「マルタ会談」と「ヤルタ会談」、名前がよく似ていて覚えにくい…そんな声をよく聞きます。
でも実はこの2つ、世界史においてとっても重要な会談なんです!一つは第二次世界大戦の終わりを決めた会談、もう一つは冷戦という長い対立の終わりを告げた会談。
この2つを比べてみると、時代背景や参加国、話し合われた内容まで、すべてがまったく違います。本記事では、それぞれの会談の違いや共通点を、一覧表や具体例を使って、塾長がやさしく解説していきます。
↓実質無料で読めるおすすめ歴史の読み物↓
マルタ会談とヤルタ会談の違いを簡単に比較
「マルタ会談」と「ヤルタ会談」って、名前が似ていて混乱しがちですよね。でも実は、時代も目的もまったく違うんです。ここでは、その違いをポイントごとに分かりやすく解説していきます!
マルタ会談とヤルタ会談の違い比較表
まずは一目でわかるように、両会談の違いを表にまとめてみました。
| 項目 | ヤルタ会談 | マルタ会談 |
|---|---|---|
| 開催時期 | 1945年2月 | 1989年12月 |
| 開催場所 | ソ連・ヤルタ(クリミア) | マルタ島沖の船上(地中海) |
| 参加国 | アメリカ・イギリス・ソ連 | アメリカ・ソ連 |
| 主要人物 | ルーズベルト・チャーチル・スターリン | ブッシュ(父)・ゴルバチョフ |
| 話し合いの目的 | 戦後処理、国際連合創設、ソ連の対日参戦 | 冷戦の終結、新しい国際秩序の確認 |
| 歴史的意義 | 冷戦の始まり(ヤルタ体制) | 冷戦の終結(ヤルタ体制の終わり) |
このように、時代背景も目的も全く違うことが分かりますね。ここからはそれぞれの違いをポイント別に詳しく見ていきましょう!
開催された時代背景の違い
まず大きな違いは、開かれた「時代背景」です。
ヤルタ会談は、1945年2月。つまり、第二次世界大戦が終わる直前に行われました。ナチス・ドイツの敗北が目前に迫るなか、連合国(アメリカ・イギリス・ソ連)が集まり、「戦争が終わった後、世界をどうするか?」を話し合ったのです。
一方、マルタ会談は1989年12月。冷戦が終わりに近づいていたタイミングで開かれました。その直前、ベルリンの壁が崩壊し、東ヨーロッパの社会主義体制が次々に倒れる「東欧革命」が起きていました。この会談では、アメリカとソ連が「もう争うのはやめよう」と話し合い、冷戦の終わりを世界に宣言したのです。
つまり、ヤルタ会談は「冷戦が始まる前」、マルタ会談は「冷戦が終わる直前」に行われた会談。まさに真逆の位置にあるんですね!
参加した国とリーダーたちの違い
次は、会談に参加した国と、そのリーダーの顔ぶれです。
ヤルタ会談に参加したのは、当時の「連合国三巨頭」と呼ばれた3人。
- アメリカ:フランクリン・ルーズベルト大統領
- イギリス:ウィンストン・チャーチル首相
- ソ連:ヨシフ・スターリン書記長
この3人は、ナチス・ドイツを倒すために手を組んだ戦友のような存在ですが、実は戦後のヨーロッパをめぐって対立もありました。特に、ソ連と西側諸国(アメリカ・イギリス)の間には「自由な選挙をするかどうか」で意見が割れ、後の冷戦の火種になったのです。
一方、マルタ会談に登場するのは、次の2人。
- アメリカ:ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(ブッシュ元大統領の父)
- ソ連:ミハイル・ゴルバチョフ書記長
ゴルバチョフは「ペレストロイカ(改革)」や「グラスノスチ(情報公開)」といった新しい政策でソ連を大きく変えようとした指導者でした。この二人は、もう戦争ではなく「対話」で問題を解決しようとし、その姿勢が世界の安心感につながったのです。
話し合われた内容の違い(戦後処理と冷戦終結)
さて、次は「何を話し合ったのか?」という中身の違いです。
ヤルタ会談では、大きく3つのことが話し合われました。
- ドイツの戦後処理(国を分けて管理すること)
- ポーランドや東欧の今後の体制
- 国際連合を作ること
加えて、密かに「ソ連が日本と戦う代わりに、戦後に南樺太や千島列島をもらう」というヤルタ秘密協定も交わされました。
対してマルタ会談は、「冷戦を終わらせよう」が中心テーマです。具体的な合意文書はなかったものの、「これからは武力ではなく、協力していく時代にしよう」という象徴的なメッセージが出されました。つまり、話し合いの内容も全く方向性が違ったのです。
歴史的意義と影響の違い
最後に、これらの会談が歴史にどんな影響を与えたのかを見ていきましょう。
ヤルタ会談によって作られたのが「ヤルタ体制」と呼ばれる国際秩序です。これは、アメリカとソ連という二大国が世界の主導権を握り、東と西に分かれて対立するという構造でした。これが後の「東西冷戦」の始まりです。
それから約44年後、マルタ会談で「冷戦は終わった」と世界に宣言されたことで、このヤルタ体制は終わりを迎えました。「ヤルタからマルタへ」というフレーズは、まさに冷戦の始まりと終わりを象徴する言葉になっています。
マルタ会談とヤルタ会談の違い:試験対策ポイント
ここからは、マルタ会談とヤルタ会談についてもっと深く知っておきたい方、テスト対策をしたい方のために、個別に内容を解説していきますよ。歴史の流れをしっかり押さえておけば、テストも怖くありません!
