今回は「ヤルタ会談ってなに?」という疑問に答えるべく、戦争と平和の大きな分かれ道になったこの会談を、やさしく・丁寧に・わかりやすく解説します。

ヤルタ会談は、第二次世界大戦の終盤にアメリカ・イギリス・ソ連のリーダーたちが集まり、戦後の世界をどう作っていくか話し合った重要な出来事です。

難しく聞こえるかもしれませんが、歴史のテストにもよく出るポイントなので、一緒にじっくり学んでいきましょう!

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ヤルタ会談をわかりやすく解説!目的・内容・背景

ヤルタ会談は、戦後の国際秩序に大きな影響を与えた重要な会談です。この見出しでは、ヤルタ会談の基本からその目的・内容・時代背景まで、しっかり整理していきます。

ヤルタ会談とは?第二次世界大戦中の連合国首脳会談

ヤルタ会談とは、1945年2月4日から11日にかけて、ソ連(今のロシア)のクリミア半島にあるヤルタという町で開かれた国際会議です。参加したのは、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、そしてソ連のスターリン首相の3人。いずれも第二次世界大戦を戦っていた連合国のリーダーです。

なぜヤルタで開かれたのかというと、当時ソ連はドイツと激しい戦いを続けており、スターリンが国内を離れにくかったからです。そこで、ヨーロッパの戦場に近く、ソ連の中でも暖かい保養地ヤルタが選ばれたのです。

この会談では、戦後のドイツの扱いや、日本への対応、国際連合という新しい平和組織の設立などが話し合われました。つまり、「戦争が終わったあとの世界をどうするか」がテーマだったのです。

目的とは?戦後世界の枠組みを決める重要な会談

ヤルタ会談の目的は、大きく3つあります。

1つ目は、「ドイツが降伏したあとの戦後処理」です。どの国がドイツをどのように管理するか、賠償金はどうするか、などを決める必要がありました。

2つ目は、「日本への対応」です。当時、ドイツの降伏は間近でしたが、日本はまだ戦争を続けていました。アメリカはソ連にも日本との戦争に加わってもらい、早く戦争を終わらせたいと考えていたのです。

3つ目は、「国際連合の設立」です。戦争を繰り返さないために、世界の国々が協力する新しい仕組みを作ろうという話し合いも行われました。これが今の国連のはじまりになります。

つまりヤルタ会談は、「戦争を終わらせ、平和な世界を作るための準備会議」だったのです。

内容をわかりやすく!協定で決まった具体的な14項目

ヤルタ会談では、「ヤルタ協定」という名前でいくつもの重要な取り決めがされました。主な内容を簡単に紹介しましょう。

  • ドイツは4つに分けて統治(アメリカ・イギリス・ソ連・フランス)
  • ベルリンも4カ国で分割管理
  • ドイツに戦争責任がある人は裁判で裁く
  • ドイツは賠償金を支払う(ソ連は50%分をもらう)
  • ポーランドは国境を変更し、新しい臨時政府を立てる
  • ヨーロッパ解放宣言(各国に自由な選挙を約束)
  • 国際連合の安全保障理事会には「拒否権」を導入
  • 信託統治制度を新設し、植民地の独立を支援する
  • 国際連合の設立会議をサンフランシスコで開催する

このように、戦争後のヨーロッパの地図から、新しい世界秩序づくりまで、多くの決定がこの会談でなされたのです。

ヤルタ秘密協定とは?ソ連の対日参戦と北方領土問題の発端を解説

ヤルタ会談には、もうひとつ重要な側面があります。それが「ヤルタ秘密協定」です。これはアメリカとソ連の間だけで交わされた約束で、公表されませんでした。

その中身とは、「ドイツが降伏したあと、2~3か月以内にソ連が日本との戦争に参戦する」というものです。アメリカは、早く日本を降伏させるために、ソ連の協力を望んでいたのです。

その代わりとして、ソ連は「南樺太」「千島列島」「満州(中国東北部)の利権」などを得ることが密約されました。

この取り決めは、後に日本の北方領土問題の原因にもなります。ソ連は千島列島のすべてを自国の領土と主張し、日本が「それは違う」と反発したことで、領土問題が現在まで続いているのです。

第二次世界大戦と戦後に与えた影響をわかりやすく整理

ヤルタ会談の影響は、会談直後から大きく現れました。まず1945年5月、ドイツが無条件降伏します。そして約束どおり、ソ連は3か月後の8月8日に日本に宣戦布告しました。

翌日、アメリカは長崎に原爆を投下し、8月15日、日本はついに降伏しました。こうして、第二次世界大戦は終結します。

戦後は、ヤルタ協定に基づいてドイツが分割され、国際連合が発足。けれども、ポーランドや東欧の政治体制をめぐってアメリカとソ連の対立が表面化し、東西冷戦が始まっていきます。

つまりヤルタ会談は、「戦争を終わらせる準備」であり、「新たな戦い(冷戦)のはじまり」にもつながっていたのです。

ヤルタ会談のその後:冷戦・北方領土問題もわかりやすく

ヤルタ会談が終わったあと、世界はどう動いたのか?ここでは冷戦の始まりから北方領土問題、会談の評価、そしてテスト対策まで、しっかりと学んでいきます。未来の国際関係にもつながる話なので、歴史の「今とつながる部分」として注目です。

