「文明開化(ぶんめいかいか)」って知っていますか?

明治時代の初め、日本は西洋の文化をどんどん取り入れて、新しい暮らしを始めました。たとえば、鉄道が走り始めたり、ガス灯が街を照らすようになったり、牛鍋(ぎゅうなべ)を食べるようになったり…。

まるでタイムマシンで未来に飛んだみたいな時代だったんです!でも、その中には今も続いているものと、なくなってしまったものがあります。

今日は「文明開化で日本に入ってきたもの」を一覧表にして、わかりやすく説明します。そして、そんな変化の中でも消えなかった日本の文化についてもお話ししますよ!最後まで読めば、明治時代のすごい変化がよーく分かるはずです!

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文明開化で日本に入ってきたもの一覧!食べ物や文化など

文明開化では、日本にさまざまな西洋の文化が入ってきました。たとえば、食べ物や服装、交通手段、生活スタイルまで、すべてが変わったのです。では、具体的にどんなものが入ってきたのでしょうか?

一覧表で整理しながら、一つひとつ詳しく解説していきましょう。

文明開化で日本に入ってきたもの一覧表

まずは、文明開化で入ってきたものを一覧表で見てみましょう!

カテゴリー項目
交通・通信鉄道(1872年、新橋~横浜間開通)
鉄道馬車(1882年、東京で運行開始)
人力車
蒸気船
電信
郵便制度(1871年開始)
建築・都市洋風建築(築地ホテル館、銀座煉瓦街)
レンガ建築
ガス灯
擬洋風建築
鹿鳴館
富岡製糸場(官営工場)
制度・社会徴兵制度(血税)
学制の施行(1872年)
ランドセル
太陽暦(グレゴリオ暦)の採用(1873年1月1日)
平民苗字必称義務令(1875年)
夫婦同姓の法制化(1898年)
新聞・出版(明六雑誌、西洋事情、學問ノスヽメ、西国立志編)
服飾文化断髪令(1871年)
廃刀令
軍隊の制服
洋服
こうもり傘
女性の洋装(鹿鳴館の舞踏会、バッスル・スタイル)
食文化牛肉(肉食文化の解禁)
牛鍋(すき焼き)
パン
ビスケット
スポンジケーキ
クッキー
チョコレート
キャンディ
ゼリービーンズ
マシュマロ
キャラメル
カレーライス
ハヤシライス
オムライス
トンカツ
コロッケ
ショートケーキ
パイ
シュークリーム
あんパン
クリーム入り饅頭
ドロップス
コーヒー
教育・思想留学生の派遣(津田梅子)
お雇い外国人(モース、クラーク)
自由民権運動(天賦人権論、明六社)
芸術・文化演劇改良運動
新劇(近代演劇)
開化絵(文明開化を描いた錦絵)
美容・生活習慣西洋化された化粧品・メイク
口紅(紅板)
西洋風のスキンケア
近代的な看護制度
西洋式時間制度(24時間制、日曜日の休日)

文明開化で食文化が激変!牛鍋やカレーライスが生まれた背景

文明開化の中でも、特に大きな変化があったのが「食べ物」です。それまでは魚や野菜中心の和食が一般的でしたが、文明開化とともに肉を食べる習慣が広がりました。その代表が「牛鍋」です。

牛鍋は、横浜の外国人居留地で広まりました。福沢諭吉(ふくざわゆきち)という有名な学者も牛鍋を気に入り、「肉を食べるのが文明人だ!」と広めたのです。そこから全国に牛鍋が広がり、のちに「すき焼き」として定着しました。

また、海軍では「カレーライス」が誕生しました。西洋のカレーを日本のご飯に合うようにアレンジし、海軍の食事として取り入れられたのです。こうして、今の日本の食卓に欠かせない料理が生まれました。

