土として江戸時代から認められていました。ところが、1945年の第二次世界大戦の終わりに、ソ連が突如参戦し、4島すべてを占領してしまったのです。

その後、日本はずっと「返してほしい」と言い続けてきましたが、ロシア側は「戦争の結果として合法的に得た領土だ」と主張しており、話し合いは平行線のままです。

日ソ共同宣言では、歯舞・色丹だけが返還の対象となったため、残りの国後・択捉は「未解決」のままとなり、これが今でも日露関係の大きな壁となっているのです。

なぜ2島しか返還されなかったのか

日ソ共同宣言では、4つある北方領土のうち、歯舞群島と色丹島だけが「平和条約を結んだ後に引き渡す」と書かれています。なぜ残りの国後島と択捉島は含まれなかったのでしょうか?

理由の1つは、ソ連がこの2島だけなら「交渉材料にしてもいい」と考えていたからです。小さな島で人口も少なく、ソ連にとっての重要度はそれほど高くありませんでした。

一方で、国後島と択捉島は大きくて、漁業資源も豊富で、軍事的にも価値がありました。だからこそ、ソ連は簡単には手放さなかったのです。

また、日本政府は本来4島すべての返還を求めていましたが、当時の外交交渉では2島にしぼることで、とりあえず話を前に進めようとした背景もあります。この「2島だけの返還」が、のちに「じゃあ2島だけで終わりね」というロシア側の主張を生む原因にもなってしまいました。

現在も日ソ共同宣言は有効?プーチン政権と56年宣言の扱い

さて、1956年に結ばれたこの日ソ共同宣言は、いまでも生きているのでしょうか?実はロシア政府は「日ソ共同宣言は今でも有効だ」と表明しています。

2000年代に入ってからも、ロシアのプーチン大統領は「平和条約を結んだら2島を引き渡す」という内容に関して、「1956年の宣言は守る用意がある」と何度か発言しています。

また、2001年には「イルクーツク声明」、1993年には「東京宣言」なども結ばれ、日露間の対話は何度も行われてきました。ですが、現実的にはロシア側の強硬姿勢や国際情勢の悪化もあり、平和条約の締結には至っていません。

特に2022年のウクライナ侵攻以降、日本とロシアの関係は冷え込んでおり、現在は交渉自体もほぼ停止状態です。

日ソ共同宣言と北方領土の覚え方・ポイント

最後に、中学生や高校生のテスト対策にも役立つ「日ソ共同宣言と北方領土」の覚え方をまとめておきます!

重要ポイントまとめ

  • いつ? → 1956年(昭和31年)10月19日
  • 誰が? → 日本:鳩山一郎首相/ソ連:ブルガーニン首相
  • なぜ? → 国交回復、国連加盟、抑留者帰還のため
  • どんな内容? → 戦争終結・国交回復・2島引き渡し(平和条約締結後)
  • 何が問題? → 残りの2島(国後・択捉)は未解決のまま

語呂合わせで覚えよう!

「いーごろーむ(日ソ)こん(共同)せんげん、こっかい(国会)でへーわ(平和)とにとう(2島)カエル」

これで試験にもバッチリ対応できますね!

総括:日ソ共同宣言を簡単に解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 日ソ共同宣言とは?
     1956年、日本とソ連が国交を回復するために結んだ宣言。
  • 結んだ目的は?
     日本の国連加盟、ソ連によるシベリア抑留者の帰還などが大きな目的。
  • 宣言の主な内容は?
     戦争の終結、国交の回復、2島(歯舞・色丹)の返還予定など全9項目。
  • 日本の得たメリットは?
     国際社会への復帰、国連加盟、文化・経済交流の再開など。
  • デメリットは?
     北方領土問題が未解決のまま残され、平和条約も未締結のまま。
  • その後の流れは?
     1960年の日米安保改定でソ連が反発し、交渉が停滞。
  • 北方領土問題とは?
     国後・択捉・歯舞・色丹の4島の領有をめぐる日ロ間の対立。
  • なぜ2島だけだった?
     歯舞・色丹のみが引き渡し対象で、他の2島は明記されず。
  • 56年宣言の現在の扱いは?
     ロシアは一応有効としつつ、平和条約交渉は難航中。
  • 覚え方・テスト対策のポイントは?
     「1956年・鳩山首相・シベリア抑留・2島返還」などがキーワード。