今回は「三民主義(さんみんしゅぎ)」について、塾長が分かりやすく解説していきます。

「三民主義ってなに?」
「誰が言い出したの?」
「どんな意味があるの?」

といった疑問に、やさしい言葉でお答えします。

中学生の歴史の授業や高校の世界史にも出てくる大切な言葉なので、ぜひ最後まで読んで理解を深めてくださいね!

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三民主義をわかりやすく解説!内容・意味・唱えた人

三民主義とは、中国の近代化を目指した考え方で、「民族・民権・民生」の三つを柱とした政治の理想です。この考えをまとめたのは孫文(そんぶん)という人物で、中国を清という王朝から解放し、みんなのための国をつくろうと考えていました。

では、その三つの柱にはどんな意味があるのか?誰がどんな思いで唱えたのか?ここでは詳しく見ていきましょう。

三民主義とは?孫文が唱えた近代中国の政治理念を解説

三民主義とは、中国の革命家・孫文が提唱した政治の基本的な考え方です。
三つの「民」から成り立っていて、それぞれの意味は次のとおりです。

  • 民族主義(みんぞくしゅぎ):外国に支配されない、独立した中国をつくること
  • 民権主義(みんけんしゅぎ):国民みんなが政治に参加できる仕組みをつくること
  • 民生主義(みんせいしゅぎ):国民の生活を安定させて、貧しい人を減らすこと

つまり、「自由で平等な国を、国民みんなの手でつくり、生活もしっかり守ろう」という考えです。この三民主義は、清という王朝の時代のあと、新しい時代の中国をつくるための土台となったのです。

三民主義を唱えたのは誰?孫文の生涯と思想をわかりやすく

三民主義を唱えたのは、中国の偉大な革命家「孫文(そんぶん)」です。孫文は1866年に中国・広東省で生まれ、若いころから「清を倒して国を立て直したい!」という思いを持っていました。

日本にも何度も来て、日本の知識人たちとも交流を持ちながら革命の準備を進めていきます。1905年には東京で「中国同盟会(ちゅうごくどうめいかい)」をつくり、その中で三民主義を掲げました。

彼は中国の独立と国民の生活向上を目指し、暴力ではなく「理想と信念」で人々をまとめました。三民主義は、孫文が人生をかけて考えた「新しい中国のかたち」だったのです。

三民主義の目的とは?中国の独立と近代化をめざしたビジョン

三民主義の目的は、ただ王朝を倒すことではなく、「国を国民の手に取り戻す」ことでした。当時の中国は、イギリスやフランスなどの列強(れっきょう)に半分植民地のようにされており、清の王朝も国民のことをあまり考えていませんでした。

そこで孫文は、まず「外国からの独立(民族主義)」を目指し、次に「国民が政治に参加できる権利(民権主義)」をつくり、最後に「生活の安定(民生主義)」によって、貧困をなくして国を強くしようとしたのです。

このように三民主義は、単なるスローガンではなく、現実の問題をどう解決するかを考えた実践的なビジョンでもありました。

三民主義の内容を簡単に!民族・民権・民生を具体例で解説

では、三民主義の三つの内容をもっと具体的に見ていきましょう。

①民族主義

当時の中国は、清という満州族(まんしゅうぞく)が支配する王朝でした。孫文はこれを「漢民族の国に戻す」と主張し、「民族の独立」を目指しました。「五族共和(ごぞくきょうわ)」という、漢・満・蒙・回・蔵(チベット)の五つの民族が平等な国をつくるという考えも生まれました。

②民権主義

これは、国民が政治に参加できる「選挙権」や「自由」を持つことです。孫文は、アメリカの民主主義を参考にして、「五権憲法(ごけんけんぽう)」という独自の制度を考えました。

③民生主義

貧富の差をなくし、生活を安定させることが目的です。特に「平均地権(へいきんちけん)」という考えが有名で、土地の持ち主がもうけすぎないようにして、みんなで土地の利益を分け合う仕組みを考えました。

どれも「国民のための国をつくる」ために必要な考えですね。

三民主義が使われた歴史的背景とは?辛亥革命と中華民国の成立

三民主義は、1911年に起きた「辛亥革命(しんがいかくめい)」で実際に使われました。この革命では、清の王朝が倒され、翌年1912年に「中華民国(ちゅうかみんこく)」というアジア初の共和国が誕生します。

孫文はこの時、「臨時大総統(りんじだいそうとう)」となり、国づくりの方針として三民主義を掲げました。ただし、その後は軍人の袁世凱(えんせいがい)に政権を奪われてしまい、孫文の理想はすぐには実現しませんでした。

それでも三民主義の考え方は、その後の中国の政治や憲法、台湾の方針にまで大きな影響を与えることになります。

三民主義をわかりやすく!影響や新三民主義について

三民主義は孫文が唱えた考え方ですが、時代とともに少しずつ変化していきました。とくに晩年の孫文が提案した「新三民主義(しんさんみんしゅぎ)」は、中国の歴史において重要な分かれ道となりました。

ここからは、新三民主義って何?その背景にあった国共合作や憲法との関係、
そして現在の台湾や毛沢東の考えとの違いまで、まとめて解説していきます!

