「冠位十二階(かんいじゅうにかい)」って聞いたことがありますか?

日本の歴史の授業で習う言葉ですが、「結局どんな制度だったの?」と疑問に思う人も多いはずです。

冠位十二階は、603年に聖徳太子が作った日本で最初の官位制度です。この制度では、身分の高い人と低い人を「色の違う冠」で区別しました。でも、「なぜ紫が一番えらいの?」「白と黒の違いって何?」など、知らないこともたくさんありますよね。

そこで今回は、「冠位十二階の色順番」と「なぜこの制度が作られたのか」を、塾長の私がわかりやすく解説していきます!語呂合わせやテストに出るポイントも紹介するので、最後まで読んでしっかり覚えましょう!

↓塾長のおすすめ!中学生に絶対必要な神参考書↓

Gakken
¥1,650 (2025/06/25 12:27時点 | Amazon調べ)

↓小学校の社会が1冊で完璧になる参考書兼問題集↓

文英堂
¥2,860 (2025/06/25 12:30時点 | Amazon調べ)

↓歴史漫画の集大成!子供に読んでほしい角川の日本史↓

監修:山本 博文, 監修:五百旗頭 薫, 監修:岡 美穂子
¥20,900 (2025/06/25 12:31時点 | Amazon調べ)

↓歴史漫画の集大成!子供に読んでほしい角川の世界史↓

監修:羽田 正
¥27,280 (2025/06/25 12:31時点 | Amazon調べ)

冠位十二階の色の順番:偉い順に色の意味と決まり方を解説

冠位十二階の最大の特徴は、「冠の色」で役人の位を示したことです。どの色がどの順番なのか、なぜその色になったのかを詳しく解説していきます。

冠位十二階の色順番は「紫・青・赤・黄・白・黒」の6色

冠位十二階の色順番は、位の高い順に紫・青・赤・黄・白・黒の6色に分けられました。そして、それぞれの色には「大」と「小」があり、「大」のほうがより高い位でした。

つまり、全部で12段階のランクがあったのです。

具体的な色の並びは、以下のようになります。

1. 大徳(濃紫) → 2. 小徳(薄紫)
3. 大仁(濃青) → 4. 小仁(薄青)
5. 大礼(濃赤) → 6. 小礼(薄赤)
7. 大信(濃黄) → 8. 小信(薄黄)
9. 大義(濃白) → 10. 小義(薄白)
11. 大智(濃黒) → 12. 小智(薄黒)

「紫」が最も偉く、「黒」が一番下という順番でした。これを覚えておくと、テストにも役立ちますよ!

冠位十二階の色順番は儒教の五常と五行思想に基づく

この色の順番には、ちゃんとした意味があります。それは「儒教(じゅきょう)」の考え方と、「五行思想(ごぎょうしそう)」という中国の哲学に影響を受けているからです。

儒教では、人間が持つべき5つの大切な心「五常(ごじょう)」という考え方があります。それが仁・礼・信・義・智の5つです。

そして、中国の五行思想では、世界のすべては5つの要素でできていると考えられていました。

五常(儒教)五行思想(中国の哲学)冠位十二階の色
仁(じん)木(もく)青(あお)
礼(れい)火(ひ)赤(あか)
信(しん)土(つち)黄(きいろ)
義(ぎ)金(きん)白(しろ)
智(ち)水(みず)黒(くろ)

このように、「五常」と「五行」の色を組み合わせて、冠位十二階の色順番が決められたのです。ちなみに、一番偉い「徳(とく)」には、皇帝や天皇にふさわしい色として「紫」が割り当てられました。

なぜ冠位十二階の色は紫が最上位だったのか?

では、なぜ「紫」が一番偉い色になったのでしょうか?これにはいくつか理由があります。

  1. 紫は当時の貴重な色だった
     昔の日本では、紫色を作るための染料がとても高価でした。そのため、貴族や天皇など身分の高い人しか着られなかったのです。
  2. 中国や朝鮮半島の影響
     当時の日本は、中国や朝鮮半島から多くの文化を学んでいました。中国の皇帝も紫色の服を着ていたため、日本でも「紫=最高の身分」となったのです。
  3. 後の時代にも引き継がれた
     冠位十二階の後も、律令制度(りつりょうせいど)や平安時代の貴族社会で、「紫=高貴な色」という考えは受け継がれました。

だからこそ、冠位十二階では「紫」が最上位の色になったのですね!

