みなさんは、社会の授業で「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」という言葉を聞いたことがありますか?教科書に出てくる古墳の写真を見ると、丸い部分が上、四角い部分が下になっていることが多いですよね。
でも、名前を見ると「前方後円墳」と書かれています。
「前方」が四角で、「後円」が丸。では、どっちが前で、どっちが後ろなのか?本当に四角い部分が前なのでしょうか?
実は、この問題は考古学者の間でも意見が分かれているんです!
今日は、前方後円墳の正しい向きについて、塾長がわかりやすく解説します。授業で聞いたことがある人も、これから学ぶ人も、楽しく読んでいきましょう!
前方後円墳の正しい向きとは?前と後ろの決まり

前方後円墳は、日本独自の古墳の形です。
ですが、「正しい向き」については、実ははっきり決まっていません。
では、なぜ「前方後円墳」と呼ばれ、四角い部分が前とされているのでしょうか?その理由を詳しく見ていきましょう!
前方後円墳の「正しい向き」とは?結論は決まっていない
「結局、前方後円墳の正しい向きはどっちなの?」と聞かれたら、答えは「決まっていない」です。考古学的には、四角い部分(前方部)が「前」とされますが、一般の人が見ると、丸い部分(後円部)が前に見えることもあります。
なぜなら、埋葬された人が眠るのは丸い後円部だからです。

お墓と考えると、丸い部分のほうが本体に見えますね。しかし、前方部では儀式が行われたため、「前」とされているのです。つまり、「お墓としての前」と「儀式の前」は別のものと考えられます。
また、江戸時代に名前をつけた蒲生君平(がもうくんぺい)という学者は、「牛車(ぎっしゃ)」に例えて「前方後円墳」と名付けました。牛が引く部分(長方形)が前で、人が乗る部分(円形)が後ろと考えたのです。でも、これはあくまで一つの説。
正しい向きは決まっていないということを覚えておきましょう!
なぜ「前方後円墳」と呼ばれるのか?命名の由来を解説
「前方後円墳」という名前が付いたのは、江戸時代のことです。蒲生君平という学者が「山陵志(さんりょうし)」という本を書き、日本中の古墳を調べていました。そして、鍵穴のような形をした古墳を「前方後円墳」と名付けたのです。
彼は、この古墳の形を「牛車」に例えました。昔の牛車は、前が長く伸びていて、後ろに人が乗る部分がありました。それと同じように、前方後円墳も「前方部が前」「後円部が後ろ」と考えたのです。
でも、実際には、埋葬されるのは後円部。だから、「前後が逆なのでは?」という疑問が生まれました。しかし、江戸時代から200年以上も使われている名前なので、今でも「前方後円墳」と呼ばれているのです。
空撮写真が「前円後方墳」と見えるのはなぜ?
教科書やテレビで見る前方後円墳の写真は、たいてい丸い後円部が上に、四角い前方部が下になっています。この写真を見ると、「丸い部分が前じゃないの?」と思う人が多いかもしれません。
でも、これは写真の撮り方の影響です。航空写真は、北を上にして撮ることが多く、古墳もその向きで掲載されます。
多くの前方後円墳は、後円部が北側、前方部が南側に向いているので、写真では丸い部分が「前」のように見えてしまうのです。
また、古墳は丘のようなものなので、地上から見ると四角い前方部が「入り口」に見えます。でも、上から見ると、丸い部分のほうが目立つため、「前に見える」という誤解が生まれるのです。
前方部が「前」とされる考古学的根拠
考古学の研究では、前方後円墳の前方部は「儀式の場」として使われていたことがわかっています。たとえば、大阪府の「今城塚古墳(いましろづかこふん)」では、前方部でたくさんの埴輪(はにわ)が見つかっています。埴輪は、古墳の周りに置かれていた土で作られた像のことです。
