みんなは五千円札に描かれている「樋口一葉(ひぐちいちよう)」という人を知っていますか?
「聞いたことはあるけど、何をした人なのか分からない…」という子も多いかもしれませんね。
この記事では、樋口一葉がどんな人だったのかを、子供のみなさんにも分かりやすい言葉で解説していきます!代表作や人生のすごさ、どうしてお札にえらばれたのかまで、しっかりお話ししますよ。
それではいってみましょう!
樋口一葉は何した人か簡単に解説!代表作や活躍を紹介

ここでは、樋口一葉がどんなことをした人なのか、代表作や人生の歩みについて、わかりやすく紹介します。まずは「何をしたのか?」という基本から見ていきましょう!
樋口一葉は何した人?明治時代に活躍した女性作家
樋口一葉(ひぐちいちよう)は、明治時代に活やくした日本の女性作家です。今からおよそ150年ほど前に生まれました。
当時の日本では、女性が仕事をしたり、学問を深く学ぶことはむずかしい時代でした。そんな中で、樋口一葉はすばらしい小説をたくさん書き、作家として名前を知られるようになったのです。
「女性が小説家になるなんて!」と驚かれた時代でしたが、樋口一葉の作品はとてもすぐれていて、大人の作家たちにも高く評価されました。彼女は、今でいうところの「女性作家のパイオニア(先がけ)」ともいえる存在なんですよ。
「たけくらべ」などの名作を生んだすごい小説家
樋口一葉の代表作のひとつが「たけくらべ(丈比べ)」という小説です。これは思春期の男の子や女の子の心のゆれを、やさしく、でもとてもリアルにえがいた作品です。

ほかにも「にごりえ」「十三夜(じゅうさんや)」「大つごもり」など、すぐれた短編小説をたくさん書きました。これらの作品は、現代でも読みつがれていて、教科書にものることがあります。


どの作品も、日々のくらしや心の中の気もちを細かく描いていて、読む人の心にしみるものばかりです。とくに「たけくらべ」は、少女と少年のせつない思いをえがいた名作として、今でもファンが多いんですよ。
生活が苦しい中で家族を支えながら筆をとった努力家
実は、樋口一葉はとてもたいへんな生活の中で小説を書いていました。お父さんが亡くなってから、家計はとても苦しくなり、彼女が「家長(かちょう)」として家族を支えなければならなかったのです。
そのため、一葉はお金をかせぐために小説を書き始めました。でも、はじめからうまくいったわけではなく、たくさん努力をして、書く力をみがいていったのです。
小説を書くだけでなく、洗たくやお店の仕事などもして、家族をささえました。大変な生活の中でも、すばらしい作品を生み出したその努力は、とてもすごいことですね。
たった24歳で亡くなった短いけれど濃い人生とは?
樋口一葉は、24歳というとても若さでこの世をさりました。病気は「肺けっかく」という当時はなおせなかった病でした。
でも、その短い人生の中で、たくさんの名作をのこしました。とくに亡くなる前の1年ちょっとの間に、名作を次々と発表しているんです。この時期は「奇跡の14か月」ともよばれています。
まるで、時間がないことを知っていたかのように、一生けんめいに書いたのかもしれません。短いけれど、とても中身のこい人生でした。
なぜ五千円札に?文学への功績と現代での評価
樋口一葉は、2004年に新しい五千円札のかおとして選ばれました。これは、日本の文学に大きなこうけんをしたことがみとめられたからです。

女性として初めて本格的な小説を書き、今でも多くの人に読まれている。しかも、苦しい中でもあきらめずに努力をつづけた姿が、たくさんの人に希望をあたえてくれるからです。
学校の教科書や図書館の本で、彼女の作品を読むことができるし、今でもその人気は高いままです。だからこそ、日本を代表する人物として、お札にえらばれたのですね。
樋口一葉は何した人か簡単に!人生と作品の魅力

