子供達からしたらクソ迷惑な宿題。笑
そんな宿題を作った人が誰なのか気になりませんか?
実は宿題が誕生した背景には、知られざる歴史があります。宿題は古代からずっとあるもので、その名残が今にも引き継がれているのです。
そこで本記事では、宿題の歴史について徹底解説します。宿題を作った人物や宿題の起源についても紹介していきます。
宿題を作った人は誰?:宿題を発明した罪深き人物(笑)

まず最初に、宿題を作った人は誰なのかを紹介します。
こいつさえいなければ宿題なんてなかったのに…と、全生徒が思うことでしょう。犯人にはこいつです。
弁論術の教師プリニウスが自宅学習を課す
さかのぼること紀元1世紀、古代ローマに「プリニウス」という先生がいました。
この先生は、弁論術(人前で上手に話す技術)の達人で、生徒たちに「おうちで練習してきなさい」と命じました。これが宿題の元祖と言われています。
その宿題の内容は、いわゆる「スピーチの練習」。でも、今みたいにノートに書く宿題ではなく、何度も話す練習をすることが大事だと言っていました。
え、そんなの学校でやればいいじゃん?と思うでしょ?当時の生徒たちもきっと同じことを思ったに違いありません。
ただし、今と違って「やらないと罰がある!」みたいな厳しさはなかったそうです。「先生が言うなら、まあやるか~」くらいのゆるい感じ。でもこれが、後の「宿題地獄」の種になるとは、古代の生徒たちも予想していなかったでしょうね(笑)。
ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトが宿題を理論化
時代は飛んで19世紀、ドイツに「ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト」という教育学者が現れました。この人が宿題を本格的に広めた張本人と言われています。
ヘルバルト先生の考えは「授業で学んだことをちゃんと覚えるには、家で復習するのが一番だ!」というもの。うん、理屈は分かる。でも、それを強制するのはやめてほしかった。笑
ヘルバルト先生の理論がドイツ中の学校に広まると、毎日宿題を出す先生が続出。「家でも勉強しないとダメ」というルールが生まれました。しかも、このルールは国家レベルで「いいね!」され、他の国にも伝わったのです。
ドイツの生徒たちも「先生、本気で言ってるの!? 家ではゲームしたいんだけど!」と思っていたかもしれません。でも、国家が絡むとなると逆らえませんよね…。
こうして宿題という名の地獄が世界に広がり始めたのです。
日本では明治時代に宿題が制度化
日本に宿題がやってきたのは、明治時代のこと。
当時、日本は「欧米かぶれ」真っ盛り。西洋の教育をどんどん取り入れて、「賢い国民を育てよう!」という目標を掲げていました。そして、宿題もその一環で輸入されることになったのです。
明治政府が特に注目したのは、ドイツの教育制度。
「宿題をやればみんな賢くなる!」と信じた日本の先生たちは、生徒に容赦なく宿題を課しました。さらに、「夏休み」という素敵な制度ができると、「休み中に勉強を忘れないように」と夏休みの宿題まで追加。
生徒たちの悲鳴が聞こえてきそうです。汗
現在、宿題はすっかり日本の学校文化の一部になっています。でも、小学生や中学生のみんなが「宿題さえなければもっと遊べるのに!」と思う気持ちは、昔も今も変わりません。
この宿題システムを広めた明治の先生たちに、今の子どもたちが「なんで作ったの!?」と問い詰めたい気持ちはよく分かりますよね(笑)。
宿題を作った人が分かった後に:宿題の歴史

宿題の犯人が分かったところで、次に知りたいのは宿題がどのように広がり進化(あるいは悪化)してきたかですよね。
小中学生の皆さんに「こいつらが歴史の中で宿題をパワーアップさせたんだ!」と言うことを分かっていただくために、宿題の歴史を改めて紹介します。
古代~中世の宿題
昔々、まだ学校もなかった時代、宿題らしきものがひっそり存在していました。
古代ギリシャやローマでは、先生たちが「おうちでこれやっといて」と軽いノリで課題を出していました。プリニウス先生(あの罪深き人物ですね)もその一人で、「スピーチの練習してきなさい」と言っていたのが宿題の始まりです。
中世ではお坊さんや学者たちが自分で一生懸命に勉強するのが普通だったので、「宿題」というよりは自主学習。
それでも、先生たちは「これ覚えてきなさい」と言ったりして、生徒たちにプレッシャーをかけていました。これを聞いて「そりゃあ、勉強嫌いになるよね」と感じた人、いますよね?