ヤルタ会談と冷戦の関係:米ソ対立の火種になった背景

ヤルタ会談の直後、アメリカとソ連の関係は一気に悪化していきます。その原因の一つが「ポーランド問題」です。ソ連は、戦争中に自分たちが作った臨時政府を正統な政府として認めさせようとしましたが、イギリスやアメリカは「民主的な選挙が必要だ」と反対しました。

また、東ヨーロッパの国々でもソ連が共産主義の政権を次々に作り始め、アメリカは「これは自由を奪っている」と警戒します。こうして、世界はアメリカを中心とする「西側陣営」と、ソ連を中心とする「東側陣営」に分かれていくのです。

イギリスのチャーチルが言った「鉄のカーテン」という言葉も、この時代を象徴するものです。ヤルタ会談は、実は「冷戦の火種」を生んだ出来事だったのです。

北方領土問題の関係!今も続く対立の原点

ヤルタ会談でソ連に「千島列島と南樺太をあげる」とアメリカが密かに約束したことで、日本とロシアの間には大きな問題が残ることになりました。それが北方領土問題です。

ソ連は、千島列島すべてを「もらった」と主張し、戦後に占領しました。しかし日本は、「千島列島のうち、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島の4つは、もともと日本固有の領土であり、千島列島ではない」として返還を求め続けてきました。

1855年の日露和親条約でも、「択捉島より南は日本」と決められていたので、日本の主張には根拠があります。しかし、ロシア(旧ソ連)はこれを認めておらず、今も平和条約すら結ばれていません。

つまり、ヤルタ会談の秘密協定が、今でも続く北方領土問題の出発点だったのです。

マルタ会談の違い

よく混同されるのが「ヤルタ会談」と「マルタ会談」です。実はこの2つの会談は、冷戦の始まりと終わりを象徴する出来事として対になっています。

  • ヤルタ会談(1945年):第二次世界大戦末期。アメリカ・イギリス・ソ連が戦後世界の秩序を決め、冷戦の火種をまいた会談。
  • マルタ会談(1989年):冷戦終結直前。アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が冷戦の終結を宣言。

まさに「ヤルタからマルタへ」。この言葉は、冷戦の始まりから終わりまでを表す合言葉のようにも使われます。

歴史の流れを見るとき、「どこで始まり、どこで終わったのか」を理解するのはとても大切なポイントですね。

ヤルタ会談の評価

ヤルタ会談は、歴史的には非常に重要な会議ですが、評価は大きく分かれます。

肯定的な評価

  • 国際連合という平和を守る組織の設立に貢献
  • 世界の戦後秩序を早く整えた
  • 戦争終結を早めた

否定的な評価

  • 東ヨーロッパ諸国の自決権を無視(ソ連の支配を容認)
  • 大国のリーダーだけで決めた「密室政治」
  • 北方領土問題の火種になった

このように、ヤルタ会談は「平和への第一歩」と見ることも、「権力の押しつけ」と見ることもできるのです。だからこそ、両方の視点からしっかり理解することが大事ですね。

覚えておきたいポイントと重要語句

ヤルタ会談は、歴史のテストにもよく登場します。以下のキーワードは必ず覚えておきましょう!

  • ヤルタ協定:戦後のドイツ・ポーランド・国際連合についての取り決め
  • ヤルタ秘密協定:ソ連の対日参戦の約束と、その見返り(千島列島・南樺太)
  • 国際連合の設立:サンフランシスコ会議で正式発足
  • ドイツ分割統治:アメリカ・イギリス・ソ連・フランスの4か国で管理
  • 北方領土問題:秘密協定による領土譲渡が今も対立の火種に

また、ヤルタ会談が「冷戦の始まり」であり、マルタ会談が「冷戦の終わり」だったことも、セットで覚えておくと流れがつかめてGOODです!

総括:ヤルタ会談をわかりやすく解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • ヤルタ会談とは
    ・1945年2月にソ連・ヤルタで開催された米英ソの首脳会談
    ・参加者はルーズベルト(米)、チャーチル(英)、スターリン(ソ)
  • ヤルタ会談の目的
    ・ドイツの戦後処理の決定
    ・日本への対応と戦争終結の加速
    ・国際連合の設立
  • 会談で決まった内容(ヤルタ協定)
    ・ドイツの4か国分割統治と戦犯裁判
    ・ポーランドの国境変更と臨時政府の設置
    ・国際連合に拒否権を持つ安全保障理事会を設置
  • ヤルタ秘密協定の内容
    ・ソ連はドイツ降伏後2〜3か月で対日参戦
    ・南樺太・千島列島・満州利権などをソ連が獲得
  • 会談の影響
    ・ソ連の対日参戦・日本の降伏へ
    ・国際連合の発足とドイツの分割統治
    ・米ソの対立が深まり、冷戦が始まる
  • 北方領土問題との関係
    ・秘密協定による千島列島譲渡が現在の領土問題の火種に
  • ヤルタとマルタの違い
    ・ヤルタ会談:冷戦の始まり(1945年)
    ・マルタ会談:冷戦の終わり(1989年)
  • 評価
    ・国際秩序構築に貢献したとの肯定評価
    ・自決権の無視・密室政治との批判も存在
  • 覚えておきたい重要語句
    ・ヤルタ協定、秘密協定、国際連合、ドイツ分割、北方領土問題