今回は、日本の歴史の中でも重要な人物である天武天皇(てんむてんのう)について分かりやすく解説します!
「天武天皇って何をした人?」「どんな時代の人?」と疑問に思っている人も多いでしょう。実は、天武天皇は日本の国家のしくみを作ったとても重要な天皇なんです。
天武天皇は「壬申の乱(じんしんのらん)」という大きな戦いに勝って天皇になり、日本のルールを整えていきました。また、『古事記(こじき)』や『日本書紀(にほんしょき)』を編さんし、日本の歴史をまとめたことでも有名です。
それでは、天武天皇が何をしたのか、どのような時代に生きたのかを詳しく見ていきましょう!
天武天皇は何をした人?簡単にわかりやすく解説

天武天皇(てんむてんのう)は、飛鳥時代における日本の歴史を大きく変えた重要な天皇です。彼が何をしたのか、どのようにして即位に至り、その後どんな改革を行ったのかを詳しく見ていきましょう。
天武天皇の功績は、後の日本の国家形成に大きな影響を与えました。
天武天皇は何をした人?簡単にまとめると
天武天皇は、日本の国をまとめたとても大切な天皇です。
特に次の5つのことが、彼の大きな功績として知られています。
- 壬申の乱に勝ち、天皇の権力を強化
- 律令制(りつりょうせい)というルールを作った
- 『古事記』と『日本書紀』の編さんを指示した
- 八色の姓(やくさのかばね)という新しい身分制度を作った
- 仏教を大切にし、神道との調和を図った
このように、天武天皇はただの天皇ではなく、日本という国の形をしっかり整えた人物なのです。
天武天皇はいつの時代の人?飛鳥時代の終盤をリードした
天武天皇は、飛鳥時代(あすかじだい)という時代に生きた人です。飛鳥時代は日本がまだ統一国家として発展していく途中の時代で、天武天皇はその大きな流れを作った重要な人物でした。
天武天皇が即位したのは673年。そして亡くなったのが686年です。
この13年間の間に、日本の国のしくみを大きく変え、次の奈良時代へとつなげました。彼の政策がなければ、現在の天皇制度や日本のルールは違ったものになっていたかもしれません。
天武天皇はどうやって即位した?壬申の乱の勝者として登場
天武天皇は、もともと「大海人皇子(おおあまのおうじ)」と呼ばれていました。彼の兄である天智天皇(てんちてんのう)が亡くなった後、その息子である大友皇子(おおとものおうじ)と皇位をめぐって争いました。
これが「壬申の乱(じんしんのらん)」です。
大海人皇子は、いったん吉野に逃れましたが、その後兵を集めて大友皇子に戦いを挑みます。この戦いで大友皇子に勝利し、天皇として即位したのが天武天皇です。
つまり、天武天皇は戦いに勝つことで皇位を手に入れた天皇なのです。
天武天皇の政策とは?律令制の基盤を作った改革者
天武天皇は、日本の政治をもっとしっかりしたものにするために、大きな改革を行いました。
それが「律令制(りつりょうせい)」の基礎を作ることです。律令制とは、法律(律)と政治のしくみ(令)をしっかり決める制度のことです。
天武天皇は「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」という法律を作る準備をしました。この法律がもとになり、後の奈良時代に完成する「大宝律令(たいほうりつりょう)」へとつながります。
また、中央集権国家(ちゅうおうしゅうけんこっか)を作るために、大臣をおかず、天皇を中心にした政治を行いました。これにより、天皇の力がより強くなり、日本の国のまとまりがよくなったのです。
八色の姓とは?身分制度を整理し、天皇の権威を強化
天武天皇は、豪族(ごうぞく)たちの力を抑えて、天皇の権威を強めるために「八色の姓(やくさのかばね)」という制度を作りました。
これは、豪族たちの身分を「真人(まひと)」や「朝臣(あそん)」など8つのランクに分ける制度です。
この制度によって、豪族たちは天皇の支配下に置かれ、「日本は天皇を中心にまとまる国なんだ!」という考えが広がりました。これが、今の日本の天皇制度にもつながる、大きな改革のひとつなのです。
日本書紀・古事記を編さんした理由とは?
天武天皇は日本の歴史をしっかり記録することの大切さを理解していました。
そこで、『古事記(こじき)』と『日本書紀(にほんしょき)』の編さんを命じたのです。
- 『古事記』…日本最古の歴史書で、神話や伝説が多く含まれる
- 『日本書紀』…中国の歴史書に近い形で、日本の歴史を記録したもの
この2つの歴史書があったおかげで、私たちは日本の古い歴史を知ることができるのです。天武天皇が歴史をまとめることを決めなかったら、今の私たちはもっと日本の昔のことを知らなかったかもしれませんね!
天武天皇は何した人か簡単に:日本に与えた影響