また、前方部では、儀式が行われたと考えられています。つまり、亡くなった王を祀るための大事な場所だったのです。そのため、前方部が「前」とされるようになりました。
後円部には石室(せきしつ)があり、そこに王が埋葬されました。つまり、後円部は「お墓」であり、前方部は「儀式の場」だったのです。このことから、考古学者たちは「四角い前方部が前」と考えています。
学者による「前方後円墳の前後論争」の現状
前方後円墳の「前」と「後ろ」については、学者の間でも意見が分かれています。中には「やっぱり丸い部分が前だ」と考える研究者もいます。
例えば、大阪府堺市の「ニサンザイ古墳」では、後円部の背後に橋の跡が見つかりました。

このことから、「もしかすると、葬儀の行列は後円部から入ったのでは?」という説もあります。もしそうなら、「後円部が前」という可能性も出てきます。
ただし、宮内庁(天皇陵を管理する機関)は、前方後円墳を「前方部が前」として扱っています。そのため、公的な見解では「四角が前、丸が後」というのが基本の考え方になっています。
このように、前方後円墳の「前」と「後ろ」は、時代や見る人によって変わることがわかりますね。
前方後円墳の正しい向き:前と後ろをもっと深く知ろう

前半では、前方後円墳の向きについての基本的な考え方を解説しました。ここからは、前方後円墳の「前後」をもっと深く知るための情報を紹介します。
テストにも出る語呂合わせや、実際に見学できる古墳についても解説するので、しっかり読んでくださいね!
テストで使える!前方後円墳の「前後」を覚える語呂合わせ
前方後円墳の「前と後ろ」を間違えやすい人のために、語呂合わせをいくつか紹介します。テストの勉強にも役立つので、ぜひ覚えてみてください!
①「四角が前で、丸が後ろ、牛車と同じで忘れない!」
江戸時代に名付けられた「前方後円墳」の由来は、牛車の形にたとえられたことから来ています。牛が引く部分(四角)が前、乗る部分(丸)が後ろという考え方ですね。これを覚えておけば、前方後円墳の向きを忘れません。
②「前方は見方(四角い台)、後円はお墓(丸い部屋)」
前方部は、儀式を行うための場所。ここで埴輪が置かれ、王様を祀る儀式が行われました。一方、後円部は王様が眠る場所。お墓のイメージがあるので、後円=「後ろ」と覚えやすいですね。
③「カギ穴は開く方が前!」
前方後円墳は、鍵穴のような形をしています。鍵穴の「開いている部分(四角)」が前で、「丸い部分」が後ろ。このイメージを持つと、間違えにくくなります。
前方後円墳の前後を考えるときに知っておきたい重要用語
前方後円墳の「前後」に関する重要な用語を解説します。これを知っておけば、考古学的な議論も理解しやすくなりますよ!
①「前方部(ぜんぽうぶ)」
四角い部分を指します。ここで儀式が行われ、埴輪が並べられました。多くの学者は、この部分を「前」と考えています。
②「後円部(こうえんぶ)」
丸い部分を指します。埋葬される王様が眠る場所なので、「後ろ」と考えられています。
③「造り出し(つくりだし)」
前方部と後円部のつなぎ目にある、張り出した部分のことです。ここで特別な儀式が行われた可能性があり、古墳ごとに特徴があります。
④「周濠(しゅうごう)」
古墳を囲む堀のことです。前方後円墳の周りには、堀が掘られていることが多く、葬送儀礼のために使われたと考えられています。
前方後円墳が「前円後方墳」とならなかった理由
「前方後円墳」という名前がついているなら、「前円後方墳」と呼んでもよさそうですよね。でも、そうならなかったのはなぜでしょうか?
