「やせ蛙まけるな一茶これにあり」という俳句を聞いたことはありますか?
この俳句を作ったのが、江戸時代後期の俳人・小林一茶です。一茶の俳句は、子どもや動物など身近なものを題材にし、誰でも分かりやすい言葉で詠まれています。そのため、松尾芭蕉や与謝蕪村と並ぶ「江戸三大俳人」のひとりとして、今も多くの人に親しまれています。
しかし、一茶の人生は決して順風満帆ではありませんでした。幼い頃に母を亡くし、貧しい暮らしの中で俳句と出会い、数々の困難を乗り越えながら2万句以上の俳句を残しました。
今回は、「小林一茶とはどんな人?」という疑問に答えながら、その生涯や代表作を分かりやすく解説していきます!
※AmazonのKindle Unlimitedは月額980円ですが、3ヶ月無料期間があります。その間、読み放題対象の電子書籍は全部無料。途中で解約ももちろん自由。そのため、電子書籍が実質0円で読めます。以下に、歴史の語呂合わせに関連する無料書籍を載せておきます。
↓実質無料で読めるおすすめ歴史の読み物↓


小林一茶はどんな人?生涯と人物像を簡単に
小林一茶は、江戸時代後期に活躍した俳人で、「庶民の俳句」を数多く詠みました。松尾芭蕉や与謝蕪村と並ぶ「江戸三大俳人」の一人として知られています。
では、一茶はどのような人生を歩み、どんな俳句を詠んだのでしょうか?彼の生涯を見ていきましょう。
小林一茶は「江戸時代後期の俳人」で庶民に親しまれた
小林一茶(こばやし いっさ)は、1763年(宝暦13年)に現在の長野県信濃町に生まれました。本名は「小林弥太郎(やたろう)」といいます。彼は、松尾芭蕉・与謝蕪村と並ぶ「江戸三大俳人」の一人とされ、特に庶民に親しまれる俳句を多く詠みました。
一茶の俳句の特徴は「わかりやすくて温かみがある」ことです。子どもや小動物に対する愛情が感じられる句が多く、難しい言葉を使わずに、身近な出来事をそのまま詠むのが特徴です。そのため、当時の一般庶民にも広く受け入れられました。
また、一茶はとても多作な俳人で、彼が生涯に詠んだ俳句の数は約2万句と言われています。これは、松尾芭蕉(約1,000句)、与謝蕪村(約3,000句)と比べても圧倒的に多い数です。これほど多くの俳句を詠んだ背景には、彼の生涯の苦労や、俳句への深い愛情があったのです。
小林一茶の生い立ち:幼少期は苦労が多かった
一茶は、幼い頃からとても苦労の多い人生を送っていました。彼が生まれたのは、長野県の信濃町という寒さの厳しい土地です。3歳のときに母親を亡くし、父親は再婚しました。しかし、継母とはうまくいかず、家の中で居場所を失ってしまいます。
さらに、一茶が15歳のとき、父親は彼を江戸に奉公に出しました。これは、家計が苦しかったためでもあります。江戸では、裕福な商人や武士の家で働くことになりますが、一茶の暮らしはとても厳しいものでした。食べるものにも困る生活の中で、彼の唯一の楽しみが「俳句」だったのです。
こうして、一茶は江戸で俳句を学び始めました。彼は独学で多くの俳句を作り、次第に俳人としての道を歩み始めます。しかし、この時点では、まだ有名な俳人ではありませんでした。
俳句を志すきっかけと俳諧修行の旅
一茶が本格的に俳句の道を志したのは、20代の頃です。彼は、江戸で「二六庵竹阿(にろくあん ちくあ)」という俳人の門人となり、俳諧(はいかい)を学び始めました。そして、28歳のときに師匠の竹阿が亡くなると、さらに俳句の腕を磨くために各地を旅するようになります。
この修行の旅では、関西や九州など、日本各地を巡りながら俳句を詠みました。その経験が、一茶の俳句の幅を広げることになります。例えば、旅先で見た風景や、出会った人々の生活を題材にした俳句が多く生まれました。
また、一茶は旅の中で、松尾芭蕉や与謝蕪村の俳句を学びました。しかし、彼の作風は芭蕉や蕪村とは異なり、「庶民の視点」を大切にしたものでした。これが後に「一茶調」と呼ばれる作風へとつながっていきます。
晩年の一茶:結婚・子どもの死、病との闘い
一茶は、52歳になってようやく結婚します。当時としては、かなりの晩婚でした。彼の妻となった菊さんとは、仲睦まじい生活を送りますが、夫婦の間に生まれた子どもたちは次々に幼くして亡くなってしまいました。
