葛飾北斎(かつしかほくさい)って知っていますか?
「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」という有名な浮世絵(うきよえ)を描いた、日本が誇る天才絵師です。

でも、「北斎の絵はすごい!」と言われても、具体的に何がすごいのか分からない人も多いかもしれませんね。
そこで今回は、葛飾北斎のすごさをたっぷり解説します!彼の描いた絵がなぜ世界中の芸術家に影響を与えたのか、そしてどんな生き方をしたのか。読めばきっと、北斎の魅力にハマること間違いなし!
それでは、さっそく見ていきましょう!
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葛飾北斎は何がすごいのか?圧倒的な才能と革新性
葛飾北斎は、ただの浮世絵師ではありません。彼は日本だけでなく、世界の芸術家にも大きな影響を与えたすごい画家です。その理由を詳しく解説していきます!
世界が認めた「富嶽三十六景」の圧倒的な構図と色彩
北斎の代表作といえば、『富嶽三十六景』です。これは、さまざまな場所や角度から見た富士山を描いたシリーズで、「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」が特に有名ですね。

この作品のすごさは、今までの浮世絵にはなかった「迫力のある構図」です。例えば、「神奈川沖浪裏」では、大きな波がうねり、今にも船を飲み込んでしまいそうな瞬間を描いています。そして、その奥には小さく富士山が見えます。この絵を見た人は、波の大きさに圧倒されると同時に、富士山の存在感を強く感じるんです。
また、この絵には「ベロ藍(あい)」と呼ばれる美しい青色が使われています。これは、当時ヨーロッパから日本に伝わった特別な青色の顔料(がんりょう)で、今でも「ホクサイブルー」と呼ばれています。こうした色彩の工夫も、北斎の絵がすごい理由のひとつなんです。
ゴッホやモネも影響を受けた「ジャポニスムの先駆者」
「ジャポニスム」とは、19世紀のヨーロッパで広がった「日本の美術に影響を受けた芸術」のことです。実は、北斎の作品はフランスやオランダなどの芸術家たちに大きな影響を与えたんですよ。
例えば、世界的に有名な画家ゴッホは、「北斎の波を真似して描いた」と言われています。また、印象派(いんしょうは)の代表的な画家であるモネやドガも、北斎の構図や色使いを参考にしました。
特に、北斎の「富嶽三十六景」は、遠近法の使い方や、大胆な構図が特徴的でした。これが西洋の画家たちにとって新鮮に映り、「こんな風に描いてみたい!」と思わせたのです。こうして北斎は、日本の芸術を世界に広めた第一人者となりました。
北斎は生涯に30回以上改名!画業に捧げた一生
北斎は、生涯に30回以上も名前を変えたことで有名です。画号(がごう)といって、画家が使う名前を変えるのは珍しいことではありませんが、北斎ほど何度も変えた人はいません。
「勝川春朗(かつかわしゅんろう)」から始まり、「宗理(そうり)」「戴斗(たいと)」「為一(いいつ)」、そして晩年は「画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)」と名乗りました。これは、「私は絵に狂っている」という意味で、本当に絵を描くことに命をかけていたことが分かりますね。
また、彼は90回以上も引っ越しをしたと言われています。その理由は、家が汚れると片付けるのが面倒だから!部屋が散らかると新しい場所に移り住み、また絵を描き続けたのです。まさに「絵を描くために生きた人」ですね。
マンガの祖?北斎漫画が後世に与えた影響
北斎は、「北斎漫画(ほくさいまんが)」というスケッチ集を出版しました。これは、いろいろな動物や人の動きを描いた本で、当時の人々に大人気でした。

