「冠位十二階(かんいじゅうにかい)」って聞いたことがありますか?
日本の歴史の授業で習う言葉ですが、「結局どんな制度だったの?」と疑問に思う人も多いはずです。
冠位十二階は、603年に聖徳太子が作った日本で最初の官位制度です。この制度では、身分の高い人と低い人を「色の違う冠」で区別しました。でも、「なぜ紫が一番えらいの?」「白と黒の違いって何?」など、知らないこともたくさんありますよね。
そこで今回は、「冠位十二階の色順番」と「なぜこの制度が作られたのか」を、塾長の私がわかりやすく解説していきます!語呂合わせやテストに出るポイントも紹介するので、最後まで読んでしっかり覚えましょう!
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冠位十二階の色の順番:偉い順に色の意味と決まり方を解説
冠位十二階の最大の特徴は、「冠の色」で役人の位を示したことです。どの色がどの順番なのか、なぜその色になったのかを詳しく解説していきます。
冠位十二階の色順番は「紫・青・赤・黄・白・黒」の6色
冠位十二階の色順番は、位の高い順に紫・青・赤・黄・白・黒の6色に分けられました。そして、それぞれの色には「大」と「小」があり、「大」のほうがより高い位でした。
つまり、全部で12段階のランクがあったのです。
具体的な色の並びは、以下のようになります。
1. 大徳(濃紫) → 2. 小徳(薄紫)
3. 大仁(濃青) → 4. 小仁(薄青)
5. 大礼(濃赤) → 6. 小礼(薄赤)
7. 大信(濃黄) → 8. 小信(薄黄)
9. 大義(濃白) → 10. 小義(薄白)
11. 大智(濃黒) → 12. 小智(薄黒)
「紫」が最も偉く、「黒」が一番下という順番でした。これを覚えておくと、テストにも役立ちますよ!
冠位十二階の色順番は儒教の五常と五行思想に基づく
この色の順番には、ちゃんとした意味があります。それは「儒教(じゅきょう)」の考え方と、「五行思想(ごぎょうしそう)」という中国の哲学に影響を受けているからです。
儒教では、人間が持つべき5つの大切な心「五常(ごじょう)」という考え方があります。それが仁・礼・信・義・智の5つです。
そして、中国の五行思想では、世界のすべては5つの要素でできていると考えられていました。
| 五常(儒教) | 五行思想(中国の哲学) | 冠位十二階の色 |
|---|---|---|
| 仁(じん) | 木(もく) | 青(あお) |
| 礼(れい) | 火(ひ) | 赤(あか) |
| 信(しん) | 土(つち) | 黄(きいろ) |
| 義(ぎ) | 金(きん) | 白(しろ) |
| 智(ち) | 水(みず) | 黒(くろ) |
このように、「五常」と「五行」の色を組み合わせて、冠位十二階の色順番が決められたのです。ちなみに、一番偉い「徳(とく)」には、皇帝や天皇にふさわしい色として「紫」が割り当てられました。
なぜ冠位十二階の色は紫が最上位だったのか?
では、なぜ「紫」が一番偉い色になったのでしょうか?これにはいくつか理由があります。
- 紫は当時の貴重な色だった
昔の日本では、紫色を作るための染料がとても高価でした。そのため、貴族や天皇など身分の高い人しか着られなかったのです。 - 中国や朝鮮半島の影響
当時の日本は、中国や朝鮮半島から多くの文化を学んでいました。中国の皇帝も紫色の服を着ていたため、日本でも「紫=最高の身分」となったのです。 - 後の時代にも引き継がれた
冠位十二階の後も、律令制度(りつりょうせいど)や平安時代の貴族社会で、「紫=高貴な色」という考えは受け継がれました。
だからこそ、冠位十二階では「紫」が最上位の色になったのですね!
白と黒の違いは?濃白・薄白、濃黒・薄黒の謎
冠位十二階の色の中で、ちょっと不思議なのが「白」と「黒」です。
「白に濃いも薄いもあるの?」と疑問に思う人もいるでしょう。確かに現代では「白は白」と考えますよね。でも、当時の日本では、布の織り方や光沢によって、微妙な違いをつけていたのです。
また、黒色についても同じことが言えます。実は、奈良時代以降の官位制度では「黒色は身分の低い者の色」とされました。しかし、冠位十二階の時代は、「黒=智(ち)」を表す色だったのです。
つまり、白と黒の違いは「見た目」よりも、「位階を示すための目印」として使われていたのですね!
