歴史の授業で「天明の飢饉」という言葉を聞いたことはありますか?
これは江戸時代に起きた、 日本史上最悪クラスの飢饉です。東北地方を中心に、多くの人が飢えに苦しみ、最終的には数十万人もの人が命を落としたと言われています。
「でも、どうしてそんなに大変なことになったの?」
「他の飢饉と何が違うの?」
「昔の人たちはどうやって生き抜いたの?」
そんな疑問を持つみなさんのために、今回は天明の飢饉がどれほどやばかったのかわかりやすく解説します!これを読めば、学校のテストにも役立つ知識が身につくはずですよ。
それでは、一緒に学んでいきましょう!
天明の飢饉がやばい理由とは?歴史的背景から徹底解説

江戸時代には「享保の飢饉」「天明の飢饉」「天保の飢饉」という三大飢饉がありました。その中でも天明の飢饉(1782~1788年)は最も多くの被害者を出したことで有名です。
では、具体的に何が「やばかった」のか、詳しく見ていきましょう!
天明の飢饉が「やばい」と言われる最大の理由:死亡者数の多さ
天明の飢饉で日本中で30万人以上、東北地方だけで50万人近くの人が亡くなったと言われています。特に東北では人口が半減してしまった藩もありました。
なぜこんなにも多くの人が亡くなったのでしょうか?それは、天明の飢饉が何年も続いた上に救済措置がうまく機能しなかったからです。
普通の飢饉なら、1年くらい米が取れなくても蓄えていた食料で何とかしのぐことができます。でも、天明の飢饉では冷害や大雨が何年も続き、食料がどんどんなくなってしまいました。さらに、幕府や藩の対応が遅く助けてもらえない人が大勢いたことも原因です。
農村では 餓死する人が続出 し、都市部でもお金を持っていても米が買えないという事態になりました。こうして、江戸時代最悪の大飢饉となったのです。
浅間山の噴火が飢饉を加速させた
天明の飢饉が特にやばかった理由のひとつに浅間山の大噴火(1783年)があります。
浅間山が噴火すると、大量の火山灰が空に舞い上がりました。この火山灰が「日傘効果」を引き起こし、太陽の光を遮ってしまったのです。その結果、気温が下がり、東北地方では「やませ」という冷たい風が吹き、作物が全く育たなくなりました。
さらに、噴火によって火山灰や溶岩が川をせき止め大洪水が発生しました。これによって田畑が壊滅し、飢饉の被害がさらに広がったのです。
つまり、天明の飢饉はただの不作ではなく、火山の噴火という自然災害が追い打ちをかけたことで、より悲惨な状況になったのです。
田沼意次の政策が飢饉を深刻化させた?
当時の幕府を仕切っていたのは田沼意次(たぬま おきつぐ)という政治家でした。彼は商業を活発にする「重商主義」を進めたことで有名ですが、農業の重要性を軽視してしまいました。
具体的には、
✅ 農民に商品作物(紅花・綿・菜種)を作らせ、米の生産を減らした
✅ 米の流通を商人に任せ、価格が高騰する原因を作った
✅ 米の備蓄をしなかったため、飢饉のときに対応できなかった
このように、田沼意次の政策 経済を発展させる一方で、食糧危機への対応が甘かったのです。そのため、天明の飢饉が起きたとき、農民は売れる作物ばかり作っていて、自分たちが食べる米がなかったという状況になってしまいました。
幕府と諸藩の対応は?助かった地域との違い
天明の飢饉では、すべての藩が被害を受けたわけではありません。例えば、米沢藩や白河藩では、事前に食糧を蓄えていたため餓死者がほとんど出ませんでした。
一方で、仙台藩や南部藩では、食料の備蓄が少なかったうえに 「穀留(こくどめ)」という政策で、他の藩への米の輸出を禁止しました。つまり、各藩が「自分の藩だけ助かればいい」と考えてしまったのです。
これにより、食料の流通が止まり、結果として大量の餓死者を出す結果となってしまいました。
人肉食も!?極限状態に陥った人々の悲惨な実態
天明の飢饉では、あまりの飢えに耐えられず、人間の肉を食べたという記録が残っています。
例えば、当時の医師杉田玄白(すぎた げんぱく)の書物には、「人間の肉を焼いて食べた」という話が書かれています。また、青森県八戸市の記録には、「おじいさんが亡くなったから、片足を分けてください」と宿屋を訪ねた女性の話が記されています。
このように、天明の飢饉では極限状態に追い込まれた人々が、生き延びるために想像を絶する行動をとらざるを得なかったのです。
天明の飢饉がやばい:学ぶ教訓べき現代への影響

天明の飢饉は、単なる食料不足ではなく、 政治・自然災害・経済政策が複雑に絡み合った結果発生した大惨事でした。この経験から、現代に生きる私たちが学べることもたくさんあります。
ここでは、天明の飢饉が残した教訓や、現在の食糧危機への対策について詳しく解説していきます!
天明の飢饉がきっかけで変わった幕府の食料政策
天明の飢饉のあと、江戸幕府は「このままではいけない!」と考え、食料不足に備えるための新たな政策を取り入れました。
✅ 備蓄倉庫の設置(社倉・義倉)
幕府は、各地の農村に米や食料を保存するための倉庫を作りました。これにより、飢饉が発生したときに備えて、事前に食料を蓄えておくことができるようになりました。
✅ 農業重視の政策への転換
田沼意次の「商業重視の政治」から、松平定信(まつだいら さだのぶ)の「農業を大切にする政治」へと大きく方向転換しました。これを「寛政の改革」と呼びます。
✅ 「囲い米(かこいまい)」制度の導入
各藩が自分たちの藩内で食料を備蓄し、飢饉が起きたときに分配するようになりました。これにより、食糧不足になったときにすぐに対応できるようになりました。
天明の飢饉と現代の食糧危機は似ている?
