今回は「警察予備隊が作られた理由」について、子どもたちにも分かりやすく解説していきますよ!

戦後の日本は、「もう戦争はしません!」と決めたばかりの平和な国でした。そんな中、突如として作られたのが「警察予備隊」という組織。名前からすると警察の仲間かな?と思うかもしれませんが、実はこれが今の「自衛隊」につながる、とても重要なスタート地点だったんです。

「なぜそんなものを作ったの?」「誰が作ったの?」「軍隊とどう違うの?」
そんな疑問を一つひとつ、しっかり解きほぐしていきましょう!

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警察予備隊が作られた理由とは?背景や目的

戦後の日本は「軍隊を持たない国」として再スタートを切りました。けれども、世界情勢の変化によって、急に「何かあったときに守ってくれる力」が必要になります。そんな中で登場したのが警察予備隊。

ここでは、その誕生のきっかけや目的をしっかり確認しておきましょう。

警察予備隊が作られた理由は朝鮮戦争がきっかけ

警察予備隊が作られた一番の理由は、1950年に始まった「朝鮮戦争」でした。北朝鮮が南の韓国に攻め込んだことで、朝鮮半島が戦場になったのです。

当時、日本にはアメリカ軍が駐留していて、日本の安全もアメリカに任せっきりの状態でした。でもそのアメリカ軍が朝鮮半島に行ってしまったことで、日本の中の治安を守る人がいなくなってしまったのです。

そこで登場したのが「警察予備隊」です。これは、「軍隊」ではなく「警察を助ける予備の部隊」という形で、日本を守る役目を与えられました。言い換えれば、「日本を守るための最低限の武装集団」だったわけですね。

誰が作った?マッカーサーと吉田茂の関係

警察予備隊を作るように命じたのは、アメリカのGHQ(連合国軍総司令部)のトップ、ダグラス・マッカーサー元帥です。そして、その命令を受けて動いたのが当時の首相、吉田茂でした。

マッカーサーは、朝鮮戦争でアメリカ軍が日本を離れたことで、「このままでは日本が無防備になる!」と心配し、日本政府に新しい部隊の設立を命じました。日本側も急いで対応し、国会の議論を経る間もなく「ポツダム政令」という形で、警察予備隊をつくったのです。

このように、警察予備隊は日本の自主的な判断というよりも、アメリカの指導と国際情勢の影響で生まれた部隊だったのですね。

再軍備ではなく“治安部隊”として設立された理由

日本国憲法の第9条では、「戦力は持たない」「戦争はしない」とはっきり定められています。だからこそ、軍隊ではなく“治安部隊”という形で、警察予備隊は生まれました。

名前も「警察予備隊」となっているのはそのためです。もし「軍」や「兵」という言葉を使っていたら、「あれ?日本は再び軍備を整えるのか?」と、国内外から反発を受けてしまう可能性があったからです。

でも実際は、訓練内容や装備を見ると、警察というより軍隊に近いものでした。そう、「見た目は警察、実態は軍隊のような存在」が、警察予備隊の正体だったのです。

冷戦と共産主義への対抗が背景

戦後の世界は「冷戦」の真っ只中。アメリカを中心とする資本主義の国々と、ソ連を中心とする共産主義の国々がにらみ合っていました。そんな中、日本はアメリカ側の「防波堤」として重要な役割を担うことになります。

つまり、アメリカにとって日本は「共産主義の進出を防ぐ最前線」だったのです。もし日本がまったく武装していなかったら、ソ連や中国にとってはチャンスとなり、アジア全体が共産主義に傾いてしまうかもしれません。

そのため、アメリカは「日本にもある程度の軍事力を持ってほしい」と考えるようになり、警察予備隊の設立を強く後押ししたのです。

警察予備隊が災害派遣も担った?その初任務とは

警察予備隊は軍事的な役割だけではなく、災害時にも出動することがありました。その代表例が、1951年に山口県を襲った台風です。

このとき、警察予備隊は初めて災害派遣という形で被災地に出動し、人々の救助や物資の運搬にあたりました。これは、後の自衛隊による災害派遣活動の原点ともいえる出来事です。

「戦う部隊」だけではなく、「国民の安全を守る存在」としても、警察予備隊は大きな役割を果たしていたのですね。

警察予備隊が作られた理由の後に:自衛隊の違いや歴史

ここまでで、警察予備隊がどんなきっかけで作られたのか、どんな役割を持っていたのかが分かってきましたね。

では、現在の「自衛隊」とはどう違うのでしょうか?名前は違うけれど、やっていることは似ている…そう思うかもしれません。でも実は、成り立ちも法律も、装備もけっこう違うんですよ。ここからは、警察予備隊と自衛隊の違いについて、しっかりと比較していきましょう!

