今回は中国史の中でも特に有名な女性、則天武后(そくてんぶこう)の「悪行」についてわかりやすく解説していきます。

一見するとただの悪女に見える彼女ですが、その行動にはしっかりとした理由や背景があるんですよ。とはいえ、やっぱり「それはやりすぎでしょ!」というエピソードもたくさんあります。

本記事では、そんな「やばい」話をまとめつつ、「なぜそうなったのか」も一緒に考えていきます。歴史のテストにも出やすい人物なので、楽しく学んでいきましょう!

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則天武后の悪行まとめ!中国史上最も“やばい女帝”の真実

中国史上唯一の女帝として名を残す則天武后。しかしその栄光の裏には、数々の衝撃的な悪行がありました。ここでは「実際に何をしたのか?」を具体的に解説していきます。

則天武后の悪行:王皇后を陥れるために自らの娘を殺害

まず最初に紹介するのは、則天武后の悪行の中でも一番有名でショッキングな事件、「自分の赤ちゃんを殺してライバルに罪をなすりつけた」という話です。

則天武后は唐の高宗の側室でしたが、皇后の座を狙っていました。ある日、彼女は自分の娘を産んだ直後に、皇后の王氏が見舞いに来たタイミングを利用して、赤ちゃんを密かに絞殺。その後、「王皇后が赤ちゃんを殺した!」と訴えたのです。これにより王皇后は廃され、則天武后は皇后の地位を手に入れました。

この話は『資治通鑑』という歴史書に記録されていて、長く「則天武后=悪女」の象徴的エピソードとして語られています。ちなみに、この事件が本当にあったのかは今でも議論の的ですが、それくらい彼女の野心と手段のすごさが伝わる話ですね。

政敵を粛清し尽くした恐怖の粛清劇

則天武后の恐ろしさは、政敵を次々と排除していったところにも現れています。とにかく反対する人は徹底的に粛清(しゅくせい)しました。

彼女は高宗の死後、実質的に政治の中心となりますが、その中で、かつて皇后になるのを反対した有力貴族・関隴(かんろう)集団のメンバーや宰相たち(長孫無忌、褚遂良など)を次々と処罰。時には流刑に、時には命を奪いました。

さらに則天武后は、密告社会を作り上げるために「酷吏(こくり)」と呼ばれる恐ろしい役人たちを使いました。来俊臣や周興といった人たちが、拷問や偽証で政敵を次々と追い込み、「ちょっとでも皇后に逆らえば命がない」と恐れられたのです。

この恐怖政治により、朝廷には誰も逆らえなくなっていきました。

実子や親族まで手にかけた冷酷な支配

則天武后は、なんと自分の子供や親族にまで手をかけました。これは中国史の中でもかなり異例です。

たとえば、彼女の長男・李弘は、後継者として有力視されていましたが、あまりにまじめで母と意見が合わなかったため、毒殺されたといわれています。また次男の李賢も皇太子でしたが、反逆の疑いをかけられて幽閉され、自害に追い込まれました。

さらに三男・李顕(のちの中宗)も一度は皇帝に即位したものの、母に逆らったとして廃位されています。そしてその後も、孫や息子の嫁まで含め、徹底的に自分の支配に不都合な人物を排除しました。

これほどまでに「身内」に厳しくしたのは、自分の権力を守るためだったと考えられています。

仏教や則天文字の利用による自己神格化

次に注目すべきは、則天武后が宗教や文字を使って自分のイメージをコントロールしたことです。彼女は自らを「弥勒菩薩の化身」として宣伝し、全国に「大雲経寺」というお寺を作らせました。

また、「則天文字」という特別な漢字を発明して、自分の名前や国の名前を新しい字で表すようにもしました。たとえば「国」を「圀」と書き換えるなど、普通の人が使わないような文字をあえて広めたのです。

これは、自分がただの人間ではない「選ばれし存在」だという印象を民衆に与えるための戦略でした。つまり宗教や文字まで利用して、自分の支配を正当化していたというわけですね。

民衆も苦しんだ?密告政治と重税・統制の実態

則天武后の支配は、民衆にも少なからず影響を与えました。とくに密告社会が広がったことで、一般人も常に疑いの目を気にして生活しなければなりませんでした。

さらに、彼女が大規模に仏教寺院を建てたり、文字を新しく作ったりするためには、多額のお金が必要でした。そのため重税や労働の負担が民衆にのしかかっていったのです。

この時代、均田制という制度も機能しなくなり、土地の格差が広がるきっかけにもなりました。反乱こそ起きませんでしたが、静かに苦しんでいた人々は少なくなかったと考えられています。

なぜ則天武后は悪行に手を染めたのか?背景と目的

ここまで則天武后の数々の“やばい”悪行を見てきましたが、そもそも彼女はなぜこんなにも残酷な行動をとったのでしょうか?

