今回は「治安維持法と普通選挙法が同じ年にできたのはなぜ?」という、ちょっと不思議で大事なテーマをわかりやすく解説していきます。

普通選挙法といえば、国民に広く選挙権を与える素晴らしい制度。でも、その同じ年に出された「治安維持法」は、逆に国民の自由をしばる法律でした。

この2つの法律がどうして同時に出てきたのか――。

実は、当時の社会や政治の「裏事情」が深く関わっているのです。

この記事では、なぜ同時だったのか?誰がどんな思いで決めたのか?そして、この2つの法律がその後の日本にどんな影響を与えたのかを、小中学生でも理解できるように、じっくりと解説していきます。

治安維持法と普通選挙法が同時なのはなぜ?背景と目的

ここでは、まず「なぜ同じ年だったのか?」というポイントを深掘りしていきます。どちらかが先に出されるだけではダメだった理由や、当時の社会の動きも紹介しますよ。

治安維持法と普通選挙法が同時なのは「飴とムチ」政策

治安維持法と普通選挙法が同じ年、1925年に出されたのは、ただの偶然ではありません。それには「飴(あめ)とムチ」という、国の作戦があったのです。

普通選挙法は、25歳以上の男子に選挙権を与えるという、とても嬉しいニュースでした。これは「飴」の部分で、国民に自由と権利を与える動きです。

でも、選挙で多くの労働者や農民が政治に関わるようになると、社会を大きく変えようとする考え、たとえば社会主義や共産主義が広がるかもしれません。そうなると、天皇中心の国のしくみや、みんなの私有財産を守れなくなるかもしれない…。そう心配した政府は、「ムチ」として治安維持法を出したのです。

つまり、「自由を与える代わりに、国のルールを守らない考えには厳しくするよ」というセットの考え方。この2つの法律は、まるでコインの表と裏のように、バランスをとるために同時に作られたのです。

「国民の不満」と「体制維持」のバランス調整

大正時代には、「もっと国民が政治に参加できるようにしてほしい!」という声が大きくなっていました。これが「大正デモクラシー」と呼ばれる時代の流れです。

たとえば、自由民権運動や労働運動、普通選挙を求めるデモなど、「今のままでは不公平だ!」と訴える国民が増えてきました。このような国民の不満をおさえるには、やっぱり「普通選挙法」のように、選挙権を広げることで、みんなの声を政治に反映する必要がありました。

しかし一方で、国のリーダーたちは「自由が広がりすぎると、国がバラバラになるのでは?」と心配しました。そこで、国民の不満を解消する「普通選挙法」と、国の体制を守る「治安維持法」を、同時に出すことで、ちょうどよいバランスを取ろうとしたのです。

「自由にしてあげるけど、ルールから外れすぎたらダメだよ」という、ちょっと複雑な政治判断だったのですね。

枢密院の反対をかわすため

当時の日本には「枢密院(すうみついん)」という、とても大きな力を持つ組織がありました。これは天皇に助言するグループで、法律の成立にも強い影響を与えていました。

普通選挙法を通そうとすると、枢密院や貴族院の中には「国が乱れる!」と反対する人がたくさんいたのです。なぜなら、納税制限がなくなると、知識のない人たちが議員になって、政治が混乱するかもしれないと考えられていたからです。

そんななか、加藤高明内閣は「じゃあ、治安維持法もセットにしますから!」と提案します。つまり、「自由を広げるけれど、危ない考えはしっかり取り締まりますよ」という保証を付けたのです。

この作戦が功を奏して、枢密院や保守的な政治家たちも納得。こうして、普通選挙法は無事に通ることができたのです。

なぜ普通選挙法だけではダメだったのか?社会主義の拡大を警戒

1925年、日本はソ連(現在のロシア)と国交を結びました。ソ連といえば、世界で最初に共産主義を実現した国です。このころ、日本でも社会主義や共産主義の考えが少しずつ広まりつつありました。労働運動や農民運動なども活発になり、「社会を変えたい!」という声が大きくなっていたのです。

普通選挙法によって、有権者が一気に4倍に増えると、そうした運動を支持する人たちが選挙で議員になるかもしれません。

政府としては、「天皇を中心とした日本の体制」が壊れるのではないかと心配しました。そこで、自由を与える普通選挙法だけでなく、危険な思想を取り締まる治安維持法がどうしても必要だと考えられたのです。

「選挙権は与えるけれど、国のしくみを変えようとする動きは止める」。これが当時の政府の本音でした。

治安維持法の成立が先行した意味:政治的配慮の順番に注目

実は、この2つの法律が出された「順番」も重要です。治安維持法は1925年3月7日に、普通選挙法はその月の終わり、3月29日に成立しています。

なぜ治安維持法が先だったのでしょうか?

それは、保守派の政治家や軍部をなだめるためでした。「先に取り締まりの法律を作ったから、普通選挙法を通しても安心でしょ?」というわけです。また、国民にとっては「選挙権が広がった!」と喜ぶニュースの方が目立つため、治安維持法の怖さに気づきにくくなったのです。

こうした順番の工夫も、当時の政府が考えた「政治のテクニック」のひとつでした。

治安維持法と普通選挙法が同時なのはなぜ:内容とその影響

ここからは、普通選挙法と治安維持法のそれぞれの内容をくわしく見ながら、
このふたつの法律が日本社会にどんな影響をあたえたのかを解説していきます。

ふたつは「真逆」のように見える法律ですが、実はとても深く結びついています。ここをしっかり理解すれば、歴史のテストでもばっちり得点できますよ!

