みなさんは「卑弥呼(ひみこ)」という名前を聞いたことがありますか?日本の歴史の中で、最も謎に包まれた女王の一人です。
でも、「卑弥呼ってどんな人?」「何をした人?」と聞かれると、意外と答えられない人も多いかもしれませんね。
今回は、そんな卑弥呼の正体や、彼女が行ったことについて、分かりやすく解説していきます!塾長が、しっかりと説明するので、ぜひ最後まで読んでくださいね。
卑弥呼とはどんな人か簡単に:何をした人か解説

卑弥呼は、日本の歴史の中で特別な存在です。彼女は「邪馬台国(やまたいこく)」という国を治めた最初の女王であり、神秘的な力を持つ巫女(みこ)でもありました。
でも、彼女についての記録は、中国の歴史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』にしか残されておらず、まだまだ分かっていないことが多いのです。それでは、卑弥呼がどんな人物だったのか、一緒に見ていきましょう!
卑弥呼とは?日本最古の女王の実像
卑弥呼は、日本で初めて記録に残る女王です。
彼女が治めた邪馬台国は、30以上の国をまとめた連合国家でした。しかし、卑弥呼が生まれた頃の日本は、小さな国同士が争う戦乱の時代でした。そのため、人々は「争いを鎮められる特別な力を持つ人」を求めました。そして選ばれたのが、卑弥呼だったのです。
彼女は「鬼道(きどう)」という占いやまじないのような方法を使い、国をまとめたといわれています。鬼道とは、神様の言葉を聞いて未来を予測したり、国の方針を決めたりすることです。
当時の人々は、「卑弥呼には神様と話す力がある」と信じていたのですね。そのため、卑弥呼は人々の前にはあまり姿を見せず、宮殿にこもって占いをしていたとされています。
卑弥呼の時代背景とは?邪馬台国が生まれた理由
卑弥呼が活躍したのは、今から約1,800年前の弥生時代の終わりごろです。
この時代、日本にはまだ天皇はいませんでした。その代わりに、たくさんの小さな国(クニ)があり、それぞれのリーダーが争っていました。こうした戦乱を終わらせるために、各国の人々は「共通のリーダー」を決めることにしました。そのリーダーとして選ばれたのが、卑弥呼だったのです。
では、なぜ卑弥呼が女王になれたのでしょう?
それは、彼女が「神様の声を聞ける」と信じられていたからです。当時の人々は、神様の意志が国を正しく導いてくれると考えていました。そのため、卑弥呼は政治を実際に行うのではなく、神の言葉を伝える役割を持ち、政治の実務は弟が担当したといわれています。
卑弥呼の政治手法とは?鬼道と呪術による統治
卑弥呼の政治は、他の国の王とは少し違いました。彼女は「鬼道(きどう)」という方法で国をまとめたのです。鬼道とは、呪術や占いのことで、卑弥呼は亀の甲羅や骨を焼いて、そのひび割れ方から未来を占ったと言われています。
また、卑弥呼は人前に出ることがほとんどなく、国民と直接話すこともなかったようです。では、どうやって国を治めていたのでしょう?
卑弥呼のそばには「弟」とされる人物がいて、彼が実際の政治を担当していたと考えられています。このように、卑弥呼は「神の言葉を伝える女王」としての役割を果たしていたのですね。
魏志倭人伝に記された卑弥呼の外交と「親魏倭王」
卑弥呼は、日本の歴史書には登場しません。しかし、中国の歴史書『魏志倭人伝』には、卑弥呼のことが詳しく記録されています。この記録によると、卑弥呼は239年に中国の魏(ぎ)という国に使者を送り、朝貢(ちょうこう)を行いました。朝貢とは、中国の皇帝に贈り物をして、その見返りに地位を認めてもらうことです。
魏の皇帝は、卑弥呼に「親魏倭王(しんぎわおう)」という称号と、金印(きんいん)や銅鏡(どうきょう)などを授けました。

これは「卑弥呼は魏が認めた日本のリーダーである」という証明だったのです。このことで、邪馬台国の国力は高まり、国内の安定にもつながりました。
卑弥呼の死因とその後の邪馬台国の行方
卑弥呼の最期については、はっきりとした記録が残っていません。しかし、『魏志倭人伝』には、彼女が亡くなった後、再び国の争いが始まったことが記されています。人々は新しい王を決めようとしましたが、なかなかまとまりませんでした。
そこで、卑弥呼の一族から「壹与(いよ)」という13歳の少女が次の女王として選ばれました。彼女が即位すると、争いは再び収まりました。壹与はその後も魏との関係を続けましたが、その後の邪馬台国については、記録がほとんど残っていません。
そのため、邪馬台国がその後どうなったのかは、大きな謎のままです。
卑弥呼はどんな人か:邪馬台国の統治とその影響

