歴史の授業で「南京条約」って聞いたことがありますか?「名前は知っているけど、どんな内容かはよく分からない…」という人も多いでしょう。

この南京条約は、中国(清)がイギリスとの戦争に負けて結ばされた「不平等条約」の代表格なんです。

でも、「どうして清は負けてしまったの?」「南京条約のどこが不平等なの?」と気になりますよね。実はこの条約、清だけではなく、日本にも大きな影響を与えました。

今回は、そんな南京条約を”塾長”の私が分かりやすく解説していきます!語呂合わせやテスト対策ポイントも紹介するので、ぜひ最後まで読んでくださいね。

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南京条約とは?簡単にわかりやすく解説

南京条約は、1842年に中国(清)とイギリスの間で結ばれた条約です。

戦争に負けた清が、イギリスに有利な条件を飲まされた”不平等条約”として有名です。これがきっかけで清は半植民地化し、さらに多くの国から不平等条約を押しつけられることになりました。

では、なぜこの条約が結ばれたのか?その内容は?しっかり見ていきましょう。

南京条約とは?簡単に言うとアヘン戦争の講和条約

南京条約は、アヘン戦争(1840年~1842年)の終結を決めるために結ばれました。アヘン戦争とは、イギリスが清に対して仕掛けた戦争のことです。

もともと、清はイギリスと「三角貿易」と呼ばれる貿易をしていました。清からはお茶や陶磁器が売られ、イギリスは銀で支払う。ところが、イギリスは清に銀ばかり払うことになり、大赤字。そこで考えたのが「アヘン(麻薬)を清に売る」作戦でした。

清の人々はアヘンに夢中になり、銀を使い果たしてしまいました。清の政府は「アヘンは危険だ!」と取り締まりを強化しましたが、イギリスは「俺たちの貿易を邪魔するな!」と怒り、戦争を始めたのです。

結果、圧倒的な軍事力を持つイギリスが勝利し、清は南京条約を結ばされました。

南京条約の背景|アヘン戦争の原因とイギリスの狙い

イギリスが清と戦争を起こした一番の理由は「貿易の赤字を解消すること」でした。そのために、アヘンという麻薬を清に売りつけたのです。

清の人々はアヘン中毒になり、国の経済はボロボロに。それに怒った清の役人「林則徐(りんそくじょ)」がアヘンの取り締まりを強化し、没収したアヘンを海に捨てました。

イギリスは「俺たちのアヘンを勝手に捨てるとはけしからん!」と戦争を決意。最新鋭の軍艦や大砲を使い、あっという間に清を打ち負かしました。清は戦争を続けられず、南京条約を結ぶしかなかったのです。

南京条約の内容を簡単に!割譲・開港・賠償金とは?

南京条約には、清にとって”不平等”な内容がいくつも盛り込まれていました。

その主なポイントを見てみましょう。

  1. 香港をイギリスに割譲(清の一部がイギリスのものになった)
  2. 五港(広州・厦門・福州・寧波・上海)を開港(イギリスとの自由貿易を強制)
  3. 賠償金2100万ドルの支払い(戦争の費用やアヘンの損害補償)
  4. 公行の廃止(清の商人が独占していた貿易制度を撤廃)

この内容を見ても、清がほとんど一方的に不利な条件を受け入れさせられたことが分かりますね。

南京条約の追加条約|なぜさらなる不平等条約が?

南京条約を結んだ後も、イギリスはさらなる要求を清に押しつけました。それが「五港通商章程」と「虎門寨追加条約」です。

  • 五港通商章程(1843年):イギリス人の領事裁判権を認めさせる
  • 虎門寨追加条約(1843年):最恵国待遇を約束、関税自主権を失う

さらに、これを見たアメリカやフランスも「俺たちも同じ条件で貿易させろ!」と望厦(ぼうか)条約・黄埔(こうほ)条約を締結。

こうして、清は次々と不平等条約を結ばされていったのです。

南京条約で清はどうなった?影響と変化

南京条約の影響で、清は大きく衰退し、植民地化の道を歩みました。

  • 西洋諸国が次々と清に進出し、半植民地状態に
  • 国内では農民たちの不満が爆発し、「太平天国の乱」が発生
  • イギリスがさらなる要求を押しつけ、アロー戦争が勃発

南京条約は、清が近代化に遅れ、国が弱体化していく大きな転換点となりました。これが後の中国革命や日清戦争へとつながっていくのです。

南京条約とは何か簡単に日本に与えた影響&歴史の流れ

南京条約は、中国(清)とイギリスの間で結ばれた条約ですが、日本にとっても決して無関係な出来事ではありませんでした。この条約によって、日本も大きな影響を受け、幕末の動乱や開国につながっていくのです。

ここでは、南京条約が日本にどのような影響を及ぼしたのかを詳しく見ていきましょう。

日本は南京条約に衝撃を受けた!鎖国政策の見直し

1842年、南京条約のニュースが日本にも届くと、江戸幕府は大きな衝撃を受けました。当時の日本は「鎖国」を続けていましたが、隣国の清が西洋の軍事力に敗れ、不平等条約を結ばされたことに危機感を持ちました。

「もし日本も外国と戦争になったら、清と同じように負けてしまうのでは?」

この不安から、幕府は外国船に対する方針を変更します。それまで日本は「異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)」という政策で、近づいてくる外国船を追い払っていました。しかし、南京条約を知った幕府は、外国と無理に戦うのは危険だと考え、「薪水給与令(しんすいきゅうよれい)」を出して対応を和らげました。

