「もし二・二六事件が成功していたら、日本はどうなっていたのか?」
これは歴史好きだけでなく、現代の日本社会に関心のある人にとっても、とても興味深い問いです。
二・二六事件とは、昭和11年に起きた青年将校たちによるクーデター未遂事件。この事件が成功していた場合、日本の政治、社会、外交、そして戦争の行方は大きく変わっていた可能性があります。
今回はそんな歴史の“if”を、塾長が分かりやすく解説していきますよ!
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二・二六事件が成功していたら?歴史のifストーリー
もし、あの事件が成功していたら、日本は今とは全く違う国になっていたかもしれません。当時の背景や思想をひも解きながら、5つのシナリオで考えてみましょう。
昭和天皇は退位または亡命していた可能性が高い
クーデターを起こした青年将校たちは「昭和維新」を掲げ、国家の腐敗を正すために立ち上がりました。ただし、その中心にいたのはあくまで“天皇の名のもとに”という考え方です。ところが、実際の昭和天皇はこの行動に激しく怒り、「断固鎮圧せよ」と命じたことが史実に残っています。
もし彼らが勝利していたらどうなったでしょうか?
天皇が支持しないまま革命を進めることは矛盾しており、結果として、天皇が退位を迫られたり、スイスや英国へ亡命する可能性もあったと考えられます。さらには、弟の秩父宮を新天皇に擁立する構想も一部にあったとされており、「昭和の壬申の乱」のような皇室内の大きな分裂が起きていたかもしれません。
日本は農村改革・財閥解体を自ら成し遂げていた
当時の日本では、農村の貧困や都市部との格差が深刻でした。青年将校たちはそれを目の当たりにして、「政治家と財閥の癒着を断ち切る」と誓っていました。彼らが理想とした社会は、腐敗のない、庶民が豊かに暮らせる日本だったのです。
もし二・二六事件が成功していたら、戦後にGHQ(連合国軍)によって行われた農地改革や財閥解体が、その前に自前で実現していたかもしれません。つまり、外からの指示ではなく、日本人の手で社会の大改造が行われていたというわけです。
この変化が1930年代に始まっていれば、経済格差は縮まり、農村からの若者が出征で命を落とす…といった未来も違っていた可能性があります。
太平洋戦争は起こらず日ソ戦争が勃発していたかもしれない
皇道派の将校たちは、アメリカやイギリスといった西側諸国との開戦には慎重でした。一方で、彼らは共産主義に強い警戒心を持っており、特にソビエト連邦に対しては「日本を守るためには戦わねばならない」と考えていました。
ですから、クーデターが成功し、皇道派が政権を握っていた場合、日中戦争や太平洋戦争は回避されていたかもしれません。その代わりに、「北洋戦争」とも言える日ソ戦争が起きていた可能性があります。
この場合、日本の国際関係は大きく変わり、英米との関係を維持しながら、共産主義国家との対立が深まっていたでしょう。歴史の分岐点としてとても興味深いテーマです。
日本は早期に立憲民主主義国家へ移行していた可能性も
青年将校たちが参考にしていた思想家・北一輝の『日本改造法案大綱』には、議会制度の改革や普通選挙、労働者の保護といった進歩的な政策が盛り込まれていました。彼らが単に軍国主義を求めていたのではないことが分かります。
クーデターが成功していた場合、こうした思想に基づいて治安維持法の廃止、言論の自由、社会主義者や共産主義者の恩赦が実現していたかもしれません。
つまり、軍部独裁ではなく、民意を尊重する民主主義的な国へと早期に変貌していた可能性があるのです。
東京裁判や戦後のGHQ支配は存在しなかった
クーデターが成功し、戦争への道を回避していたならば、当然ながら敗戦もなければ、アメリカを中心とするGHQによる占領もありません。ということは、戦犯を裁いた東京裁判も行われず、東条英機や他の統制派将校が歴史に名を残すこともなかった可能性があります。
さらに、国家体制そのものが内発的に改革されていたなら、戦後日本のようにアメリカナイズされた文化や制度ではなく、日本人が自ら考えた独自の憲法や教育制度が作られていたでしょう。
日本は「敗戦国」ではなく、「改革国家」として歩み始めていたかもしれません。
二・二六事件がもし成功していたら:日本と国際社会の関係性
事件が成功していた場合、日本国内だけでなく、世界に対してどのような姿を見せていたのか?この章では、国際社会の中での日本の立ち位置や、内政との関係性について塾長が丁寧に解説していきますよ。
昭和天皇と国民の関係は崩壊していた可能性が高い
青年将校たちは「天皇のために行動する」と信じてクーデターを起こしましたが、実際には昭和天皇は断固として彼らを否定しました。つまり、彼らの行動は“忠誠”であっても、“逆賊”になってしまったのです。
