みなさん、こんにちは!今日は戦国時代の大きな戦いのひとつ「小牧長久手の戦い」について、塾長がわかりやすく解説します!

「小牧長久手の戦いってどんな戦い?」「誰が戦ったの?」といった疑問に答えながら、当時の様子や戦いの意味、さらにはテストで役立つ知識までお伝えします!

この戦いは、あの徳川家康と羽柴(豊臣)秀吉が激突した重要な戦いです。「秀吉が勝った?家康が勝った?」と考えている人も多いでしょう。実は、この戦いは軍事的な勝利者と政治的な勝利者が違うのです。

では、さっそく小牧長久手の戦いを一緒に学んでいきましょう!

小牧長久手の戦いをわかりやすく!誰と誰が戦った?結果は?

小牧長久手の戦いは、1584年に起こった戦いで、織田信長の跡を巡って天下を狙う「羽柴秀吉」と、それを阻止しようとする「徳川家康・織田信雄」連合軍が戦いました。

戦国時代の大きなターニングポイントとなったこの戦い。いったいどのような経緯で起こり、どのような結果になったのでしょうか?

小牧長久手の戦いとは?なぜ起こったのか

小牧長久手の戦いは、織田信長が「本能寺の変」で亡くなった後に起こった戦いです。

織田信長が倒れた後、信長の後継者を巡って織田家の家臣たちが争いました。その中で最も勢力を強めたのが「羽柴秀吉」です。秀吉は、信長の跡を継ぐ存在としてどんどん勢力を拡大していきました。

しかし、信長の次男「織田信雄(おだのぶかつ)」は、秀吉が自分を織田家の後継者として認めないことに怒り、秀吉に反発しました。ここで「徳川家康」と手を組み、「秀吉を倒そう!」と考えたのです。

家康は、「秀吉の勢いが強すぎると、自分の領地(関東・東海地方)が危ない!」と感じていました。そこで信雄と同盟を結び、秀吉と戦うことを決めました。こうして小牧長久手の戦いが始まったのです。

小牧長久手の戦いの舞台はどこ?戦場となった地域を解説

この戦いの主な舞台となったのは、現在の愛知県小牧市と長久手市のあたりです。

秀吉は「犬山城(いぬやまじょう)」を拠点にし、家康は「小牧山城(こまきやまじょう)」を本陣として防御を固めました。小牧山城は、もともと信長が築いた城で、家康はここをうまく利用しました。

しかし、本当の激戦は「長久手(ながくて)」という場所で起こりました。ここで家康は秀吉軍を迎え撃ち、大勝利を収めたのです。

また、秀吉はこの戦いで「三河(みかわ)」という家康の本拠地を攻めようとしましたが、それが失敗し、結果的に戦いが膠着(こうちゃく)状態になりました。

小牧長久手の戦いに登場する主要武将とその役割

戦国時代の戦いでは、どんな武将が活躍したのかを知ることも大切です。

① 徳川家康陣営

  • 徳川家康:戦国時代を代表する武将で、この戦いの中心人物。秀吉の勢いを止めるために信雄と手を組んだ。
  • 織田信雄(おだのぶかつ):織田信長の次男。秀吉に反発し、家康と同盟を結んだ。
  • 本多忠勝(ほんだただかつ):家康の忠臣で、戦場での強さは「日本一」とも言われた武将。
  • 井伊直政(いいなおまさ):家康の若き家臣。家康軍の赤い軍団「井伊の赤備え」を率いた。

② 羽柴秀吉陣営

  • 羽柴(豊臣)秀吉:天下統一を目指す戦国武将。戦だけでなく、政治的な戦略にも長けていた。
  • 池田恒興(いけだつねおき):秀吉軍の先鋒で、長久手の戦いで討ち死に。
  • 森長可(もりながよし):信長の家臣だったが、秀吉につき、長久手の戦いで戦死。
  • 羽柴秀次(はしばひでつぐ):秀吉の甥(おい)。この戦いで初めて大きな軍を率いた。

家康軍は「戦上手」、秀吉軍は「数の力」と「政治力」を武器にして戦いました。

長久手の戦いで何が起こった?戦いの経過を詳しく解説

戦いが本格化したのは、1584年4月の「長久手の戦い」です。秀吉は「家康の本拠地・三河を攻めれば勝てる!」と考え、池田恒興や森長可らを送り込みました。

しかし、この動きは家康にバレてしまいます。家康はすぐに反応し、少数精鋭の部隊を編成して迎え撃ちました。結果、池田恒興・森長可は戦死し、秀吉軍は大敗北。家康軍は圧勝しました。

長久手の戦いで家康の強さが証明され、このまま家康の勝利かと思われましたが、戦いは続きました。

小牧長久手の戦いの結果は?勝者はどっち?

この戦いの軍事的な勝者は「徳川家康」です。長久手の戦いで圧勝し、秀吉軍を撃退しました。

しかし、政治的な勝者は「羽柴秀吉」でした。戦いが長引く中で、秀吉は信雄と単独で講和(こうわ)を結びました。信雄が和睦を結んでしまったため、家康には戦いを続ける理由がなくなり、結果的に秀吉の思惑通りになったのです。

こうして小牧長久手の戦いは終結し、秀吉は天下統一への道をさらに進むことになりました。

小牧長久手の戦いをわかりやすくその後の影響

小牧長久手の戦いは、単なる合戦ではなく、その後の日本の歴史にも大きな影響を与えました。この戦いによって「徳川家康」と「豊臣秀吉」の立場が決まり、天下統一へ向けた道筋が形作られたのです。

ここからは、小牧長久手の戦いがその後の日本に与えた影響や、テストのポイントとなる重要知識を解説していきます!