卑弥呼は、日本史において初めて記録された女王であり、邪馬台国を統治した人物です。しかし、彼女が具体的にどのようなことを行ったのかは、謎が多く残っています。
ここでは、卑弥呼が行った政治や外交、そして彼女の影響について詳しく解説していきます。
卑弥呼が邪馬台国を統治した方法
卑弥呼が統治していた時代の邪馬台国は、30以上の国をまとめた連合国家でした。当時の日本は、各地の小国が絶えず争っていたため、安定した政治を行うために「共通のリーダー」が必要でした。そこで、神の言葉を聞く力を持つとされる卑弥呼が女王に選ばれました。
彼女は、直接政治を行うのではなく、「鬼道(きどう)」と呼ばれる占いや呪術を使い、国を導いていました。そして、実際に国を動かすのは、彼女の弟とされています。これにより、人々は卑弥呼を神聖な存在として崇める一方で、彼女を支える側近たちが政治を行うという仕組みが確立されていました。
卑弥呼が行った外交政策:魏との関係
卑弥呼は、日本で初めて中国との外交関係を築いたリーダーでもあります。彼女は239年に中国の「魏(ぎ)」という国に使者を送り、朝貢(ちょうこう)を行いました。魏の皇帝は、卑弥呼に「親魏倭王(しんぎわおう)」という称号を与えました。
この外交によって、邪馬台国は魏という強い後ろ盾を得ることができ、他の国々からの攻撃を防ぐことができました。これにより、卑弥呼の統治はより安定し、邪馬台国の勢力は強まったと考えられています。
卑弥呼の死後:邪馬台国はどうなったか
卑弥呼の死後、邪馬台国は混乱しました。彼女が亡くなると、邪馬台国では争いが再び起こり、新たな王を立てる必要がありました。しかし、男性の王が即位したものの、国内の混乱は収まりませんでした。
そこで、人々は再び「神の力を持つ女性」を求めるようになりました。その結果、卑弥呼の一族から「壹与(いよ)」という13歳の少女が新しい女王に選ばれました。彼女が即位すると、国内の争いは収まりました。
しかし、その後の邪馬台国については、ほとんど記録が残っておらず、邪馬台国がどのように終わったのかは謎のままです。
邪馬台国はどこにあったのか?有力な説を紹介
邪馬台国の場所については、大きく分けて「九州説」と「畿内(きない)説」の2つがあります。
①九州説
九州説では、邪馬台国は現在の佐賀県にある「吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)」のあたりにあったと考えられています。吉野ヶ里遺跡では、当時の人々が暮らしていた大規模な集落跡や、城壁のような防御施設が発見されています。魏志倭人伝の記述とも合致する点が多く、九州説を支持する人が多いです。
②畿内説
一方で、邪馬台国は奈良県の「纏向遺跡(まきむくいせき)」のあたりにあったとする畿内説も有力です。この地域には、卑弥呼がいた時代の古墳がいくつも存在しており、その中でも「箸墓古墳(はしはかこふん)」が卑弥呼の墓ではないかと考えられています。
現在も、邪馬台国の場所についての研究は続いており、いつか確かな証拠が見つかるかもしれません。
卑弥呼の影響とは?日本の歴史に与えたもの
卑弥呼の存在は、日本の歴史に大きな影響を与えました。彼女は、日本で初めて統一された国を治めたリーダーであり、外交を行った最初の人物でもあります。彼女が邪馬台国を統治し、魏と交流を持ったことは、その後の日本の政治体制にも影響を与えたと考えられています。
また、「女性がリーダーとして国を治めることができる」という前例を作った点も注目すべきポイントです。日本の歴史では、女性が政治の中心に立つことは珍しいですが、卑弥呼の時代には、それが可能だったのです。
総括:卑弥呼とはどんな人か簡単に解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 日本最古の女王:卑弥呼は邪馬台国を治めた最初の女王で、約1,800年前(弥生時代の終わり頃)に活躍した。
- 神秘的な力を持つ巫女:卑弥呼は「鬼道(きどう)」という占いやまじないを用いて、国を統治した。
- 戦乱を終わらせるために選ばれた:当時、日本は小国同士が争っていたため、卑弥呼が共通のリーダーとして選ばれた。
- 政治の実務は弟が担当:卑弥呼自身は人前に姿を見せず、実際の政治は弟が行っていたとされる。
- 魏との外交:239年に中国の魏に使者を送り、「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印・銅鏡などを授かった。
- 外交による安定:魏との関係を築いたことで、邪馬台国の地位は向上し、他国からの攻撃を防ぐことができた。
- 卑弥呼の死後の混乱:彼女が亡くなると邪馬台国で争いが再発し、一時的に男性の王が立てられたが、再び混乱が起こった。
- 壹与(いよ)の即位:13歳の少女・壹与が卑弥呼の後を継ぐと、再び国内の争いは収まった。
- 邪馬台国の場所は未確定:邪馬台国は「九州説(吉野ヶ里遺跡)」と「畿内説(纏向遺跡)」の2つの説があるが、確定はしていない。
- 日本の歴史に与えた影響:卑弥呼は「女性のリーダー」の先駆けであり、日本最初の外交を行った人物としても知られる。
- 謎が多く残る人物:卑弥呼の正体や邪馬台国の詳細は今も研究が続けられており、新たな発見が待たれている。
