江戸時代の将軍といえば誰を思い浮かべますか? 徳川家康? それとも徳川吉宗? 実は江戸幕府には15人の将軍がいましたが、その中でも「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれた将軍がいました。

その人の名前は徳川綱吉(とくがわ つなよし)

「生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)」という法律を作ったことで有名ですが、それ以外にもいろんなことをしています。今日は、そんな徳川綱吉の政策や性格、評価について分かりやすく説明します。

徳川綱吉がしたことを徹底解説!何を成し遂げたのか

江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉は、武力ではなく学問や法律によって国を治めようとした将軍です。特に、儒学(じゅがく)という考え方を大切にし、武士だけでなく庶民にもその精神を広めようとしました。

また、経済や文化の発展にも力を入れたのですが、一方で厳しい法律を作ったため、評価が分かれる将軍でもあります。

では、綱吉が具体的に何をしたのか、一つずつ見ていきましょう!

徳川綱吉の最も有名な政策「生類憐れみの令」

「生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)」は、1685年に徳川綱吉が出した法令です。簡単に言うと、「すべての生き物を大切にしなさい」という法律ですね。特に、犬の保護に力を入れたため、綱吉は「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれるようになりました。

この法律では、犬や猫、馬、鳥、さらには虫や魚までむやみに殺してはいけないと定められました。例えば、道端で野良犬に石を投げたり、鳥を捕まえて食べたりすると、処罰されることもあったのです。最も厳しい場合には、打ち首になることもあったとか……!

しかし、この法律は庶民にとってかなり厳しいものでした。野良犬が増えてしまい、食べ物を盗まれたり、町の衛生環境が悪化したりする問題も起こったのです。そのため、綱吉が亡くなった後、すぐにこの法律は廃止されました。

武家諸法度を改正!儒学を重視した理由とは?

綱吉は「武家諸法度(ぶけしょはっと)」という武士のルールを改正し、儒学(朱子学)の教えを取り入れました。儒学とは、中国の孔子(こうし)という学者が広めた考え方で、「忠(ちゅう)」と「孝(こう)」を大事にする教えです。

「忠」とは、主君(しゅくん)や国に忠誠を尽くすこと、「孝」とは、親を大切にすることを意味します。この考え方を武士のルールに組み込むことで、大名や武士たちがより礼儀正しく、秩序を守るようになることを目指しました。

しかし、この改正には賛否がありました。武士たちにとっては、「学問よりも武術を大切にすべきだ」という意見もあったからです。それでも、綱吉は「武力ではなく学問で世の中を治めるべきだ」と信じていました。

教育を推進!湯島聖堂を建設した目的とは?

綱吉は、学問を広めるために「湯島聖堂(ゆしませいどう)」という学校を作りました。これは、日本で最初の本格的な学校とも言える場所です。特に、儒学を学ぶための施設として、多くの学者や武士が勉強する場となりました。

湯島聖堂の建設によって、日本の教育レベルが向上し、幕府の役人や指導者たちの知識も増えていきました。

また、この湯島聖堂は、後に「昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)」へと発展し、江戸時代を通じて学問の中心となったのです。

貨幣を改鋳!元禄小判で経済をどう変えたのか?

綱吉の時代、幕府の財政(ざいせい)は苦しくなっていました。その原因の一つは、金や銀の産出量が減っていたことです。そこで、綱吉は貨幣(かへい)を改鋳(かいちゅう)し、「元禄小判(げんろくこばん)」という新しいお金を作りました。

しかし、この新しい小判は、それまでのものより金の含有量が少なかったため、すぐに価値が下がってしまいました。その結果、物価がどんどん上がり、庶民の生活が苦しくなってしまったのです。

この貨幣改鋳は、一時的には幕府の財政を支えましたが、長期的には経済の混乱を招く原因となりました。

服忌令を制定!朝廷との関係改善を狙った?

服忌令(ぶっきれい)は、喪に服す期間や作法を定めた法律です。

家族が亡くなったときの過ごし方を詳しく決めることで、人々の行動を統制しようとしました。特に、神道(しんとう)の影響を受けたこの法律は、朝廷(ちょうてい)との関係を改善する目的もありました。

それまでは、幕府と朝廷の関係はあまり良くなかったのですが、服忌令を通じて「幕府も神道を大事にしている」とアピールし、関係を良くしようとしたのです。しかし、庶民にとっては、「喪に服す期間が厳しすぎる」「自由に商売ができなくなる」などの問題があり、生活への影響も大きかったと言われています。

徳川綱吉がしたことを簡単にどんな人物?性格や評価

綱吉は、江戸幕府の5代将軍として多くの政策を行いました。しかし、その性格や行動には独特な面があり、歴史の中で「名君」とも「暗君」とも評価されています。

彼の生い立ちや性格、政策の影響について詳しく見ていきましょう。

徳川綱吉の性格は?独特な統治スタイル

徳川綱吉は、非常に勉強熱心な人物でした。特に儒学(じゅがく)に強い関心を持ち、学問を政治に取り入れようとしたことが特徴です。そのため、「学問による政治」を目指し、武士たちにも教育を受けることを求めました。