もし事件が成功していたら、天皇が退位・亡命せずにそのまま在位していた場合でも、天皇と国民の間にあった「信頼」や「象徴としての敬意」は大きく傷ついていたでしょう。
「誰が本当の正義なのか?」「天皇は本当に国民のためを思っているのか?」といった疑問が全国に広がり、国体そのものが揺らいでいた可能性が高いのです。
日本は欧米との関係を維持しつつ、反共国家として台頭していた
皇道派は、アメリカやイギリスに対して敵意を持っていませんでした。むしろ彼らが本当に警戒していたのは、ソビエト連邦を中心とした共産主義国家でした。
このため、もし二・二六事件が成功していたら、日本は英米との関係を断つことなく、「反共の防波堤」として東アジアで重要なポジションを築いていた可能性があります。
冷戦時代に突入する前から、日本は反共陣営の一員として、アメリカと協力関係を築くことができたかもしれません。戦争を経ることなく、外交での影響力を持った“平和的強国”という別の道を歩んでいたでしょう。
経済は計画統制型へ移行し、社会主義的色彩が強まっていた
クーデターを主導した将校たちが参考にしていた北一輝の思想には、強い国家主導型の経済政策が含まれていました。自由競争よりも、国家が主導して富の再配分を行い、格差をなくす考え方です。
そのため、もし事件が成功していたら、日本の経済モデルは現在の資本主義とは異なり、計画経済に近い形になっていたと考えられます。企業の自由な活動よりも、国家が「誰がどれだけ生産し、どれだけ配分するか」を決めるような体制ですね。
これはある意味、社会主義的色合いが強い政策であり、国民生活の安定と引き換えに、自由経済のダイナミズムを制限する結果になっていたかもしれません。
日本の教育制度と国民意識も大きく変化していた
二・二六事件の首謀者たちは「道徳的革命」も視野に入れていました。つまり、単に政治や経済を変えるだけでなく、国民の心をつくりかえる、という目標があったのです。
成功していれば、日本の教育制度も変革されていた可能性があります。たとえば、国家に忠義を尽くすという考え方よりも、「正義」「平等」「倫理」を教えることが中心になっていたかもしれません。
また、思想・言論の自由が尊重され、異なる意見を持つことが当たり前になるような教育が行われていれば、今の私たちの「当たり前」も大きく変わっていたことでしょう。
アジア諸国から尊敬を集める先進的なモデル国家となっていた可能性
最後に、もし日本が自らの手で社会改革に成功していたら、アジアの他国からどのように見られていたでしょうか?
植民地主義や欧米の影響を受けずに、農地改革・民主化・経済発展を実現していたならば、日本は「自力で近代化に成功した国」として大いに尊敬されていた可能性があります。
たとえば、インドネシアやベトナムのように独立を目指す国々にとって、日本は“憧れの国”になり、「日本のような道を歩みたい」と思わせる存在になっていたかもしれません。
こうした「ソフトパワー」の広がりは、国際社会において日本がアジアのリーダーとなる土台になっていたでしょう。
総括:二・二六事件がもし成功していたら?まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 昭和天皇は退位・亡命の可能性が高かった
→ 青年将校の行動は天皇の意向と真逆であり、皇位継承の混乱が起きていた可能性。 - 農村改革・財閥解体が日本主導で行われていた
→ GHQによる戦後改革が不要となり、日本が独自に社会改革を実現していた。 - 太平洋戦争は回避、代わりに日ソ戦争が勃発した可能性
→ 皇道派は反共思想が強く、英米との対立は避け、対ソ連戦に向かったかもしれない。 - 日本は早期に立憲民主主義国家へ移行していた可能性
→ 北一輝の思想に基づく自由で平等な政治体制が実現していた可能性がある。 - 東京裁判もGHQ占領もなかった
→ 戦争を回避していれば敗戦もなく、戦犯裁判やアメリカ主導の改革も不要だった。 - 天皇と国民の関係は崩壊していたかもしれない
→ 成功すれば天皇への信頼や象徴としての立場が大きく揺らいだ可能性がある。 - 日本は英米と関係を保ちながら、反共国家として台頭していた
→ 冷戦時代にアメリカと同盟を組む形で地域リーダーになっていた可能性がある。 - 経済は計画統制型となり、社会主義的な色彩が強まっていた
→ 国家主導の経済体制により格差縮小が進んでいた可能性。 - 教育制度と国民意識も大きく変わっていた
→ 忠君から倫理・平等を重視する教育へと変革されていた。 - 日本はアジアのモデル国家となっていた可能性
→ 外国に依存せず自国で改革を成し遂げた先進国として尊敬されていた可能性。