衣服とファッションの変化!断髪令・洋服・洋装の普及

それまでの日本では、男性はちょんまげ、女性は着物が当たり前でした。しかし、1871年に「断髪令(だんぱつれい)」が出され、ちょんまげをやめて髪を短くする人が増えました。これが「散切り頭(ざんぎりあたま)」です。このころ流行った歌に「散切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」というものがありました。

また、洋服も普及し始めました。最初に取り入れたのは、軍人や警察官、郵便局員などの制服でした。その後、外国の要人と会う機会が増えた政府高官が洋服を着るようになり、次第に庶民にも広がっていきました。

女性の洋装化は少し遅れましたが、鹿鳴館(ろくめいかん)という社交場で、ドレスを着る女性たちが増えたことがきっかけとなりました。こうして、日本人のファッションはどんどん西洋化していきました。

建築・交通の進化!洋風建築と鉄道の登場

文明開化では、建物や交通も大きく変わりました。それまでの日本の街並みは木造建築が中心でしたが、銀座にはレンガ造りの街並みができました。また、外国人をもてなすために建てられた「鹿鳴館」は、西洋風の建物として有名です。

交通面でも大きな変化がありました。1872年には、日本初の鉄道が新橋~横浜間で開通しました。これによって、人々はより速く移動できるようになったのです。また、蒸気船が登場し、海外との貿易が活発になりました。

さらに、街には「ガス灯」が設置され、夜でも明るくなりました。電信や郵便制度も整備され、通信手段が発展しました。

生活習慣の変化!時間制度・教育制度の改革

文明開化によって、時間の考え方も大きく変わりました。それまで日本では「太陰暦(たいいんれき)」という月の動きを基にした暦を使っていましたが、1873年から西洋の「太陽暦(たいようれき)」が採用されました。これによって、1年の日数が今の365日になり、1日24時間制が広まりました。

教育の面でも大きな改革がありました。1872年には「学制(がくせい)」が制定され、すべての子どもが学校に通うことが義務づけられました。このとき、今でも使われている「ランドセル」も広まったのです。

また、新聞や雑誌が発行されるようになり、多くの人が新しい知識を得るようになりました。「学問のすすめ」などの本が出版され、人々の考え方にも変化が生まれました。

文明開化入ってきたもの一覧の後に:失われなかったもの

文明開化では、日本にさまざまな西洋文化が入ってきました。しかし、そのすべてが日本の伝統文化を完全に消し去ったわけではありません。むしろ、西洋文化と日本文化が融合し、新たなスタイルとして発展したものも多いのです。

ここでは、文明開化の波に飲み込まれずに残った日本の文化について解説します。

和食文化の継続!寿司・味噌・醤油は生き残った

文明開化によって肉食が広まり、西洋料理が普及しましたが、それでも日本人は伝統的な「和食文化」を手放しませんでした。

特に、寿司(すし)、味噌(みそ)、醤油(しょうゆ)といった日本の食文化は、今も変わらず日本の食卓に欠かせないものです。たとえば、牛鍋やカレーライスが広まったときも、醤油や味噌を使って日本人の口に合うようにアレンジされました。

また、和食に欠かせない「米食文化」も、パンやパスタが入ってきても変わることはありませんでした。結果として、日本の洋食は「ご飯に合う料理」として独自の進化を遂げたのです。

これは、今でも「和風パスタ」や「和風ハンバーグ」などの形で私たちの食卓に残っています。

和装と着物文化は消えなかった!和洋折衷の発展

文明開化とともに洋服が広まりましたが、着物文化は完全には消えませんでした。

特に、日常生活では和装を続ける人が多く、明治時代でも多くの庶民は着物を着ていました。また、和洋折衷のファッションも生まれ、たとえば「和服にブーツ」「着物に洋風の帯」などのスタイルが流行しました。

さらに、現代でも着物はお正月や成人式、結婚式などの特別な日に着る文化として残っています。こうした日本独自の美意識は、文明開化の波を乗り越え、今も大切にされているのです。