さらに、不運は続きます。58歳のとき、一茶は脳卒中を発症し、半身不随になってしまいました。歩くことも不自由になり、言葉を話すことも困難になります。しかし、それでも彼は俳句を作り続けました。
その後、彼は再婚しますが、生活は決して楽ではありませんでした。最後は火事で家を失い、焼け残った土蔵で暮らすことになります。そして、65歳でその生涯を閉じました。
小林一茶の特徴:「弱者」への共感が俳句に表れる
一茶の俳句の大きな特徴は、「弱いものへの共感」です。彼の俳句には、子どもや小さな動物がよく登場します。例えば、有名な句のひとつに「やせ蛙まけるな一茶これにあり」があります。
この俳句は、オスのカエル同士がメスを巡って争う「蛙合戦」を見て詠んだものです。体の小さなやせ蛙が負けそうになっているのを見て、「負けるな!」と励ましているのです。このように、一茶の俳句には「弱いものを応援する優しさ」が込められています。
これは、一茶自身が苦しい人生を歩んできたからこそ、生まれた作風なのかもしれません。彼の俳句は、ただの言葉遊びではなく、人々の心に寄り添うものだったのです。
小林一茶はどんな人か簡単に:代表作や俳句一覧
小林一茶は生涯で2万句以上の俳句を詠んだと言われています。その多くが、子どもや小動物といった「身近な存在」への温かいまなざしを持ったものです。
ここでは、一茶の代表作や特徴的な俳句を紹介しながら、それぞれの意味や背景について解説していきます。
小林一茶の有名な俳句5選とその意味
小林一茶の俳句の中でも特に有名なものを、5つ厳選して紹介します。
① やせ蛙 まけるな一茶 これにあり
意味:体の小さなカエルが、大きなカエルと戦っているのを見て「負けるな!」と応援する句。
背景:これは「蛙合戦」と呼ばれるカエル同士の縄張り争いを見て詠まれた句です。一茶自身が苦労の多い人生を歩んできたことから、「弱いものへの共感」が強く込められています。
② 名月を 取ってくれろと 泣く子かな
意味:子どもが満月を見て「取ってほしい!」と泣いている様子を詠んだ句。
背景:子どもの純粋な気持ちを表現した俳句です。満月を指さして「取って!」と泣く子どもの姿を、温かい目で見守る一茶の優しさが伝わってきます。
③ 雪とけて 村いっぱいの 子どもかな
意味:冬が終わり、雪が解けると、待ちかねたように子どもたちが村中に飛び出して遊んでいる様子。
背景:長い冬が終わり、外で遊べるようになった子どもたちのはしゃぐ姿が生き生きと描かれています。一茶の俳句には、こうした 「自然と人々の暮らしを結びつける視点」 がよく見られます。
④ 我と来て 遊べや親の ない雀
意味:「親のいない雀よ、私と一緒に遊ぼう」と呼びかける句。
背景:一茶は幼い頃に母親を亡くし、寂しい思いをしていました。この句には、 自分自身と親のいない雀を重ねている ような感情が込められています。
⑤ これがまあ 終の栖か 雪五尺
意味:「これが私の人生最後の住まいなのか……雪が5尺(約150cm)も積もっている。」
背景:晩年、火事で家を失った一茶が、焼け残った土蔵に住むことになったときに詠んだ句です。 「人生の最後にこんな寒くて狭い場所に住むことになるとは」 という、やるせなさが込められています。
季節ごとの代表的な俳句
一茶は 四季折々の自然や人々の暮らしを詠むこと に長けていました。ここでは、季節ごとの代表作を紹介します。
春の俳句
- 春風や 牛に引かれて 善光寺
意味:春風が吹く中、牛に引かれて善光寺へ行く様子を詠んだ句。 - おらが世や そこらの草も 餅になる
意味:この世はなんとありがたいことか。そこらに生えている草(ヨモギ)ですら餅になるのだから。
夏の俳句
- やれ打つな 蝿が手をすり 足をする
意味:ハエが手をこすり合わせて命乞いをしているように見えるから、打たないでやってくれ。 - やせ蛙 まけるな一茶 これにあり
(※前述の通り、弱い者を応援する俳句)
秋の俳句
- 名月を 取ってくれろと 泣く子かな
(※前述の通り、満月を欲しがる子どもの純粋な心を詠んだ句) - 秋の山 人顕れて 寒げなり
