「世界恐慌」と聞くと、なんだか難しそうでピンとこないかもしれません。でもこれは、世界中の経済がガタガタになって、たくさんの人が仕事や生活を失ったとても大きな出来事です。

この記事では、そんな世界恐慌がなぜ起こったのか、どんな影響があったのかを、塾長が子どもにも分かる言葉でやさしく解説します。

恐慌が起きるとどうなるのか、国々はどう対応したのか、一緒に学んでいきましょう!

世界恐慌を分かりやすく!原因や背景をまとめて解説

世界恐慌は、たった1日から始まりましたが、その後、世界中に大きな影響をあたえました。ここでは、そのきっかけや背景、日本への影響まで、順を追ってやさしく見ていきます。

世界恐慌を分かりやすく言うと?暗黒の木曜日とは何か

世界恐慌を簡単に言うと、「世界中が大不況になった出来事」です。始まりは1929年10月24日、アメリカのニューヨークで株価が急に大暴落したことから始まりました。この日を「暗黒の木曜日(あんこくのもくようび)」と呼びます。まるで真っ暗闇に突き落とされたような日だったからです。

株(かぶ)というのは会社の価値を表すものですが、みんなが一気に売ろうとしたため、値段がどんどん下がっていきました。株をたくさん持っていた人たちは大損をし、お金がなくなってしまいました。

この混乱がアメリカだけでなく、世界中に広がって、たくさんの会社や銀行がつぶれ、人々の生活も苦しくなったのです。

世界恐慌のきっかけは何?株価暴落の背景を解説

それでは、なぜそんなに急に株が暴落したのでしょうか?その理由には「バブル経済」と「過剰生産(かじょうせいさん)」がありました。

アメリカは1920年代、とても元気な経済の時代でした。車や家電製品がたくさん作られ、人々は「ずっと景気は良いままだ!」と信じていました。みんな株を買い、お金を借りてでも投資をしていたのです。

でも実際には、作りすぎて売れ残る商品が増え、人々の消費もだんだん減ってきました。農業も不況で、農産物が売れず、農家の人たちも苦しんでいました。

そんな中、投資家たちが「これは危ないぞ」と思い始め、株を次々と売り始めたことで、一気にパニックが広がったのです。つまり、表面的な好景気の裏に、危うい仕組みが隠れていたというわけです。

なぜアメリカの恐慌が世界中に広がったのか

「アメリカの問題なのに、なぜ世界中が困ったの?」と不思議に思うかもしれません。じつは、当時のアメリカは世界一のお金持ちの国で、たくさんの国にお金を貸していたのです。

例えば、第一次世界大戦でダメージを受けたヨーロッパの国々は、アメリカからお金を借りて立て直していました。そして、ドイツがアメリカから借りたお金でイギリスやフランスに戦争の賠償金を払い、そのお金がまたアメリカに返ってくるという「お金の循環」があったのです。

でも、株価の大暴落でアメリカが貸せるお金がなくなると、この循環が止まりました。すると、各国の経済もガタガタになり、世界中が大不況に突入したのです。

世界恐慌が与えた日本への影響は?昭和恐慌の実態

日本にもこの影響はすぐにやってきました。1927年にはすでに「金融恐慌」がありましたが、1929年の世界恐慌によって「昭和恐慌(しょうわきょうこう)」と呼ばれる大不況が起きました。

とくに農村では、生糸(きいと)などの輸出品の値段が大きく下がり、生活が成り立たなくなりました。生糸は日本の大事な輸出品で、農家の人たちの収入源でもあったのです。

また、銀行がつぶれたり、会社が倒産したりして、仕事を失う人も急増しました。このような経済の混乱は、国民の不安を大きくし、やがて軍部の力が強まる原因にもなっていきます。

世界恐慌の影響で何が変わった?世界の政治や社会の動き

世界恐慌が引き起こしたのは、経済の不況だけではありませんでした。社会や政治のあり方も大きく変わっていきました。

たとえば、ドイツではヒトラー率いるナチスが力をつけました。国民の不満を利用して「強い国をつくろう」と訴え、多くの支持を集めたのです。イタリアではムッソリーニ、日本では軍部が政治に強く関わるようになりました。

このような動きを「ファシズム」といいます。個人の自由よりも国家の利益を優先する考え方です。こうして世界は、だんだんと戦争の時代へ向かっていくことになったのです。

世界恐慌を分かりやすく!起こるとどうなる?各国の対応

世界恐慌が起きたあと、各国はこの大きな危機をどうやって乗り越えようとしたのでしょうか?ここでは、アメリカをはじめ、イギリス、フランス、ソ連、ドイツ、イタリア、日本などの対応を順番に見ていきましょう。どの国もいろいろな方法でこの問題に立ち向かったのです。

