「新井白石(あらいはくせき)」という人物を知っていますか?
江戸時代の政治家であり、学者でもあった人です。歴史の教科書に出てくるけど、「結局、何をした人なの?」と疑問に思う人も多いでしょう。
新井白石は「正徳の治(しょうとくのち)」と呼ばれる政治改革を行い、幕府の財政を立て直したり、貿易を見直したりしました。また、彼の考えた政策が、今でも日本の歴史に大きな影響を与えているんです。
この記事では、新井白石が行ったことを分かりやすく解説していきます。
新井白石がしたことを簡単に解説!正徳の治とは

新井白石は江戸幕府6代将軍・徳川家宣(とくがわいえのぶ)と7代将軍・徳川家継(いえつぐ)を支え、「正徳の治」と呼ばれる政治改革を行いました。財政を立て直し、幕府を安定させたことで、後の時代にも大きな影響を与えました。
では、具体的にどんなことをしたのかを見ていきましょう!
新井白石は「正徳の治」で幕政改革を行った
「正徳の治」とは、新井白石が中心となって行った幕府の改革のことです。徳川家宣とともに、前の時代の問題点を見直し、新しい政策を打ち出しました。
その内容は大きく4つあります。
- 生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)の廃止
- 貨幣の品質改善
- 貿易の制限
- 朝廷との関係改善
この改革によって、幕府の政治はより安定し、庶民の暮らしも少しずつ改善されました。ただし、全てが成功したわけではなく、後の時代に引き継がれなかった政策もあります。では、それぞれの政策について詳しく見ていきましょう。
生類憐みの令を廃止し民衆の生活を改善
「生類憐みの令」とは、5代将軍・徳川綱吉が出した法律で、動物を大切にするように定めたものです。
一見すると良いことのようですが、これが庶民にとって大きな負担となりました。
例えば、
- 犬を殺したら重い罰を受ける
- うっかり魚を踏んでも罰せられる
- 蚊やハエを殺すことすら禁止される
このように極端な内容だったため、人々の生活に支障が出ていました。新井白石は「こんな法律では、庶民が苦しむだけだ!」と考え、家宣と相談してこの法律を廃止しました。
結果として、庶民の生活は大きく改善されました。江戸の町にはたくさんの野良犬がいたのですが、生類憐みの令がなくなったことで、人々は安心して生活できるようになったのです。
貨幣の品質を改善し経済の安定を図る
綱吉の時代、幕府の財政は悪化していました。そのため、幕府の役人である荻原重秀(おぎわらしげひで)は「貨幣の金の量を減らせば、たくさんのお金を作れる!」と考え、「元禄小判(げんろくこばん)」という貨幣を発行しました。
しかし、金の量が少なくなったことで、貨幣の価値が下がり、物価が急上昇!庶民は生活に苦しむことになりました。
新井白石は「これではいけない!」と考え、「正徳小判(しょうとくこばん)」という新しい貨幣を発行しました。これは金の含有量を増やし、貨幣の価値を戻すことを目的としていました。
しかし、この改革は完全には成功しませんでした。なぜなら、すでに市場には「質の悪い元禄小判」が多く流通しており、「新しい小判だけを使おう!」とはならなかったからです。それでも、新井白石の試みは「経済を安定させようとした努力」として評価されています。
貿易制限を行い日本の金銀流出を防ぐ
江戸時代、日本は鎖国政策を取っていましたが、オランダや中国との貿易は行っていました。しかし、大量の金や銀が海外へ流出していたのです。
新井白石は「日本の財産が海外に出ていくのは良くない!」と考え、1715年に「海舶互市新例(かいはくごししんれい)」という法律を作りました。これによって、
- 清(中国)との貿易は年間30隻まで
- オランダとの貿易は年間2隻まで
と制限されました。これにより、日本の金銀の流出は減りましたが、貿易が縮小したことで国内経済には少し影響もありました。
閑院宮家を創設し&皇室の血統を安定させた
新井白石は幕府だけでなく、皇室の安定にも関心を持っていました。当時、天皇の後継ぎが少なく、「このままでは天皇家が途絶えてしまうかもしれない」という問題がありました。
そこで、新井白石は「閑院宮家(かんいんのみやけ)」という新しい皇室の家系を作りました。これにより、将来の天皇が途絶える心配が少なくなり、日本の皇室は安定しました。
このように、新井白石は幕府の政治だけでなく、日本全体の安定を考えて行動した人物だったのです。
新井白石がしたことを簡単に:どんな人だったのか

新井白石は政治だけでなく、学問にも力を入れた人物でした。彼は幼いころから苦労しながらも努力を重ね、幕府の重要な役職に就きました。しかし、彼の政策はすべてが受け入れられたわけではなく、晩年は失脚してしまいました。
ここでは、新井白石の生涯を追いながら、彼の思想や考え方について詳しく解説していきます!
