今回は、日本と中国の関係を大きく変えた「柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)」について、子どもでも分かるようにやさしく解説していきます。

この事件は、日本が中国の満州(まんしゅう)を占領するきっかけとなり、のちの戦争にもつながっていく、とても大事な出来事です。

「なぜそんなことが起きたの?」
「誰がやったの?」「その後どうなったの?」


といった疑問に答えながら、一つひとつ丁寧にお話ししていきますね!

※AmazonのKindle Unlimitedは月額980円ですが、3ヶ月無料期間があります。その間、読み放題対象の電子書籍は全部無料。途中で解約ももちろん自由。そのため、電子書籍が実質0円で読めます。以下に、歴史の語呂合わせに関連する無料書籍を載せておきます。

↓実質無料で読めるおすすめ歴史の読み物↓

著:山﨑 圭一
¥1,617 (2025/07/04 03:20時点 | Amazon調べ)
\楽天ポイント4倍セール!/
楽天市場
著:河合敦, 著:房野史典
¥1,617 (2025/07/04 03:22時点 | Amazon調べ)
\楽天ポイント4倍セール!/
楽天市場
著:ぴよぴーよ速報
¥1,529 (2025/07/04 03:24時点 | Amazon調べ)
\楽天ポイント4倍セール!/
楽天市場

柳条湖事件をわかりやすく解説!なぜ起きたのか

柳条湖事件は、日本が満州事変を始めるきっかけとなった重要なできごとです。ここでは、「いつ・なぜ・どのように」事件が起きたのかを、順を追ってわかりやすく解説します。

柳条湖事件とは何か?南満州鉄道爆破の概要

柳条湖事件とは、1931年9月18日の夜に、満州(今の中国東北部)で起きた爆破事件のことです。事件の現場は「柳条湖」という場所で、日本が管理していた「南満州鉄道(なんまんしゅうてつどう)」の線路が爆破されました。

この事件をきっかけに、日本軍は中国に軍事行動を起こし、満州全体を占領してしまいます。事件の名前はこの柳条湖という場所にちなんでいますが、実は湖ではなく、地名なんですよ。

このとき鉄道を守っていたのが「関東軍(かんとうぐん)」という日本の軍隊です。関東軍は「中国の軍隊がやった!」と発表しましたが、じつは自分たちで爆破していたことがあとで分かります。

つまり、柳条湖事件は「自作自演(じさくじえん)」の作戦だったのです。

なぜ起きた?関東軍の狙いや背景をわかりやすく

柳条湖事件が起きた一番の理由は、日本の「満州を自分たちのものにしたい!」という思いが強かったからです。関東軍はとくにその考えが強く、なんとか満州を占領しようと考えていました。

しかし、日本政府は国際社会との関係を気にしていて、「むやみに戦争はしない」という方針でした。そこで困った関東軍は、自分たちで鉄道を爆破して、「中国が攻撃してきた!」とウソをついて、満州を攻める口実を作ったのです。

この事件には、日本の経済や社会の問題も関係しています。当時、日本は「世界恐慌(せかいきょうこう)」という不景気の真っただ中で、多くの人が仕事を失って苦しい生活をしていました。

満州には広い土地やたくさんの資源があり、それを手に入れれば日本の問題を解決できると考えた人も多かったのです。

柳条湖事件の流れを時系列で

それでは、事件の流れを分かりやすく時系列で見てみましょう。

  • 1931年9月18日 夜10時20分ごろ
    関東軍の兵士たちが、南満州鉄道の線路を爆破します。実際の被害はとても小さく、列車が普通に通れるくらいでした。
  • その直後
    関東軍は「中国兵が爆破した!」と言って、すぐに軍事行動を開始。奉天(ほうてん)という町を制圧し、満州各地への攻撃を始めます。
  • 9月19日〜21日
    関東軍は朝鮮の日本軍に応援を頼み、どんどん戦線を広げていきます。中国側の張学良(ちょうがくりょう)は「無抵抗主義」をとって、戦おうとしませんでした。
  • 9月22日以降
    日本政府は「戦線を広げるな!」と命令しましたが、関東軍は命令を無視して行動を続けました。この時点で、政府は関東軍を止められなくなってしまいます。

このように、柳条湖事件はあっという間に大きな戦い「満州事変(まんしゅうじへん)」へと発展してしまったのです。

柳条湖事件と張作霖爆殺事件の関係

柳条湖事件の数年前、1928年には「張作霖爆殺事件(ちょうさくりんばくさつじけん)」という大きな事件が起きています。

張作霖(ちょうさくりん)は、中国の満州を支配していた軍のリーダーで、日本と協力していた人物です。しかし、日本の一部の軍人たちは、「彼はもう信用できない」と考え、秘密裏に列車ごと爆破してしまいました。

このときも日本政府は事件を否定しましたが、世界中から「日本のしわざでは?」と疑われ、国際的に信頼を失いました。

張作霖の息子が張学良(ちょうがくりょう)です。柳条湖事件が起きたとき、彼は「父を殺した日本とは絶対に組まない!」と決めていたため、日本に対して強い反感を持っていました。

つまり、柳条湖事件の背景には、すでに張作霖の爆殺という根深い対立があったのです。歴史はつながっていて、一つの事件が次の事件を生み出すんですね。

首謀者・石原莞爾と板垣征四郎の役割

柳条湖事件の中心人物は、関東軍の参謀だった石原莞爾(いしわらかんじ)と板垣征四郎(いたがきせいしろう)です。

石原莞爾はとても頭のよい軍人で、「世界最終戦論(せかいさいしゅうせんろん)」という考えを持っていました。それは、「いつか日本とアメリカが世界をかけて戦う」と予想し、そのときに備えて満州を日本の拠点にすべきだというものです。

