歴史の授業で「関ヶ原の戦い」について習ったことはありますか?
1600年に起こったこの戦いで、徳川家康の東軍が勝ち、日本は江戸幕府の時代へと突入しました。でも、もしもこの戦いで西軍が勝っていたらどうなっていたのでしょう?
もしかすると、東京ではなく大阪が日本の首都になっていたかもしれません。もしかすると、豊臣秀頼が天下を治め、江戸時代とはまったく違う時代がやってきていたかもしれませんね!
今回は「関ヶ原の戦いで西軍が勝っていたら?」という”if”の世界を、わかりやすく解説していきます。塾長の私と一緒に、歴史の「もしも」を考えてみましょう!
関ヶ原の戦いで西軍が勝っていたら日本はどう変わった?

関ヶ原の戦いで西軍が勝利していたら、日本の歴史は大きく変わっていたかもしれません。ここでは、どんな影響があったのかを詳しく見ていきます。
西軍が勝利していたら徳川家康はどうなったのか?
関ヶ原の戦いで西軍が勝った場合、徳川家康の運命はどうなっていたでしょう?
可能性として考えられるのは以下の3つです。
- 戦死する
西軍が勝利し、家康が討ち取られていたら、江戸幕府は生まれず、豊臣政権が続いていたでしょう。家康は日本史から姿を消し、歴史の流れが大きく変わることになります。 - 降伏し、徳川家が存続する
西軍が勝利しても、すべての敵を滅ぼすわけではありません。家康が降伏し、領地を減らされて生き延びる可能性もあります。そうなると、徳川家は小さな大名として生き残っていたかもしれません。 - 逃亡し、再起を図る
家康が戦場から逃げのび、どこかで再起を狙う可能性もあります。実際、戦国時代には「一度負けても諦めずに巻き返す」武将がたくさんいました。家康が生き延びていたら、数年後に再び天下取りに挑んでいたかもしれませんね。
豊臣政権は続いた?それとも新たな体制が誕生?
西軍が勝利した場合、豊臣政権はそのまま存続したのでしょうか? それとも新たな体制が生まれたのでしょうか?
まず、西軍を率いた石田三成は豊臣家に忠誠を誓っていたため、豊臣秀頼が天下を治める可能性が高かったでしょう。しかし、石田三成が政治の中心になれば、他の大名との対立が生まれるかもしれません。特に毛利輝元や上杉景勝などの有力大名が「自分こそが天下を支えるべき」と考えていた場合、内部争いが続いた可能性もあります。
また、豊臣政権が続いたとしても、江戸幕府のような強い中央集権体制になったかどうかは分かりません。戦国時代のように、各大名が強い力を持ち続けた「群雄割拠」の状態が続いていた可能性もありますね。
首都は江戸ではなく大阪?それとも京都のまま?
徳川家康が勝利したことで、首都は江戸(現在の東京)になりました。でも、西軍が勝っていたら、どこが日本の中心になったのでしょうか?
候補として考えられるのは、大阪と京都です。
- 大阪が首都になる可能性
豊臣家の本拠地である大阪は、すでに当時の日本で経済の中心地でした。そのため、西軍が勝てば、大阪が日本の首都になり、「大阪幕府」が誕生していたかもしれません。 - 京都がそのまま政治の中心になる可能性
豊臣政権は、もともと京都を重視していました。そのため、豊臣秀頼が政権を継いだ場合、京都が政治の中心のまま存続し、天皇を支える形で新しい政権が作られた可能性もあります。
どちらの未来になったとしても、現在の「東京一極集中」の形ではなく、関西が政治・経済の中心となる歴史になっていたことでしょう。
戦国時代の延長?それとも新たな安定した時代?
関ヶ原の戦いは、日本が戦国時代から安定した江戸時代へ移るきっかけとなった戦いです。しかし、西軍が勝利した場合、すぐに平和な時代になったとは限りません。
考えられるシナリオとして、戦国時代がもうしばらく続く可能性があります。石田三成は戦が得意ではないため、各地の大名たちを完全に制圧することが難しかったでしょう。特に、戦上手な伊達政宗や加藤清正などが「天下取り」を目指し、新たな戦いを起こした可能性が高いです。
一方で、豊臣政権が巧みに大名を統制し、武家諸法度のような制度を作れば、新たな安定した時代が訪れたかもしれません。この場合、江戸時代とは異なる「豊臣時代」が続いていたでしょう。
国際関係はどう変わる?江戸幕府の鎖国は実現していたか?
