みなさん、「鎌倉時代」ってどんな時代だったか知っていますか?
「武士が活躍した時代!」と答えられる人も多いでしょう。でも、具体的にどんな出来事があったのか、どんな暮らしをしていたのかを知ると、もっと面白くなります。
実は、今の日本の文化や制度にも影響を与えている大切な時代なんですよ!
今回は、鎌倉時代の出来事や文化、武士の生活について塾長が分かりやすく解説します。学校のテストや歴史の勉強にも役立つ内容になっているので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
鎌倉時代はどんな時代か簡単に:政治・文化・暮らし

鎌倉時代は、日本で初めて「武士」が主導した時代です。今までの平安時代とは違い、貴族ではなく武士が政治を動かすようになりました。この時代には戦いも多く、新しい文化や宗教が広まったことでも有名です。
では、詳しく見ていきましょう!
鎌倉時代の基本!いつからいつまで?
鎌倉時代は1185年(文治元年)から1333年(元弘3年・正慶2年)までの約150年間続きました。この時代の名前は鎌倉に幕府(武士の政府)があったことからつけられています。
もともと、日本では天皇や貴族が政治をしていました。しかし、武士たちの力が強くなり、戦いに勝った源頼朝(みなもとのよりとも)が武士のリーダーとして鎌倉に幕府を開いたのが始まりです。
途中で幕府の実権は北条氏という一族に移りましたが、最後は足利尊氏(あしかがたかうじ)や新田義貞(にったよしさだ)によって鎌倉幕府は滅亡し、新しい時代へと移っていきました。
鎌倉幕府の成立と将軍の役割
鎌倉幕府を開いたのは源頼朝です。彼は、1185年に「守護・地頭(しゅご・じとう)」という役職を作り、武士が土地を管理できる仕組みを作りました。そして、1192年には「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」に任命され、武士が正式に日本のリーダーになりました。
しかし、源頼朝の死後、彼の息子たちは政治をうまくまとめることができませんでした。そこで、頼朝の妻の実家である北条氏が「執権(しっけん)」という役職を作り、幕府の実権を握るようになります。
この「執権政治」によって、将軍は名ばかりの存在になっていきました。
鎌倉時代の主な出来事を年表でチェック
鎌倉時代には、たくさんの大きな出来事がありました。特に重要なものをまとめてみましょう!
年 | 出来事 |
---|---|
1185年 | 「壇ノ浦の戦い」で源氏が平家を滅ぼす |
1192年 | 源頼朝が「征夷大将軍」になり、鎌倉幕府を開く |
1221年 | 「承久の乱」…後鳥羽上皇が幕府に対抗するが敗北 |
1232年 | 「御成敗式目」…武士のための法律ができる |
1274年・1281年 | 「元寇」…モンゴル軍(元)が日本を攻めるが撃退 |
1333年 | 「鎌倉幕府の滅亡」…後醍醐天皇と足利尊氏らが幕府を倒す |
このように、鎌倉時代は戦いや新しい制度が生まれた激動の時代だったのです。
武士の生活と「質実剛健」な精神
鎌倉時代の武士は、「質実剛健(しつじつごうけん)」という精神を大切にしていました。これは、「贅沢せず、強く生きる」という意味です。武士は日々、剣の訓練をしたり、馬に乗る練習をしたりして戦いに備えていました。
武士の家(武家屋敷)は、とてもシンプルで実用的な造りでした。敵が攻めてきても戦えるように、家の周りに堀を作ったり、高い場所に家を建てたりしていました。また、戦いのときに備えて鎧(よろい)や刀(かたな)を身につけ、家の中には武具を置いていました。
また、武士の中には「主君(しゅくん)」というリーダーに仕える者が多く、「忠義(ちゅうぎ)」という考え方がとても大切にされました。これは、「主君のためなら命を捨てる」という考え方で、のちの時代にも影響を与えました。
鎌倉時代の文化と仏教の発展
鎌倉時代には、今までの貴族中心の文化とは違う、新しい文化が生まれました。武士が主役になったことで、力強くて実用的なものが好まれるようになったのです。
- 鎌倉彫刻:運慶(うんけい)・快慶(かいけい)などの仏師が活躍し、リアルで力強い仏像が作られた
- 文学:『平家物語』『方丈記』『徒然草』などが書かれ、戦いや世の無常さを伝える作品が人気に
- 新しい仏教:「浄土宗」「曹洞宗」「日蓮宗」などが登場し、庶民にも広まる
特に仏教は鎌倉時代に大きく広まりました。戦乱の多い時代だったので、「どんな人でも救われる」と説いた浄土宗(じょうどしゅう)や日蓮宗(にちれんしゅう)が流行したのです。
鎌倉時代はどんな時代か:食事・住まい・戦い方の変化

鎌倉時代の人々はどんな暮らしをしていたのでしょうか? 武士、農民、貴族など、身分によって生活のスタイルは大きく異なりました。また、鎌倉時代は戦の時代でもあり、戦い方や武器、防具にも変化がありました。
ここからは、鎌倉時代の「衣・食・住」や戦い方について、詳しく解説していきます!