白と黒の違いは?濃白・薄白、濃黒・薄黒の謎

冠位十二階の色の中で、ちょっと不思議なのが「白」と「黒」です。

「白に濃いも薄いもあるの?」と疑問に思う人もいるでしょう。確かに現代では「白は白」と考えますよね。でも、当時の日本では、布の織り方や光沢によって、微妙な違いをつけていたのです。

また、黒色についても同じことが言えます。実は、奈良時代以降の官位制度では「黒色は身分の低い者の色」とされました。しかし、冠位十二階の時代は、「黒=智(ち)」を表す色だったのです。

つまり、白と黒の違いは「見た目」よりも、「位階を示すための目印」として使われていたのですね!

冠位十二階の色を覚える語呂合わせを紹介!

歴史のテストでは、冠位十二階の色順番が出題されることもあります。そこで、簡単に覚えられる語呂合わせを紹介します!

「むらさき(紫)の空に、青(青)い鳥、赤(赤)い夕日、黄(黄)昏(たそがれ)時、白(白)黒(黒)つける!」

「村(紫)の青い赤ちゃん(赤)が黄昏(黄)て、白黒つける(白・黒)」

このように、リズムよく言葉にすると、記憶に残りやすくなりますよ!

冠位十二階の色の順番の後に:制度の目的や影響

冠位十二階は、603年に聖徳太子が作った日本初の官位制度です。でも、なぜこの制度が必要だったのでしょうか?ここでは、その理由と影響を詳しく解説していきます。

冠位十二階の目的は「有能な人材を登用すること」

冠位十二階が作られる前、日本の役人の地位は「氏姓制度(しせいせいど)」によって決められていました。これは、家柄(氏)によって役職が決まる制度で、「親が偉い人なら子どもも偉い人」というルールがあったのです。

しかし、この制度には問題がありました。

それは…

有能でも家柄が悪いと出世できない
逆に、能力が低くても生まれだけで偉くなってしまう
役人が家族の利益を優先し、朝廷の命令を軽視することがあった

こうした問題を解決するために作られたのが冠位十二階です。

この制度では、氏(家柄)ではなく、個人の能力や功績によって出世できる仕組みになりました。つまり、努力すれば身分の低い人でも高い位を得られるという、今でいう「実力主義」を取り入れた制度だったのです!

外交のために冠位十二階が必要だった理由

当時の日本は、中国の「隋(ずい)」という大国と国交を結ぼうとしていました。でも、日本の政治制度はまだ未発達で、隋にとっては「格下」のように見られていたのです。

そこで聖徳太子は、「日本もきちんとした官僚制度がある国だ」と示すために、冠位十二階を作りました。冠位があることで、隋の使者が来たときに、位の高い人が対応できるようになったのです。

また、冠位十二階を作った翌年(604年)には「十七条の憲法」も制定され、聖徳太子は隋に対して「日本も立派な国ですよ!」とアピールしました。この外交戦略の結果、607年には遣隋使(けんずいし)として小野妹子が派遣され、日本は隋と正式な国交を結ぶことに成功しました。

つまり、冠位十二階は「日本の国際的な地位を高める」という大きな目的もあったのです!

冠位十二階が日本の政治に与えた影響

冠位十二階の導入によって、日本の政治には次のような変化が起こりました。

有能な人材が出世しやすくなった
天皇の権力が強まり、氏族の力が弱まった
後の「律令制度(りつりょうせいど)」の基礎になった

特に重要なのは、「天皇中心の政治」が始まったことです。氏姓制度では、豪族(特に蘇我氏など)が大きな力を持ち、天皇よりも影響力を持つことがありました。しかし、冠位十二階では、天皇が直接、位を授ける仕組みになったため、天皇の権力が強化されたのです。

この仕組みは、701年の「大宝律令(たいほうりつりょう)」にも受け継がれ、その後の日本の政治制度の土台になりました。つまり、冠位十二階があったからこそ、日本は近代的な国家としての形を作ることができたのです!

冠位十二階の「その後」どうなった?