日本独自の宗教や信仰は続いた!神社や寺の存続

文明開化では、西洋の思想やキリスト教が入ってきましたが、日本独自の神道(しんとう)や仏教は残り続けました。

明治時代には「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という政策が行われ、一部のお寺が破壊されたり、仏像が撤去されたりすることもありました。しかし、多くの人々にとって神社やお寺は大切な場所であり、信仰の対象でした。そのため、すべてがなくなることはなく、今でも全国に神社やお寺が残っています。

たとえば、初詣(はつもうで)やお祭り、お盆など、日本の伝統的な行事は今も受け継がれています。これらは文明開化の影響を受けながらも、日本人の心の支えとして根強く残っているのです。

芸能・娯楽の進化!歌舞伎や浮世絵の存続

文明開化では、洋楽や西洋劇が入ってきましたが、日本独自の伝統芸能も生き残りました。

特に、歌舞伎(かぶき)は江戸時代から続く日本の舞台芸術で、明治時代以降も多くの人に愛され続けました。また、浮世絵(うきよえ)も、海外に輸出されて「ジャポニズム」として世界中で評価されました。

さらに、日本の伝統芸能は西洋の影響を受けながらも進化し、新しい形で発展しました。たとえば、能(のう)や狂言(きょうげん)といった古典芸能は今でも多くの人々に親しまれていますし、現代のアニメや漫画文化にもその影響が見られます。

武士の精神は残った!武道の発展と近代化

明治維新によって武士の時代は終わりましたが、武士の精神は日本文化として残りました。

たとえば、剣道(けんどう)、柔道(じゅうどう)、相撲(すもう)などの武道は、武士道の精神を受け継ぎながら近代化されました。明治時代には、柔道が嘉納治五郎(かのうじごろう)によって体系化され、学校教育にも取り入れられました。

また、「礼儀」や「誠実さ」といった武士の精神は、日本人の価値観として今も根付いています。こうして、日本独自の道徳観や精神文化は、文明開化の影響を受けつつも、変わることなく受け継がれているのです。

総括:文明開化で日本に入ってきたもの一覧まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

カテゴリー項目
交通・通信鉄道(1872年、新橋~横浜間開通)
鉄道馬車(1882年、東京で運行開始)
人力車
蒸気船
電信
郵便制度(1871年開始)
建築・都市洋風建築(築地ホテル館、銀座煉瓦街)
レンガ建築
ガス灯
擬洋風建築
鹿鳴館
富岡製糸場(官営工場)
制度・社会徴兵制度(血税)
学制の施行(1872年)
ランドセル
太陽暦(グレゴリオ暦)の採用(1873年1月1日)
平民苗字必称義務令(1875年)
夫婦同姓の法制化(1898年)
新聞・出版(明六雑誌、西洋事情、學問ノスヽメ、西国立志編)
服飾文化断髪令(1871年)
廃刀令
軍隊の制服
洋服
こうもり傘
女性の洋装(鹿鳴館の舞踏会、バッスル・スタイル)
食文化牛肉(肉食文化の解禁)
牛鍋(すき焼き)
パン
ビスケット
スポンジケーキ
クッキー
チョコレート
キャンディ
ゼリービーンズ
マシュマロ
キャラメル
カレーライス
ハヤシライス
オムライス
トンカツ
コロッケ
ショートケーキ
パイ
シュークリーム
あんパン
クリーム入り饅頭
ドロップス
コーヒー
教育・思想留学生の派遣(津田梅子)
お雇い外国人(モース、クラーク)
自由民権運動(天賦人権論、明六社)
芸術・文化演劇改良運動
新劇(近代演劇)
開化絵(文明開化を描いた錦絵)
美容・生活習慣西洋化された化粧品・メイク
口紅(紅板)
西洋風のスキンケア
近代的な看護制度
西洋式時間制度(24時間制、日曜日の休日)