実は、この「北斎漫画」が、現在のマンガ文化のルーツになったと言われています。北斎は、動きのある絵を得意としており、人の表情やしぐさを生き生きと描きました。これが、後のアニメーションやマンガの技法に影響を与えたのです。
さらに、「北斎漫画」はヨーロッパにも伝わり、西洋の画家たちにとっては「日本の美術の教科書」として活用されました。このことからも、北斎の影響力がどれだけ大きかったかが分かりますね。
西洋の遠近法を取り入れた先進的な表現
北斎は、浮世絵に「遠近法(えんきんほう)」を取り入れた画家としても知られています。遠近法とは、遠くのものを小さく、近くのものを大きく描くことで、奥行きを表現する技法のことです。
北斎はこれを独自に発展させ、「三ツ割の法」という方法を生み出しました。これは、画面を三つの層に分けて描くことで、よりリアルな奥行きを作る技術です。これによって、北斎の浮世絵はより立体的に見えるようになりました。
このように、北斎は日本の伝統的な絵のスタイルを守りながらも、新しい技法を積極的に取り入れました。こうした革新的な姿勢が、彼を「天才」と呼ばれる理由のひとつなのです。
葛飾北斎は何がすごいのか?生涯と驚きのエピソード
葛飾北斎は、ただ絵が上手かっただけではありません。彼の人生は、まるでドラマのように波乱万丈でした。
ここでは、北斎の生涯と、彼にまつわる驚きのエピソードを紹介します。
6歳で絵を描き始め、19歳で浮世絵の道へ
北斎は1760年、江戸(今の東京)に生まれました。幼いころから絵が好きで、6歳のころにはすでに描き始めていたそうです。
19歳になると、当時の有名な浮世絵師「勝川春章(かつかわしゅんしょう)」に弟子入りし、本格的に絵を学びます。最初は役者絵を描くことが多かったのですが、次第に自分なりのスタイルを確立していきました。
30歳を過ぎると、「勝川派」を飛び出し、新しい技法を学ぶために狩野派や琳派など、さまざまな絵の流派を研究します。つまり、北斎はただ絵が上手かっただけでなく、新しい技術をどんどん学ぶ努力家だったのです。
北斎のライバル?同時代の浮世絵師たちと比較
北斎と同じ時代には、たくさんの浮世絵師が活躍していました。その中でも特に有名なのが「歌川広重(うたがわひろしげ)」と「歌川国芳(うたがわくによし)」です。
- 歌川広重は、風景画の名手で、「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」という作品が有名です。北斎と同じく、富士山を描くのが得意でしたが、広重の絵は「静かで落ち着いた雰囲気」が特徴でした。
- 歌川国芳は、奇抜な発想で知られる浮世絵師です。特に「武者絵(むしゃえ)」や「妖怪画(ようかいが)」が得意で、ダイナミックな構図が特徴でした。
北斎は、どちらかというと「独創性」と「挑戦の精神」にあふれていて、新しいことをどんどん試すタイプの画家でした。このため、彼の作品は現代でも新鮮に感じられるのです。
北斎の奇行!90回以上の引っ越しと驚きの生活スタイル
北斎は「絵を描くこと」しか考えていない人だったため、生活はとても変わっていました。例えば、彼は生涯で90回以上も引っ越しをしたと言われています。
なぜそんなに引っ越したのかというと、「掃除をするのが面倒だから」です。部屋が汚れてくると、そのまま引っ越してしまうという驚きの生活スタイルをとっていました。
さらに、お金にはあまり興味がなく、絵の代金を受け取ると、そのまま無造作に放り投げてしまうこともあったとか。食事にもこだわらず、着ている服もボロボロだったそうです。
しかし、そんな北斎を支えたのが娘の「葛飾応為(かつしかおうい)」でした。彼女もまた優れた浮世絵師で、父・北斎の世話をしながら、自身も美しい美人画を描いていました。
「あと10年生きれば、本当の絵描きになれた」—最期の言葉
北斎は90歳で亡くなります。そのときの最期の言葉が、なんとも印象的でした。
「あと10年……いや、せめて5年あれば、本当の絵描きになれたのに!」
この言葉から分かるように、北斎は死の直前まで「もっと良い絵を描きたい」と思っていました。彼の「絵に対する情熱」は、まさに一生消えることがなかったのです。
彼が亡くなった後も、その作品は日本だけでなく、世界中の美術館で展示され、多くの人々を魅了し続けています。
北斎の作品を実際に見られる美術館や展覧会
「北斎の作品を実際に見てみたい!」という人のために、彼の作品を展示している美術館を紹介します。
- すみだ北斎美術館(東京都墨田区)
北斎の生誕地・墨田区にある美術館で、彼の代表作や貴重な資料を展示しています。 - 太田記念美術館(東京都渋谷区)
浮世絵専門の美術館で、定期的に北斎の作品を展示する特別展が開催されます。 - 長野県小布施町の北斎館(長野県)
北斎が晩年に手がけた「八方睨み鳳凰図(はっぽうにらみほうおうず)」を見られる貴重な美術館です。
また、北斎の作品は世界中の美術館にも所蔵されており、特にフランスの「オルセー美術館」やアメリカの「メトロポリタン美術館」でも見ることができます。
もし機会があれば、ぜひ北斎の作品を実際に見に行ってみてください!本物の迫力に圧倒されること間違いなしです。
総括:葛飾北斎は何がすごいのか?まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
✅ 葛飾北斎のすごさとは?
- 『富嶽三十六景』に代表される、斬新な構図と色彩表現が圧倒的
- 「神奈川沖浪裏」は迫力のある波と小さな富士山の対比が見事
- 「ベロ藍(ホクサイブルー)」という特別な青色を活用
✅ 世界的な影響
- ゴッホ、モネ、ドガなど西洋画家に多大な影響を与えた
- 「ジャポニスム」の先駆者として西洋芸術にも貢献
✅ 生涯とエピソード
- 6歳で絵を描き始め、19歳で浮世絵の道へ
- 生涯に30回以上改名し、「画狂老人卍」と名乗るほど絵に没頭
- 90回以上引っ越しを繰り返し、片付けが面倒で転居
✅ 北斎の技法と革新性
- 遠近法を独自に発展させた「三ツ割の法」を考案
- マンガ文化のルーツとも言われる「北斎漫画」を出版
✅ 最期の言葉と作品の影響
- 「あと10年、いや5年生きれば本当の絵描きになれたのに」と語る
- 日本だけでなく、世界の美術館で作品が展示され続けている
✅ 北斎の作品が見られる美術館
- すみだ北斎美術館(東京) – 生誕地にある美術館
- 太田記念美術館(東京) – 浮世絵専門の美術館
- 北斎館(長野) – 晩年の作品を所蔵
- フランス「オルセー美術館」やアメリカ「メトロポリタン美術館」でも展示