江戸時代の「享保の改革」って聞いたことありますか?
これは、徳川幕府が財政のピンチを乗り越えるために行った大きな改革のひとつです。でも、テストや授業で出てくると、「難しそう…」と思う人も多いかもしれませんね。
そこで今回は、塾長の私が「享保の改革」を世界一わかりやすく解説します!
この改革は何のために行われたのか、どんな影響があったのか、メリット・デメリットまでしっかりお話ししますよ。さらに、語呂合わせやテストで出やすいポイントも紹介するので、最後まで読めば「テストでバッチリ答えられる!」ようになります。
享保の改革をわかりやすく解説!目的と内容

享保の改革は、江戸幕府の8代将軍・徳川吉宗が行った政治改革です。江戸時代には、幕府の財政がどんどん苦しくなっていたので、それを立て直すためにさまざまな対策を打ち出しました。
幕府のお金を増やすだけでなく、庶民の暮らしを守るための工夫もされたのが特徴です。それでは、どんな改革が行われたのかを見ていきましょう!
享保の改革とは?なぜ行われたのか
享保の改革は、1716年から始まった幕府の財政再建のための大改革です。徳川幕府は、それまでの支出が増えすぎてお金が足りなくなってしまいました。さらに、農民が納める「年貢(ねんぐ)」が安定せず、収入が減ってしまうことも大きな問題でした。
そこで、徳川吉宗は幕府の財政を黒字に戻すために、大胆な政策を次々と実行 しました。改革の目的は大きく分けると次の3つです。
- 幕府の収入を増やすこと(税の仕組みを変えるなど)
- 支出を減らすこと(無駄遣いをやめるなど)
- 庶民の生活を守ること(社会制度の改革)
これらの目的を達成するために、吉宗は「上米の制(あげまいのせい)」や「五公五民(ごこうごみん)」など、さまざまな政策を実施しました。
享保の改革のポイント!財政再建のための具体策
財政を立て直すために、吉宗は税制の変更や倹約(節約)政策を進めました。特に注目すべき政策を紹介します。
✅ 上米の制(あげまいのせい)
大名に1万石(こく)につき100石の米を幕府に献上させる制度です。代わりに、参勤交代の期間を短くし、大名の負担を減らしました。結果的に幕府の財政が一時的に改善しましたが、長続きはしませんでした。
✅ 五公五民(ごこうごみん)
農民が納める年貢を「四公六民」→「五公五民」に変更しました。これは、幕府の取り分を4割から5割に増やす制度です。幕府の収入は増えましたが、農民の負担が増えてしまいました。
✅ 定免法(じょうめんほう)
それまでの「検見法(けみほう)」では、収穫量に応じて年貢が決まりましたが、定免法では、毎年一定の金額を徴収するようになりました。幕府にとっては収入が安定するメリットがありましたが、農民にとっては不作でも年貢が減らないため、負担が大きくなりました。
✅ 貨幣改鋳(げんぶんのかいちゅう)
金や銀の含有量を調整して、新しい貨幣を発行しました。これによって、幕府の収入を増やし、経済の流通を促進しました。
✅ 倹約令(けんやくれい)
幕府や大名の無駄遣いを禁止し、質素な生活をするように命じました。吉宗自身も 「一汁一菜」の質素な食事 をとるなど、倹約を徹底しました。
享保の改革と農民の関係―負担増加とその影響
享保の改革では、農民の負担が増えたことも重要なポイントです。
📌 五公五民の影響
農民の取り分が減り、生活が厳しくなりました。特に、不作の年には食べるものがなくなる農民も多かったです。
📌 定免法の問題点
作物がよく取れた年は問題ありませんでしたが、天候不順や災害の影響で収穫が減っても、決められた年貢を納めなければならず、多くの農民が苦しみました。
📌 享保の大飢饉(1732年)
西日本を中心に凶作となり、全国で1万人以上の餓死者が出ました。この影響で、農民の怒りが爆発し、各地で一揆(いっき)や打ちこわしが起こりました。
このように、享保の改革は幕府にとっては成功でしたが、農民にとっては厳しい負担を強いるものでした。
享保の改革の社会政策―目安箱や小石川養生所とは?
吉宗は、庶民の声を聞くための新しい仕組みを作りました。
💡 目安箱(めやすばこ)とは?
江戸城に 庶民が意見を書いて投書できる箱 を設置しました。ここから生まれた有名な政策に「小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)」があります。
🏥 小石川養生所とは?
貧しい人々が無料で医療を受けられる施設です。現代の病院のような役割を果たしました。
📜 公事方御定書(くじかたおさだめがき)
これは、裁判のルールを統一するために作られた法典で、庶民が公平な裁判を受けられるようになりました。
これらの社会政策は、農民の負担を少しでも軽くしようという吉宗の工夫だったのです。
享保の改革を分かりやすく:良い点・悪い点

享保の改革は、江戸幕府の財政を立て直すために行われ、多くの成果を上げました。しかし、その一方で農民の負担が増えすぎたことや、長期的には幕府の権威低下につながったという問題点もありました。
ここでは、享保の改革の成功した点と失敗した点を詳しく見ていきます!