そう、宿題の種はこの時代からしっかりまかれていたんです!
19世紀の宿題
宿題が「本格的な制度」になったのは19世紀のドイツ。
教育学者ヘルバルト先生が「みんな、授業で覚えたことは家で復習しなさい」と宿題を理論化しました。この時代から、宿題は「やらなきゃいけないもの」として扱われ始めました。
でも、ドイツの子どもたちも思ったはず。「いやいや、家では自由に遊びたいんですけど!」と。
それをさらに悪化させたのが政府です。「宿題は国民を賢くするためだ!」という理由で、宿題を全国的に導入してしまいました。もはや子どもたちに自由はなくなります。汗
20世紀初頭~中盤の宿題
20世紀に入ると、宿題はさらに進化します。
特にアメリカでは、冷戦時代に「科学と技術でソ連に勝つんだ!」という理由で、子どもたちにたくさんの宿題が課されました。スプートニク・ショックの影響で「宿題をしない子はダメだ」となり、生徒たちはますます追い込まれる羽目に。
でも、その反動で「宿題って本当に必要?」という議論も盛り上がります。カリフォルニア州では一時的に宿題禁止令まで出たとか。笑
当時の子どもたちは「やったー!」と喜んだでしょうが、その後すぐに「やっぱり宿題は必要」となり、宿題が復活するという悲劇が…。
20世紀後半~現代の宿題
時代が進むと、宿題はただの「復習」ではなく、いろいろな形に進化しました。「自由研究」とか「読書感想文」とか、難易度が上がる一方です。
最近ではインターネットを使った課題も登場。「ちょっと、先生!ネット検索で宿題って、もはや勉強じゃなくない?」と思う子もいるでしょう。笑
しかも、宿題の量がどんどん増えたのは「ゆとり教育」の影響です。
授業時間が減った分、宿題で補おうという発想です。「いや、補わないで!」と叫びたくなる気持ちは分かりますよね。現代では「宿題は本当に必要か」という議論もありますが、実際に減る日はまだ遠いのかも…。
日本の宿題の歴史
日本では明治時代に宿題が本格導入されました。欧米の教育をモデルにした日本政府は「宿題で子どもたちをもっと賢くするぞ!」と意気込んで、宿題を全国に広めました。
しかも、夏休みという楽しい時間が生まれると、そこにも宿題を追加。「夏休みを楽しめるわけないじゃん!」という生徒たちの悲鳴が聞こえてきそうです。
戦時中には、宿題が国から一律で出されるようになり、完全に自由が消えました。
そして戦後も宿題は生き残り、今では日常の一部に。みんな、「宿題なんてなくなればいいのに!」と思う気持ちは、明治時代の生徒たちも同じだったはずです(笑)。
総括:宿題を作った人は誰?いつから始まった?
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
宿題の起源と発明者
- 宿題の元祖は、紀元1世紀の古代ローマで弁論術を教えていた教師プリニウスが生徒に「スピーチの練習」を課したことに始まる。
- これが後の「宿題」の基礎となるが、当時は強制力のないゆるい課題だった。
19世紀の宿題:ドイツで制度化
- 教育学者ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトが「授業内容を家で復習する重要性」を説き、宿題を理論化。
- ドイツ国内で宿題が広まり、国家レベルで推進される。生徒たちの自由時間が制限される結果に。
20世紀初頭~中盤の宿題:拡大と議論
- 特にアメリカでは冷戦時代に「科学と技術で勝つため」という理由で宿題が大量に課されるように。
- 一方で「宿題は本当に必要なのか?」という議論も発生し、カリフォルニア州では一時的に宿題禁止令が出された。
20世紀後半~現代の宿題:多様化と増加
- 宿題の形式が「自由研究」「読書感想文」などに進化。インターネットを活用した課題も登場。
- 「ゆとり教育」の影響で授業時間が減り、その分宿題が増加。宿題の是非が再び議論されるようになる。
日本の宿題の歴史
- 明治時代にドイツの教育制度を取り入れ、宿題が本格導入される。
- 夏休みの登場により、夏休みの宿題という文化が定着。戦時中には国が宿題を一律で指定する状況に。
- 現在では宿題が日本の学校文化の一部となり、生徒たちにとっては負担と感じられる存在になっている。