鎌倉時代の食事と「武士の食べ物」
鎌倉時代の食事は、今とはかなり違いました。特に武士と農民では食事の内容に大きな差があったのです。
① 武士の食事
武士の主食は玄米(げんまい)でした。武士たちは「強飯(こわめし)」という、炊くのではなく蒸した硬い玄米を食べるのが一般的でした。戦の合間にさっと食べられるよう、おにぎりのような「屯食(とんしょく)」という携帯食もありました。
また、体力をつけるために肉食も復活しました。イノシシやシカ、ウサギなどを狩り、焼いたり煮たりして食べていました。特に、寒い時期には鍋料理のようにして食べることもありました。
② 農民の食事
一方で、農民の食事はとても質素でした。農民は玄米ではなく、麦・粟(あわ)・稗(ひえ)などの雑穀を主食としていました。また、おかずは漬物や塩漬けの魚くらいしかなく、あまり贅沢なものは食べられませんでした。
③ 醤油のルーツ「溜(たまり)」が誕生!
鎌倉時代には、日本の代表的な調味料である「醤油」のルーツとなる「溜(たまり)」という調味料が誕生しました。これは、僧侶の心地覚心(しんちかくしん)が中国から持ち帰った味噌作りの技術の中から偶然発見されたものです。これが後の「醤油文化」につながっていきます。
鎌倉時代の武士の家「武家屋敷」と農民の住まい
鎌倉時代の住まいは、武士と農民で大きく違いました。平安時代の貴族が住んでいた「寝殿造(しんでんづくり)」のような華やかな屋敷とは違い、武士の家は戦いに備えた造りになっていました。
① 武士の家「武家屋敷」
武士の家は「武家屋敷(ぶけやしき)」と呼ばれ、シンプルで実用的な造りでした。特徴としては、
- 敵の侵入を防ぐための「堀」や「柵」 を設置
- 家の周りに高い塀を建てる
- 部屋の仕切りは襖(ふすま)や障子(しょうじ)
- 「馬屋(うまや)」を併設し、馬を飼育
また、この時代から「畳(たたみ)」が誕生し、武士の家で使われるようになりました。
② 農民の家
農民の家は「掘立小屋(ほったてごや)」と呼ばれ、柱を直接地面に埋めた簡単な作りでした。土間があり、床には筵(むしろ)を敷いて寝ていました。さらに、鎌倉時代には「方形竪穴式住居(ほうけいたてあなしきじゅうきょ)」という、長方形や正方形の竪穴式住居も登場しました。
鎌倉時代の戦い方の変化と「元寇」
鎌倉時代は戦が多い時代でしたが、戦い方にも大きな変化がありました。
① 騎馬戦から徒歩戦へ
もともと武士は「騎馬戦」を得意としていました。しかし、戦いが増えるにつれ、徒歩(かち)で戦う「徒武者(かちむしゃ)」が増えていきました。これにより、軽くて動きやすい「腹巻(はらまき)」や「胴丸(どうまる)」という防具が登場しました。
② 日本を襲った「元寇(げんこう)」
鎌倉時代最大の危機といえば 「元寇(げんこう)」です。これは、モンゴル帝国(元)が日本に攻めてきた戦いのことです。
- 1274年(文永の役):元軍が対馬や博多を攻めるが、日本の武士が応戦
- 1281年(弘安の役):再び元軍が攻めるが、「神風(かみかぜ)」によって敗北
元軍は、集団で戦う「集団戦法」を使いましたが、日本の武士たちは1対1の戦いを好む「一騎討ち」をしていたため、戦い方の違いに苦戦しました。それでも、日本の武士たちは防戦し、最終的には暴風(神風)によって元軍は撤退しました。
鎌倉時代の仏教と庶民の信仰
鎌倉時代は、新しい仏教の考え方が広まった時代でもあります。