新三民主義とは?連ソ・容共・扶助工農の三大政策を解説

新三民主義とは、1924年に孫文が発表した三民主義の発展バージョンのことです。「連ソ・容共・扶助工農(れんそ・ようきょう・ふじょこうのう)」という三大政策を新しく取り入れました。

  • 連ソ:ソ連(ロシアの共産国家)と手を組むこと
  • 容共:共産党を受け入れること
  • 扶助工農:労働者や農民を助けること

これらの方針は、当時の中国が外国や軍閥に苦しんでいた状況を変えるために必要だと考えられていました。孫文は革命を成功させるには、民衆の力と共産主義の協力が欠かせないと判断したのです。

新三民主義は、国をまとめるための「実践的な知恵」ともいえるものでした。

第一次国共合作とは?三民主義との関係をわかりやすく整理

新三民主義の考え方を元に始まったのが、「第一次国共合作(だいいちじ こっきょうがっさく)」です。これは1924年に、中国国民党(こくみんとう)と中国共産党(きょうさんとう)が手を組んだ出来事です。

国民党と共産党は、本来は違う考え方を持っていましたが、共通の敵である「軍閥」や「外国の支配」と戦うために、一時的に協力することにしたのです。

三民主義の中でも「民権」や「民生」の部分が、このときに大きく見直され
共産党の考えを取り入れながら、より「国民のための政治」に近づけようとしました。この国共合作によって、三民主義はただの理念から「行動のための方針」に変わったのです。

三民主義と中華民国憲法の関係は?制度に反映された理念とは

三民主義は、ただのスローガンではありませんでした。実は、中華民国憲法(ちゅうかみんこくけんぽう)にもその理念がしっかり反映されています。

例えば、民権主義に基づいた「五権分立(ごけんぶんりつ)」という制度があります。これは、立法・行政・司法にくわえて、「考試(こうし)」と「監察(かんさつ)」という二つの権限を加えた独特な仕組みです。

  • 考試:公務員の採用を公平に行う仕組み
  • 監察:政府の不正をチェックする仕組み

こうして、三民主義は制度としても具体化され、国の土台を支える考え方として活かされました。

三民主義の影響は台湾にも?今も続く国是としての役割

現在、三民主義は「台湾(中華民国)」の政治の基本となっています。台湾を支える政党「中国国民党」は、今も三民主義を大切にしており、教育や政策のなかにその精神が息づいています。

たとえば、台湾の学校教育では「三民主義」という教科があった時代もありますし、選挙制度や社会福祉の考え方にもその影響が見られます。

つまり、三民主義は歴史的な思想ではなく、今も現実に生きている理念なのです。これを知ることで、台湾と中国の政治的な違いにも注目できるようになりますよ。

三民主義と毛沢東の新民主主義の違いは?両者の比較で理解を深めよう

孫文の三民主義と、毛沢東が提唱した「新民主主義」は名前が似ていますが、中身は少し違います。

  • 三民主義:民族・民権・民生という三つの柱で国民のための民主的な国家を目指した
  • 新民主主義(毛沢東):共産党を中心にした革命で、農民や労働者の力で国家をつくるという考え方

孫文は民主的な制度や国民全体の協力を大切にしていましたが、毛沢東は階級闘争や武力を重視しました。三民主義は「みんなでつくる国」、新民主主義は「一部の革命勢力が引っ張る国」という違いがあります。

この違いを理解すると、中国の近代史や台湾との関係も、より深く読み解くことができますよ。

総括:三民主義をわかりやすく解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 三民主義は孫文が提唱した中国の近代化を目指す政治理念。
  • 「民族主義・民権主義・民生主義」の3つの柱から成る。
  • 民族主義:外国支配からの独立(五族共和など)
  • 民権主義:国民が政治に参加できる仕組み(選挙や五権憲法)
  • 民生主義:貧富の差をなくし、生活を安定させる(平均地権など)
  • 三民主義は辛亥革命と中華民国の建国に活かされた。
  • 新三民主義では「連ソ・容共・扶助工農」が追加された。
  • 第一次国共合作で国民党と共産党が協力し、三民主義が実践された。
  • 中華民国憲法には三民主義の理念(五権分立など)が反映された。
  • 現在の台湾でも三民主義は政治の基本として残っている。
  • 毛沢東の「新民主主義」とは異なり、三民主義は国民全体の協力を重視する。