意味:秋の山にたった一人の人が現れ、寒そうに佇んでいる様子。
冬の俳句
- うまさうな 雪がふうはり ふわりかな
意味:ふわふわと降る雪が、まるで美味しそうに見える。 - これがまあ 終の栖か 雪五尺
(※前述の通り、一茶の晩年の寂しさを詠んだ句)
小林一茶の俳句の特徴と作風
一茶の俳句には、いくつかの特徴があります。
- 庶民的な視点
一茶は、武士や貴族のような高尚な題材ではなく、「子ども・動物・貧しい人々」など、庶民の目線で俳句を詠みました。 - わかりやすい言葉
難しい漢字や古風な表現を使わず、 子どもでも意味が分かるようなシンプルな言葉 で俳句を作りました。 - 弱い者への共感
カエルやスズメといった小さな生き物への愛情を込めた俳句が多く、「やせ蛙」の句のように、 自分自身を重ねる こともありました。
語呂合わせで覚える!小林一茶の有名句
俳句を覚えるのが苦手な人でも、語呂合わせを使うと簡単に覚えられます。
- 「やせ蛙」 → 「カエルの応援団、一茶もいるよ!」
- 「名月を」 → 「月を取ってよ!と泣く子ども」
- 「雪とけて」 → 「雪が解けたら、子どもがワイワイ!」
- 「やれ打つな」 → 「ハエもお願い、叩かないで!」
このように、俳句の意味をイメージしながら覚えると、スラスラ暗記できます。
テストで覚えておきたいポイント
学校のテストでは、小林一茶に関する次のポイントがよく出題されます。
- 江戸三大俳人の一人(芭蕉・蕪村・一茶)
- 庶民的な俳句が特徴
- 生涯に2万句以上の俳句を詠む
- 代表作:「やせ蛙」「名月を取ってくれろと泣く子かな」
- 弱い者への共感が作風に表れている
これらを押さえておけば、テスト対策もバッチリです!
総括:小林一茶はどんな人か簡単に解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
1. 小林一茶とはどんな人?
- 江戸時代後期の俳人で、「庶民の俳句」を詠んだ
- 松尾芭蕉・与謝蕪村と並ぶ「江戸三大俳人」の一人
- 子どもや小動物を題材にした、わかりやすく温かみのある俳句 が特徴
- 生涯に2万句以上 の俳句を詠んだ
2. 一茶の生涯
- 1763年(宝暦13年)、現在の長野県信濃町に生まれる
- 3歳で母を亡くし、継母とうまくいかず苦労する
- 15歳で家を離れ、江戸へ奉公に出される
- 江戸で俳句を学び、28歳から俳諧修行の旅 に出る
- 52歳で結婚するが、子どもたちは次々に幼くして亡くなる
- 58歳で脳卒中を発症し半身不随になる
- 晩年は火事で家を失い、焼け残った土蔵で暮らしながら俳句を詠み続ける
- 65歳で死去
3. 代表的な俳句と意味
- やせ蛙 まけるな一茶 これにあり(弱いカエルを応援する句)
- 名月を 取ってくれろと 泣く子かな(月を欲しがる子どもの純粋な気持ち)
- 雪とけて 村いっぱいの 子どもかな(雪解けとともに遊び回る子どもたち)
- 我と来て 遊べや親の ない雀(親のいないスズメと一茶自身を重ねる)
- これがまあ 終の栖か 雪五尺(晩年、火事で家を失い雪深い土蔵で暮らす)
4. 小林一茶の俳句の特徴
- 庶民の視点 で身近な題材を使う
- 難しい表現を避け、誰にでもわかりやすい 言葉を使う
- 弱者への共感 を込めた俳句が多い
- 自然や人々の暮らしを温かく描く
5. 季節ごとの代表的な俳句
- 春:「春風や 牛に引かれて 善光寺」
- 夏:「やれ打つな 蝿が手をすり 足をする」
- 秋:「名月を 取ってくれろと 泣く子かな」
- 冬:「これがまあ 終の栖か 雪五尺」
6. 一茶の俳句を覚えるコツ(語呂合わせ)
- 「やせ蛙」 → 「カエルの応援団、一茶もいるよ!」
- 「名月を」 → 「月を取ってよ!と泣く子ども」
- 「雪とけて」 → 「雪が解けたら、子どもがワイワイ!」
- 「やれ打つな」 → 「ハエもお願い、叩かないで!」
7. テストで覚えておきたいポイント
- 江戸三大俳人の一人(芭蕉・蕪村・一茶)
- 生涯に2万句以上の俳句を詠んだ
- 弱者への共感を込めた作風
- 代表作:「やせ蛙」「名月を取ってくれろと泣く子かな」