- 法然(ほうねん)…「浄土宗(じょうどしゅう)」:「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで救われる
- 親鸞(しんらん)…「浄土真宗(じょうどしんしゅう)」:すべての人が阿弥陀仏によって救われる
- 日蓮(にちれん)…「日蓮宗(にちれんしゅう)」:「南無妙法蓮華経」を唱えれば救われる
- 栄西(えいさい)…「臨済宗(りんざいしゅう)」:禅を重視し、座禅による修行
- 道元(どうげん)…「曹洞宗(そうとうしゅう)」:ひたすら座禅を組むことが悟りの道
このように、鎌倉時代の仏教は、武士や庶民にも広まり、多くの人が救いを求めるようになったのです。
鎌倉時代の終わりと「室町時代」への移行
鎌倉幕府は、1333年に滅亡 します。
その理由は、
- 幕府の力が弱まり、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が幕府を倒そうとした
- 足利尊氏(あしかがたかうじ)や新田義貞(にったよしさだ)が幕府を裏切った
この結果、鎌倉幕府は滅び、新たに「室町時代」が始まりました。
総括:鎌倉時代はどんな時代か簡単にまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 武士が政治の中心になった時代
- それまでの貴族政治から、武士が実権を握る時代へ変化。
- 1192年、源頼朝が「征夷大将軍」となり、鎌倉幕府を開く。
- 鎌倉幕府の政治体制
- 将軍が政治を行ったが、頼朝の死後は北条氏が「執権」として実権を握る。
- 「御成敗式目(1232年)」など武士のための法律が整備される。
- 主な出来事(戦い・制度の変化)
- 1185年:「壇ノ浦の戦い」で源氏が平家を滅ぼす。
- 1221年:「承久の乱」で朝廷(後鳥羽上皇)が幕府に敗北。
- 1274年・1281年:「元寇(モンゴル軍の襲来)」を撃退。
- 1333年:鎌倉幕府が滅び、室町時代へ。
- 武士の生活と精神
- 「質実剛健(しつじつごうけん)」が重視され、質素で実用的な生活が基本。
- 武士は主君への忠誠を誓い、「忠義」の精神を大切にした。
- 武士の住まい「武家屋敷」は、敵の侵入を防ぐために堀や塀が設置される。
- 鎌倉時代の文化と宗教
- 仏教が広まり、新しい宗派が誕生。
- 浄土宗・浄土真宗(念仏を唱えれば救われる)
- 日蓮宗(南無妙法蓮華経を唱えれば救われる)
- 禅宗(臨済宗・曹洞宗)(座禅による悟りを重視)
- 文学や芸術が発展し、『平家物語』『方丈記』『徒然草』などの作品が誕生。
- 仏教が広まり、新しい宗派が誕生。
- 食文化と暮らし
- 武士:玄米や肉を食べ、携帯食(屯食)を発展させる。
- 農民:雑穀や野菜中心の食生活。
- 醤油のルーツ「溜(たまり)」が誕生し、調味料文化が発展。
- 戦い方の変化
- 初期は「騎馬戦」が主流だったが、徐々に「徒歩戦(徒武者)」が増える。
- 「元寇」では、集団戦法を用いるモンゴル軍に対し、日本の武士は苦戦。
- 防御力を重視し、新しい甲冑「腹巻」や「胴丸」が登場。
- 鎌倉幕府の滅亡(1333年)
- 幕府の力が弱まり、後醍醐天皇が討幕運動を起こす。
- 足利尊氏・新田義貞らが幕府を裏切り、鎌倉幕府は滅亡。
- その後、室町幕府が成立し、日本は新たな時代へ移行。