ヤルタ会談とは何か?内容・目的・その後の影響
ヤルタ会談は、第二次世界大戦が終わる直前の1945年2月に行われた、超重要な首脳会談です。参加国はアメリカ・イギリス・ソ連の三国で、主に次のような内容が話し合われました。
- ドイツを無条件降伏させた後の分割統治(東西に分ける)
- ポーランドなど東欧の国々の戦後体制の決定
- 国際連合の設立(平和を守るための新しい機関)
- ソ連が日本との戦争に参加するための密約
この会談で決まったことは「ヤルタ協定」と呼ばれ、戦後の国際社会の土台となりました。ですが、ソ連が秘密協定で領土を要求したことが、後の冷戦につながる原因にもなりました。
歴史の「始まり」を作った会談といえるのです。
マルタ会談とは何か?冷戦終結の背景と内容
マルタ会談は、それから約44年後の1989年12月に行われました。この会談では、アメリカのブッシュ大統領(父)とソ連のゴルバチョフ書記長が「冷戦は終わった」と世界に宣言しました。
当時は東ヨーロッパで次々に社会主義政権が倒れる「東欧革命」の真っただ中。ベルリンの壁が崩れ、ドイツが東西統一へと進んでいた時期でもあります。
この会談の内容は主に、
- 冷戦の終結の確認
- 軍縮(核兵器を減らすこと)や安全保障の話し合い
- 東欧や中東の地域問題についての意見交換
具体的な条約や契約は交わされなかったものの、「東西の対立をやめて、協力していこう」という方向性がしっかり示されました。象徴的な意味ではとても大きな一歩だったのです。
ヤルタ会談の日本への影響
ヤルタ会談では、ソ連が日本との戦争に参加することも秘密裏に決定されていました。これを「ヤルタ秘密協定」といいます。
その内容はというと…
- ドイツが降伏してから3か月以内にソ連が日本に宣戦布告する
- その見返りとして、南樺太と千島列島をソ連に渡す
- 満州や朝鮮半島、中国の一部での権益をソ連に認める
この密約の影響で、戦後、ソ連は北方領土(歯舞・色丹・国後・択捉)を占領しました。日本とロシアの間でいまだに解決されていない「北方領土問題」は、ここから始まっているのです。
日本にとっては、このヤルタ協定が非常に重い意味を持っていることが分かりますね。
マルタ会談の日本への影響
一方、マルタ会談のあとの日本にも影響はありました。冷戦が終わったことで、これまで敵対していた「東側の国々(ソ連やその周辺国)」との貿易や交流が活発になっていったのです。
特にロシアとは、資源取引や経済協力の話が進むようになりました。ただし、北方領土問題が続いていたため、関係は複雑でもありました。
また、日本は戦後ずっと「西側陣営」の仲間としてアメリカに頼ってきたため、冷戦が終わってもその立場は変わりません。今でもアメリカとの同盟関係は続いています。
マルタ会談は「敵がいなくなった」ことを意味するだけでなく、新しい世界の形に日本も巻き込まれていく転換点だったのです。
受験対策ポイント:覚えておきたいキーワード
最後に、テストによく出る重要キーワードをまとめておきます。これを覚えておけば、得点アップ間違いなし!
| キーワード | 解説 |
|---|---|
| ヤルタ体制 | ヤルタ会談で決まった戦後の国際秩序。アメリカとソ連の二大国が世界をリードする体制。 |
| 冷戦 | 第二次世界大戦後の米ソ対立。直接戦争はしないが、緊張状態が続いた。 |
| ヤルタ秘密協定 | ソ連の対日参戦と引き換えに、日本の一部領土をソ連に渡すことを決めた密約。 |
| ベルリンの壁崩壊 | 1989年、東西ドイツの分断を象徴していた壁が壊された。冷戦終結の象徴。 |
| マルタ会談 | 1989年、アメリカとソ連の首脳が会談し、冷戦の終結を世界に宣言した。 |
これらの用語は、教科書にも太字で載っていることが多いので要チェックです。単なる暗記ではなく、「なぜその会談が必要だったのか?」「どんな影響があったのか?」をしっかり理解しておきましょうね。
総括:マルタ会談とヤルタ会談の違いまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
| 項目 | ヤルタ会談 | マルタ会談 |
|---|---|---|
| 開催時期 | 1945年2月 | 1989年12月 |
| 開催場所 | ソ連・ヤルタ(クリミア) | マルタ島沖の船上(地中海) |
| 参加国 | アメリカ・イギリス・ソ連 | アメリカ・ソ連 |
| 主要人物 | ルーズベルト・チャーチル・スターリン | ブッシュ(父)・ゴルバチョフ |
| 話し合いの目的 | 戦後処理、国際連合創設、ソ連の対日参戦 | 冷戦の終結、新しい国際秩序の確認 |
| 歴史的意義 | 冷戦の始まり(ヤルタ体制) | 冷戦の終結(ヤルタ体制の終わり) |