普通選挙法とは?25歳以上の男子に選挙権

普通選挙法は、1925年(大正14年)に成立した、とても大きな改革の法律です。この法律によって、それまでの「税金をたくさん納めた人だけが投票できる」というルールがなくなり、25歳以上のすべての男子に選挙権があたえられました。

それまでは、直接国税を3円以上納めていないと、選挙に参加することができませんでした。この条件だと、有権者は全国の人口の5%くらいしかいませんでしたが、普通選挙法によって、それがなんと4倍の約1200万人にまで増えたのです。

「政治は一部のお金持ちだけのものじゃない。ふつうの人にも意見を言う権利がある!」――この考えが、やっと実現したんですね。

ただし、残念ながらこのときも女性には選挙権はありませんでした。女性の参政権が認められるのは、第二次世界大戦が終わったあとの1945年まで待つ必要がありました。

治安維持法とは?共産主義・社会主義を取り締まる

治安維持法は、表現の自由や政治活動の自由をおさえるために作られた法律です。1925年に制定されたこの法律は、当初は「国体(天皇を中心とした体制)」を変えようとする考えや、「私有財産を否定する思想」、つまり共産主義や社会主義を取り締まる目的でつくられました。

この法律のこわいところは、ただの言論活動や集会、ビラ配りなどでも、「国を変えようとしている!」と判断されれば、すぐに逮捕されてしまう点です。

さらに1928年には法律がもっと強化され、最高刑が「死刑」になるほどにまでなりました。つまり、治安維持法は、国にとって都合の悪い人たちを「犯罪者」として取り締まる道具になっていったのです。

当時の日本政府は、「国を守るためには仕方がない」と言いましたが、多くの人が自由な言論や考えを持つことができなくなり、暗い時代へと進んでいったのです。

治安維持法がもたらした影響

治安維持法は、制定されたあともどんどん使われ方が広がっていきました。

最初は共産主義や社会主義など、政府に反対する「危険思想」をもつ人を対象にしていましたが、そのうち、「政府の方針をちょっとでも批判した人」まで取り締まりの対象になっていったのです。

このような取り締まりの中心となったのが「特高警察(特別高等警察)」という組織です。特高警察は、考えや言葉だけで人を逮捕し、時にはひどい拷問も行いました。

そして、治安維持法があったことで、「戦争に反対する」というだけでも捕まる時代になっていきました。言いたいことも言えない、考えを口に出せない――そんな時代の始まりだったのです。

この法律が、戦争へと向かっていく日本の社会を、さらに「政府の言うとおりにしないとダメ」という空気に変えていったことは、とても大きな問題です。

3・15事件とは?治安維持法による大弾圧の実例

治安維持法がどれほど強力に使われたのかを知るには、「3・15事件」を知っておくとよいです。これは、1928年の3月15日に起きた、日本共産党への大規模な弾圧事件です。

この日、日本全国でいっせいに警察が動き、共産党員やその関係者、およそ1600人以上を一気に逮捕しました。その中には、政治運動をしていた若者や、労働組合の人たちも含まれており、単に意見を言っていただけの人まで、厳しく取り締まられたのです。

この事件を通じて、「治安維持法があれば、政府は自由に人を捕まえられるんだ」ということが、日本中にはっきりと伝わりました。

後に作家・小林多喜二がこの弾圧の様子を小説に書きましたが、彼自身も1933年に逮捕され、拷問で命を落としてしまいました。治安維持法の恐ろしさは、こうした現実の事件を通じて、多くの人に知られるようになったのです。

治安維持法と普通選挙法は「セットで覚える」べき理由

治安維持法と普通選挙法は、まったく正反対の性格を持つ法律のように見えますよね。でも、実はこのふたつの法律は「セット」で覚えてこそ、歴史の本質が見えてくるのです。

選挙権を多くの人に与えるということは、政治が「国民のもの」になること。
それはとても良いことですが、当時の政府にとっては、国を変えようとする「危険な思想」が広がるリスクもあると考えられていました。

だからこそ、政府は自由と権利を与える代わりに、自由が行きすぎないように、取り締まりの法律をセットで作ったのです。このように、「自由と統制」を同時に進めるのが当時の政治のやり方でした。

歴史のテストでも、「1925年に同時に出された法律は何か?なぜか?」という問いはよく出ます。ぜひこの2つを「セット」で覚えて、バランスの背景まで理解しておきましょう!

総括:治安維持法と普通選挙法が同時なのはなぜかまとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 同時制定の理由は「飴とムチ」政策
    → 普通選挙法で国民に権利を与える一方、治安維持法で自由を制限した。
  • 国民の不満と体制維持のバランスをとるため
    → 大正デモクラシーの中で高まる不満に応えつつ、国の安定を守るためのセット政策。
  • 枢密院や保守派の反対をおさえるため
    → 普通選挙法単独では反対が強く、治安維持法とセットでなければ通せなかった。
  • 社会主義の広がりを警戒していた
    → 日ソ国交樹立で共産主義が広がるのを恐れ、治安維持法で取り締まりを強化。
  • 法律の成立順にも意味があった
    → 先に治安維持法(3月7日)、次に普通選挙法(3月29日)で、保守派に配慮。
  • 普通選挙法は25歳以上の男子に選挙権を与えた画期的な法律
    → 有権者は4倍に増加したが、女性の参政権はまだ認められていなかった。
  • 治安維持法は思想や言論を弾圧する法律だった
    → 共産主義や政府批判を取り締まり、自由を制限。
  • 治安維持法による弾圧が激化していった
    → 特高警察の活動や拷問、言論統制が強まり、自由が失われていった。
  • 「3・15事件」で大規模な弾圧が行われた
    → 共産党員など1600人以上が逮捕され、取り締まりの実態が明らかに。
  • 治安維持法と普通選挙法は「セットで覚える」のが重要
    → 自由と統制が同時に進んだ歴史的背景を理解することがポイント。