冠位十二階は、603年から約40年間使われましたが、その後、新しい制度に置き換えられていきました。

年表で見ると、こんなふうに変化しています。

  • 603年(推古天皇) → 冠位十二階が制定
  • 647年(大化の改新) → 「冠位十三階」になり、さらにランクが増える
  • 649年(孝徳天皇) → 「冠位十九階」になり、もっと細かくランク分けされる
  • 685年(天武天皇) → 「冠位四十八階」になり、大幅に変更
  • 701年(文武天皇) → 「大宝律令」が制定され、新しい「位階制度」に変わる

このように、冠位十二階はどんどん発展し、最終的に律令制度の中で「位階(いかい)」という新しいシステムに進化しました。現代でも「正一位」「従三位」といった位階は使われており、冠位十二階の影響は今も残っているのです!

テスト対策!冠位十二階の重要ポイントまとめ

最後に、テストに役立つ冠位十二階のポイントを整理しておきましょう!

✔ 冠位十二階とは?
→ 603年、聖徳太子が制定した日本初の官位制度。氏姓制度の限界を補い、有能な人材を登用するために作られた。

✔ 色の順番は?
→ 濃紫・薄紫・濃青・薄青・濃赤・薄赤・濃黄・薄黄・濃白・薄白・濃黒・薄黒(紫が最高位!)

✔ 色の決まり方は?
→ 儒教の「五常」と中国の「五行思想」に基づいて決められた。

✔ なぜ作られたの?
→ 有能な人材を登用し、天皇の権力を強めるため。また、中国の隋に「日本はきちんとした国だ」と示すための外交戦略でもあった。

✔ その後はどうなった?
→ 「冠位十三階」「冠位十九階」「冠位四十八階」へと発展し、最終的に「位階制度」へと変わった。

このあたりは、学校のテストでよく出る部分なので、しっかり覚えておきましょう!

総括:冠位十二階の色順番を分かりやすく解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

1. 冠位十二階の色順番

  • 冠位十二階とは:603年、聖徳太子が制定した日本初の官位制度で、色付きの冠で役人のランクを表した。
  • 色の順番(高位から低位まで)
    1. 濃紫(大徳) → 2. 薄紫(小徳)
    2. 濃青(大仁) → 4. 薄青(小仁)
    3. 濃赤(大礼) → 6. 薄赤(小礼)
    4. 濃黄(大信) → 8. 薄黄(小信)
    5. 濃白(大義) → 10. 薄白(小義)
    6. 濃黒(大智) → 12. 薄黒(小智)
  • 色の決まり方
    • 儒教の「五常(仁・礼・信・義・智)」と、中国の「五行思想(木・火・土・金・水)」に基づいて決定。
    • 「徳」は天皇にふさわしい色として「紫」が割り当てられた。

2. なぜ紫が最上位だったのか?

  • 染料が貴重だった:紫色を作る染料は非常に高価で、貴族や天皇しか使用できなかった。
  • 中国の影響:隋や唐でも紫が皇帝の象徴とされ、日本でも同様に採用。
  • 後の時代にも引き継がれた:律令制度や平安時代の貴族社会でも「紫=高貴な色」とされた。

3. 白と黒の違い

  • 白と黒の濃淡(濃白・薄白、濃黒・薄黒)
    • 現在の感覚では白や黒に濃淡の違いはないが、当時は布の織り方や光沢で区別されていた。
    • 白と黒は位階の目印として使われ、見た目だけでなく「階級を示すための色」としての役割があった。

4. 冠位十二階の目的

  • 有能な人材の登用
    • それまでの「氏姓制度(家柄で決まる制度)」では、能力があっても生まれが悪いと出世できなかった。
    • 個人の才能や功績で出世できる「実力主義」を導入。
  • 外交政策
    • 日本が隋との外交を成功させるため、国家としての格式を示すために制度を整備。
    • 604年には「十七条の憲法」も制定し、国の仕組みを強化。

5. 日本の政治に与えた影響

  • 天皇の権力強化
    • それまでの豪族中心の政治から、天皇が直接官位を授ける仕組みになった。
    • これにより、天皇中心の国家体制が確立。
  • 律令制度への布石
    • 701年の「大宝律令」に引き継がれ、より詳細な位階制度へと発展。
    • 以後、貴族や武士の間でも「位階制度」が続き、現代の「叙位制度」にも影響を与えた。

6. 冠位十二階のその後

  • 制度の変遷
    • 647年:冠位十三階に変更
    • 649年:冠位十九階に拡張
    • 685年:冠位四十八階に増加
    • 701年:「大宝律令」により新たな「位階制度」へ移行
  • 現代に残る影響
    • 「正一位」「従三位」などの位階制度は現在も存続し、叙勲制度とともに日本の栄誉制度に組み込まれている。