冠位十二階の色を覚える語呂合わせを紹介!
歴史のテストでは、冠位十二階の色順番が出題されることもあります。そこで、簡単に覚えられる語呂合わせを紹介します!
▶ 「むらさき(紫)の空に、青(青)い鳥、赤(赤)い夕日、黄(黄)昏(たそがれ)時、白(白)黒(黒)つける!」
▶ 「村(紫)の青い赤ちゃん(赤)が黄昏(黄)て、白黒つける(白・黒)」
このように、リズムよく言葉にすると、記憶に残りやすくなりますよ!
冠位十二階の色の順番の後に:制度の目的や影響
冠位十二階は、603年に聖徳太子が作った日本初の官位制度です。でも、なぜこの制度が必要だったのでしょうか?ここでは、その理由と影響を詳しく解説していきます。
冠位十二階の目的は「有能な人材を登用すること」
冠位十二階が作られる前、日本の役人の地位は「氏姓制度(しせいせいど)」によって決められていました。これは、家柄(氏)によって役職が決まる制度で、「親が偉い人なら子どもも偉い人」というルールがあったのです。
しかし、この制度には問題がありました。
それは…
✔ 有能でも家柄が悪いと出世できない
✔ 逆に、能力が低くても生まれだけで偉くなってしまう
✔ 役人が家族の利益を優先し、朝廷の命令を軽視することがあった
こうした問題を解決するために作られたのが冠位十二階です。
この制度では、氏(家柄)ではなく、個人の能力や功績によって出世できる仕組みになりました。つまり、努力すれば身分の低い人でも高い位を得られるという、今でいう「実力主義」を取り入れた制度だったのです!
外交のために冠位十二階が必要だった理由
当時の日本は、中国の「隋(ずい)」という大国と国交を結ぼうとしていました。でも、日本の政治制度はまだ未発達で、隋にとっては「格下」のように見られていたのです。
そこで聖徳太子は、「日本もきちんとした官僚制度がある国だ」と示すために、冠位十二階を作りました。冠位があることで、隋の使者が来たときに、位の高い人が対応できるようになったのです。
また、冠位十二階を作った翌年(604年)には「十七条の憲法」も制定され、聖徳太子は隋に対して「日本も立派な国ですよ!」とアピールしました。この外交戦略の結果、607年には遣隋使(けんずいし)として小野妹子が派遣され、日本は隋と正式な国交を結ぶことに成功しました。
つまり、冠位十二階は「日本の国際的な地位を高める」という大きな目的もあったのです!
冠位十二階が日本の政治に与えた影響
冠位十二階の導入によって、日本の政治には次のような変化が起こりました。
✔ 有能な人材が出世しやすくなった
✔ 天皇の権力が強まり、氏族の力が弱まった
✔ 後の「律令制度(りつりょうせいど)」の基礎になった
特に重要なのは、「天皇中心の政治」が始まったことです。氏姓制度では、豪族(特に蘇我氏など)が大きな力を持ち、天皇よりも影響力を持つことがありました。しかし、冠位十二階では、天皇が直接、位を授ける仕組みになったため、天皇の権力が強化されたのです。
この仕組みは、701年の「大宝律令(たいほうりつりょう)」にも受け継がれ、その後の日本の政治制度の土台になりました。つまり、冠位十二階があったからこそ、日本は近代的な国家としての形を作ることができたのです!
冠位十二階の「その後」どうなった?
冠位十二階は、603年から約40年間使われましたが、その後、新しい制度に置き換えられていきました。
年表で見ると、こんなふうに変化しています。
- 603年(推古天皇) → 冠位十二階が制定
- 647年(大化の改新) → 「冠位十三階」になり、さらにランクが増える
- 649年(孝徳天皇) → 「冠位十九階」になり、もっと細かくランク分けされる
- 685年(天武天皇) → 「冠位四十八階」になり、大幅に変更
- 701年(文武天皇) → 「大宝律令」が制定され、新しい「位階制度」に変わる
このように、冠位十二階はどんどん発展し、最終的に律令制度の中で「位階(いかい)」という新しいシステムに進化しました。現代でも「正一位」「従三位」といった位階は使われており、冠位十二階の影響は今も残っているのです!