警察予備隊と自衛隊の違いは「法的位置づけ」

まず大きな違いは、設立の根拠となる法律です。

警察予備隊は「ポツダム政令」というGHQの指令によって作られた組織で、あくまで一時的な措置として誕生しました。つまり、「仮の制度」であり、国の正式な法律ではなかったのです。

一方、自衛隊は1954年に制定された「自衛隊法」によって、しっかりと国の法律のもとで設立されました。これにより、自衛隊は国が責任を持って運用する正式な組織になったのです。

また、自衛隊は「防衛省」が管轄しており、国会の監督も受けます。つまり、警察予備隊よりもはるかに法的にも制度的にも強化された存在となっています。

装備や訓練内容の違いから見る「実質的な軍事力」

警察予備隊と自衛隊では、持っている装備や訓練のレベルも大きく違います。

警察予備隊は最初、軽装備でスタートしました。ジープや小銃など、まさに「警察が使いそうな道具」が中心でした。しかし、朝鮮戦争が激しくなると、アメリカから戦車や大砲などの重装備がどんどん提供され、段階的に「軍隊のような姿」に近づいていきます。

それに対して自衛隊は、最初から本格的な装備を持つ「実戦部隊」として整備されました。訓練もアメリカ式で行われ、戦争や災害への対応力は飛躍的に高まりました。

つまり、警察予備隊が“とりあえずの守り”なら、自衛隊は“本気で国を守る力”を持つ存在なのです。

自衛隊はなぜ1954年に正式発足したのか

自衛隊が発足したのは1954年。それには2つの大きな出来事が関係しています。

1つ目は1952年のサンフランシスコ講和条約。この条約によって、日本は連合国の占領から解放され、正式に独立した国となりました。

2つ目は、アメリカと結んだ相互防衛援助協定(MDA協定)。この協定で、アメリカは日本に軍事支援を行い、日本はその代わりに「しっかり防衛力を持つ」ことを約束したのです。

この2つの流れを受けて、警察予備隊は「保安隊」を経て、1954年に「自衛隊」へと発展。こうして、戦後の新しい防衛組織として生まれ変わったのです。

警察予備隊にいた人はどうなった?組織と人員の継承

警察予備隊に所属していた人たちは、そのまま自衛隊へと引き継がれていきました。

まずは「保安隊」に移り、さらにそこから自衛隊へ。制服は変わっても、部隊の形や役割、さらには指導者も多くがそのまま続投していました。

中には、旧日本軍の元兵士たちもいましたが、占領政策の影響で最初は登用が難しく、多くは新規募集や一般公募で集められた若者たちが中心でした。その後、少しずつ旧軍経験者も復帰するようになり、戦前のノウハウと戦後の価値観が融合した組織へと変化していきます。

こうして、人の面でも、組織の面でも、警察予備隊の「DNA」は自衛隊にしっかりと引き継がれていったのです。

現在の自衛隊に受け継がれた警察予備隊の役割

今の自衛隊を見てみると、その活動には警察予備隊の影響が色濃く残っています。

たとえば、災害派遣。地震や台風のときに、自衛隊が被災地に駆けつけて救助や支援をしているのをテレビで見たことがあるかもしれません。これは、警察予備隊が台風災害で初めて行った派遣活動から続いている伝統です。

また、「専守防衛(せんしゅぼうえい)」という考え方も、警察予備隊のころから変わっていません。つまり、「相手から攻められたら守るけれど、自分からは攻めない」という姿勢です。

このように、今の自衛隊の中には、警察予備隊が持っていた平和を守るという役割と精神が、しっかりと受け継がれているのです。

総括:警察予備隊が作られた理由まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 警察予備隊は1950年、朝鮮戦争をきっかけに作られた
  • 在日米軍の出動による日本の治安維持空白を埋める目的だった
  • GHQマッカーサーの要請で吉田茂内閣がポツダム政令で設置
  • 日本国憲法の「戦力不保持」に配慮し、軍ではなく「警察」名を使用
  • 冷戦下、アメリカの対共産主義戦略の一環としての設立
  • 1951年の台風被害で初の災害派遣を実施、自衛隊の前例となる
  • 1952年に「保安隊」、1954年に「自衛隊」へと発展
  • 警察予備隊は法律上の根拠が弱かったが、自衛隊は法律で正式に設立
  • 装備や訓練も警察予備隊より自衛隊の方が本格的な軍事組織に近い
  • 警察予備隊の隊員・理念・任務はそのまま自衛隊に受け継がれている