みなさん、日本の歴史にはさまざまな文化や技術が外国から伝わってきたことをご存じでしょうか?特に古墳時代から飛鳥時代にかけて、中国や朝鮮半島から多くの人々が日本にやってきました。

この人たちは「渡来人(とらいじん)」と呼ばれ、日本の発展に大きな影響を与えました。

渡来人が日本に伝えたものには 仏教・漢字・製鉄技術・養蚕・土木建築技術 など、現代にも続く文化や技術がたくさんあります。

本記事では、渡来人がもたらしたものを分かりやすく順番に解説していきます!

渡来人が伝えたもの一覧!技術や文化を徹底解説

渡来人は日本の生活や社会に大きな変化をもたらしました。ここでは、渡来人が伝えたものを1つずつ詳しく見ていきましょう。

渡来人が伝えたものまとめ【一覧表】

最初に分かりやすく一覧表にまとめると、以下の通りです。

伝えたもの内容
仏教百済から伝来し、日本の宗教文化に大きな影響を与えた。
漢字中国から伝わり、公文書や記録に使用されるようになった。
製鉄技術鉄製の武器・農具の製造技術が日本に伝わった。
須恵器窯を使って高温焼成する技術で、丈夫な焼き物が作られた。
養蚕技術蚕を育てて絹を生産する技術が日本に広まった。
土木・建築技術寺院建築や水田開発、堤防建設の技術が伝わった。
乗馬文化馬を使った移動・戦闘技術が広まり、馬具も伝来した。
雅楽宮廷音楽として伝わり、楽器や舞楽が広まった。
医療・薬学漢方医学が日本に伝わり、薬草を用いた治療が広まった。
暦・天文学干支や陰陽道、天文学の知識が日本に持ち込まれた。

渡来人が伝えた「仏教」|日本の宗教観を変えた影響とは?

渡来人が伝えたものの中でも最も大きな影響を与えたものの一つが「仏教」です。仏教は6世紀半ば(538年または552年)に百済(くだら)から伝えられた とされています。

それまでの日本には、神道(しんとう)という自然や祖先を大切にする信仰しかありませんでした。しかし、仏教が伝わると、日本にもお寺や仏像、経典(きょうてん)などが広まりました。

特に聖徳太子(しょうとくたいし)は仏教を厚く信仰し、四天王寺(してんのうじ)や法隆寺(ほうりゅうじ)を建立(こんりゅう)しました。これが、のちの日本の宗教や文化の発展につながっていったのです。

渡来人が伝えた「漢字」|日本語に与えた影響とは?

日本の文字文化も、渡来人によって大きく変わりました。日本にはもともと文字がなく、言葉を記録する手段がありませんでした。しかし5世紀ごろ、百済の学者「王仁(わに) が漢字を伝えたことで、文字を使う文化が始まりました。

漢字の伝来によって、日本では公文書(こうぶんしょ)を記録したり、言葉を表現する手段が広がりました。さらに、漢字をもとに「万葉仮名(まんようがな)」という、日本語の発音を表す書き方も生まれました。この万葉仮名が、後の「ひらがな」や「カタカナ」につながるのです。

現在、私たちが普通に使っている漢字やひらがな・カタカナは、すべて渡来人の影響なのですね。

渡来人が伝えた「製鉄技術」|武器や農具の進化

昔の日本では木や青銅(せいどう)を使った道具しかありませんでした。しかし、渡来人がもたらした 「鉄」 によって、大きな技術革新が起こります。

渡来人は鉄を加工する技術(鍛冶:かじ) を持っていました。鉄を使うことで、 武器(剣・槍・矢じり)や農具(くわ・かま)が強くなり、戦いや農業が発展しました。

特に大和王権(やまとおうけん)はこの技術を積極的に取り入れ、鉄製の武器を持つことで周りの豪族(ごうぞく)を支配する力を強めました。また、鉄製の農具が広がったことで農作業が効率的になり、日本の食料生産が大きく向上 しました。

渡来人が伝えた「須恵器」|日本の焼き物文化の始まり

渡来人は「須恵器(すえき)」という、 硬くて丈夫な焼き物の技術も伝えました。それまでの日本では、「土師器(はじき)」という、やわらかくてもろい土器が主流でしたが、須恵器の技術が入ると、より実用的な器が作れるようになりました。

須恵器の特徴は、窯(かま)で高温で焼くことです。これにより、器が水を吸いにくくなり、耐久性が向上しました。この技術は現代の陶芸(とうげい)や焼き物文化にもつながっています。