小牧長久手の戦いの後:家康と秀吉の関係

戦いの後、家康と秀吉の関係は大きく変わりました。

軍事的には家康が勝利しましたが、政治的には秀吉が優位に立ちました。家康は戦い続ける大義名分を失い、結果として秀吉に従うことになります。

秀吉は、家康を屈服させるために次のような手を使いました。

  1. 妹「朝日姫」を家康に嫁がせた → 家康と婚姻関係を結び、味方に引き入れようとしました。
  2. 母「大政所(たいせいじょ)」を人質に送った → 家康に「母を預けるから信用して!」というアピールをしました。

こうした策を使い、最終的に家康は1586年に秀吉の臣下となりました。しかし、家康はこの後も力を蓄え、最終的には豊臣家を倒し、徳川幕府を開くことになります。

天下統一にどう影響した

小牧長久手の戦いの後、秀吉は天下統一へ向けて一気に動きました。

① 四国征伐(1585年)
秀吉は四国の「長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)」を攻め、四国を支配しました。

② 九州征伐(1587年)
九州の「島津氏(しまづし)」を攻め、九州を手に入れました。

③ 小田原征伐(1590年)
最後の敵である「北条氏(ほうじょうし)」を倒し、天下統一を果たしました。

このように、小牧長久手の戦いでの勝利がなかったら、秀吉は天下統一の道を進めなかったかもしれません。この戦いが、彼の権力を確立する重要なステップだったのです。

小牧長久手の戦いの重要用語とテストで狙われるポイント

テストによく出る「小牧長久手の戦い」に関する重要な用語やポイントをまとめました!

① 重要用語

  • 本能寺の変(ほんのうじのへん):1582年に明智光秀が織田信長を討った事件。
  • 賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい):1583年に秀吉が柴田勝家を倒した戦い。
  • 織田信雄(おだのぶかつ):信長の次男で、秀吉と対立。
  • 小牧山城(こまきやまじょう):家康が本拠地とした城。
  • 長久手の戦い(ながくてのたたかい):家康が秀吉軍を撃破した戦い。

② テストで狙われるポイント

  • 「小牧長久手の戦い」は誰と誰が戦ったか?
    羽柴秀吉 vs. 徳川家康・織田信雄
  • 戦いのきっかけは?
    → 信雄が秀吉に反発し、家康と同盟を結んだこと。
  • 戦いの結果は?
    → 軍事的には家康の勝利、政治的には秀吉の勝利。
  • この戦いが歴史に与えた影響は?
    → 家康が秀吉の臣下になり、秀吉の天下統一が進んだ。

テストでは、「なぜ戦いが起こったのか?」「誰が勝ったのか?」という点がよく問われるので、しっかり覚えておきましょう!

小牧長久手の戦いを覚えるための語呂合わせ!

歴史の年号や出来事を覚えるのは大変ですが、語呂合わせを使えば簡単に覚えられます!

① 小牧長久手の戦いの年号を覚える!

「いちごパンツで小牧長久手」(1584年)
「い(1)ち(5)ご(8)パンツ(4)」で「1584年」!

② 家康の勝利を覚える!

「長久手で 家康大勝り(たいしょうり)」
「長久手の戦いでは家康が大勝利!」

③ 戦いの流れを覚える!

「信雄ダメ! 家康勝つ! でも秀吉天下へ!」
「信雄が和睦してしまい、家康の勝利が無意味に…でも秀吉は天下統一へ!」

このように、語呂合わせを使って楽しく覚えましょう!

総括:小牧長久手の戦いをわかりやすく解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

1. 小牧長久手の戦いとは?

  • 発生時期:1584年(天正12年)
  • 戦った勢力
    • 羽柴(豊臣)秀吉 vs. 徳川家康・織田信雄
  • 戦いの理由
    • 信長の死後、秀吉が勢力を拡大 → 信長の次男「織田信雄」が反発
    • 家康も秀吉の成長を警戒し、信雄と同盟を結んで対抗

2. 戦いの舞台

  • 主な戦場:現在の愛知県小牧市・長久手市
  • 拠点
    • 秀吉:犬山城
    • 家康:小牧山城(信長が築いた城)
  • 激戦地:「長久手」で家康が秀吉軍を迎え撃つ

3. 主要武将

  • 家康陣営
    • 徳川家康(指揮官、戦術に優れる)
    • 織田信雄(信長の次男、秀吉に反発)
    • 本多忠勝(家康の忠臣、日本一の剛将)
    • 井伊直政(「井伊の赤備え」を率いる若武者)
  • 秀吉陣営
    • 羽柴秀吉(天下統一を目指す)
    • 池田恒興(先鋒、大敗し戦死)
    • 森長可(猛将、長久手の戦いで戦死)
    • 羽柴秀次(秀吉の甥、初めて大軍を率いる)

4. 戦いの経過

  • 秀吉軍が家康の本拠地・三河へ進軍
  • 家康が奇襲し、長久手の戦いで勝利
  • 秀吉は信雄と単独で講和(家康を孤立させる)
  • 家康は戦う理由を失い、戦いが終結

5. 結果と影響

  • 軍事的勝者家康
    • 長久手の戦いで秀吉軍を撃破し、大勝利
  • 政治的勝者秀吉
    • 信雄との和睦を成立させ、家康を孤立させる
    • その後、家康を臣従させ、天下統一へ前進
  • その後の流れ
    • 1586年:家康、秀吉の臣下になる
    • 1590年:秀吉が小田原征伐で天下統一
    • 1600年:家康が関ヶ原の戦いで勝利 → 江戸幕府成立