歴史の授業で「絶対王政」という言葉を聞いたことがありますよね?
でも、「なんとなく王様がすごく偉かった時代のこと?」くらいのイメージで、具体的にどんな仕組みだったのか、なぜ始まり、どうして終わったのかを説明できる人は少ないのではないでしょうか。
今回は、塾長の私が「絶対王政」をとことん分かりやすく解説します!
なぜ国王が「絶対的な力」を持つことになったのか、その仕組みやメリット・デメリット、そして最後には語呂合わせも紹介するので、テスト対策にもバッチリですよ。それでは、さっそく見ていきましょう!
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絶対王政をわかりやすく解説!基本の仕組みと特徴
絶対王政は、16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで流行した政治体制です。「王様が絶対的な権力を持っている」というのが最大の特徴ですが、どんな仕組みでそれを支えていたのかを詳しく見ていきましょう。
絶対王政とは?国王が絶対的な権力を持つ政治体制
絶対王政とは、簡単に言うと「王様がすべてを決める政治の仕組み」です。議会の意見を聞くこともほとんどなく、王様の命令は絶対でした。「絶対王政」という名前の通り、王の力が「絶対」だったんですね。
この政治体制が広がったのは、16〜18世紀のヨーロッパです。それまでの中世ヨーロッパでは、国王の力はそれほど強くなく、貴族や教会が大きな力を持っていました。しかし、戦争や宗教対立が続く中で「国を一つにまとめる強いリーダー」が求められるようになったのです。そこで、国王が自分の権力を強めるようになり、「絶対王政」が生まれました。
また、絶対王政には「王権神授説(おうけんしんじゅせつ)」という考え方がありました。これは「王様の権力は神様から授けられたものだから、誰も逆らえない」という理論です。この考えによって、国王の力はさらに強くなりました。
絶対王政の特徴|官僚制・常備軍・重商主義が支えた強権政治
絶対王政を支えていたのは、「官僚制度」「常備軍」「重商主義」の三つの仕組みです。
①官僚制度
王様がすべてを管理するためには、多くの人が国の仕事をしなければなりません。そこで、国王の命令を実行する「官僚(かんりょう)」という人たちが組織されました。官僚たちは法律を作ったり、税金を集めたりして、王様の力を支えました。
②常備軍
常備軍とは、戦争がなくても常に兵士を雇い、戦える状態にしておく軍隊のことです。それまでは戦争が起きたときにだけ兵士を集めていましたが、絶対王政ではいつでも戦えるように常備軍を持ちました。これによって、王様は反乱を防ぎ、外国との戦争にもすぐに対応できるようになりました。
③重商主義
軍隊を維持したり、宮殿を建てたりするにはお金が必要です。そこで、国を豊かにするために「重商主義(じゅうしょうしゅぎ)」という経済政策がとられました。重商主義では、国が直接貿易を管理し、外国にたくさん物を売って儲けることを目指しました。この政策によって、フランスやスペインなどの国は一時的に大きな富を得ることができました。
絶対王政が生まれた理由|封建制度の崩壊と国民国家の形成
絶対王政が生まれた背景には、それまでの「封建制度(ほうけんせいど)」の崩壊がありました。封建制度とは、中世ヨーロッパで行われていた政治の仕組みで、王様だけでなく貴族や教会が大きな権力を持っていました。
しかし、15世紀ごろから商業が発展し、都市が大きくなってくると、国全体をまとめる強いリーダーが求められるようになりました。また、戦争が頻繁に起こるようになり、バラバラだった国の仕組みでは対応できなくなったのです。
このような状況の中で、王様が「すべての決定権を持つべきだ!」と考えるようになり、絶対王政が広がっていきました。
絶対王政の代表例|フランス・スペイン・イギリスの違い
絶対王政はヨーロッパ各国で取り入れられましたが、国ごとに少しずつ違いがありました。
フランスの絶対王政
フランスでは「太陽王」と呼ばれたルイ14世が有名です。彼は「朕(ちん)は国家なり」という言葉を残し、自分こそが国そのものであるという考えを示しました。フランスの絶対王政は、ヴェルサイユ宮殿の建設や強力な軍隊の維持によって支えられました。
スペインの絶対王政
スペインの絶対王政を代表するのはフェリペ2世です。彼は大航海時代にスペインの植民地を拡大し、世界中に影響を与えました。スペインは一時期「太陽の沈まぬ国」と呼ばれるほどの大国になりました。
イギリスの絶対王政
イギリスではエリザベス1世が絶対王政を行いました。彼女は東インド会社を設立し、貿易を活発にして国を発展させました。しかし、イギリスでは絶対王政が長く続かず、名誉革命(1688年)によって議会が力を持つ「立憲君主制(りっけんくんしゅせい)」へと移行しました。
絶対王政と専制君主制の違い|どこが異なるのか?
