今日は「解放令」について、簡単に分かりやすく解説します。

「解放令ってどんな法律なの?」
「四民平等と何が違うの?」
「本当に効果があったの?」


と疑問に思う人も多いでしょう。

この解放令は、明治時代に日本の身分制度を大きく変えた重要な布告ですが、実は「本当に差別がなくなったのか?」という点で、いろいろな意見があります。

今回は、その内容や背景、影響までしっかり解説しますので、ぜひ最後まで読んでくださいね!

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解放令とは簡単に言うと?その背景や目的を解説

明治時代、日本は「身分制度の撤廃(てっぱい)」という大改革を行いました。

その中で「穢多(えた)・非人(ひにん)」と呼ばれていた人々を法律上、平民と同じ扱いにすることを決めたのが「解放令」です。

しかし、この法律ができた背景には、ただ「差別をなくしたい!」という善意だけではなく、国の都合も関係していました。それでは、詳しく見ていきましょう!

解放令とは?簡単に言うと身分差別撤廃のための布告

解放令とは、1871年(明治4年)8月28日に明治政府が出した「太政官布告(たいせいかんふこく)」のことです。

この布告によって、「穢多」や「非人」と呼ばれていた身分が廃止され、彼らは法律上「平民」となりました。

この法令には正式な名前がなかったため、後に「解放令」や「賤称廃止令(せんしょうはいしれい)」と呼ばれるようになりました。教科書などでは「身分解放令(みぶんかいほうれい)」と書かれることもあります。

しかし、解放令が出されたからといって、すぐに差別がなくなったわけではありませんでした。むしろ、解放令の後も偏見(へんけん)や差別は続き、経済的な問題も発生してしまったのです。

なぜ解放令が出されたのか?背景にあった明治政府の狙い

解放令が出された背景には、大きく分けて次の3つの理由があります。

  1. 四民平等の実現
    明治政府は「国民みんなが平等な時代を作るぞ!」というスローガンを掲げていました。その一環として、身分制度をなくし、士農工商の区別を撤廃しようとしたのです。
  2. 地租改正(ちそかいせい)と税収アップ
    明治政府は新しい税金制度「地租改正」を進めていました。しかし、当時の被差別身分の人たちは、一部の土地で税金を免除されていたのです。そこで、身分を廃止し、彼らにも税金を払わせることで、政府の財政を安定させようとしました。
  3. 欧米諸国へのアピール
    明治時代、日本は西洋の国々と仲良くしようとしていました。欧米諸国では、すでに身分制度がなくなっていたため、「日本も差別のない国になったよ!」とアピールする狙いがあったのです。

このように、解放令は「平等を目指したもの」でもあり、「政府の都合」もあったのです。

解放令と四民平等の違いとは?意味を明確に整理

「四民平等(しみんびょうどう)」という言葉を聞いたことはありますか?

四民平等とは、士農工商の身分制度を廃止し、みんなを平等にするという政策です。一方で「解放令」は、被差別身分の廃止を目的としたものなので、少し意味が違います。

比較項目四民平等解放令
目的武士・農民・町人を平等にする被差別身分を法律上廃止する
対象武士・農民・町人穢多・非人(被差別身分)
実施年1869年(明治2年)1871年(明治4年)

つまり、四民平等は「身分の枠組みをなくそう!」という大きな動きの一部であり、その中の「特に被差別身分に関するもの」が解放令なのです。

賤称廃止令との違いは?同じものなのか徹底比較

「解放令」と「賤称廃止令」、名前が違うけど、これは同じものです。

ただし、時代や研究者によって呼び方が違うことがあります。

  • 「解放令」 → 一般的な呼び名。教科書や歴史の本で使われる。
  • 「賤称廃止令」 → 「穢多・非人」の呼称をなくすことに注目した名前。
  • 「身分解放令」 → 被差別身分を廃止することを強調した呼び方。

結局、内容は同じなので、どの呼び方を使っても間違いではありません。

壬申戸籍との関係とは?戸籍制度とのつながり

解放令と関係が深いのが、「壬申戸籍(じんしんこせき)」です。

これは、1872年(明治5年)に作られた、日本初の全国戸籍のことです。それまで「穢多」「非人」として記録されていた人たちも、この壬申戸籍では「平民」として登録されるようになりました。

しかし、大きな問題がありました。

この壬申戸籍には、どの家がもともと被差別身分だったのか分かる情報が残ってしまったのです。そのため、後の時代になっても、戸籍を見れば「この家は昔、差別されていた」と分かってしまい、差別が続く原因になってしまいました。

このように、解放令は「法律上の平等」を作ったものの、「実際の社会では差別が続いた」という問題を抱えていたのです。

解放令とは何か簡単に:内容・影響・問題点

解放令は法律上では「被差別身分をなくす」ことを目的としたものでしたが、実際にはさまざまな影響や問題点を生みました。社会はすぐには変わらず、解放令が出された後も差別は続きました。