樋口一葉のことを、もっと深く知りたいという子のために、ここからは彼女の人生や作品の魅力をわかりやすく紹介していきます。テストや自主学習でも使えるポイントがたくさんあるので、ぜひ参考にしてくださいね。
生い立ちと学びの道のり|どうして作家になったの?
樋口一葉は、1872年に東京で生まれました。本名は「奈津(なつ)」といいます。お父さんはまじめに働く人で、一家は最初とても豊かにくらしていました。
しかし、時代が変わり、お父さんの仕事もうまくいかなくなってしまいます。そしてお父さんが病気で亡くなると、家は急に貧しくなってしまったのです。
一葉は11歳で小学校を卒業したあと、母親の「女に学問は必要ない」という考えで学校に行かせてもらえませんでした。それでも一葉は学ぶことをあきらめず、有名な歌人・中島歌子のもとで和歌を学ぶようになります。
その学びが、小説を書く力へとつながっていったのです。
半井桃水との出会いと別れが作家人生を変えた
樋口一葉が小説家を目指すきっかけになったのが、新聞社の作家・半井桃水(なからいとうすい)との出会いです。一葉は桃水に小説の書き方を教えてもらうようになり、2人はしだいに親しい関係になっていきます。
一葉は、桃水にあこがれと恋心をいだいていたようです。でも、当時は男女が親しくするだけでもうわさになり、女の人のほうが責められることが多い時代でした。
まわりからの批判やうわさ話に苦しんだ一葉は、桃水と別れることを決意します。このつらい経験が、一葉の感情ゆたかな小説にいきているとも言われています。
別れたあと、一葉は「自分の力だけで家族を支える」と決めて、本格的に作家の道を歩みはじめるのです。
「奇跡の14か月」とは?一気に名作を書いたすごい時期
樋口一葉がたくさんの名作を生んだのは、1894年から1895年にかけての「14か月間」でした。この期間のことを「奇跡の14か月」と呼びます。
このあいだに一葉は、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『大つごもり』など、日本文学史に残る名作を次々と発表します。
貧しさや病気、家族をかかえながらも、毎日のように執筆に取りくんだ一葉のがんばりは、本当にすごいものでした。この時期の作品は、どれも人の心の奥をていねいに描いていて、今でも多くの人に読みつがれています。
「時間が少ないからこそ、命をこめて書いた」ともいわれるこの14か月。一葉の作家としての実力と情熱があふれる時期だったのです。
「たけくらべ」ってどんな話?子供にもわかるあらすじ紹介
『たけくらべ』は、樋口一葉の中でも特に有名な作品です。物語の舞台は、東京の下町(したまち)、今でいう「台東区(たいとうく)」のあたりです。
この作品には、思春期の男の子・女の子が登場します。主人公の「美登利(みどり)」は、遊女(ゆうじょ)になることが決まっている女の子。そして「信如(しんにょ)」というお寺の息子と、淡い恋ごころをかんじはじめます。
でも、2人はそれぞれちがう運命に生きることになるため、気持ちを伝えられず、すれちがっていきます。「たけくらべ」という題名は、「子どもから大人へと成長していく中で、だれが上か下かをくらべてしまう」という意味があるんですよ。
恋や成長の切なさが描かれたこのお話は、大人も子供も心を動かされる作品です。
樋口一葉を学ぶときのポイント|テスト・自主学習対策に!
最後に、樋口一葉を学校のテストや自主学習でまとめるときのポイントをおさらいしておきましょう!
<覚えておきたいポイント>
- 本名は「奈津(なつ)」
- 生まれたのは1872年(明治5年)、亡くなったのは1896年(明治29年)
- 明治時代に活やくした女性作家
- 代表作は「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」「大つごもり」
- お金をかせぐために小説を書き、家族をささえた
- 五千円札の顔にえらばれている
これらのポイントをまとめておけば、テストでもばっちりですし、自主学習ノートにも使えますよ!
総括:樋口一葉は何した人か簡単に解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 樋口一葉(ひぐちいちよう)は明治時代に活躍した女性作家です。
- 女性が作家になることが少なかった時代に、小説で成功しました。
- 代表作は『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』『大つごもり』などです。
- 家計が苦しく、家族を支えるために小説を書き始めました。
- 半井桃水という作家との出会いと別れが、創作に大きく影響しました。
- 「奇跡の14か月」と呼ばれる短期間に多くの名作を発表しました。
- 24歳という若さで亡くなりましたが、今も多くの人に読まれています。
- 2004年に五千円札の肖像に選ばれました。
- 『たけくらべ』は思春期の少年少女の心を描いた名作です。
- テスト対策には、生没年・代表作・活動理由・功績などを覚えておくと◎です。