徳川幕府は、キリスト教を禁止し、日本を鎖国することで、国内の安定を図りました。しかし、西軍が勝利していたら、鎖国は実現しなかったかもしれません。
豊臣秀吉は海外進出を目指しており、朝鮮出兵を行いました。もし豊臣政権が続いていたら、中国や朝鮮との関係がより強まり、日本がアジアの大国として成長していた可能性があります。ポルトガルやスペインとの貿易も続き、西洋の文化がもっと早く日本に根付いていたかもしれません。
こうした”if”を考えると、関ヶ原の戦いは日本の未来を大きく左右する戦いだったことがわかりますね!
関ヶ原の戦い西軍が勝っていたら:西軍が勝った歴史ifストーリー5選

関ヶ原の戦いで西軍が勝利していたら、日本の歴史はどのように変わっていたのでしょうか?
ここからは、「もし西軍が勝っていたら?」というシナリオを5つ紹介し、歴史のifを楽しく考えていきます!
小早川秀秋が裏切らなかった場合の展開
関ヶ原の戦いの勝敗を決定づけたのが、小早川秀秋の裏切りです。彼は当初、西軍側にいましたが、戦いの最中に東軍へ寝返ったことで、西軍は総崩れになりました。
では、もし小早川秀秋が裏切らず、西軍のまま戦っていたらどうなっていたのでしょうか?
- 東軍が混乱し、西軍が押し切る可能性
小早川秀秋は約15,000の兵を率いていました。彼が裏切らなければ、東軍は西軍に押し込まれ、家康は撤退を余儀なくされたかもしれません。 - 戦況が長引き、持久戦に発展
小早川の裏切りで短時間で決着がついた関ヶ原の戦いですが、彼が西軍で戦い続けた場合、戦いは数日間続いた可能性があります。すると、兵糧が尽きた側が不利になり、最終的に東軍が敗北していた可能性が高いです。 - 家康が戦死or降伏し、豊臣政権の安定へ
戦が長引けば、家康も命を落とすリスクが高まります。また、敗北を悟った家康が降伏し、江戸幕府が成立せず、豊臣政権が続いた可能性があります。
こうしたifを考えると、小早川秀秋の行動が日本史を大きく変えたことがわかりますね!
毛利輝元が積極的に関与していたらどうなった?
毛利輝元は西軍の総大将でしたが、関ヶ原の戦いには出陣せず、大阪城に留まっていました。
もし彼が戦場に出て、西軍を指揮していたらどうなっていたでしょうか?
- 毛利軍の圧倒的戦力が戦局を左右
毛利家は西軍の中でも特に強い戦力を持っていました。毛利軍が積極的に参戦していれば、東軍を圧倒し、短時間で勝利できたかもしれません。 - 戦後の日本が毛利主導の政権になる可能性
毛利家が中心となれば、日本の歴史は大きく変わります。豊臣政権ではなく、毛利幕府のようなものが成立していたかもしれません。 - 関ヶ原の戦い後の勢力再編が変わる
毛利が主導権を握れば、戦後の大名配置が大きく変わります。例えば、江戸ではなく広島や大阪が日本の中心地になっていた可能性がありますね!
島津家が最後まで戦い続けたら?
関ヶ原の戦いでは、島津義弘が西軍として戦いましたが、最終的には撤退しました。では、もし島津軍が最後まで戦い続けていたらどうなっていたでしょうか?
- 東軍の被害が大きくなり、戦後の形勢が逆転する可能性
島津軍は「釣り野伏せ(ゲリラ戦)」を得意とし、撤退戦では敵陣を突破するほどの実力を持っていました。もし彼らが徹底抗戦していたら、東軍の被害が増え、勝敗が逆転する可能性もありました。 - 九州を中心に新たな戦いが勃発
島津軍が生き残り、西軍が勢力を立て直せば、九州を中心に「第二の関ヶ原」ともいえる戦いが起きていたかもしれません。 - 島津幕府が誕生していた可能性も?