また、経済的な問題も発生し、多くの人々が困難な状況に直面しました。では、具体的にどのような影響があったのか、詳しく見ていきましょう。

解放令の内容と実際の影響!法律上の変化と社会の反応

解放令の内容をもう一度整理すると、以下のようなものです。

  • 穢多・非人などの呼称を廃止し、平民と同じ身分とする
  • 職業の自由を認める(ただし、現実には制限が多かった)
  • 土地の所有・移動の自由を与える(しかし、経済的困難が多かった)

このように法律上は「平等」が実現したかのように見えますが、社会の反応は違いました。当時、すでに身分制度に慣れていた人々の中には、「自分よりも下の立場の人がいなくなるのが不安だ」と感じる者もいたのです。

そのため、解放令が出された直後には、日本各地で**「解放令反対一揆」**が起こりました。農村部では特に激しく、旧身分の人々が襲撃されたり、村を追い出される事件も発生しました。

結局、政府が法律を出したとしても、人々の考え方を一瞬で変えることは難しかったのです。

本当に効果はあったのか?「空文だった」と言われる理由

解放令が「一片の空文だった」と言われる理由はいくつかあります。

  1. 差別はなくならなかった
    • 法律上は「平等」とされたが、社会の意識は変わらず、結婚や就職で差別が続いた。
    • 旧身分の人々が村の自治から排除されることもあった。
  2. 経済的な支援がなかった
    • 武士には「秩禄処分(ちつろくしょぶん)」としてお金が支給されたが、旧被差別身分の人々には何の支援もなかった。
    • これまでの仕事を奪われ、生活が苦しくなった。
  3. 新しい差別用語が生まれた
    • 法律上は「平民」になったものの、「新平民(しんへいみん)」という呼び名が使われ、差別が続いた。

このように、解放令は「法律上の解放」であって、「実際の差別解消」にはならなかったというのが実態だったのです。

なぜ経済的に困窮したのか?被差別民が直面した課題

解放令によって「自由な職業選択」ができるはずでしたが、現実には多くの人が経済的に苦しむことになりました。

理由の一つは、伝統的な仕事を失ったことです。例えば、江戸時代には被差別身分の人々が「皮革(ひかく)産業」「死牛馬処理」「雑役」などの仕事を独占していました。これらの仕事は、解放令後、大商人や資本家が参入し、競争に勝てなくなったのです。

また、明治政府は武士に対しては経済的な支援を行ったものの、平民には何の支援もせず、新たな税金(地租)を課しました。そのため、生活がさらに苦しくなったのです。

このように、解放令は「自由を与える」と言いながらも、結果的に経済的に苦しい状況を生み出してしまいました。

部落解放運動へとつながる流れとは?全国水平社の成立

解放令が出された後も、差別はなくならず、多くの人々が苦しみ続けました。

そんな中、1922年(大正11年)に「全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)」という団体が設立されました。これは、日本初の本格的な部落解放運動の団体です。

全国水平社は、「人間らしく生きる権利を!」と訴え、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という言葉をスローガンに掲げました。彼らは、差別撤廃のために戦い続けました。

この運動は戦後も続き、同和対策事業人権擁護法の制定につながっていきました。

現代における解放令の意義!教育と人権問題の視点から

解放令が出されてから150年以上が経ちましたが、現在でも差別の問題は完全になくなったわけではありません。

例えば、「戸籍を見れば昔の身分が分かる」と考える人がいたり、インターネット上で差別的な書き込みが見られることもあります。

しかし、歴史を学ぶことで、なぜ差別が生まれたのか、どうすればなくせるのかを考えることができます。

また、1996年には「人権擁護施策推進法」が制定され、人権教育がより重視されるようになりました。現在では、学校でも解放令や部落問題について学び、みんなが平等に暮らせる社会を目指す取り組みが進んでいます。

総括:解放令とは何か簡単に解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 解放令とは?
    • 1871年(明治4年)に明治政府が発布した布告で、「穢多・非人」などの被差別身分を廃止し、法律上平民と同等とするもの
    • 「賤称廃止令」「身分解放令」などとも呼ばれる。
  • 解放令が出された背景
    1. 四民平等の実現:士農工商の身分制度撤廃の一環。
    2. 地租改正と税収確保:元々税の免除を受けていた被差別身分にも課税するため。
    3. 欧米諸国へのアピール:「日本も平等な国」として国際的な評価を上げる狙い。
  • 四民平等との違い
    • 四民平等:武士・農民・町人の身分制度を廃止する政策。
    • 解放令:特に被差別身分を廃止するための布告。
  • 解放令の問題点
    • 法律上は平等になったが、差別はなくならなかった
    • 経済的な支援がなかったため、被差別身分の人々が困窮。
    • 解放令反対一揆が発生し、社会の抵抗が強かった。
  • 壬申戸籍との関係
    • 1872年(明治5年)の壬申戸籍で「平民」として登録されたが、戸籍上で差別が残り、後世に影響を与えた。
  • 解放令の影響
    • 社会の意識はすぐには変わらず、差別は続いた。
    • 新たな差別語「新平民」などが生まれた。
    • 部落解放運動のきっかけとなり、全国水平社(1922年)などの運動につながった。
  • 現代の意義
    • 人権教育が進み、解放令の歴史を学ぶことで差別意識の解消が進められている。
    • 1996年の「人権擁護施策推進法」など、法律の整備も進んでいる。