アメリカの対応は?ニューディール政策で行ったことを解説

アメリカは恐慌の影響で、工場が閉まり、仕事を失う人が続出しました。なんと、働く人の4人に1人が失業していたと言われています。

そんな中、大統領に選ばれたのがフランクリン・ルーズベルトです。彼は1933年から「ニューディール政策(New Deal)」という新しい取り組みを始めました。政府がお金を使ってダムをつくったり、道路を整備したりして、人々に仕事を与える「公共事業」が中心でした。これにはTVA(テネシー川開発公社)などがありました。

また、農作物の価格を安定させるために、政府が作物を買い取ったり、生産を調整する「農業調整法」なども行われました。

このように政府が経済にしっかり関わるやり方は、イギリスの経済学者ケインズの考え方に影響を受けたものでした。不況のときは、国が動いて経済を回すことが大事だという考え方です。

イギリスとフランス:ブロック経済をわかりやすく

イギリスやフランスも、世界恐慌で大きなダメージを受けました。輸出が減り、国内の工場が閉鎖、失業者も増加しました。

そこでこの2国がとった方法が「ブロック経済(bloc economy)」です。これは、自分の国と植民地との間だけで貿易をして、他の国のものは入れないようにするやり方です。

たとえば、イギリスは「スターリング・ブロック(ポンド圏)」という経済圏を作り、カナダやオーストラリアなどの植民地とだけで貿易を行いました。これにより、外国の安い製品が国内に入らなくなり、自国の産業を守ることができました。

フランスも同じように「フラン・ブロック」という経済圏を作りました。このようにして、各国は「内側だけで経済を回す」ことで、不況を乗り越えようとしたのです。

ソ連の五カ年計画の強み

実は世界恐慌の影響をあまり受けなかった国もあります。それが「ソ連(現在のロシアなど)」です。なぜソ連だけが影響を受けなかったのでしょうか?

その理由は、ソ連が「計画経済」という仕組みをとっていたからです。ソ連ではスターリンという指導者のもとで「五か年計画(ごかねんけいかく)」という経済計画が行われていました。

これは、政府が「この年にどれだけ工場をつくる」「どれだけ鉄をつくる」など、すべてを決めて、国全体をコントロールするやり方です。

民間の企業が自由に動く資本主義とちがい、ソ連のような社会主義では景気の波に左右されにくいのです。そのため、ソ連は恐慌の影響をほとんど受けず、逆に力を強めていきました。

ファシズムの台頭と軍事侵略の始まり

ドイツやイタリア、日本のように植民地が少なかった国々は、ブロック経済のような対策ができませんでした。そのため、経済がどんどん悪くなり、人々の不満がたまっていきます。

そんな中で出てきたのが「ファシズム(Fascism)」です。これは、個人の自由よりも国の力を重視する考え方で、独裁的な政治が行われるのが特徴です。

ドイツではヒトラーが登場し、ナチス(ナチ党)という政党を通じて、反ユダヤ主義や領土拡大を訴えて国民の支持を得ました。イタリアではムッソリーニがファシスト党を率いて独裁政治を行い、エチオピアに侵略しました。

日本では、満州事変をきっかけに軍部の力が強まり、中国への侵略が進みます。このように、恐慌は戦争への道を進めるきっかけとなったのです。

世界恐慌から何を学べる?経済と戦争の関係性

最後に、世界恐慌から私たちが学べることをまとめてみましょう。

まず、大きな経済の混乱は、国の政治や社会を大きく変える力があるということです。恐慌によって国民の生活が苦しくなると、不安や怒りが広がり、極端な考え方や独裁政治が受け入れられやすくなります。

それがやがて戦争につながっていったことを、私たちは歴史から学ぶ必要があります。また、現代でも「リーマンショック」のような経済危機が起こりましたが、世界恐慌の経験があったからこそ、各国はすばやく協力して対応することができました。

歴史を学ぶことは、未来のトラブルを防ぐためにもとても大事なことです。今回の世界恐慌を通じて、「経済と世界のつながり」をしっかり学んでおきましょう!

総括:世界恐慌を分かりやすく!原因&影響まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 世界恐慌とは:1929年10月24日、アメリカの株価大暴落(暗黒の木曜日)から始まった世界的な大不況のこと。
  • 原因:バブル経済・過剰生産・農業不況・過剰投資などが背景にあり、景気の悪化が一気に広がった。
  • なぜ広がった?:アメリカが多くの国にお金を貸していたため、経済危機が世界中に連鎖した。
  • 日本への影響:昭和恐慌が発生し、生糸の価格暴落や農村の困窮、軍部の台頭につながった。
  • 各国の変化:ドイツ・イタリア・日本ではファシズムが広がり、戦争へと向かう動きが強まった。
  • アメリカの対応:ルーズベルト大統領が「ニューディール政策」で公共事業や経済安定策を実施。
  • イギリス・フランスの対応:植民地との「ブロック経済」を展開して、自国経済を守った。
  • ソ連の対応:計画経済「五か年計画」により、恐慌の影響をほぼ受けなかった。
  • ファシズムの拡大:経済不安から独裁政治が受け入れられやすくなり、戦争の時代に突入。
  • 教訓:経済の混乱は政治・社会に大きな影響を与える。歴史を学ぶことで未来の対応力がつく。