「上げ米の制(あげまいのせい)」って聞いたことがありますか?

これは、江戸時代に行われた財政改革のひとつで、大名が幕府に米を納める代わりに参勤交代の期間が短縮された制度です。

でも、なぜこんな制度が必要だったのでしょうか?また、この制度にはどんなメリットやデメリットがあったのでしょう?

今回は、歴史のテスト対策にも役立つように、わかりやすく解説していきます!

上げ米の制とは何か簡単に!目的やメリット・デメリット

まず最初に、上げ米の制について説明します。

上げ米の制とは?簡単にわかりやすく解説

上げ米の制とは、1722年(享保7年)に江戸幕府が行った財政改革のひとつです。この制度では、大名が石高1万石につき100石の米を幕府に納めるかわりに、参勤交代の江戸滞在期間を1年から半年に短縮されました。つまり、大名たちは幕府に米を「上納」する代わりに、江戸にいる期間が短くなったのです。

この制度は、8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)が行った享保の改革(きょうほうのかいかく)の一環でした。幕府の財政を立て直すための施策でしたが、わずか8年で廃止されました。では、なぜこの制度が必要だったのでしょうか?次の見出しで詳しく説明します。

上げ米の制の目的は何だったのか?幕府の財政再建とその背景

上げ米の制が導入された一番の理由は、幕府の財政難を解決するためです。江戸時代の幕府の主な収入は、大名や農民からの「年貢(ねんぐ)」、つまり米の税金でした。しかし、江戸時代の後半になると、いくつかの理由で幕府の収入が減ってしまいました。

米の価格が下がった

当時、幕府は農民から集めた米を市場で売って、お金に変えていました。しかし、新田開発が進み、お米の生産量が増えると、米の価格が下落しました。その結果、幕府の収入が減ってしまったのです。

幕府の支出が増えた


江戸時代の幕府は、戦争こそなかったものの、大きな出費がありました。たとえば、1657年に起きた明暦の大火(めいれきのたいか)では、江戸の町が焼けてしまい、その復興に多額の費用がかかりました。また、寺社の建設や幕府の儀式など、さまざまな支出が増えていたのです。

金や銀の産出量が減った

江戸時代初期には、日本各地で金や銀がたくさん採れ、それを海外に輸出することで幕府の収入になっていました。しかし、次第に金銀の産出量が減り、幕府の収入源が少なくなりました。

このように、幕府の財政はどんどん厳しくなっていきました。そこで、吉宗は大名たちに米を納めさせることで、幕府の財政を一時的に立て直そうとしたのです。

上げ米の制の仕組みを簡単に説明!どのように実施されたのか?

では、上げ米の制はどのように実施されたのでしょうか?具体的な仕組みを見ていきましょう。

大名が1万石につき100石の米を納める

全国の大名たちは、それぞれの領地の石高(こくだか)に応じて、幕府に米を納めました。たとえば、加賀藩(石川県)などの大きな藩では100万石以上の石高がありましたから、毎年1万石以上の米を納める必要がありました

参勤交代の江戸滞在期間が短縮

その見返りとして、大名たちは江戸に滞在する期間が1年から半年に短縮されました。参勤交代とは、大名が江戸と自分の領地を行き来する制度ですが、江戸にいる間の生活費や移動費は大きな負担でした。滞在期間が短くなることで、大名たちは経済的な負担が軽減されることになりました。

幕府の財政収入が増加

この制度によって、幕府は年間約18万7,000石もの米を集めることができました。この米は幕府の収入となり、旗本(はたもと)や御家人(ごけにん)といった武士たちの給与に充てられました。

上げ米の制のメリットとデメリットとは?

上げ米の制には、良い面と悪い面の両方がありました。ここで、メリットとデメリットを整理してみましょう。

メリット

幕府の財政が改善:一時的ではあるものの、幕府の収入が増え、財政の立て直しに役立った。
大名の負担が軽減:江戸にいる期間が短くなったことで、参勤交代にかかる費用が削減された。
幕府の権力維持:財政難の影響で武士の給料が遅れがちだったが、この制度で一時的に安定した。

デメリット

幕府の権威が低下:幕府が大名に依存していることが明らかになり、統治力が弱まるきっかけとなった。
大名の財力が強化:参勤交代の負担が軽くなったことで、大名が力をつけ、後の幕末に影響を与えた。
制度の持続性が低かった:財政を根本的に解決するものではなく、結局8年で廃止された。

このように、上げ米の制は一時的に幕府を助けましたが、長期的にはさまざまな問題を生んでしまったのです。

上げ米の制はなぜ廃止されたのか?幕府の決断の理由

上げ米の制は、1722年に導入されましたが、わずか8年後の1730年(享保15年)には廃止されました。一体なぜでしょうか?その理由を詳しく見ていきましょう。

幕府の財政が一時的に回復した

上げ米の制によって幕府の収入は増えました。そのため、一時的に財政は安定し、幕府が直接大名に頼らなくてもよい状態になったのです。

大名の経済力が強くなりすぎた

参勤交代の負担が軽くなったことで、大名の財政が安定しました。しかし、それは同時に大名たちが力をつけてしまうことを意味します。幕府にとっては、大名が強くなりすぎると統制が難しくなってしまうため、危機感を持つようになりました。

幕府の権威低下を防ぐため

上げ米の制の導入によって「幕府が大名に頼らざるを得ない状況」であることが明らかになりました。これは、幕府の権威を損なう結果となりました。そこで、幕府は財政が安定したタイミングでこの制度を廃止し、大名への依存をなくそうとしたのです。

新たな財政政策へ移行

幕府は、上げ米の制に頼らずに財政を安定させる方法を模索しました。その一環として、新田開発の推進や定免法(じょうめんほう:年貢率の固定化)**といった施策が進められました。

上げ米の制とは何か簡単にテスト対策や重要ポイント

ここからは、テストで役立つ情報や、覚えやすい語呂合わせを紹介していきます!

