「大久保利通(おおくぼ としみち)」という名前を聞いたことがありますか?
西郷隆盛(さいごう たかもり)や木戸孝允(きど たかよし)と並び、「維新の三傑(いしんのさんけつ)」と呼ばれる明治維新の英雄です。
でも、どうしてか「冷たい人」「独裁者」といったイメージを持たれることが多い人物でもあります。実際の大久保利通は、どんな人だったのでしょうか?
この記事では、大久保利通が何をした人なのか、簡単に分かりやすく解説していきます。さらに、彼の性格や意外なエピソードも紹介しますよ!
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大久保利通は何をした人?簡単に解説
明治維新の立役者として活躍した大久保利通は、日本の近代化に欠かせない存在でした。彼は幕末の動乱の中で倒幕を成功させ、新しい政府を作りました。そして、内務省を設立し、近代日本の基盤を築いたのです。
でも、ただの偉い政治家ではありません。戦いの中で親友と決別したり、最後には暗殺されたりと、ドラマのような人生を送った人物でもあるのです。
大久保利通は「維新の三傑」の一人!どんな功績を残した?
大久保利通は、「維新の三傑」として、幕末から明治時代にかけて活躍しました。維新の三傑とは、大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允の3人を指します。この3人が力を合わせ、日本を近代国家へと導いたのです。
大久保は、西郷や木戸と違って軍事面ではなく政治面での手腕を発揮しました。倒幕運動を支え、新政府の基盤を作り上げる重要な役割を果たしました。また、西郷が「感情で動く人」なら、大久保は「冷静で計画的に動く人」としてバランスを取っていました。そのおかげで、維新後の日本がスムーズに動き出したのです。
倒幕の立役者!大久保利通が幕末に行ったこと
幕末、日本は大きく揺れていました。江戸幕府の力が弱まり、外国が開国を迫ってきたのです。そんな中、大久保利通は薩摩藩で政治活動を始めます。
彼はまず「精忠組(せいちゅうぐみ)」というグループを結成し、薩摩藩の改革を進めました。そして、幕府を倒すためには長州藩と協力することが必要だと考え、坂本龍馬の仲介で「薩長同盟」を結びました。この同盟によって、薩摩藩と長州藩が手を取り合い、幕府に対抗する力を持つことができたのです。
その後、大久保は「王政復古の大号令(おうせいふっこのだいごうれい)」を発布し、天皇を中心とした新しい政府を作るための準備を整えました。そして、戊辰戦争(ぼしんせんそう)で幕府軍を打ち破り、ついに明治時代が始まったのです。
明治維新後に行ったこと!日本の近代化の父と呼ばれる理由
幕府を倒しただけでは、まだ新しい国はできません。大久保利通は、新政府の基盤を作るために様々な改革を行いました。
まず、「廃藩置県(はいはんちけん)」という政策を実施しました。これは、全国の藩を廃止し、中央政府がすべてを管理するというものです。これによって、日本は一つの強い国としてまとまることができました。
次に、大久保は「富国強兵(ふこくきょうへい)」というスローガンのもと、産業を発展させ、軍事力を強化しました。特に、工業の発展には力を入れ、工場を作ったり、外国から技術を学んだりしました。
また、「地租改正(ちそかいせい)」という税制度の改革を行い、安定した財政を作りました。こうした取り組みがあったからこそ、日本は西洋列強に負けない近代国家へと成長していったのです。
西郷隆盛との決別!征韓論争と明治六年政変の真相
大久保利通と西郷隆盛は幼なじみで、ずっと一緒に倒幕を進めてきました。しかし、明治新政府で大きな対立が生まれます。それが「征韓論争(せいかんろんそう)」です。
西郷は「朝鮮に使節を送り、開国を迫るべきだ」と主張しました。しかし、大久保は「今はまだ日本の内政を優先すべきだ」と反対します。結局、大久保の意見が通り、西郷は政府を辞めてしまいました。これを「明治六年政変(めいじろくねんせいへん)」といいます。
この決別は、後の「西南戦争(せいなんせんそう)」につながります。西郷は鹿児島で士族たちを率いて反乱を起こしましたが、大久保は政府軍を指揮してこれを鎮圧しました。こうして、かつての盟友同士が敵として戦うことになったのです。
大久保利通の最後!暗殺された理由とは?