天武天皇の時代は、日本の歴史において重要な転換点となりました。彼の改革と政策が、日本の律令国家の礎を築き、後の時代に大きな影響を与えたことは間違いありません。
ここでは、天武天皇がその治世を通じて日本の歴史に残した影響と、それが後世の日本にどう受け継がれたのかを詳しく解説します。
持統天皇と天武天皇の関係は?日本初の女帝の活躍
天武天皇の死後、その遺志を継いだのが持統天皇(じとうてんのう)です。持統天皇は、天武天皇の妻であり、日本で数少ない女性天皇のひとりでした。
天武天皇が行った政治改革を引き継ぎ、中央集権的な律令国家をさらに強化しました。また、持統天皇の時代には、日本初の本格的な都である藤原京(ふじわらきょう)が建設されました。
これにより、日本の都市づくりが進み、後の奈良時代の平城京(へいじょうきょう)へと発展していきます。
持統天皇は女性でありながらも、天武天皇の政策をしっかりと守り、日本の国家体制をさらに整えた重要な存在だったのです。
天武天皇が築いた白鳳文化とは?仏教と芸術の発展
天武天皇の時代には、「白鳳文化(はくほうぶんか)」と呼ばれる文化が栄えました。白鳳文化とは、仏教の影響を受けながらも、日本独自の芸術や建築が発展した時代の文化のことです。
特に、天武天皇が大切にしたのが仏教です。彼は仏教を国家の安定に役立てようと考え、多くの寺院を建立しました。
代表的なのが「薬師寺(やくしじ)」です。これは、天武天皇が持統天皇の病気平癒を願って建てたお寺で、現在も奈良県に残っています。

また、この時代には、法隆寺(ほうりゅうじ)などの古い寺院も影響を受け、仏教彫刻や絵画の技術が発展しました。
こうした文化は、後の奈良時代にさらに発展し、日本の仏教芸術の礎(いしずえ)となりました。
「日本」という国号の始まり?天武天皇が名付けたのか
現在、日本の正式な国名は「日本(にほん/にっぽん)」ですが、この国号が使われるようになったのは天武天皇の時代だといわれています。それまで、日本は「倭(わ)」と呼ばれていましたが、これは中国から見た呼び方でした。
天武天皇は、「日本」という新しい国号を使うことで、日本が独立した国であることを示そうとしたのです。
また、「天皇(てんのう)」という称号を正式に使い始めたのも天武天皇の時代です。それまで日本の君主は「大王(おおきみ)」と呼ばれていましたが、「天皇」とすることで、より神聖な存在としての意味合いを強めました。
これによって、日本は単なる地方の国ではなく、独立した国家としての自信を持つようになったのです。
律令制度の完成に向けた影響
天武天皇が作ろうとした「律令制度(りつりょうせい)」は、彼の死後に本格的に整えられました。
天武天皇の改革をもとにして、持統天皇の時代には「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」が施行されました。さらに、その後の奈良時代になると、「大宝律令(たいほうりつりょう)」という本格的な法律が作られます。
この制度では、
- 土地は国のものとする「班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)」
- 農民が税を納める「租庸調(そようちょう)」
などのルールが決められました。
これにより、日本は中央集権的な国家となり、政治の仕組みが整えられていきました。つまり、天武天皇の政策がなければ、日本の律令国家は生まれなかったともいえるのです。
天武天皇の影響は今も続く?天皇制度と日本のルーツ
天武天皇が作り上げた「天皇を中心とする国家」という考え方は、現在の天皇制度にも影響を与えています。
例えば、天武天皇の時代に始まった
- 天皇の称号
- 律令制度による政治の基盤
- 歴史書の編さん
- 中央集権的な国家のしくみ
は、その後の日本の歴史の中でずっと受け継がれてきました。
また、『古事記』や『日本書紀』によって、日本の神話や歴史がまとめられたことは、日本の文化の形成に大きく貢献しました。
さらに、天武天皇が行った身分制度の改革(八色の姓)は、現在の日本社会における役職や家系の考え方にも影響を与えています。このように、天武天皇が作り上げた制度や文化は、1300年以上経った現代でも私たちの生活に影響を与え続けているのです。
総括:天武天皇は何した人か簡単に解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
1. 天武天皇とは?
- 飛鳥時代の天皇で、日本の国家形成に大きな影響を与えた人物。
- 「壬申の乱」に勝利し、673年に天皇として即位。
- 日本の政治体制や文化の基盤を築いた。
2. いつの時代の人?
- 飛鳥時代の終盤(在位:673年~686年)。
- 律令制の基礎を作り、奈良時代の大宝律令へとつなげた。
3. どのように即位したか?
- 兄・天智天皇の死後、甥の大友皇子と皇位をめぐり戦う(壬申の乱)。
- 吉野へ逃れた後、兵を集めて勝利し、天皇に即位。
4. 天武天皇の政治改革
- 律令制の基盤:「飛鳥浄御原令」の制定準備(後の「大宝律令」へ)。
- 八色の姓:豪族を8つの身分に分け、天皇の権威を強化。
- 中央集権体制の確立:大臣を置かず、天皇中心の政治を推進。
5. 文化・宗教政策
- 『古事記』・『日本書紀』の編さんを指示し、日本の歴史を体系化。
- 仏教を重視し、神道との調和を図る。
- 白鳳文化を発展させ、薬師寺を建立。
6. 「日本」という国号の使用
- それまでの「倭(わ)」を「日本(にほん)」に変更し、独立性を強調。
- 「天皇(てんのう)」という称号を正式に使用し、神聖な存在とする。
7. 天武天皇の死後
- 妻の持統天皇が即位し、天武天皇の改革を引き継ぐ。
- 藤原京の建設や律令制の確立が進む。
8. 天武天皇の現代への影響
- 天皇中心の国家体制の基盤を築く。
- 『古事記』・『日本書紀』により、日本の歴史・文化が明確に記録される。
- 日本の国号や律令制度の考え方が現代まで受け継がれる。
