江戸時代には「士農工商」という身分制度があったことは知っていますか?
しかし、明治時代になると、この身分制度は廃止され「四民平等」という考え方が生まれました。でも、本当にすべての人が平等になったのでしょうか?
今回は、四民平等の意味や目的、メリット・デメリットをわかりやすく解説します!テストにも出やすいポイントや語呂合わせも紹介するので、しっかり覚えていきましょう!
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四民平等とは何かわかりやすく解説
四民平等とは、明治時代に江戸時代の身分制度を廃止し、すべての人を平等に扱うために作られた政策のことです。
これによって、江戸時代まで厳しく区別されていた武士・農民・職人・商人の身分がなくなり、誰でも自由に職業を選べるようになりました。しかし、実際には新しい階級ができたり、すべての差別がなくなったわけではなかったりと、問題も多くありました。
それでは、四民平等がどのようにして始まり、どんな影響を与えたのか詳しく見ていきましょう!
四民平等とは?簡単にわかりやすく解説
四民平等とは、「士農工商」という江戸時代の身分制度を廃止し、すべての人を平等な「国民」として扱うという明治政府のスローガンです。
これにより、身分による職業の制限がなくなり、誰でも好きな仕事に就けるようになりました。また、結婚の自由や苗字を名乗る権利も与えられ、江戸時代のような厳しい身分制度がなくなりました。
しかし、完全に身分の違いがなくなったわけではありません。
実際には、「華族(旧公家・大名)」「士族(旧武士)」「平民(農工商)」という新しい身分が生まれました。また、差別を受けていた「えた・ひにん」と呼ばれる人々も平民として扱われるようになりましたが、社会の中では依然として差別が残っていました。
四民平等の背景 – 江戸時代の身分制度とは?
江戸時代の身分制度は、「士農工商」と呼ばれる4つの身分に分けられていました。
- 士(武士): 政府や藩を支え、刀を持つことが許された特権階級
- 農(農民): お米を作り、年貢を納める大多数の人々
- 工(職人): 物を作る人たち(大工・鍛冶屋など)
- 商(商人): 物を売って生計を立てる人たち
しかし、この「士農工商」は実際には厳密に機能していたわけではなく、農民が商売をしたり、商人が経済的に豊かになったりすることもありました。
一方で、身分制度の枠にすら入れられなかった「えた・ひにん」と呼ばれる人々は、差別を受けながら特定の仕事(皮革業や雑用仕事など)をすることを強いられていました。
このような身分制度の下で、江戸時代は約260年続きましたが、幕末になると「武士だけが特権を持つのはおかしいのでは?」という考えが広がり、明治政府が四民平等の政策を打ち出すことになったのです。
なぜ四民平等が必要だったのか?明治政府の狙い
四民平等が行われた最大の理由は、明治政府が「天皇を中心とした近代国家」を作りたかったからです。それまでの江戸時代では、武士が政治の中心でした。しかし、欧米の国々と対等に戦うためには、すべての国民を一つにまとめ、強い国家を作る必要がありました。
また、武士が持っていた特権(帯刀や俸禄の受給など)は、政府にとって大きな負担になっていました。そのため、士族の特権をなくし、すべての国民を平等に扱うことで、より効率的な国家運営を目指しました。
さらに、農工商の人々も国を支える大切な存在として認められるようになり、身分制度の撤廃は避けられない流れとなったのです。
四民平等によって変わったこととは?具体的な改革内容
四民平等によって、日本の社会は大きく変わりました。
以下のような具体的な改革が行われました。
- 武士の特権が廃止(士族として新たに分類されたが、特権は次第に消滅)
- 苗字を名乗る自由(それまで苗字を持てなかった農工商も、名前を持つことが可能に)
- 職業選択の自由(生まれた身分によって職業が制限されることがなくなった)
- 結婚の自由(士族と平民の結婚が許可され、身分による結婚制限がなくなった)
- 移住の自由(好きな場所に住むことが可能になり、都市への人口移動が進んだ)
こうした変化によって、人々の生活は自由度が増し、より多くの選択肢が与えられるようになりました。
四民平等と解放令の違い – 意味や目的を比較
四民平等と解放令は、どちらも身分制度を変えるための政策ですが、目的が異なります。
- 四民平等:士農工商の身分制度を廃止し、国民を平等にすることを目的としたスローガン
- 解放令(1871年):被差別身分(えた・ひにん)の名称を廃止し、彼らを平民として扱うための法令
四民平等は「身分制度を廃止する」という全体的な考え方ですが、解放令は「特定の差別された人々を平民とする」ことを目的としていました。
しかし、解放令が出された後も差別は完全になくならず、むしろ被差別身分の人々が経済的に困窮する原因にもなりました。
四民平等とは何か簡単に:目的とメリット・デメリット
四民平等は単なる身分制度の廃止ではなく、日本を近代国家へと移行させるための重要な改革でした。しかし、メリットだけでなく多くの課題も残されました。
ここでは、四民平等の目的と、そのメリット・デメリットを詳しく見ていきましょう。
四民平等の目的
四民平等が行われた目的は、単に身分制度をなくすだけではなく、日本を強い国にするための政策の一環でした。その目的には、以下のような国家戦略が含まれていました。
①中央集権国家の確立
江戸時代は「藩」と呼ばれる地方の領主が強い力を持っていました。しかし、明治政府は「天皇を中心とした国家」を作るため、全国を政府の直接支配下に置く必要がありました。そのため、旧武士階級を士族として再編し、身分制度を廃止することで、すべての国民が天皇のもとに平等な存在であるという意識を作り出したのです。
②富国強兵政策
四民平等によって、武士だけが軍人になるのではなく、すべての国民が兵役に就くことになりました。これが1873年の徴兵令です。「国民すべてが国を守る」という意識を根付かせるために、四民平等は大きな役割を果たしました。
③近代的な法制度の整備
江戸時代までは、武士と庶民では適用される法律が違いました。しかし、四民平等によって法律はすべての国民に平等に適用されるようになり、近代国家としての基盤が整えられました。
四民平等のメリット – 何が良かったのか?