享保の改革の良い点―成功した政策とその効果
享保の改革の最大の成功は、 幕府の財政を黒字に戻したことです。いくつかの成功ポイントを見てみましょう。
✅ 財政再建の成功
- 「上米の制」や「五公五民」により、一時的に幕府の収入が大きく増加しました。
- 「定免法」によって幕府の年貢収入が安定し、財政運営がしやすくなりました。
✅ 法整備による秩序の安定
- 「公事方御定書」により、裁判の基準が明確になり、法律が安定しました。
- これにより、町人や農民も公平な裁判を受けることができるようになりました。
✅ 経済政策の発展
- 「堂島米会所」の公認により、米の価格が安定し、商人たちが安心して取引できるようになりました。
- 「貨幣改鋳」により、通貨供給が増え、経済の活性化につながりました。
✅ 社会福祉の向上
- 「目安箱」の設置により、庶民の声を政治に反映できる仕組みが作られました。
- 「小石川養生所」の設立により、貧しい人でも無料で医療を受けられる ようになりました。
享保の改革は、幕府だけでなく商人や庶民にもメリットがあったという点で、成功した政策が多かったのです。
享保の改革の悪い点―農民への負担増加と反発
成功した一方で、農民にとっては大きな負担がかかる改革 でした。そのため、百姓一揆(ひゃくしょういっき)や打ちこわしが増えました。
📌 農民の年貢負担が増加
- 「五公五民」により、農民の負担が大きくなりました。
- それまでは「四公六民」で、農民の取り分は6割でしたが、5割に減ったため、生活が苦しくなりました。
📌 凶作時でも年貢を納めなければならなかった
- 「定免法」により、天候が悪くて収穫が少なくても、決められた年貢を納める必要がありました。
- その結果、食べるものがなくなり、享保の大飢饉(1732年)では多くの農民が餓死しました。
📌 庶民の不満が高まり一揆が多発
- 「享保の大飢饉」により、食料が不足し、全国で1万人以上の餓死者 が出ました。
- これをきっかけに、農民は「百姓一揆」や「打ちこわし」を起こし、幕府に反発しました。
📌 改革の長期的な影響
- 享保の改革の間は幕府の財政が安定しましたが、農民の不満がたまり、次の時代には幕府の権威が弱まる原因となりました。
- 農民が苦しい生活を強いられたことで、江戸時代後半には社会不安が増えていきました。
このように、享保の改革は短期的には成功しましたが、長期的には農民の反発を招き、幕府の支配を揺るがす原因になったのです。
他の改革と比較!寛政の改革・天保の改革との違い
江戸時代には、享保の改革以外にも「寛政の改革」や「天保の改革」など、さまざまな改革が行われました。それぞれの違いを見てみましょう。
✅ 寛政の改革(1787年~1793年)
- 老中・松平定信(まつだいらさだのぶ)が実施
- 教育の充実(昌平坂学問所の強化)
- 旗本や御家人の借金帳消し
✅ 天保の改革(1841年~1843年)
- 老中・水野忠邦(みずのただくに)が実施
- 株仲間の解散による経済統制
- 物価の管理(米の価格統制)
💡 享保の改革との違い
- 享保の改革は「財政再建」が中心だったが、寛政の改革は教育、天保の改革は経済政策がメインだった。
- 幕府が抱える問題が時代によって変わるため、それぞれの改革の目的も異なっている。
テストに出る!享保の改革の語呂合わせと重要用語
✅ 語呂合わせで覚えよう!
- 「いーな(1716)財政改革、幕府のため」(享保の改革が始まった年)
- 「あげまい(上米)して、しっそけんやく」(上米の制と倹約令)
- 「ごこうごみん(五公五民)は農民泣かせ」(農民の年貢負担増加)
✅ 重要用語解説
- 上米の制(あげまいのせい): 大名から米を献上させる制度
- 五公五民(ごこうごみん): 年貢の割合を幕府5割、農民5割に変更
- 定免法(じょうめんほう): 年貢の額を毎年固定する制度
- 堂島米会所(どうじまこめかいしょ): 米の先物取引市場
享保の改革が日本に与えた影響と現代への教訓
享保の改革は、日本の歴史に大きな影響を与えました。
📌 幕府の財政は一時的に安定
- 享保の改革によって幕府の財政は黒字化し、政治が安定しました。
📌 庶民の暮らしは厳しくなった
- 一方で、農民の負担が増え、不満がたまる結果になりました。
📌 現代にも通じるポイント
- 財政管理の重要性(国家財政の安定が政治に影響を与える)
- 社会福祉政策の必要性(目安箱や養生所のような庶民救済策)
- 経済政策と市場のバランス(堂島米会所のような市場管理)
総括:享保の改革をわかりやすく解説まとめ
最後に、本記事の要約を残しておきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 改革の目的 | 幕府の財政を立て直し、経済を安定させる |
| 開始年 | 1716年 |
| 主導者 | 徳川吉宗(8代将軍) |
| 財政再建策 | 上米の制(大名から米を徴収)、五公五民(農民の年貢増加)、定免法(年貢を固定) |
| 社会政策 | 目安箱の設置(庶民の意見を聞く)、小石川養生所の設立(無料の医療施設) |
| 法制度改革 | 公事方御定書(裁判の基準を明確化) |
| 経済政策 | 堂島米会所の公認(米価の安定)、貨幣改鋳(通貨供給の調整) |
| 影響・結果 | 幕府の財政は黒字化したが、農民の負担増で一揆が多発、享保の大飢饉で多数の餓死者が発生 |