テストで出る上げ米の制のポイントを総まとめ!

実施年:1722年(享保7年)
内容:大名が1万石につき100石の米を納める
代わりに大名の参勤交代の滞在期間を1年 → 半年に短縮
年間18万7,000石が幕府の収入に
廃止年:1730年(享保15年)

テストでは「何年に導入されたか?」や「大名が納める米の量」などが出題されやすいので、しっかり覚えておきましょう!

語呂合わせで覚えよう!上げ米の制を簡単暗記

歴史の年号を覚えるのは大変ですが、語呂合わせを使うと簡単に暗記できます!

📌 「いーな(172)上げ米!」 → 1722年施行
📌 「いーなみんなで(187)納める上げ米」 → 年間18万7,000石
📌 「上げたら戻す、上げ米の制(8年で廃止)」

語呂合わせを活用して、効率的に覚えておきましょう!

上げ米の制と他の財政政策との違いを比較!

上げ米の制は、財政を立て直すための施策でしたが、同時期には他にもさまざまな政策が行われました。ここでは、それらの政策との違いを表で比較してみましょう。

政策名内容目的実施年
上げ米の制大名から米を徴収、参勤交代を緩和幕府の財政安定1722年(享保7年)
足高の制役職に応じた給与を支給優秀な人材の登用1723年(享保8年)
定免法年貢率を固定化農民の負担を軽減しつつ安定財源確保1722年(享保7年)

このように、上げ米の制は短期的な財政安定策でしたが、足高の制や定免法などは、より長期的な政策として実施されました。

よくある誤解!上げ米の制と参勤交代の関係を整理

上げ米の制について誤解されやすいポイントのひとつが、「参勤交代がなくなった」と思われてしまうことです。しかし、これは間違いです。

「上げ米の制=参勤交代の廃止」ではない!
正しくは「参勤交代の江戸滞在期間が短縮」された制度

江戸時代の参勤交代は、大名が1年おきに江戸と国元を往復し、江戸では1年間滞在することが決められていました。しかし、上げ米の制が導入されると、江戸での滞在期間が半年に短縮され、大名にとっては負担が軽くなったのです。

ただし、大名は引き続き参勤交代を続ける義務があったので、完全になくなったわけではありません。テストでも出題されるポイントなので、しっかり理解しておきましょう!

上げ米の制はなぜ重要なのか?幕末への影響も考察

上げ米の制は一見、幕府の財政を助けるための単純な政策に思えますが、実は江戸時代後半の歴史に大きな影響を与えました。

大名の財政力が増し、幕末の動乱につながった

参勤交代の負担が軽くなったことで、大名の経済力が向上しました。結果として、幕府の統制が緩み、幕末には各藩が力をつけていく要因のひとつになりました。

幕府の権威低下を加速させた

上げ米の制によって「幕府が財政的に大名に頼らざるを得ない状況」が明らかになったことで、幕府の威信が低下しました。これは、幕府の力が弱まるきっかけのひとつとなったのです。

享保の改革の限界を示した

享保の改革は幕府の財政を安定させるための改革でしたが、上げ米の制が短期間で廃止されたことは、その改革の限界を示すものでした。

総括:上げ米の制とは何か簡単に解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

上げ米の制とは?

  • 1722年(享保7年)に江戸幕府が導入した財政改革の一つ。
  • 大名が1万石につき100石の米を納める代わりに、参勤交代の江戸滞在期間が1年→半年に短縮。

導入の目的

  • 幕府の財政難を解決するための緊急策。
  • 米価の下落により、幕府の年貢収入が減少。
  • 明暦の大火や寺社造営による支出増大が背景にあった。

仕組み

  • 全国の大名が石高に応じて米を納めた。
  • その代わりに参勤交代の滞在期間が短縮され、大名の負担が軽減。
  • 幕府の収入増加により、旗本や御家人への給与が安定。

メリット

  • 幕府の財政が一時的に改善された。
  • 大名の負担が軽減され、経済的に安定した。
  • 幕府の権力維持に一定の効果があった。

デメリット

  • 幕府の権威が低下し、大名の経済力が強化された。
  • 幕府の財政は根本的に解決せず、制度の持続性が低かった。
  • 参勤交代の負担軽減が大名の独立性を高め、幕府の統制が弱まった。

なぜ廃止されたのか?

  • 1730年(享保15年)に廃止。
  • 幕府の財政が一時的に安定し、必要なくなった。
  • 参勤交代の緩和により大名の経済力が増し、幕府の統制が弱まった。
  • 幕府の権威低下を防ぐため、元の制度に戻した。