戦国時代には「生き残った者が天下を取る」という流れがありました。もし島津が関ヶ原で圧倒的な戦果を上げていたら、日本の支配者になっていた可能性もありますね!
豊臣秀頼が関ヶ原に出陣していた場合
豊臣秀頼は豊臣秀吉の息子で、西軍の象徴的な存在でした。しかし、彼は関ヶ原の戦いには出陣せず、大阪城に留まっていました。
もし、秀頼が戦場に立っていたらどうなったのでしょうか?
- 西軍の士気が大幅に向上
秀頼が自ら戦場に出ていれば、西軍の士気は大きく向上し、より統率の取れた戦いができたでしょう。 - 家康が戦を避け、交渉で決着?
家康は豊臣家を滅ぼすつもりはなく、「豊臣家の下での権力掌握」を狙っていました。秀頼が出陣した場合、戦を回避し、豊臣政権のもとで家康が活躍する未来もありえたかもしれません。 - 新たな豊臣政権が生まれる可能性
秀頼が戦に勝利すれば、豊臣政権が復活し、豊臣幕府のようなものが誕生していた可能性もあります。
西軍が勝利し日本が海外進出していた可能性
豊臣秀吉は生前、海外進出に積極的でした。もし西軍が勝利して豊臣政権が続いていたら、日本はどのような国になっていたでしょうか?
- 朝鮮や中国への進出が加速
秀吉が行った「文禄・慶長の役(朝鮮出兵)」は、家康が勝利したことで終結しました。しかし、西軍が勝っていたら、この政策が続き、日本が海外進出を進めていたかもしれません。 - 貿易が発展し、鎖国しない未来へ
江戸幕府は鎖国を行いましたが、豊臣政権が続いた場合、海外との貿易が活発になり、日本がヨーロッパともっと関わる国になっていた可能性もあります。 - 日本が海洋国家として成長?
当時のヨーロッパのように、日本が「海を越えて他国と戦う国」になっていたかもしれません。すると、日本はアジアの大国として、もっと早く世界に影響を与える国になっていたかもしれませんね!
総括:関ヶ原の戦い西軍が勝っていたらまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
1. 徳川家康の運命
- 戦死すれば江戸幕府は生まれず、豊臣政権が存続。
- 降伏すれば徳川家は小大名として存続。
- 逃亡すれば数年後に再起を図る可能性も。
2. 豊臣政権の継続と新体制
- 石田三成が主導し、豊臣秀頼が天下を治める可能性。
- しかし毛利輝元や上杉景勝などの有力大名との対立が発生する可能性。
- 中央集権体制が確立されず、戦国時代が続いた可能性も。
3. 首都の変化
- 大阪が首都となり「大阪幕府」が成立する可能性。
- 京都がそのまま政治の中心となり、天皇を支える形で統治される可能性。
- 東京の発展はなかった可能性が高い。
4. 戦国時代の延長 or 新たな安定
- 戦国大名たちの力が強く、戦国時代が長引く可能性。
- 豊臣政権がうまく統制すれば、独自の「豊臣時代」が続く。
5. 鎖国の有無と国際関係の変化
- 豊臣政権が海外進出を進めた場合、鎖国せずに貿易が活発化。
- 中国・朝鮮との関係が強まり、日本がアジアの大国となる可能性。
- ポルトガルやスペインとの交易が続き、西洋文化がより早く浸透する。
6. 西軍勝利によるifストーリー
- 小早川秀秋が裏切らなければ → 東軍が混乱し、西軍が勝利する可能性が高い。
- 毛利輝元が積極的に参戦していれば → 毛利政権が誕生し、日本の統治体制が変わる。
- 島津家が最後まで戦い続けたら → 九州を拠点に「第二の関ヶ原」が起こる可能性。
- 豊臣秀頼が関ヶ原に出陣していれば → 豊臣政権の安定に繋がり、新たな幕府が成立するかも。
- 西軍が勝利し海外進出を進めたら → 日本が海洋国家として成長し、より国際的な国になる可能性。