板垣征四郎も同じ考えを持っていて、「満州は日本の将来のために必要だ!」と強く信じていました。ふたりは政府の命令を待たずに独断で作戦を実行し、事件を引き起こしました。

彼らの行動は、「軍が政府よりも力を持ってしまった」ことを表しており、この後の日本の政治に大きな影響を与えました。まさに、日本の歴史を動かした人物たちと言えるでしょう。

柳条湖事件を分かりやすく:影響とその後の歴史

柳条湖事件は、一つの爆破事件にとどまらず、その後の日本と世界の歴史に大きな影響を与えました。ここでは「事件の影響」と「その後どうなったか」をわかりやすく解説していきます。

満州事変へ発展した流れ

柳条湖事件が起きた直後、日本の関東軍はすぐに行動を開始し、あっという間に満州の都市を占領していきました。この一連の軍事行動は「満州事変(まんしゅうじへん)」と呼ばれています。

満州事変では、関東軍が政府の命令を無視してどんどん進軍し、1932年には満州の広い地域をほぼ完全に支配しました。日本政府は最初「戦線拡大反対」と言っていましたが、関東軍の勢いに押され、最終的には事実上これを認めることになります。

このように、柳条湖事件は日本の軍が勝手に戦争を始めた「軍部の暴走(ぼうそう)」を象徴する事件としても重要なのです。

国際連盟の反応とリットン調査団とは

中国は、日本の行動にすぐさま反応し、国際連盟(こくさいれんめい)に助けを求めました。すると国際連盟は「リットン調査団(ちょうさだん)」という特別チームを満州に派遣し、事件の真相を調べることにしたのです。

この調査団は、1932年から約3か月にわたって満州各地をまわり、日本と中国の関係者から話を聞いたり、現地の様子を観察したりしました。

その結果、「柳条湖事件は自衛ではなく、日本の軍が計画的に行ったもの」「満州国の建国は中国の自発的なものではない」という報告書がまとめられました。

この報告は、日本にとっては大変不利な内容で、国際的な批判を受けることになったのです。

日本の国際的孤立と国際連盟脱退までの流れ

リットン調査団の報告を受けて、国際連盟は「日本は満州から撤退すべきだ」と勧告しました。しかし、日本はこの決定に強く反発します。

1933年、日本の代表だった松岡洋右(まつおかようすけ)は、スイス・ジュネーブの国際連盟の会議で反対の意見を述べ、ついには議場を退席。その後、日本は正式に国際連盟を脱退します。

これにより、日本は国際社会から孤立することになります。外交での協力が難しくなり、「日本は話し合いではなく武力で物事を解決しようとしている」と見られるようになってしまいました。

柳条湖事件は、日本が戦争への道を進み始めた大きな転機だったのです。

太平洋戦争へのつながり

柳条湖事件をきっかけに始まった満州事変。その後、日本はさらに中国へと軍を進め、1937年には「日中戦争(にっちゅうせんそう)」が始まります。日中戦争が長引くなか、日本はアメリカやイギリスとも関係が悪化していき、やがて石油などの輸出を止められてしまいます。

このような経済的な制裁に対して、日本はついに1941年、アメリカとの戦争、つまり「太平洋戦争(たいへいようせんそう)」を始めることになります。

つまり、柳条湖事件から始まった日本の軍事行動は、戦争の連鎖を生み、やがて世界を巻き込む大戦争へとつながっていったのです。

柳条湖事件はなぜ教科書で重要なのか?テストで出るポイント

柳条湖事件は、日本の歴史のなかでもとくに重要な出来事として教科書によく登場します。テストでもよく問われるので、ここでポイントを整理しておきましょう!

いつ? → 1931年9月18日
どこで? → 中国の満州、柳条湖付近
誰が? → 関東軍(石原莞爾・板垣征四郎など)
何をした?
→ 南満州鉄道を自作自演で爆破し、中国軍のせいにして軍事行動を開始
なぜ重要?
→ 満州事変、日中戦争、太平洋戦争へとつながるきっかけになった

このように、柳条湖事件は「戦争がなぜ起きたか」を理解する上でとても大切です。用語の意味、時系列、人物名などをしっかり覚えておくと、テストでもバッチリ得点できますよ!

総括:柳条湖事件をわかりやすく解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 柳条湖事件は1931年9月18日に南満州鉄道が爆破された事件で、日本の関東軍が自作自演で起こした。
  • 関東軍は満州を占領する口実を作るため、事件を中国軍の仕業と見せかけた。
  • 日本政府は関東軍の勝手な行動を止められず、戦線は拡大し満州事変に発展。
  • 事件の背後には、満州の資源獲得や世界恐慌による国内不況の影響があった。
  • 柳条湖事件には、張作霖爆殺事件など以前の中国との関係悪化も関係している。
  • 主導したのは関東軍の石原莞爾と板垣征四郎で、政府の命令を無視して独断で行動した。
  • 中国は国際連盟に訴え、リットン調査団が調査した結果、日本の行動を批判。
  • 日本は国際連盟の勧告に反発し、1933年に脱退して国際的に孤立。
  • 柳条湖事件はその後の日中戦争、太平洋戦争への道を開く重要な事件となった。
  • 教科書やテストでも頻出で、起きた日付・場所・関係人物・その後の影響を覚えることが大切。