新井白石の生い立ち!浪人生活から学問の道へ
新井白石は 1657年(明暦3年) に江戸で生まれました。
もともとは武士の家に生まれましたが、仕えていた大名が領地を失ったため、一家は浪人となりました。武士として生きる道を閉ざされた白石は、生きるために学問に励み、やがて 木下順庵(きのしたじゅんあん) という当時有名な学者の弟子となります。
木下順庵のもとで学んだことで、白石は「朱子学(しゅしがく)」の知識を深め、学者としての道を歩み始めます。
やがて彼の才能は認められ、 1693年(元禄6年) に甲府藩主・徳川綱豊(のちの徳川家宣)の侍講(先生のような役割)となりました。この時点ではまだ大きな政治的役割を持っていませんでしたが、学問の知識を活かして将来の将軍に影響を与えることになります。
徳川家宣に仕え政治の舞台へ
1709年(宝永6年)、徳川家宣が6代将軍となると、新井白石は幕府の政治に深く関わるようになります。
白石は将軍の側近として政治のアドバイスをし、数々の改革を行いました。
- 生類憐みの令を廃止 して庶民の負担を減らした
- 正徳小判を発行 し、経済の安定を目指した
- 貿易制限 により、金銀の海外流出を防いだ
- 閑院宮家を創設 し、皇室の安定をはかった
これらの政策により、江戸幕府の財政や社会は一時的に安定しました。しかし、すべての人が白石の政策を支持したわけではありませんでした。
徳川吉宗の時代に失脚!なぜ白石は政治から退いたのか
1716年(享保元年)、7代将軍・徳川家継がわずか8歳で亡くなり、8代将軍として徳川吉宗(とくがわよしむね)が就任します。吉宗は自分のやり方で政治を行いたいと考えていたため、白石の政策を次々と見直しました。
- 正徳小判を廃止し、また新しい貨幣を発行
- 貿易制限を一部緩和
- 新井白石の儒学的な政策を否定
吉宗の改革により、新井白石は幕府の政治から退くことになりました。
白石の考え方は理想が高すぎて、すべての人に受け入れられたわけではありません。また、性格的にも頑固で、他の幕臣と対立することが多かったため、孤立してしまったのです。
晩年は著述活動に専念!「折たく柴の記」とは?
政治の世界から離れた新井白石は、その後 執筆活動に力を入れました。彼は数多くの本を書き、日本の歴史や政治について分析しました。
代表的な著書には以下のようなものがあります。
- 『折たく柴の記(おりたくしばのき)』 → 自叙伝であり、江戸時代の貴重な史料
- 『読史余論(とくしよろん)』 → 日本の歴史を分析し、幕府の支配の正当性を論じた
- 『西洋紀聞(せいようきぶん)』 → 西洋文化についての考察。キリスト教や外国の政治について書かれた
- 『蝦夷志(えぞし)』 → 北海道(蝦夷地)についての地理書
- 『南島志(なんとうし)』 → 沖縄(琉球)についての地理書
このように、新井白石は 学者としての才能を生かし、政治から退いた後も日本の歴史に貢献しました。
新井白石の思想とは?彼が目指した理想の政治
新井白石は朱子学をもとに、「為政者(いせいしゃ)は道徳を持ち、庶民のことを第一に考えるべきだ」と考えていました。
- 将軍は徳を持つべき
- 武士は学問を重んじるべき
- 幕府の権威を高めるために皇室との関係を強くすべき
- 外国との関わり方を慎重に考えるべき
これらの考え方は、当時の幕府に大きな影響を与えました。しかし、白石の理想主義的な政治は、すべての人に受け入れられたわけではなく、最終的には徳川吉宗によって否定されることになりました。
それでも、新井白石が行った改革は日本の歴史に残り、後の政治家たちにも影響を与えました。
総括:新井白石がしたことを簡単に解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
1. 新井白石とは?
- 江戸時代の儒学者・政治家で、「正徳の治」と呼ばれる政治改革を行った。
- 6代将軍・徳川家宣、7代将軍・徳川家継を支えた。
- 経済・貿易・朝廷との関係改善など幅広い政策を実施。
2. 「正徳の治」で行った主な政策
① 生類憐みの令の廃止
- 5代将軍・徳川綱吉の極端な動物愛護令を撤廃。
- 人々の生活が改善し、江戸の秩序が安定。
② 貨幣の品質改善(正徳小判の発行)
- 綱吉時代に発行された「元禄小判」の金含有量を元に戻した。
- 経済の安定を目指すも、市場に元禄小判が流通し続け、完全な成功には至らず。
③ 貿易制限(海舶互市新例の制定)
- 清(中国)との貿易を年間30隻、オランダとの貿易を年間2隻に制限。
- 日本の金銀流出を防ぐことが目的。
④ 閑院宮家の創設
- 天皇家の血筋が途絶えるのを防ぐため、新たな宮家を創設。
- 皇室の安定を確保。
⑤ 将軍の権威強化
- 幕府の権威を高めるため、外交文書で将軍を「日本国王」と記載。
- 後に徳川吉宗の時代に「大君」に戻される。
3. 新井白石の生涯
- 1657年:江戸に生まれる。武士の家系だが、浪人生活を経験。
- 1693年:甲府藩主・徳川綱豊(のちの家宣)の侍講(教育係)に就任。
- 1709年:家宣が6代将軍となり、幕府の政策立案に関与。
- 1716年:8代将軍・徳川吉宗が就任し、白石の政策が否定され失脚。
- 晩年は学問に専念し、多くの著書を執筆。
4. 新井白石の主な著書
- 『折たく柴の記』:自伝であり、江戸時代の政治を知る貴重な史料。
- 『読史余論』:日本の歴史を独自の視点で分析。
- 『西洋紀聞』:西洋文化やキリスト教についての研究。
- 『蝦夷志』・『南島志』:北海道や琉球(沖縄)の地理書。