「絶対王政」と似た言葉に「専制君主制」がありますが、実はこの二つは少し違います。
- 絶対王政:16〜18世紀のヨーロッパで見られた政治体制で、官僚制度や常備軍を持ち、国家をまとめる仕組みがあった。
- 専制君主制:時代や地域を問わず、君主が独裁的に政治を行う体制で、官僚制度がない場合もある。
つまり、絶対王政は「ヨーロッパで特定の時期に成立した君主制」であり、専制君主制は「どの時代でも見られる独裁的な支配の形」なのです。
絶対王政を分かりやすく:メリット・デメリット
絶対王政は一見すると、国王がすべての決定権を持つため、国家をまとめるには都合がよさそうに見えます。しかし、良い面ばかりではなく、国が衰退してしまう要因にもなりました。
ここでは、絶対王政のメリット・デメリット、そしてなぜ終わったのかを詳しく見ていきましょう。
絶対王政のメリット|強力なリーダーシップと国家の統一
絶対王政にはいくつかのメリットがありました。最大のメリットは、国王がすべての権力を持つことで、国家の統一が進み、迅速な政策決定が可能になったことです。
①政治の決断が早い
王様がすべてを決めるので、議会の意見を聞く必要がなく、政策がスピーディーに決定されました。特に戦争や災害の際には、迅速な対応ができたため、国家を安定させる要因となりました。
②封建制度を終わらせ国家をまとめた
封建制度では、貴族がそれぞれの土地を支配しており、国全体がバラバラでした。しかし、絶対王政によって国王の権力が強まり、国家としてまとまりが生まれました。これにより、法律や税制度が統一され、国の発展につながりました。
③経済発展に貢献した
国王が貿易や産業を管理し、重商主義を推進することで、経済が発展しました。特にフランスでは財務総監コルベールが重商主義を推し進め、商業や工業が大きく発展しました。
絶対王政のデメリット|権力の暴走と民衆の反発
絶対王政には大きなメリットがあった一方で、国王の権力が強すぎるために発生するデメリットもありました。ここでは、その問題点を見ていきましょう。
①王の独裁が暴走する
絶対王政では、王様が「自分のやりたいように政治をする」ことが可能でした。ルイ14世のように国を発展させた王もいましたが、中には贅沢や戦争にお金を使いすぎ、国の財政を圧迫した王もいました。
②国民の負担が増加
絶対王政では、宮殿の建設や戦争のために大量の税金が必要でした。しかし、貴族は特権によって税金を払わなくてよかったため、その負担はすべて農民や商人にのしかかることになりました。その結果、国民の生活は厳しくなり、不満が募っていきました。
③議会の力が弱まり、不満が爆発
絶対王政では、国王がすべてを決定するため、議会の力が弱まりました。しかし、国が苦しくなると、議会を復活させて国民の意見を聞く必要が出てきます。フランスでは、ルイ16世が財政危機に陥った際に「三部会」を開いたことが、フランス革命のきっかけになりました。
絶対王政の終焉|市民革命と民主主義への移行
絶対王政は、18世紀末から19世紀にかけて、次々と崩壊していきました。そのきっかけとなったのが、市民革命(しみんかくめい)です。
①アメリカ独立革命(1775〜1783年)
アメリカでは、イギリスの植民地が「国王の支配は不当だ!」と反発し、独立戦争を起こしました。最終的にアメリカは勝利し、民主的な政治体制が誕生しました。
②フランス革命(1789年)
フランスでは、ルイ16世が贅沢な暮らしを続け、財政が破綻しました。重い税負担に耐えかねた国民が立ち上がり、ついに王政を倒しました。この革命により、「国王が絶対的な権力を持つ時代」は終わりを迎えました。
③産業革命と市民の力の増加
産業革命によって、商人や工場経営者などの市民階級が経済的に力を持つようになり、彼らが「国の政治にも関わりたい!」と考えるようになりました。その結果、多くの国で王の権力が制限され、立憲君主制(国王がいても、憲法に従う政治)が広がりました。
語呂合わせで覚える!絶対王政の重要ポイント
歴史のテストでは、絶対王政の国王や特徴を覚えておくことが大切です。ここでは、簡単に覚えられる語呂合わせを紹介します!