こうして、日本は少しずつ外国との関係を見直すようになったのです。

ペリー来航のきっかけに?アメリカも不平等条約を狙う

南京条約の締結後、清がイギリスに支配される様子を見て、アメリカも「日本とも不平等条約を結びたい」と考えるようになりました。そして1853年、アメリカのペリー提督が日本に来航し、開国を要求しました。

ペリーが日本に開国を迫った背景には、以下のような目的がありました。

  • 清と結ばせた南京条約のように、日本とも貿易できるようにしたい
  • 日本に寄港地を作り、アメリカの船の燃料や食料を補給したい
  • 太平洋での勢力を拡大し、西洋諸国と競争したい

つまり、南京条約によって清が弱体化したことが、アメリカが日本にも不平等条約を結ばせようとする動きにつながったのです。そして日本は、1854年にペリーと「日米和親条約」を結び、鎖国を終えることになりました。

南京条約の影響で日本の尊王攘夷運動が激化

南京条約のニュースは、日本国内の政治にも影響を与えました。当時の日本には「尊王攘夷(そんのうじょうい)」という考えがありました。

  • 尊王:天皇を敬い、幕府の政治を批判する
  • 攘夷:外国人を日本から追い払うべきという思想

清がイギリスに負けて屈辱的な条約を結ばされたことを知った尊王攘夷派の人々は、「日本も外国に乗っ取られる!」と強く反発しました。そして、開国を進める幕府に対し、攘夷派が武力で対抗するようになったのです。

その結果、日本では「安政の大獄(あんせいのたいごく)」や「桜田門外の変(さくらだもんがいのへん)」などの事件が起こり、政治が混乱していきました。

南京条約は日米修好通商条約にも影響を与えた

1858年、日本はアメリカと「日米修好通商条約」を結びました。

しかし、この条約は南京条約と同じように不平等な内容が含まれていました。

  • 関税自主権の喪失(日本は自由に関税を決められない)
  • 領事裁判権の承認(日本で犯罪を犯したアメリカ人を日本の法律で裁けない)
  • 最恵国待遇の付与(アメリカが得た権利は、他の国にも自動的に適用される)

これは、南京条約で清が結ばされた不平等条約とよく似ていますよね?つまり、日本も南京条約の影響で、清と同じように西洋諸国から搾取される道を歩み始めたのです。

南京条約から学ぶ歴史の教訓

南京条約は、単なる「清とイギリスの条約」ではなく、日本を含むアジア全体に大きな影響を与えました。この条約がきっかけで、清は半植民地化し、日本も開国へと進んでいきました。

ここで、南京条約から学べる歴史の教訓を3つまとめます。

  1. 軍事力がなければ、国を守れない
    • 清はイギリスの圧倒的な軍事力に敗北しました。これを見た日本は、明治維新後に西洋の技術を取り入れ、軍事力を強化しました。
  2. 一度結んだ不平等条約を解消するのは大変
    • 清も日本も不平等条約を結ばされましたが、それを撤廃するのには何十年もの時間がかかりました。
  3. 国際社会では交渉力が重要
    • 日本は外交交渉によって不平等条約を少しずつ改正しましたが、清はなかなか対応できず、列強に支配されてしまいました。

このように、南京条約は「国を守るためにどうするべきか?」を考えさせられる重要な出来事だったのです。

総括:南京条約とは何か簡単に解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

1. 南京条約とは?

  • 1842年に清(中国)とイギリスの間で結ばれた条約。
  • アヘン戦争(1840~1842年)の敗北によって清が締結を強いられた不平等条約。
  • 清はイギリスに有利な条件を受け入れさせられ、半植民地化が進むきっかけとなった。

2. 南京条約の背景

  • アヘン戦争の原因
    • 清がイギリスからのアヘン流入を取り締まったことが戦争の発端。
    • イギリスは「貿易の自由を阻害された」として清に戦争を仕掛けた。
    • 軍事力で勝るイギリスが圧勝し、清は屈服。

3. 南京条約の主な内容(清にとって不利な条件)

  1. 香港をイギリスに割譲(清の領土の一部を奪われる)
  2. 五港(広州・厦門・福州・寧波・上海)を開港(イギリスの自由貿易を許可)
  3. 賠償金2100万ドルを支払い(戦争の費用やアヘン没収の補償)
  4. 公行(貿易独占制度)の廃止(清の貿易管理を終わらせ、イギリスの商売を自由化)

4. 追加の不平等条約

  • 五港通商章程(1843年):領事裁判権(治外法権)を認める。
  • 虎門寨追加条約(1843年):最恵国待遇を与え、関税自主権を喪失。
  • 望厦条約・黄埔条約(1844年):アメリカ・フランスも南京条約と同様の不平等条約を清に押しつけた。

5. 南京条約の影響

  • 清の半植民地化が進む
    • 西洋諸国が次々と進出し、清は国力を失う。
    • 太平天国の乱(国内の反乱)が発生し、国の混乱が続く。
  • 日本への影響
    • 幕府が鎖国政策を見直す(異国船打払令 → 薪水給与令に変更)
    • ペリー来航・日米和親条約(1854年)へつながる
    • 尊王攘夷運動が激化し、幕末の動乱が加速
    • 日米修好通商条約(1858年)で日本も不平等条約を結ばされる

6. 南京条約から学ぶ歴史の教訓

  1. 軍事力の重要性:清は軍事力の差で敗北し、植民地化が進んだ。
  2. 不平等条約の解消は困難:一度結ばされた条約を改正するには長い年月が必要。
  3. 国際社会での交渉力の大切さ:日本は外交交渉で少しずつ条約を改正できたが、清は対応できず支配された。