明治政府を強くするために、多くの改革を進めた大久保利通でしたが、その一方で士族たちの反感を買っていました。彼らにとって、大久保は「武士の時代を終わらせた張本人」だったのです。
そして、ついに1878年(明治11年)、大久保は「紀尾井坂の変(きおいざかのへん)」で暗殺されてしまいます。彼を襲ったのは、かつての武士たちでした。
大久保は亡くなりましたが、彼の作った制度や改革は、今の日本にも大きな影響を与えています。彼は決して人気者ではありませんでしたが、冷静で実務的な政治家として、確かな功績を残したのです。
大久保利通は何した人か簡単に:どんな人?エピソード
大久保利通は、冷静で計算高い政治家として知られていますが、意外な一面もありました。家族をとても大切にし、子煩悩だったことや、ユーモアのある性格だったことも分かっています。
ここでは、大久保利通の人物像がよく分かるエピソードを紹介します。
子煩悩な父親!家庭では優しいお父さんだった
政治の世界では冷徹なイメージが強い大久保利通ですが、家庭では全く違う顔を持っていました。彼には8男1女、合計9人の子どもがいました。忙しい中でも、子どもたちをとても可愛がり、時間があるときは一緒に遊ぶこともあったそうです。
ある日、大久保は子どもを肩車して歩いていました。その姿を見た知人が「政治のトップにいる人がそんなことをするのですか?」と驚いたそうです。それに対して、大久保は「家にいるときは普通の父親だよ」と笑って答えたといいます。
冷静な政治家でありながら、家庭では子ども思いの優しいお父さんだったのですね。
ユーモアもあった?意外とお茶目なエピソード
大久保利通は、冗談を言ったり、人をからかったりするのが好きだったそうです。真面目なイメージとは違って、ユーモアのある人だったのですね。
あるとき、大久保は同僚たちと食事をしていました。その席で、彼が「西洋ではナイフとフォークで食べるが、日本の箸のほうが便利だ」と言いながら、ナイフとフォークを使ってうまく食べられないふりをしたのです。それを見て周りの人は大笑いしました。
また、彼はお酒の席でよく薩摩弁の冗談を言ってみんなを笑わせたとも伝えられています。政治の場では厳しい顔をしていましたが、実は親しみやすい一面もあったのですね。
お金に潔癖!借金だらけの死後に驚きの事実が判明
政治家というと、財産を築いて贅沢をするイメージがあるかもしれません。しかし、大久保利通は全く違いました。彼はお金にとても厳しく、無駄遣いをしない人だったのです。
実際、大久保が暗殺されたとき、遺族が驚くような事実が明らかになりました。なんと、大久保の銀行口座にはほとんどお金がなかったのです。むしろ、借金が8,000円(現在の価値で約1億円)以上もありました。これは、大久保が政府の予算が足りないときに、自分の私財を使って公共事業を支えていたためでした。
このことが分かると、世間の人々は「大久保は本当に国のために働いた人だった」と感心しました。彼が私利私欲のために動いたのではなく、ただひたすら日本の未来のために尽くしていたことが伝わるエピソードですね。
殺された後も国民に評価された政治家
1878年、大久保利通は「紀尾井坂の変」で暗殺されました。当時、士族たちの間では「政府に不満を持つ人が増えていた」と言われています。しかし、大久保が亡くなった後、その評価は変わり始めました。
実際、大久保の葬儀には多くの人が参列し、彼の死を惜しみました。最初は「冷酷な政治家」と言われていましたが、彼の功績を知る人が増えるにつれ、「日本のために必要なことをした人だった」と認められるようになったのです。
また、彼の遺族が経済的に困っていると知った人々が、募金を集めて支援したという話もあります。それほどまでに、大久保が本当に国のために尽くしていたことを理解した人が多かったのでしょう。
西郷隆盛との友情と決別…本当に仲が悪かったのか?
西郷隆盛と大久保利通は、幼いころからの親友でした。倒幕のために力を合わせて戦い、日本を変えるために一緒に努力してきました。しかし、明治新政府で意見が対立し、最終的には「西南戦争」で戦うことになってしまいました。
では、本当に二人は仲が悪くなってしまったのでしょうか?
実は、大久保は西郷が下野した後も、彼を気にかけていたといわれています。西郷が鹿児島で不満を持つ士族たちを率いていると聞いたときも、「何とかして彼を説得できないか」と考えていたそうです。
また、大久保が暗殺されたとき、彼の懐には西郷からの手紙があったと言われています。これは、西郷のことを最後まで大切に思っていた証拠なのかもしれません。二人は政治的には対立しましたが、お互いに認め合う気持ちはずっと持ち続けていたのですね。
総括:大久保利通が何した人か簡単に解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 明治維新の立役者の一人
- 「維新の三傑」(大久保利通・西郷隆盛・木戸孝允)の一人として活躍
- 政治・行政の改革を推進し、日本の近代化を主導
- 幕末の倒幕運動で活躍
- 「精忠組」を結成し、薩摩藩の改革を進める
- 坂本龍馬の仲介で「薩長同盟」を結び、幕府を倒す準備を整える
- 「王政復古の大号令」を発布し、新政府樹立を推進
- 「戊辰戦争」で幕府軍を打ち破り、明治政府を樹立
- 明治維新後の日本近代化に貢献
- 「廃藩置県」を実施し、日本を中央集権国家に再編成
- 「富国強兵」政策を進め、産業・軍事力を強化
- 「地租改正」で税制を整え、財政基盤を強化
- 初代内務卿として、日本の基盤を築く
- 西郷隆盛との対立と西南戦争
- 「征韓論」をめぐり西郷隆盛と対立し、西郷が政府を去る(明治六年政変)
- 「西南戦争」で政府軍を指揮し、西郷軍を鎮圧
- 暗殺されるも功績は高く評価
- 1878年、「紀尾井坂の変」で士族に暗殺される
- 死後、彼の政策が日本の発展に大きく貢献したと評価される
- 意外な一面もあった人物
- 子煩悩で家庭では優しい父親だった
- ユーモアがあり、お茶目な一面も持っていた
- 私財を投じて公共事業を支援し、清廉潔白な政治家だった
- 西郷隆盛との友情は続いていた
- 政治的には対立したが、お互いを認め合っていた
- 大久保の死後、彼の懐には西郷からの手紙があったと言われる