テスト対策!冠位十二階の重要ポイントまとめ
最後に、テストに役立つ冠位十二階のポイントを整理しておきましょう!
✔ 冠位十二階とは?
→ 603年、聖徳太子が制定した日本初の官位制度。氏姓制度の限界を補い、有能な人材を登用するために作られた。
✔ 色の順番は?
→ 濃紫・薄紫・濃青・薄青・濃赤・薄赤・濃黄・薄黄・濃白・薄白・濃黒・薄黒(紫が最高位!)
✔ 色の決まり方は?
→ 儒教の「五常」と中国の「五行思想」に基づいて決められた。
✔ なぜ作られたの?
→ 有能な人材を登用し、天皇の権力を強めるため。また、中国の隋に「日本はきちんとした国だ」と示すための外交戦略でもあった。
✔ その後はどうなった?
→ 「冠位十三階」「冠位十九階」「冠位四十八階」へと発展し、最終的に「位階制度」へと変わった。
このあたりは、学校のテストでよく出る部分なので、しっかり覚えておきましょう!
総括:冠位十二階の色順番を分かりやすく解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
1. 冠位十二階の色順番
- 冠位十二階とは:603年、聖徳太子が制定した日本初の官位制度で、色付きの冠で役人のランクを表した。
- 色の順番(高位から低位まで):
- 濃紫(大徳) → 2. 薄紫(小徳)
- 濃青(大仁) → 4. 薄青(小仁)
- 濃赤(大礼) → 6. 薄赤(小礼)
- 濃黄(大信) → 8. 薄黄(小信)
- 濃白(大義) → 10. 薄白(小義)
- 濃黒(大智) → 12. 薄黒(小智)
- 色の決まり方:
- 儒教の「五常(仁・礼・信・義・智)」と、中国の「五行思想(木・火・土・金・水)」に基づいて決定。
- 「徳」は天皇にふさわしい色として「紫」が割り当てられた。
2. なぜ紫が最上位だったのか?
- 染料が貴重だった:紫色を作る染料は非常に高価で、貴族や天皇しか使用できなかった。
- 中国の影響:隋や唐でも紫が皇帝の象徴とされ、日本でも同様に採用。
- 後の時代にも引き継がれた:律令制度や平安時代の貴族社会でも「紫=高貴な色」とされた。
3. 白と黒の違い
- 白と黒の濃淡(濃白・薄白、濃黒・薄黒):
- 現在の感覚では白や黒に濃淡の違いはないが、当時は布の織り方や光沢で区別されていた。
- 白と黒は位階の目印として使われ、見た目だけでなく「階級を示すための色」としての役割があった。
4. 冠位十二階の目的
- 有能な人材の登用:
- それまでの「氏姓制度(家柄で決まる制度)」では、能力があっても生まれが悪いと出世できなかった。
- 個人の才能や功績で出世できる「実力主義」を導入。
- 外交政策:
- 日本が隋との外交を成功させるため、国家としての格式を示すために制度を整備。
- 604年には「十七条の憲法」も制定し、国の仕組みを強化。
5. 日本の政治に与えた影響
- 天皇の権力強化:
- それまでの豪族中心の政治から、天皇が直接官位を授ける仕組みになった。
- これにより、天皇中心の国家体制が確立。
- 律令制度への布石:
- 701年の「大宝律令」に引き継がれ、より詳細な位階制度へと発展。
- 以後、貴族や武士の間でも「位階制度」が続き、現代の「叙位制度」にも影響を与えた。
6. 冠位十二階のその後
- 制度の変遷:
- 647年:冠位十三階に変更
- 649年:冠位十九階に拡張
- 685年:冠位四十八階に増加
- 701年:「大宝律令」により新たな「位階制度」へ移行
- 現代に残る影響:
- 「正一位」「従三位」などの位階制度は現在も存続し、叙勲制度とともに日本の栄誉制度に組み込まれている。