渡来人が伝えた「養蚕技術」|シルクロードと日本の織物文化

渡来人は「養蚕(ようさん)」の技術も伝えました。養蚕とは、蚕(かいこ)を育てて絹糸(きぬいと)を作ることです。

それまでの日本では綿や麻の布しかありませんでした。しかし、渡来人が養蚕技術を伝えたことで、日本でも絹(きぬ)を作ることができるようになりました。

特に秦氏(はたうじ)という渡来人の一族は、養蚕を広め絹織物の発展に貢献しました。この技術のおかげで、日本でも高級な着物や絹の布が作られるようになったのです。

渡来人が伝えたもの:文化や生活の変化とは

渡来人が伝えたものは技術や道具だけでなく、生活や文化そのものにも大きな変化をもたらしました。ここからは、日本の社会がどのように変わったのか、現代にも残る影響について解説していきます。

渡来人が伝えた「土木・建築技術」|寺院建築と都市づくり

渡来人は土木(どぼく)や建築(けんちく)の技術も日本に伝えました。日本では住居や建物が木と土で作られていましたが、渡来人の技術によって強く丈夫な建物が作られるようになったのです。

特に大きなお寺を建てる技術は、渡来人によってもたらされました。例えば法隆寺(ほうりゅうじ)や四天王寺(してんのうじ)は、渡来人の技術によって建てられたとされています。さらに橋や堤防(ていぼう)の建設技術も伝えられ、日本の川や水田の開発が進みました。

この土木・建築技術は平城京(へいじょうきょう)や平安京(へいあんきょう)の都市づくりにも活かされ、現代の建築技術にも影響を与えています。

渡来人が伝えた「乗馬文化」|戦のスタイルが変わった

渡来人は馬の乗り方(乗馬:じょうば)や、馬を扱う技術も伝えました。それまでの日本には馬を使う文化がなかったため、戦や移動の方法が大きく変わることになります。

特に、渡来人が持ち込んだ馬具(ばぐ:馬に乗るための道具)は、武士(ぶし)の戦い方を大きく変えました。馬に乗って戦う騎馬戦(きばせん)が広まり、日本の戦国時代には武士が馬に乗って戦う姿が一般的になりました。

また、馬を育てる技術も発展し、現在の競馬(けいば)や乗馬スポーツにも影響を与えています。

渡来人が伝えた「音楽と舞踊」|雅楽や伝統芸能のルーツ

渡来人は音楽や舞踊(ぶよう:踊り)の文化も伝えました。特に雅楽(ががく)という宮廷音楽は、渡来人によってもたらされました。

雅楽には中国や朝鮮半島の音楽の影響が強く見られます。例えば笛(ふえ)や琴(こと)、琵琶(びわ)などの楽器は、渡来人が日本に持ち込んだものです。

また、雅楽の影響を受けた舞楽(ぶがく)は、日本の能(のう)や歌舞伎(かぶき)の原型にもなっています。現代の伝統芸能にも渡来人の影響が色濃く残っているのですね。

渡来人が伝えた「医療・薬学」|中国医学の基礎を築く

渡来人は医療(いりょう)や薬学(やくがく) の技術も伝えました。特に漢方(かんぽう) という中国の医学が日本に伝わり、日本独自の医療が発展するきっかけになりました。

渡来人の医師たちは、薬草(やくそう)を使った治療法や鍼灸(しんきゅう:はりやお灸)などを伝えました。日本ではこれを取り入れ宮中(きゅうちゅう)などで医療が発展していきました。

現代の漢方薬や東洋医学(とうよういがく)も、渡来人が伝えた医学の流れをくんでいるのです。

渡来人が伝えた「暦・天文学」|時間を管理する文化の誕生

渡来人は暦(こよみ)や天文学(てんもんがく)の知識も日本に伝えました。それまでの日本には明確な暦がなく、農作業の時期を決めるのも太陽の位置を見て判断するしかなかっ のです。

しかし、渡来人が「干支(えと)」や「陰陽道(おんみょうどう)」などの知識を伝えたことで、日本でも日付や時間を管理する文化が生まれました。

これが後の日本の暦(旧暦や太陽暦)へと発展し、現代でもカレンダーや占いにその名残が見られます。

最後に:渡来人が伝えたものまとめ

最後に、渡来人が伝えたもの一覧を分かりやすくまとめておきます。

伝えたもの内容現代への影響
仏教百済から伝来、寺院建立寺社文化・宗教観
漢字文字の伝来と公文書化現代日本語
製鉄技術武器・農具の製造刀剣・工業
須恵器窯を使った高温焼成技術陶芸・焼き物
養蚕技術絹生産の確立着物・伝統工芸
土木・建築技術治水・寺院建築都市開発・建築
乗馬文化騎馬戦と馬具武士文化・競馬
雅楽宮廷音楽の伝来伝統芸能
医療・薬学漢方・薬草学現代の漢方医学
暦・天文学干支・陰陽道暦法・占い文化