勉強では「努力」という変数は極めて重要です。

しかし、小学生における努力と中学生における努力はまるで意味が違うと自分は考えています。

その際大事になってくるのが、「才能」をどう考えるかです。

自分の中ではこう考えます。

小学生の努力は才能を開花させるためにするもの。中学生における努力は才能を最大限引き出すためにするもの。

人間は、持っている才能以上の成果を出すことは難しいです。そして、才能は遺伝要因によって各々異なります。才能の大小も違うし、どの分野に才能があるかも個人個人まるで違います。

しかし、才能自体は蕾であり、開花させなければ意味がないもの。

勉強の場合は、才能を開花させる時期がまさに小学生のタイミング。中学以降は、小学生の間に伸ばしておいた才能をベースに成果の最大値が決まります。

本記事では、勉強における才能をどう考えるかを解説します。

【勉強】小学生の努力と中学生の努力の決定的な違い

まず最初に、小学生における努力と中学生における努力の違いを自分なりに解説していこうと思います。

小学生と中学生では、努力によって期待できることがまるで違うと思います。

詳しくは以下の通りです。

小学生の努力の意味:才能を開花させること

小学生の努力の目的は、「才能を開花させること」にあると思います。

この思考に至ったのは、ハイキューの及川の名言がきっかけです。

才能は開花させるもの センスは磨くもの

ハイキューが好きな人なら、このシーンは知っているはず。

そもそも、才能というのは子供の段階ではまだ「蕾」です。全く花開いていないので、そもそも才能があるかどうかも本当は分からない。

しかし、何かしらアクションを起こすことで、蕾が花開く。そこで初めて、「こんなに美しい花だったんだ!」って気づく。ただ、蕾は水をあげたり手入れしないと枯れてしまう。

勉強においては、水やりや手入れに相当するものが「努力」と言えます。

いかに才能を持っている子でも、小学生の段階ではまだ蕾に過ぎない。そこに努力という水やりを加えることで、花を咲かして初めて才能があったと認識できる。

小学生の間の努力は、才能を開花させるために必要なことだと言えます。

中学生の努力の意味:才能を開花させること

では、中学校以降において、努力はどういう意味を持つか?

少なくとも勉強に関して言えば、自分はこう分析しています。

・小学校の間に開花させておいた才能を最大限に引き出すために必要なこと

正直、才能があるだけでは勉強で爆発的な成果を出すことはできません。なぜなら、己の才能の扱い方を学んでいないからです。

例えば暗記1つとっても、

・自分はどのくらいの時間でどれだけの量暗記できるか?
・どのくらい間を空けると忘却してしまうのか?
・何回ぐらい反復すれば暗記が完璧になるのか?

といった己の才能を認識して初めて、高得点を取る上で必要なアプローチの方法が何かわかってくるものです。

そして、暗記で言えばあれこれ試しながら、自分なりに覚えやすい方法を見つけていくものです。よく暗記のコツを知りたがる人がいますが、そんなものはない。あえて言うなら、己の中で自分なりの暗記のコツを見つけるしかない。

話を戻すと、中学以降の努力は己の才能を最大限発揮するために、あれこれアプローチをかけるタイミングです。才能をマックス発揮するために頑張る時期とも言えます。

そういう意味では、及川の名言通り。

才能を小学校の間に開花させておき、それ以降はセンスを磨いて成果を出すために頑張るみたいな感じです。

小学校のウチに才能を開花させていなければ厳しいという現実

さて、ここまで読めば、物事の本質が見えてくるのではないかと思います。

それは、小学校の間に才能を開花させておかないと、中学以降はかなり厳しいということです。

そもそも、人間の限界は「才能」によって決まります。仮に同じ質で同じ量努力をすれば、運要素を除外した時に差がつくのは才能だけ。これはもうそういうもの。

つまり、小学校の間にある程度はその子の才能が決まってしまうのであれば、中学以降はその才能の大小によって結果の最大値が決まってしまうということ。

ここをしっかり理解できている親は少ない。理解したとしても、受け止められる親はもっと少ない。

ハッキリ言いますが、小学校の間に才能が開花させられなかったら、求める結果次第ですが「手遅れ」という現象は当たり前に起こります。

子供の可能性は無限大だから、努力によって未来は切り開ける?