しかし、一方で綱吉は「頑固」で「融通が利かない」性格だったと言われています。自分の考えを強く信じ、反対意見をあまり受け入れなかったため、周囲との衝突が多かったのです。特に、「生類憐れみの令」では、庶民の生活が大きく変わるにもかかわらず、厳しい取り締まりを続けたことが問題となりました。

また、気難しい性格で家臣たちが意見を言いづらい雰囲気を作ってしまったことも、政策が極端になった原因の一つです。しかし、法律やルールをしっかり整えたことは、後の江戸時代の安定にもつながりました。

なぜ「犬公方」と呼ばれたのか

綱吉は、「犬公方(いぬくぼう)」というあだ名で呼ばれています。その理由は、生類憐れみの令で特に犬を大切にしたからです。

実は綱吉は「戌(いぬ)年」生まれだったこともあり、「犬を大切にすれば運が良くなる」と信じていたとも言われています。そのため、犬を守る法律を作り、野良犬の世話をする施設「犬小屋(いぬごや)」まで建てました。この犬小屋はとても広く、東京ドーム20個分もの敷地があったと言われています。

しかし、この政策は庶民にとって負担が大きく、犬を保護するための税金がかかるようになりました。そのため、次第に「犬ばかり大事にして、人間のことを考えていない!」という不満が増え、「犬公方」と皮肉を込めて呼ばれるようになったのです。

七五三の由来に関係?綱吉が広めた文化とは

今では当たり前の「七五三(しちごさん)」のお祝いですが、実は徳川綱吉の影響が大きいと言われています。

綱吉には「徳松(とくまつ)」という息子がいました。徳松が5歳になったとき、綱吉は「子どもの健康を願ってお祝いしよう」と考えました。この行事が評判を呼び、江戸の人々の間で広まっていったのです。

もともと貴族の間では、子どもの成長を祝う風習がありましたが、それが一般庶民にも広がったのは綱吉の影響だと言われています。今でも七五三は、日本の大切な文化として残っていますね。

綱吉の政治は「名君」か「暗君」か?

綱吉の評価は、時代によって変わってきました。昔は「生類憐れみの令」などの厳しい政策が悪い影響を与えたとして、「暗君(あんくん)=ダメな将軍」と評価されることが多かったです。特に、犬を大切にするあまり庶民の生活が苦しくなったことが問題視されました。

しかし、最近の研究では「実は名君(めいくん)=優れた将軍だった」と評価する声もあります。綱吉は、戦争のない時代を作り、教育を広め、法律を整えたという点で、江戸時代の平和を支えた重要な存在だったのです。

つまり、綱吉の政治は「厳しすぎた部分もあるけど、長い目で見れば日本の発展に貢献した」と考えられるのです。

綱吉の死後:政策はどうなった?

1709年、徳川綱吉は亡くなりました。すると、すぐに「生類憐れみの令」は廃止されました。庶民にとっては、ようやく自由な生活が戻ってきたのです。

しかし、綱吉の影響はすぐには消えませんでした。次の将軍・家宣(いえのぶ)は、綱吉の政策を見直しながら、新しい改革を進めました。この時代の政治は「正徳の治(しょうとくのち)」と呼ばれ、よりバランスの取れたものになっていきました。

また、綱吉が推進した「学問を重視する考え方」は、その後も幕府の中心に残りました。湯島聖堂を中心とした教育は発展し、幕末まで続いていきます。つまり、綱吉の影響は、江戸時代の後半までしっかりと残り続けたのです。

総括:徳川綱吉がしたことを簡単に解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

生類憐れみの令を制定
 - 動物を大切にする法律を作り、特に犬の保護を強化
 - 庶民には厳しい内容で不満が多く、綱吉の死後すぐに廃止

武家諸法度を改正
 - 儒学を重視し、武士の行動規範を「忠孝・礼儀」中心に変更
 - 学問による統治を目指し、武士の教育を推進

湯島聖堂を建設し、教育を広める
 - 儒学の普及を目的に、日本初の本格的な学問所を設立
 - 後の「昌平坂学問所」の基盤を築き、江戸時代の教育の中心となる

貨幣改鋳(元禄小判の発行)
 - 幕府の財政難を解決するため、金の含有量を減らした貨幣を発行
 - 物価が上昇し、庶民の生活が苦しくなる結果に

服忌令を制定し、朝廷との関係を改善
 - 喪に服す期間を厳格化し、人々の行動を規制
 - 朝廷の伝統を尊重することで、幕府と朝廷の関係を修復

七五三の普及に貢献
 - 息子・徳松の成長を祝う行事が広まり、全国に定着

「犬公方」と呼ばれるほど動物愛護を推進
 - 犬のための大規模施設(犬小屋)を建設
 - 犬を守るための税金が増え、庶民の生活負担が増加

綱吉の評価は「名君」か「暗君」か?
 - 昔は「厳しすぎる政策」を理由に「暗君」と評価されがちだった
 - 近年では「学問を広め、戦争のない時代を作った」として再評価されている

綱吉の死後の影響
 - 1709年、綱吉が死去し、すぐに「生類憐れみの令」が廃止
 - 6代将軍・家宣の時代には「正徳の治」と呼ばれる政治改革が進む
 - 綱吉が推進した教育の重視や法整備の考え方は、江戸時代を通じて影響を与え続けた