こんにちは、塾長です!今日はみんなが日本史の授業で必ず習う「墾田永年私財法」について分かりやすく解説します!
「この法律って結局何を決めたの?」
「三世一身法と何が違うの?」
「貴族やお寺が得をしたって本当?」
そんな疑問にしっかり答えていきます。
さらに、テストによく出るポイントや、語呂合わせで覚える方法も紹介するので、最後まで読んでしっかりマスターしましょう!
墾田永年私財法とは?出された理由もわかりやすく解説

墾田永年私財法は、奈良時代の743年(天平15年)に制定された法律です。この法律ができたことで、日本の土地制度が大きく変わりました。
それまでの土地は基本的に国が管理していましたが、墾田永年私財法によって「開墾した土地は個人のものになる」ことが認められたのです。
では、この法律の内容や背景を詳しく見ていきましょう!
墾田永年私財法とは?簡単に説明
墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)は、新しく開墾した土地の永久的な私有を認めた法律です。
この法律ができる前、土地はすべて天皇のものとされ、農民は「口分田(くぶんでん)」という農地を6歳以上の男子に割り当てられていました。でも、口分田は自分のものではなく、亡くなったら国に返す決まりだったのです。
しかし、開墾する人が増えなければ、田んぼが荒れ果ててしまいます。そこで政府は、土地の所有を3代まで認める「三世一身法(さんぜいっしんのほう)」を制定しましたが、効果はあまりありませんでした。
そこで登場したのが「墾田永年私財法」です!この法律では、一度開墾した土地をずっと持ち続けられるようになりました。これによって農民のやる気が上がり、田んぼを増やすことができたのです。
墾田永年私財法が出された理由は?背景を解説
墾田永年私財法が出された一番の理由は、「土地が足りなくなったから」です。
奈良時代は人口が増え、割り当てる口分田が不足する事態になりました。そのうえ、農民の負担が大きく、税金(租庸調)が重すぎたため、土地を捨てて逃げる人が続出していたのです。田んぼが荒れ果てれば、当然ながら政府も税収が減ります。
その対策として、最初に作られたのが「三世一身法」でした。これは、「新しく開墾した土地を3世代(祖父・父・子)まで私有していい」という法律でした。でも、3代目で土地を国に返さなければならないため、開墾する人は増えませんでした。
「もっと効果的な方法を考えなければ!」と政府が考えた結果、743年に登場したのが墾田永年私財法です。「開墾した土地は永遠にあなたのもの!」としたことで、多くの人が新しい田んぼを作るようになりました。
墾田永年私財法の内容とポイント【簡単に解説】
この法律には、次のようなルールがありました。
- 開墾した土地の永久私有を認める(今までの「期限付き所有」との違い)
- 位階(身分)によって所有できる面積が決まる(貴族やお寺が広い土地を持てる)
- 開墾前に国(国司)に申請する必要がある
- 許可を得たら3年以内に開墾を完了しないとダメ
- 税は引き続き納めなければならない(完全に自由な土地ではない)
つまり、「開墾すれば土地をずっと持てるけど、ルールもちゃんとあるよ!」という内容だったのです。
墾田永年私財法と三世一身法の違いを比較
「三世一身法」と「墾田永年私財法」はどちらも開墾を促すための法律ですが、大きな違いがあります。
| 項目 | 三世一身法(723年) | 墾田永年私財法(743年) |
|---|---|---|
| 土地の所有期間 | 3世代まで | 永久に私有可能 |
| 土地を持てる条件 | 誰でもOK | 身分によって制限あり |
| 目的 | 一時的な開墾促進 | 継続的な開墾促進 |
このように、墾田永年私財法の方が強力な法律だったことが分かります。
語呂合わせで覚える!墾田永年私財法のポイント
「年号や法律の名前を覚えるのが苦手!」という人のために、簡単に覚えられる語呂合わせを紹介します!
- 「なーよさ(743)しく私有」 → 743年に私有が認められた!
- 「こん(墾)でん!えーねん!」 → 開墾して永年OK!
- 「三世一身は短すぎ、もうこりごり」 → 三世一身法の失敗が背景にある
これを覚えておけば、テストで迷うことはありません!
墾田永年私財法を超わかりやすく:影響について

墾田永年私財法は、土地制度を大きく変えました。この法律によって農民だけでなく、貴族や寺院、さらには政府までもが影響を受けました。では、具体的にどのような変化があったのか、詳しく見ていきましょう!