「昔の話だから、今の日本には関係ない」と思うかもしれませんが、実は現代でも食糧危機は大きな問題になっています。
例えば…
✅ 気候変動による異常気象
→ 天明の飢饉と同じように異常気象で作物が育たないケースが増えている
✅ 戦争や政治的問題による食料不足
→ ロシア・ウクライナ戦争の影響で小麦の価格が急騰
✅ 人口増加による食料需要の増加
→ 世界の人口が増え続け、食料が足りなくなるリスクがある
このように、食料問題は昔も今も変わらず重要な課題なのです。では、私たちはどのようにして未来の食糧危機に備えればいいのでしょうか?
未来の食糧危機を防ぐために私たちができること
天明の飢饉の経験を活かし、現代の私たちができることを考えてみましょう。
✅ フードロス(食品ロス)を減らす
日本では、毎年500万トン以上の食料が捨てられています。これは、天明の飢饉の被害者が聞いたら「もったいない!」と驚く量です。私たちは必要以上に食べ物を買いすぎないことや残さず食べる習慣をつけることが大切です。
✅ 非常食の備蓄をする
天明の飢饉のとき、人々は食料の備蓄がなかったために餓死しました。現代でも、地震や大雨の影響で食料が手に入らなくなる可能性があります。カップ麺やレトルト食品など保存できる食料を家庭でストックすることが大切です。
✅ 持続可能な農業を支援する
環境に優しいオーガニック農業や地産地消(地元で作られた食べ物を地元で食べること)を意識することも、未来の食料を守る方法のひとつです。
このように、天明の飢饉の教訓を活かせば、現代の食糧危機を防ぐヒントが見つかるのです。
天明の飢饉を学ぶのにおすすめの本や資料
天明の飢饉について、さらに詳しく学びたい人のために おすすめの本や資料 を紹介します!
📚 『天明の飢饉』(佐々木潤之介著)
➡ 江戸時代の三大飢饉のひとつである天明の飢饉の詳細を解説した本です。
📚 『東北飢饉の歴史』(三浦忠司著)
➡ 天明の飢饉を含む 東北地方の飢饉の歴史 がよくわかる一冊。
📚 『凶荒図録(きょうこうずろく)』
➡ 天明の飢饉の様子を 実際に描いた絵図 で記録した貴重な資料。
歴史の授業や自由研究にも役立つので、ぜひ読んでみてください!
テスト対策!天明の飢饉に関する重要ワードとポイント
最後に、天明の飢饉に関する重要ワードをまとめておきます。テスト対策にもなるので、しっかり覚えましょう!
🔹 天明の飢饉(1782~1788年)
➡ 江戸時代で最も被害が大きかった飢饉
🔹 浅間山の噴火(1783年)
➡ 火山灰による冷害と洪水が飢饉をさらに悪化させた
🔹 田沼意次の政策
➡ 商業重視の経済政策により米の生産が減り、飢饉を深刻化させた
🔹 穀留(こくどめ)
➡ 藩が米の輸出を制限し、他の地域への食料供給を止めた
🔹 寛政の改革(1787年~)
➡ 松平定信が飢饉対策のために行った農業重視の政策
これらをしっかり押さえておけば、学校のテストでも高得点が狙えるかもしれませんよ!
総括:天明の飢饉がやばい理由まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 天明の飢饉は日本史上最悪クラスの飢饉
- 1782年~1788年に発生し、特に東北地方で甚大な被害を出した。
- 死亡者数が非常に多い
- 全国で30万人以上、東北地方だけで50万人近くが死亡したとされる。
- 長期間の冷害や食料不足により、多くの人が餓死した。
- 浅間山の噴火(1783年)が飢饉を悪化
- 火山灰の「日傘効果」により気温が下がり、農作物が育たなくなった。
- 溶岩や火山灰が川をせき止め、大洪水を引き起こした。
- 田沼意次の政策が飢饉を深刻化
- 農民に米以外の作物(紅花・綿・菜種)を作らせ、米の生産が減少。
- 米の流通を商人に任せたことで、価格が高騰し、庶民が米を買えなくなった。
- 米の備蓄を十分に行わず、飢饉時に適切な対応ができなかった。
- 幕府や藩の対応の違いが被害を分けた
- 米沢藩・白河藩などは備蓄があり、餓死者を出さなかった。
- 仙台藩・南部藩では「穀留(こくどめ)」により米の輸出を禁止し、食料流通が滞ったため、多くの餓死者を出した。
- 極限状態に陥った人々の悲惨な実態
- 飢えのあまり人肉を食べたという記録が残っている(杉田玄白の書物など)。
- 宿屋で「亡くなったおじいさんの足を分けてほしい」と頼んだという話も伝わる。
- 天明の飢饉後、日本の食料政策が大きく変わる
- 備蓄倉庫(社倉・義倉) を設置し、食料の保存を強化。
- 農業重視の政策(寛政の改革) で米の生産を増やす方向へ転換。
- 「囲い米(かこいまい)」制度 で、各藩が食料備蓄を義務化。
- 現代の食糧危機と似ている点
- 気候変動による異常気象 で農作物の収穫量が減少。
- 戦争や政治問題 により、食料の供給が不安定に。
- 人口増加 により、世界的に食料が足りなくなるリスクがある。
