「ベトナムがどこの植民地だったのか?」と聞かれたら、すぐに答えられますか?
実は、ベトナムは19世紀後半からフランスの植民地になっていました。学校の歴史の授業でも「フランス領インドシナ」として登場するので、聞いたことがある人もいるかもしれませんね。
でも、なぜフランスはベトナムを植民地にしたのでしょう? そして、フランス統治時代にベトナムの人々はどんな暮らしをしていたのでしょうか?
この記事では、ベトナムが植民地化された理由からフランス統治時代の影響、そしてベトナムが独立するまでの流れを分かりやすく解説します。
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ベトナムはどこの植民地だったのか?歴史を解説
ベトナムは19世紀後半からフランスの植民地となりました。この時期、フランスは「フランス領インドシナ」としてベトナム・カンボジア・ラオスを支配していました。
では、フランスがどのようにベトナムを植民地化したのか、詳しく見ていきましょう。
ベトナムはフランスの植民地だった!フランス統治の概要
ベトナムはフランスによる植民地支配を受けていました。正式には「フランス領インドシナ」という名前で、1887年に成立しました。この植民地はベトナム・カンボジア・ラオスの3つの地域から構成されていました。
ただし、ベトナムのすべてが同じ形で支配されていたわけではありません。
- コーチシナ(南部ベトナム):フランスの直轄領(完全な植民地)
- アンナン(中部ベトナム):保護国(名目上は阮朝が統治)
- トンキン(北部ベトナム):半直轄・半保護国(フランスの強い影響下にあった)
つまり、南部は完全にフランスの支配下、中部と北部は阮朝の王がいたものの、実際はフランスが管理していたのです。
フランスがベトナムを植民地にしたのは、一気にではありません。何十年もかけて徐々に侵略していきました。
- 1858年:フランスがベトナムに軍事侵攻
- 1862年:サイゴン条約で南部(コーチシナ)の一部を獲得
- 1867年:コーチシナ全域をフランスが支配
- 1883〜1884年:フエ条約で中部(アンナン)、北部(トンキン)を保護国化
- 1887年:フランス領インドシナが成立
このように、フランスは南部から順にベトナム全土を植民地にしていきました。
なぜフランスはベトナムを植民地にしたのか?その理由とは
フランスがベトナムを植民地にした理由は、大きく4つあります。
- 経済的理由:
ベトナムは米やゴムの生産が盛んで、フランスにとって非常に魅力的な土地でした。フランスはベトナムの資源を利用して、植民地経済を発展させたのです。 - 地政学的理由:
フランスは中国市場に進出するため、東南アジアの拠点が欲しかったのです。ベトナムを支配することで、中国への貿易ルートを確保しようと考えました。 - 宗教的理由:
当時、フランスのカトリック宣教師がベトナムで布教活動をしていました。しかし、阮朝の皇帝がキリスト教を弾圧したため、フランスはこれを口実に戦争を仕掛けたのです。 - 帝国主義の流れ:
19世紀のヨーロッパでは「植民地を増やすことが国の力の証」と考えられていました。フランスはイギリスに負けないように、アジアでも勢力を広げようとしていたのです。
フランス統治下のベトナム!植民地時代の政策と影響
フランス統治時代のベトナムでは、様々な政策が行われました。
- 経済支配:フランスはゴム・米のプランテーションを拡大し、ベトナムの人々は低賃金で働かされました。
- 文化政策:ベトナム語の代わりにフランス語教育が導入されました。知識層の中にはフランス文化を受け入れる人もいましたが、多くの人々は反発しました。
- インフラ整備:フランスはベトナムに鉄道や道路を建設しましたが、これらは主にフランス人のためのものでした。
- 行政の二重構造:名目上はベトナムの王(阮朝)が統治していましたが、実際にはフランスの総督が全てを管理していました。