四民平等の実施によって、日本社会には多くの良い変化が生まれました。そのメリットを見ていきましょう。
①国民の平等意識の向上
それまで武士が支配層であった日本で、「すべての人が平等」という考え方が浸透しました。これにより、努力次第で誰でも成功できるという社会の価値観が生まれました。
②社会の流動化
江戸時代までは、身分によって職業が決められていました。しかし、四民平等によって誰でも好きな職業に就けるようになり、商業や工業が発展するきっかけになりました。
③近代国家への移行
封建制度の名残を消し、日本が近代的な国へと変わるきっかけになりました。これにより、西洋のような「国民国家」の概念が生まれ、憲法の制定など近代化が進んでいきます。
④教育の普及
身分に関係なく教育が受けられるようになったことで、多くの人が学びの機会を得ました。これが後の日本の発展につながる要因となりました。
四民平等のデメリット – 実際は不平等だった?
しかし、四民平等には大きな問題点もありました。実際にはすべての人が平等になったわけではなく、新たな不平等が生まれました。
①新たな階級制度の誕生
「士農工商」という身分制度は廃止されましたが、新たに「華族・士族・平民」という階級が作られ、結局身分の違いは残りました。特に華族は特権を持ち続け、士族は苦しい生活を強いられることになります。
②士族の没落
武士は「士族」として新たな身分に分類されましたが、俸禄(武士への給料)が廃止されたことで、多くの士族が生活に困窮しました。その結果、不満を持った士族たちが**西南戦争(1877年)**を起こすなどの反乱が発生しました。
③被差別身分の差別継続
「えた・ひにん」という名称は廃止されましたが、実際には差別がなくなったわけではなく、結婚や職業選択の自由も制限されることが多くありました。
④農民への負担増
地租改正によって、農民は現金で税金を支払う必要があり、生活が苦しくなりました。結局、平等になるどころか、貧富の差が拡大してしまいました。
テストに出る!四民平等の重要用語・ポイント
四民平等に関連する重要な用語をまとめました。テストに出やすいので、しっかり覚えましょう!
- 士族・平民・華族(四民平等後に作られた新たな身分)
- 壬申戸籍(1872年)(近代的な戸籍制度の開始)
- 廃刀令(1876年)(士族の帯刀を禁止し、武士の象徴を廃止)
- 秩禄処分(1876年)(士族への給与支給を廃止)
- 解放令(1871年)(被差別身分を平民とする法令)
語呂合わせで覚える!四民平等の年号や関連法令
年号を覚えるのが苦手な人は、語呂合わせを活用しましょう!
- 1869年(明治2年) – 版籍奉還
→ 「いや!ロック(1869)な版籍奉還!」 - 1871年(明治4年) – 廃藩置県・解放令
→ 「人はない(1871)けど、廃藩置県!」 - 1872年(明治5年) – 壬申戸籍・学制
→ 「人は何(1872)より学ぶべし!」 - 1873年(明治6年) – 徴兵令・地租改正
→ 「人は涙(1873)する徴兵制」 - 1876年(明治9年) – 廃刀令・秩禄処分
→ 「人は泣く(1876)士族の没落」
総括:四民平等とは何かわかりやすく解説まとめ
最後に、本記事のまとめ残しておきます。
- 四民平等とは
明治時代に江戸時代の身分制度(士農工商)を廃止し、すべての人を平等に扱うための政策。 - 目的
① 中央集権国家の確立(天皇を中心とした政治体制の強化)
② 富国強兵政策(平民にも兵役を課し、近代軍隊を作る)
③ 近代的な法制度の整備(身分に関係なく法律を適用) - 背景
江戸時代の身分制度(士農工商)では、武士が特権階級として支配していたが、幕末になると「身分の違いは不要では?」という考えが広まった。 - 四民平等による変化
- 武士の特権廃止(士族として再編されたが、特権は徐々になくなる)
- 苗字の自由(農工商も苗字を持てるようになった)
- 職業・移住・結婚の自由(身分に縛られず、好きな仕事や結婚が可能に)
- 四民平等のメリット
① 平等意識の向上(身分に関係なく努力で成功できる社会に)
② 社会の流動化(自由な職業選択で商業・工業が発展)
③ 近代国家への移行(封建制度をなくし、憲法制定などが進む)
④ 教育の普及(すべての人が学校で学ぶ機会を得る) - 四民平等のデメリット
① 新たな階級制度の誕生(華族・士族・平民という新たな身分が生まれる)
② 士族の没落(武士の俸禄が廃止され、生活が困窮)
③ 被差別身分の差別継続(解放令で名称は廃止されたが、差別は残る)
④ 農民への負担増(地租改正で新たな税負担が発生)