墾田永年私財法がもたらした社会の変化
墾田永年私財法の制定によって、社会は次のように変わりました。
- 土地を持てる人と持てない人の差が拡大
- 貴族や寺院が大規模な私有地を持つようになった
- 農民の中にも「成功者」と「貧困層」が生まれた
- 荘園の発展につながり、やがて武士が誕生するきっかけになった
もともとは、農民がやる気を出して開墾するための法律でしたが、結局のところ貴族や寺院が得をする形になってしまいました。
貴族や寺院が土地を独占!荘園の始まり
墾田永年私財法では、身分の高い人ほど広い土地を持てる仕組みになっていました。そのため、財力のある貴族や寺院が次々と土地を開墾し、大規模な農地を所有するようになったのです。
こうして生まれた大規模な私有地が**「荘園(しょうえん)」**です。
荘園の特徴は次のとおりです。
- 貴族や寺院の土地は税金が免除されることが多かった
- 農民は貴族や寺院の保護を受ける代わりに、労働力を提供するようになった
- 政府は税を取ることが難しくなり、財政が苦しくなった
これが平安時代の荘園制度へと発展し、さらに武士の台頭につながっていきます。
農民の生活はどう変わった?格差の拡大
墾田永年私財法によって、農民の生活も大きく変化しました。
成功した農民
- 自分で開墾し、多くの土地を持つことができた
- 貴族や寺院に土地を貸し出して利益を得るようになった
- 田んぼを広げて農業を大規模化できた
苦しんだ農民
- 土地を開墾する資金や労働力が足りず、貴族や寺院に頼るようになった
- やがて「借りた土地で働く」形になり、支配される立場に
- 収穫物の多くを貴族や寺院に納めるため、自分の生活は楽にならなかった
このように、墾田永年私財法はすべての農民を助ける法律ではなく、貧富の差を生む結果となってしまいました。
墾田永年私財法が公地公民制を崩壊させた!
もともと、奈良時代の日本は「公地公民制」(土地も民も国のもの)という制度を取っていました。しかし、墾田永年私財法によって「土地の私有」が認められたことで、この制度は崩れてしまったのです。
公地公民制の崩壊
- 国家が土地を管理できなくなった
- 一部の貴族や寺院が土地を独占するようになった
- 税収が減少し、政府の財政が悪化した
この流れが続き、最終的には平安時代の荘園制へと発展していきます。
テストに出る!墾田永年私財法の重要ポイント
テスト対策として押さえておくべきポイントをまとめます。
テストによく出るポイント
✅ 743年に制定された(語呂合わせ:「なーよさ(743)しく私有」)
✅ 新しく開墾した土地の永久私有を認めた
✅ 位階によって土地の所有面積が制限された
✅ 開墾を進める目的だったが、貴族や寺院が土地を独占した
✅ 荘園の発展につながり、公地公民制が崩壊した
テストでは、「三世一身法との違い」や「墾田永年私財法の影響」が問われることが多いので、しっかり覚えておきましょう!
最後に:墾田永年私財法を超わかりやすく解説のまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
1. 墾田永年私財法とは?
- 743年(天平15年)に制定された法律。
- 新しく開墾した土地の永久私有を認めた。
- それまでは土地はすべて天皇の所有で、農民は口分田を借りて耕作していた。
- 三世一身法(723年)は土地所有を3代まで認めたが効果が薄かったため、より強力な墾田永年私財法が導入された。
2. 墾田永年私財法が出された理由
- 人口増加により口分田が不足した。
- 農民の負担(税・労働)が大きく、土地を捨てる人が増えたため、政府の税収が減少。
- 三世一身法では不十分だったため、土地所有を永年とすることで開墾を促進した。
3. 墾田永年私財法の内容とルール
- 開墾すれば土地を永久に所有できる。
- 位階(身分)によって所有できる面積が異なる(貴族や寺院は広い土地を所有可能)。
- 開墾前に国に申請し、許可を得る必要がある。
- 3年以内に開墾しないと所有権を失う。
- 完全な私有ではなく、税金は引き続き納める必要があった。
4. 三世一身法との違い
| 項目 | 三世一身法(723年) | 墾田永年私財法(743年) |
|---|---|---|
| 所有期間 | 3世代まで | 永久に私有可能 |
| 所有条件 | 誰でもOK | 位階による制限あり |
| 目的 | 一時的な開墾促進 | 継続的な開墾促進 |
5. 墾田永年私財法の影響
- 貴族や寺院が土地を独占し、荘園が誕生。
- 農民の間に格差が生じ、土地を持てる者と持てない者に分かれた。
- 政府の税収が減り、公地公民制が崩壊。
- 土地を持つ貴族・寺院を守るために「武士」が誕生するきっかけになった。
6. 語呂合わせで覚える
- 「なーよさ(743)しく私有」 → 743年に土地の私有が認められた。
- 「こん(墾)でん!えーねん!」 → 開墾して永年OK!
- 「三世一身は短すぎ、もうこりごり」 → 三世一身法が失敗した背景。