こうしたフランスの統治により、ベトナムの人々は厳しい生活を強いられることになったのです。
日本の統治とフランス支配の終焉!第二次世界大戦の影響
フランスの植民地支配は長く続きましたが、第二次世界大戦中に大きく変化しました。
- 1940年:フランスがナチス・ドイツに降伏し、ベトナムに駐留するフランス軍は弱体化しました。
- 1940年9月:日本軍がベトナム北部に進駐(仏印進駐)
- 1945年3月:日本がフランスを完全に排除し、ベトナムを支配
- 1945年9月:日本の敗戦後、ホー・チ・ミンがベトナムの独立を宣言
- 1954年:ディエンビエンフーの戦いでフランスが敗北し、完全撤退
このように、日本の介入と戦争の影響で、フランスの植民地支配は終わりを迎えました。
フランスはどこの植民地?植民地時代のベトナムの状況
フランスによる植民地支配がベトナムにもたらした影響は、単に土地を奪われたことだけではありません。政治・経済・文化・社会のあらゆる面で大きな変化がありました。さらに、フランスの支配が終わった後も、ベトナムは独立をめぐる戦争に巻き込まれていきます。
フランス統治下のベトナム社会!経済格差の拡大
フランスによる支配は、ベトナムの社会に大きな変化をもたらしました。中でも、経済格差の拡大は深刻な問題でした。
1. フランスが進めたプランテーション経済
フランスは、ベトナムの豊かな土地を利用して、大規模なゴム・米・コーヒーのプランテーションを開発しました。これにより、農産物の生産は大きく増えましたが、その利益はすべてフランス企業と植民地政府に吸い取られました。
2. 地元の農民たちの生活は悪化
一方で、ベトナムの農民たちは自分の土地を奪われ、フランスの農園で安い賃金で過酷な労働を強いられるようになりました。もともと自給自足的な生活をしていた人々は、地主やフランス資本の支配のもとで生活が苦しくなっていきました。
3. 都市部の発展と労働者階級の誕生
フランスは、鉄道・道路・港の整備を進めましたが、それはフランス人のためのものであり、現地のベトナム人にはほとんど恩恵がありませんでした。しかし、これによってハノイやサイゴン(現ホーチミン市)といった都市が発展し、新しい労働者階級が生まれました。この労働者たちが後に独立運動の中心となっていきます。
ベトナムの教育と文化!フランスの影響とは?
フランス統治時代には、ベトナムの教育と文化にも大きな変化がありました。
1. フランス語教育の導入
フランスは、ベトナム語の使用を制限し、学校ではフランス語が使われるようになりました。そのため、一部のエリート層はフランス語を話し、フランス文化を受け入れるようになりました。
2. 伝統文化の衰退
フランスは、中国由来の儒教文化を否定し、西洋的な価値観を植え付けようとしました。例えば、かつてのベトナムでは漢字(チュノム)が使われていましたが、フランス支配の影響でローマ字表記(クオック・グー)が導入されました。
3. フランス文化への憧れと反発
フランス式の服装や食文化が広まり、都市の上流階級の間ではフランス文化が人気になりました。しかし、農村部ではフランスの支配に対する反発が強く、「ベトナムのアイデンティティを守ろう」という動きも見られるようになりました。
ベトナム独立運動の始まり!フランスへの反発が強まる
フランスの植民地支配は、次第にベトナム人の反発を招くようになりました。こうして独立を求める運動が活発になっていきます。
1. ファン・ボイ・チャウと東遊運動
19世紀末から20世紀初頭にかけて、知識人のファン・ボイ・チャウが「東遊運動(ドンズー運動)」開しました。これは、ベトナムの若者を日本に留学させ、フランスからの独立を目指す運動でした。しかし、日本とフランスの関係が良くなり、日本政府がこの運動を禁止したため、失敗に終わります。
2. ホー・チ・ミンと共産主義運動
1920年代になると、若い革命家ホー・チ・ミンが登場しました。彼はフランスで社会主義や共産主義を学び、やがてインドシナ共産党を結成し、フランスからの独立を目指します。この運動は後に「ベトナム独立同盟(ベトミン)」へと発展し、独立戦争につながっていきます。