バカは休み休み言いなさい。

可能性は才能によって限界値が決められてしまうもの。そして、小学校の時に才能を開花させていないのに、都合よく中学以降で爆発するわけなどない。

小学生までの主に幼少期の教育をミスった親は、そこから先は低空飛行を受け止めるのが原則です。努力棒を振り回して、子供を煽り散らかしたりブチギレたりするのは愚の骨頂。

世の中には「締め切り」があるもの。それを過ぎたら、ダメなものはダメです。

子供だってそれは例外ではない。

小学校時代の努力不足が招く中学以降の残酷な現実

ここからは、ちょっと重たい話。

小学校のうちに子供の才能を開花させておくことをサボるとどうなるかを、勉強という観点から現場の意見としてお伝えします。

国語力(読解力)だけは中学以降ではまず伸ばせない

才能が開花していないと、そこから先は努力ではどうにもならない。

残念ですが、勉強ではこんな事態は日常的に起こっています。

例えば中1の数学の最初の正の数・負の数の計算。そこって、プラスマイナスは新キャラだけど、それ以前に分数や少数の掛け算割り算が出来なくて詰む子が一定数います。

小学校の間に基礎的な計算力を身につけなかった(才能を開花させていなかった)せいで、そこから先の学問は努力をしても出来ることが限定的になってしまう。

他の子が文章題やってる時に、自分だけ計算問題の反復(しかも小学生内容)になるわけなので、努力しても点数として成果を実感できる数字は少ないです。でも、それがマックスなんです。

ただ、計算力より厄介なのが「国語力・読解力」です。正直、才能を開花させておかないともうどうにもならないのがこれ。

国語って総合力なので、お勉強の世界だけの話で点数が決まらないですよね?

これまで生きてきた中での知識・経験からくる語彙力・想像力などに加え、活字を読むということに対する抵抗感・集中力など複数の要素の影響を受けまくります。

こういうのって、正直なところ小学校の時にできるようにしておかないと、中学以降ではまず挽回しない。中学は中学で新しい一般常識とか増えてきますが、それを支える土台みたいなものがない子は大勢います。

この子達だって、小学校の時に勉強努力して最低限の才能を開花させておけば、中学以降でもまだ耐久できたかもしれません。でも、それをサボったのであればかなり厳しい…

親子の中で繰り広げられる日常会話の質の差の影響も大きいです。

中学以降で学習塾ができること

学習塾をやっていると、どうしても無理難題を突きつけられ、虚しい気持ちになることがあります。

それは、「子供の能力(才能)を飛び越えた結果を期待する親への対処」です。

まず大前提、子供の能力(才能)を飛び越えた結果など出せません。結果は才能の範囲内でしか出ません。

しかし、親が認知する子供の能力と求めている結果に理解できないほどの差が開いているご家庭を少なからず目にするし耳にもします。基本的には退塾になります。

正直、こういうご家庭は面談の際に大体分かります。

ただ、「どこかで現実を受け止め、最終的には子供の限界を受け入れ、できる範囲の中で子供を応援してくれるはず」と期待してご入塾いただきます。

しかし、この期待はかなりの確率で裏切られます。もちろんこれも塾屋の宿命ですが、何とも言えない気持ちになります。

仮に点数アップしても、こういうご家庭は自分たちが求める水準まで点数が上がらないと子供を褒めない傾向もあり、子供も追い込まれちゃいますからね…

厳しい話ですが、勉強の期待値は小学校時点(基本的には10歳まで)で大体決まってしまうもの。そこから先は、センスを磨くだけで、才能そのものを広げる時期ではないのです。

塾に期待するものが才能の飛躍であるご家庭は、塾通いの満足度が低くなると思ってください。今ある才能を最大限に活かすために、センスを磨きにいく場所だと考えるご家庭の方が、基本的にはうまくいきます。

基本的に、勉強のデッドラインは幼少期教育にあるものです。

総括:勉強における小学生と中学生の努力の違いまとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 小学生の努力: 小学生の努力は「才能を開花させる」ことが目的。才能は子供の段階ではまだ「蕾」の状態で、努力を通じて初めてその才能を認識できる。
  • 中学生の努力: 中学以降の努力は、「小学生の間に開花させた才能」を最大限に引き出すためのもの。中学ではすでに開花した才能をどう活かすかが重要。
  • 才能の限界: 努力だけでは限界があり、才能によって結果の最大値が決まる。才能は遺伝によって異なり、特に国語力や読解力などの基礎的な力は小学生の時期に開花させないと、中学以降では伸ばしにくい。
  • 小学校時代の努力不足が招く現実: 小学校時代に基礎的な力を開花させなかった場合、中学以降は努力だけでは補えない部分が多い。例えば、国語力や算数の計算力は小学生のうちにしっかり身につけておかないと厳しくなる。
  • 学習塾の現実: 学習塾では、子供の才能に見合った結果しか出せない。親の期待が高すぎると、子供がプレッシャーを感じてしまうことがある。
  • 期待値と現実: 勉強における期待値は小学校時点で決まっており、それ以降はセンスを磨く段階となる。塾に期待するものが才能の飛躍である場合、満足度が低くなる可能性が高い。
  • 総括: 勉強における小学生と中学生の努力の違いは、才能を開花させるか、既に開花した才能を最大限に活かすかという違い。小学校時代の基礎が中学以降の成功に大きく影響する。