ただの性格の問題ではありません。彼女の人生や時代背景を見ていくと、「やむを得なかった事情」や「そうせざるを得なかった理由」が少しずつ見えてきます。

ここからは、則天武后が悪行に走った背景や目的を、わかりやすく一緒に探っていきましょう!

則天武后の生い立ちとコンプレックスが影響

まず注目したいのは、則天武后の生い立ちです。彼女は裕福な家の娘でしたが、母・楊氏は後妻で、兄たちとは血がつながっていない異母兄弟でした。この兄たちからは陰湿ないじめを受け、冷たい家庭環境の中で育ったと言われています。

また、父は地元の豪族出身でしたが、出世して貴族の仲間入りをした成り上がり。つまり、名門出身ではないことに劣等感を持っていたとされます。こうした環境の中で、「いつか認められたい」「見返してやりたい」という強い気持ちが育ったのかもしれません。

このようなコンプレックスが、のちの激しい権力欲につながっていったとも考えられます。

皇后・皇帝への強すぎる執念がすべての始まり

則天武后が「やばい女帝」と呼ばれるようになる最初の一歩は、皇后の座を狙ったところから始まりました。彼女は若いころ、唐の太宗の後宮に入ったものの、あまり寵愛を受けられませんでした。

しかし、太宗の息子・高宗とはこっそり恋仲だったという説もあり、太宗の死後に出家したものの、高宗に再び呼び戻されます。そして、当時の皇后・王氏の妬みを利用して宮中に復帰。最終的には王氏や蕭淑妃を追い落として、自分が皇后の座に就きました。

この一連の流れを見ると、「皇后になりたい」という強すぎる執念が、最初の悪行の動機だったともいえます。

男尊女卑社会で女帝になるための苦肉の策

当時の中国は、女性が表舞台に立つことはほとんど許されない、いわば“男の世界”でした。そんな中で女性が権力を握るには、普通の手段ではとても無理だったのです。

つまり、則天武后がやった“やばいこと”の数々は、女帝になるための「苦肉の策」だったとも考えられます。普通のやり方では絶対に届かない場所に行くには、常識を超える大胆さと冷酷さが必要だったというわけですね。

こう聞くと、彼女の行動もただの悪ではなく、「歴史を変えた挑戦」とも言えるかもしれません。

政敵に囲まれた孤独な支配者の防衛本能

則天武后が権力を手に入れたあとも、安心できる日はなかったはずです。というのも、周囲は政敵だらけ。王族の反乱や、息子たちの不満、臣下の裏切り…さまざまな危機に囲まれていました。

特に、女帝という前例のない存在だったため、「あの女を引きずり下ろせ!」という声が常にあったのです。そんな中で、反乱を未然に防ぐために、ちょっとでも疑いがある人を徹底的に排除したわけですね。

つまり、彼女の粛清政策は、防衛本能のあらわれだったとも言えます。支配者としては冷酷すぎるかもしれませんが、「やらなければやられる」という状況だったのでしょう。

悪行の評価は変わる?現代中国や歴史学者の再評価

最後に注目したいのが、則天武后に対する現代の評価です。実は最近では、彼女を「悪女」とだけ見るのではなく、「改革者」や「女性リーダーの先駆け」として再評価する動きも出てきています。

たとえば、科挙制度の改革によって、貴族以外の人にもチャンスを与えたこと。狄仁傑や姚崇といった有能な人物を見出して登用したことなどは、今でも高く評価されています。

また、現代中国の教科書でも、「女性でありながら国家を治め、民を安定させた」として、肯定的に描かれることもあるのです。

つまり、彼女の行動は“悪行”であると同時に、“大きな変化をもたらした行動”でもあったんですね。

総括:則天武后の悪行まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 則天武后は中国史上唯一の女帝で、権力を握るために多くの悪行を行ったとされる
  • 最も有名な悪行は、王皇后を陥れるために自らの娘を殺害したという説
  • 政敵の貴族や宰相を次々に粛清し、密告政治を導入して恐怖政治を行った
  • 実子や親族まで排除し、長男や孫、嫁まで殺害または追放した事例がある
  • 仏教や「則天文字」を利用して自分を神格化し、イメージ操作を行った
  • 民衆にも密告や重税などで苦しみが広がり、社会は監視国家化した
  • 生い立ちや家庭環境からくるコンプレックスが悪行の動機とされる
  • 皇后や皇帝への執念が強く、過酷な手段でライバルを排除した
  • 男尊女卑の時代背景の中で、女帝としての地位を確立するため苦肉の策を取った
  • 現代では政治手腕や人材登用の評価もあり、見方が再評価されつつある