第一次インドシナ戦争!フランスとベトナムの戦い
1945年、日本の敗戦後にホー・チ・ミンはベトナム民主共和国の独立を宣言しました。しかし、フランスはこれを認めず、再び植民地支配を復活させようとします。ここから**第一次インドシナ戦争(1946年~1954年)**が始まりました。
1. ゲリラ戦で戦うベトナム
ベトナム側(ベトミン)は、フランス軍と正面から戦うのではなく、ゲリラ戦を展開しました。ジャングルや山岳地帯を活用し、フランス軍を徐々に追い詰めていきます。
2. ディエンビエンフーの戦いとフランスの敗北
1954年、フランス軍は「ディエンビエンフーの戦い」で大敗を喫しました。この戦いにより、フランスはベトナムの支配をあきらめ、ジュネーヴ協定で正式に撤退することになりました。
ベトナム戦争とその後!フランス支配の影響は続く
フランスが撤退した後も、ベトナムは平和にはなりませんでした。アメリカが介入し、ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が始まったのです。
1. アメリカの介入
アメリカは、ベトナムが共産主義国家になることを恐れ、南ベトナムを支援しました。こうして、北ベトナム(ホー・チ・ミン側)と南ベトナム(アメリカ支援側)の戦争が始まりました。
2. ベトナム戦争の結末
長期にわたる戦争の末、1975年に北ベトナムが勝利し、翌年1976年にベトナムは統一されました。
3. フランス支配の影響は現代にも
現在のベトナムには、フランス統治時代の影響が残っています。
- フランス風の建築物(ハノイ大聖堂など)
- フランス語が話せる高齢者
- バインミー(フランスパンを使ったサンドイッチ)
このように、フランス植民地時代の名残が、ベトナムの文化の一部になっているのです。
総括:ベトナムはどこの植民地?まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
1. ベトナムはフランスの植民地だった
- 1887年に「フランス領インドシナ」として成立し、ベトナム・カンボジア・ラオスが統治された。
- ベトナムは以下の3つに分けて統治された:
- コーチシナ(南部):完全なフランス直轄領
- アンナン(中部):保護国(阮朝が名目上統治)
- トンキン(北部):半直轄・半保護国
2. フランスがベトナムを植民地にした理由
- 経済的理由:米やゴムなどの資源確保
- 地政学的理由:中国市場への貿易拠点確保
- 宗教的理由:カトリック宣教師の保護を口実
- 帝国主義の流れ:植民地拡大が国力の証と考えられていた
3. フランス統治下のベトナムの状況
- 経済支配:フランス資本の農園で低賃金労働が強いられた
- 文化政策:フランス語教育が導入され、伝統文化が衰退
- インフラ整備:鉄道や港の建設が進むも、現地人には利益が少なかった
- 行政の二重構造:名目上の阮朝の王がいるが、実際の統治はフランスが行った
4. 日本の統治とフランス支配の終焉
- 第二次世界大戦でフランス支配が弱体化
- 1945年3月:日本がフランスを排除しベトナムを統治
- 1945年9月:日本敗戦後、ホー・チ・ミンが独立宣言
- 1954年:ディエンビエンフーの戦いでフランスが敗北し完全撤退
5. フランス統治の影響とその後の戦争
- 経済格差が拡大し、都市部の労働者階級が独立運動の中心に
- ベトナム独立運動の高まり:ファン・ボイ・チャウやホー・チ・ミンの活動
- 第一次インドシナ戦争(1946年~1954年):フランスとベトミンが戦い、フランス敗北
- ベトナム戦争(1965年~1975年):フランス撤退後、アメリカと北ベトナムの戦争が続く
6. フランス支配の現代への影響
- フランス建築の残存(ハノイ大聖堂など)
- フランス語を話せる高齢者の存在
- バインミー(フランスパンを使ったサンドイッチ)などの食文化