①「絶対王政の三大支柱」 ➡ 「官・軍・商」(官僚・常備軍・重商主義)
→ 絶対王政を支えた三つの柱をこの語呂で覚えましょう!
②「フランスの絶対王政の流れ」 ➡ 「アンリは許す(ナントの王令)、ルイが築く(ヴェルサイユ)、でも革命(フランス革命)」
→ アンリ4世がナントの王令で宗教の自由を認め、ルイ14世が絶対王政を完成させ、最終的にフランス革命で終わる流れを押さえられます。
③「イギリスの王政の変化」 ➡ 「絶対王政→ピューリタン→名誉革命→立憲君主制」
→ イギリスでは絶対王政から議会主導の政治へと変わっていきました。この流れを覚えておきましょう。
テストに出る重要用語!絶対王政のキーワード
最後に、絶対王政を学ぶうえで重要なキーワードをおさらいしましょう。
①王権神授説(おうけんしんじゅせつ)
➡ 「王様の権力は神様から授けられたものだから、誰も逆らえない」という考え方。
②常備軍(じょうびぐん)
➡ 戦争がないときでも維持される軍隊。王の権力を強めるために必要だった。
③重商主義(じゅうしょうしゅぎ)
➡ 国家が貿易を管理し、外国に物を売ることで富を増やす経済政策。
④フランス革命(1789年)
➡ ルイ16世の時代に国民が王政を倒し、絶対王政が終わった出来事。
⑤名誉革命(1688年)
➡ イギリスで議会が王を追放し、立憲君主制が成立した革命。
総括:絶対王政をわかりやすく解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
1. 絶対王政の基本と特徴
- 絶対王政とは?
- 国王が絶対的な権力を持ち、議会の意見をほぼ聞かずに政治を行う体制。
- 16〜18世紀のヨーロッパで広まった。
- 王の権力を正当化するために「王権神授説(王の権力は神から授かった)」が広まった。
- 絶対王政を支えた三大要素
- 官僚制度 → 法律や税を管理する役人を組織
- 常備軍 → 平時から軍隊を維持し、戦争や反乱に備える
- 重商主義 → 貿易を管理し、国の富を増やす政策
2. 絶対王政が生まれた理由
- 封建制度の崩壊
- それまでの中世ヨーロッパでは、王だけでなく貴族や教会が大きな力を持っていた。
- 商業の発展や戦争の頻発により、国家を強くまとめるリーダーが求められた。
- その結果、国王が全権を握る「絶対王政」が成立。
3. 代表的な絶対王政の国
- フランス:ルイ14世(太陽王)「朕は国家なり」→ ヴェルサイユ宮殿建設
- スペイン:フェリペ2世 → 植民地拡大、「太陽の沈まぬ国」
- イギリス:エリザベス1世 → 貿易発展、東インド会社設立(その後、名誉革命で絶対王政は終了)
4. 絶対王政と専制君主制の違い
- 絶対王政:ヨーロッパ16〜18世紀限定、官僚制度・常備軍が特徴
- 専制君主制:時代・地域を問わず、君主が独裁的に支配(官僚制度がない場合もある)
5. 絶対王政のメリット
- 決断が早い → 戦争や災害時に迅速な対応が可能
- 国家の統一 → 貴族の権力を抑え、法律や税制度を整備
- 経済発展 → 重商主義により、貿易が活発化
6. 絶対王政のデメリット
- 王の独裁が暴走 → 贅沢や戦争のために財政が悪化
- 国民の負担増大 → 貴族は免税、庶民が重税を負担
- 議会の力が弱まる → 国民の不満が高まり、革命の火種に
7. 絶対王政の終焉
- アメリカ独立革命(1775〜1783年) → 英国支配に反発し、民主政治を確立
- フランス革命(1789年) → ルイ16世の財政破綻により国民が反発し、絶対王政を打倒
- 産業革命 → 市民階級の台頭により、立憲君主制へ移行
8. 語呂合わせで覚えるポイント
- 「官・軍・商」 → 絶対王政を支えた3要素(官僚・常備軍・重商主義)
- 「アンリは許す、ルイが築く、でも革命」 → フランス絶対王政の流れ
- 「絶対王政→ピューリタン→名誉革命→立憲君主制」 → イギリスの政治変化