①「形が決まった順番が影響した?」
もともと、古墳時代の初期には円墳(まんまるの古墳)や方墳(四角い古墳)が主流でした。そこに「前方部」をつけるようになったことで、前方後円墳が生まれたと考えられています。そのため、四角い部分が「追加された」形として「前方」となった可能性が高いです。
②「江戸時代に決まった名前だから」
「前方後円墳」という名前は江戸時代に蒲生君平がつけました。その後、200年以上もこの名前が使われているため、学問の世界でも定着してしまいました。もし最初に「前円後方墳」と名付けられていたら、それが普通になっていたかもしれませんね。
実際に見に行ける!前方後円墳のおすすめスポット
前方後円墳の向きをもっと実感したいなら、実際に古墳を見に行くのが一番!ここでは、見学におすすめの前方後円墳を紹介します。
①「仁徳天皇陵古墳(大阪府堺市)」
日本最大の前方後円墳で、百舌鳥・古市古墳群の中でも代表的なものです。全長486メートルもあり、その巨大さに圧倒されます。ただし、古墳の内部には入れませんが、周囲を歩いて見学できます。
②「今城塚古墳(大阪府高槻市)」
継体天皇の墓とされる古墳です。この古墳は発掘調査が行われたため、前方部と後円部の構造がよくわかります。埴輪の復元展示もあり、当時の儀式の様子がイメージしやすいです。
③「さきたま古墳群(埼玉県行田市)」
関東地方で前方後円墳を見学するならここ!丸墓山古墳など、いくつかの古墳を見比べることができます。歩いて登れる古墳もあるので、実際に「前」と「後ろ」を体感できます。
「前方後円墳の向き」について考えると面白いポイント
最後に、前方後円墳の「向き」について、面白いポイントを紹介します。
①「古墳の向きは南向きが多い?」
前方後円墳の多くは、前方部が南を向いています。これは、太陽信仰と関係があると考えられています。古代の人々は、太陽の方角を意識して古墳を作ったのかもしれません。
②「古墳の向きはバラバラなこともある?」
基本的には南向きが多いですが、北向きや西向きのものも存在します。これは、その地域の風習や王様の権力が関係しているとも言われています。
③「前方後円墳が突然なくなった理由」
前方後円墳は6世紀ごろになると、ほとんど作られなくなりました。その理由の一つとして、大和朝廷の統治方法の変化が挙げられます。大きな墳墓を作るよりも、仏教が広まるにつれて寺や仏塔を建てるほうが重要視されるようになったのです。
総括:前方後円墳正しい向きはどっちかまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 前方後円墳の正しい向きは決まっていない
- 考古学的には四角い前方部が「前」とされるが、一般の見方では丸い後円部が前に見えることもある。
- 埋葬されるのは後円部であるため、「お墓の前」と「儀式の前」が異なる。
- 「前方後円墳」と名付けられた理由
- 江戸時代の蒲生君平が「牛車」の形になぞらえて命名した。
- 牛が引く部分(前方部)が前、人が乗る部分(後円部)が後ろという考え方。
- 航空写真で「前円後方墳」に見える理由
- 教科書や写真では、丸い部分が上になっていることが多いため「前円後方墳」と勘違いされる。
- 多くの前方後円墳は北を後円部、南を前方部に向けているため、写真の見え方が影響している。
- 前方部が「前」とされる根拠
- 前方部では儀式が行われ、埴輪が並べられていた。
- 後円部には石室があり、王が埋葬された。
- 学者の間でも意見が分かれる
- 「後円部が前」という説もある(例:大阪府「ニサンザイ古墳」の研究)。
- しかし、公的な見解では「前方部が前」とされている。
- テストで使える語呂合わせ
- 「四角が前で、丸が後ろ、牛車と同じで忘れない」
- 「前方は儀式の台、後円はお墓」
- 「鍵穴は開く方が前」
- 「前円後方墳」とならなかった理由
- もともと円墳や方墳があり、前方部を追加した形だったため。
- 江戸時代に「前方後円墳」という名称が定着し、変更されなかった。
- 見学できる前方後円墳スポット
- 仁徳天皇陵古墳(大阪府堺市):日本最大の前方後円墳
- 今城塚古墳(大阪府高槻市):発掘調査が行われ、構造がよくわかる
- さきたま古墳群(埼玉県行田市):登れる古墳もあり、実際に「前」と「後ろ」を体感できる
- 前方後円墳の向きに関する豆知識
- 多くは前方部が南向き(太陽信仰と関係がある)
- 北向き・西向きの古墳も存在(地域の風習や王の権力に関係)
- 6世紀ごろから作られなくなった(大和朝廷の統治変化・仏教の影響)